23 私は和哉君の姉だから
終業式が終わり、春休みに入った。4月になれば、進級し、2年生となる。それまでのしばしの休みだ。
春休みでの生活だが、平穏な日常だ。趣味の手芸に没頭したり、学や西村といった友達と遊びに出かけたりしていた。
そんな日常に同い年である姉が現れることはなかった。てっきり、結梨によってまた何かに巻き込まれるとは身構えていた。
平穏な日々が続くのはいいことだが、何故だろうか今年の春休みは妙に長く感じる。
***
「よし、一通り買えたな」
手芸用品を買い揃えた俺は雑貨屋から出てきた。今俺がいるのは街にあるショッピングモールだ。
手芸に使う道具や布等はもっぱらこの雑貨屋で買っている。高校生の俺は親からもらったお小遣いでうまくやりくりしている。
「そういえば、前に結梨と来たんだよな」
店を振り返って、俺はポツリと呟く。今思えばあれが結梨と2人で出かけた初めてのことだった。あれ以来あの姉とはなんだかんだで色々なことがあった。
「って、何を思い出しているんだよ」
俺はくるりと踵を返して、雑貨屋を後にする。目的のものは買えたし、後は帰るだけだ。家に帰ったら存分に手芸を楽しもう。
「あら、和哉君?」
聞き覚えのある声が聞こえて、俺は反射的にそちらを振り返ってしまった。振り返った先には同級生である姉がいた。
「貴方も買い物かしら?」
「まあ、そんなところだ。結梨もか?」
「ええ、私も買い物よ。和哉君は何を買ったの?」
結梨に問われて、俺の心臓はドキリとなる。ここで正直に答えてしまえば、最悪の事態に陥る。だから、目の前にいる姉に嘘を吐かなくてはいけない。
「漫画とかを買ったんだ」
「なるほど。そうなのね」
俺の答えに結梨は納得したようだった。その様子を見れば、上手く誤魔化せたことは間違いない。けれど、俺の心は何故かモヤモヤしたものに覆われていた。
「結梨は何を買いに来たんだ?」
「ええ、私はね」
「結梨ちゃん、遅くなってごめんね」
結梨が俺の質問に答えようとした時だった。彼女の後ろから誰かが声をかけてきた。その声は俺も聞き覚えのあるものだった。
「静香姉さん、私は待ってないわ」
「それなら良かった。あれ? もしかして、和哉君?」
結梨と似た顔立ちの女性は俺に向かって優しく微笑んだ。その笑顔も同級生である姉とよく似ていた。
「えっと、静香さん、久しぶりです」
「ここで会うなんて奇遇だね」
俺と結梨の縁を結んだある意味きっかけとなった彼女は嬉しそうな表情を浮かべていた。
***
「和哉君、好きなものを頼んでね」
「えっと、はい、分かりました」
静香さんは俺にメニューを差し出した。俺はそれを受け取り、メニューに目を通す。
今俺たち3人がいるのはモールにある喫茶店だ。ここも以前結梨と訪れたことがある。色々な意味で忘れられないところだ。
「和哉君はコーヒーでいいかしら?」
俺がどれにしようか迷っていると、結梨が口を挟んだ。そんな彼女の行動に静香さんは目を丸くした。
「結梨ちゃんが勝手に決めちゃっていいの?」
「大丈夫よ。前に来ていた時も同じものを頼んでいたから」
そう言った結梨は俺に向かって誇らしそうにしていた。彼女もまた以前のことを覚えていてくれた。そのことが気恥ずかしいと同時に少しだけ嬉しく思った。
「まあ、そうだな。すみません、コーヒーでお願いします」
「分かったよ。結梨ちゃんと和哉君は前に来たことあるんだね?」
「確か静香姉さんたちの新居祝いを買いに行った時かしら?」
結梨は確認するように俺を見つめた。
「そうだな。バスボムを買った後、この喫茶店に寄ったんです」
「なるほどね。2人は相変わらず仲良しだね」
静香さんは微笑ましいものを見るような優しい顔をしていた。『相変わらず』とついているように俺と結梨に対して認識が変わっていないようだ。
「それで和哉君はコーヒーを飲んでいたんだ。結梨ちゃんはよく覚えていたね」
「当然よ。私は和哉君の姉だから」
結梨はキリッとした顔立ちをして、胸に手を当てていた。その様子を見て、静香さんはクスクスと笑っている。どうやら姉ぶりたいという結梨の性質を静香さんはよく把握しているようだ。
「和哉君は前に結梨ちゃんが何を頼んでいたか覚えている?」
「えっと、確か……」
静香さんに見つめられて、言われるがまま俺は記憶を辿る。結梨と似た目で見られると、どうも反論する気が薄れてしまう。
俺はそう遠くない過去を探った。あの時は本当に色々あったが、それでも結梨が何を頼んでいたか覚えている。
「私は和哉君と同じものを頼んだのよ」
俺が答えを口にするより前に何故か結梨が答えていた。
「あら、私は和哉君に聞いているのよ」
静香さんは楽しそうな笑顔を結梨に向けている。
「和哉君はちゃんと覚えているから聞かなくても大丈夫よ」
「結梨ちゃんはこう言っているけど、実際はどうなの?」
「え? いや、まあ」
「和哉君、私はコーヒーを飲んでいたわよね?」
「和哉君、本当のことを教えてくれる?」
喫茶店で会話していただけだったのに、いつの間にか2人の美人から圧をかけられていた。結梨から真剣な顔を、静香さんから笑顔を向けられている。
「……えっと、ミックスジュースを飲んでいました」
気づけば俺の口はそう動いていた。俺の何かしらの本能がこうしろと告げていたのだ。
「和哉君!」
弟(俺)から裏切られた結梨は非難の目を向けていた。後で俺はどうなってしまうだろうか。
「あはは、やっぱりね。結梨ちゃんは昔から苦いものが苦手だからおかしいと思ったよ」
静香さんは声をあげて笑っていた。とても楽しそうである。俺で遊んでいる時の結梨と同じくらい楽しそうである。
「もう、結梨ちゃんは見栄を張らなくてもいいのに」
「だって、弟から尊敬させるお姉ちゃんになりたいじゃない」
結梨は不満そうに口を尖らせていた。どうでもいいが、その姿だけだと姉というより妹と言った方が正しいかもしれない。
「そういえば、あの時コーヒーが飲めるように練習するって言ってなかったか?」
「和哉君、何を言っているのかしら?」
俺の言葉に結梨は目が笑っていない笑顔を向けてきた。しまった、早まったことをしてしまったかもしれない。
「へえ、そうなんだ。ねえ、どれくらい飲めるようになったの?」
静香さんは好奇心旺盛な目で結梨を見ていた。視線を向けられた同い年の姉は頬が赤く染まっていた。
「コ、コーヒー牛乳ならなんとか飲めるようになったわ」
視線を明後日の方向に向けて結梨はそう言った。
「おお、一歩前進だ。そうだよね、和哉君?」
「え、ええと、頑張ったな?」
静香さんから視線を向けられて、俺はしどろもどろにそう言った。
「やめてちょうだい! 弟がお姉ちゃんを慰めてはいけないわ!」
よく分からない理由で結梨に拒否された。そんな俺たちのやり取りを静香さんは楽しそうな顔で眺めていた。この場は完全に彼女によって支配されていた。
辱めを受けた結梨はキッと鋭い目つきで俺を睨んだ。睨まれた俺は体が縮んだ錯覚に陥った。
「覚えておきなさい、和哉君」
「怖いことを言うなよ」
美人から睨まれると、とても怖い。背筋が凍る。
「結梨ちゃん、和哉君を怖がらせたりしちちゃダメだよ」
「けれど、静香姉さん」
「お姉さんだからといって、好き勝手和哉君を振り回すのはよくないよ」
「そ、そうね」
珍しいことに結梨は完全に押されていた。本当にこれがいつも姉風を吹かしているあの結梨なのだろうか。
「和哉君、睨め付けたりしてごめんなさい」
結梨は俺に向かって頭を下げた。
「いや、別に謝らなくていいぞ。お前は悪くないだろ」
「本当に?」
「そうだ。ま、まあ、結梨姉さんに振り回されるのはあれだけど、嫌な時はちゃんと嫌って言うからな」
俺は咄嗟に出た考えを結梨に伝えた。そうすると自分でも思っていなかった言葉が飛び出してきた。
(俺は結梨に振り回されて嫌じゃなかったのか)
自分で自分の気持ちに驚いていた。確かに今まで結梨からの誘いやお願いに全力で拒否しようと思えばできたはずだ。けれど、俺はそうしなかった。
「ねえ、和哉君」
「は、はい」
どうしてそう思ったのか考えていたところ、静香さんから声をかけられた。俺は思考の海から浮き上がって、静香さんと向き合った。
「結梨ちゃんのことを名前で呼ぶようになったんだね。今までは苗字じゃなかった?」
「あっ」
俺は自分の犯した過ちに気づいた。知らぬ間に2人きりの時だけにしていたルールを破ってしまっていた。
「そうよ。和哉君がそう呼びたいって言ったのよ」
俺に向けられた問いかけを結梨が答えていた。同い年の姉は何故か誇らしそうに胸を張っていた。
「へえ、和哉君からね」
静香さんは微笑ましそうな目で俺を見ていた。何だか静香さんのターゲットが俺に移ってしまったようだ。
「ねえ、どうして、名前で呼ぶようになったの?」
「いや、それはまあ」
「静香姉さん、和哉君をあんまり揶揄ってはダメよ」
結梨は静香さんを真っ直ぐに見つめていた。先程の姿と一変して真剣なものだった。
「ああ、ごめんね。つい楽しくなっちゃって」
静香さんは俺に向かって手を合わせた。
「そういえば、2人に聞きたいんだけど」
静香さんは俺と結梨に楽しそうな顔を向けた。
「今度の日曜日って空いている?」




