星空
「……あの、私、これから少しだけ、ここを散歩してから帰ろうと思って」
気恥ずかしさを誤魔化すように、私は奥へと続く暗い街道を指差した。
「夜の奥多摩を歩くの、好きで。」
メカヘッドのバイザーが、私の全身をスキャンするように静かに明滅した。彼の高度なセンサーは、私の疲労度や、バイタルの乱れを正確に読み取っているようだ。
「防犯規律に従うのならば、速やかな帰宅を推奨すべき状況です。この時間の徘徊は危険ですよ。」
「大丈夫ですよ、自分の身くらい自分で……」
少しだけ意地を張ってそう言うと、彼はハッとして「おっと」と言葉を添えた。
「失礼。自衛能力を軽視したわけではないのです。ですが……」
彼は一歩、私の隣へと並んだ。彼の大きな身体が、夜風を遮るように私の隣に佇む。
「……どうしても歩く、とおっしゃるのですね」
私が譲らないと思ったのだろうか、彼はそれ以上無理に止めることはしなかった。そんなに私は頑固なオーラを漂わせているのか。ただ、黒い手袋に包まれた手をスマートに後ろに回し、暗い遊歩道の先を見据える。
「わかりました。では、条件があります」
「条件……?」
「私の『夜間パトロール』のルートを、今から貴方の散歩コースへと変更させてください。……仰る通り、貴方はご自身の身を守れるかもしれない。ですが、もし万が一のことがあれば、私の『この地域の住民を守る』という任務が失敗に終わってしまいます」
公務である「パトロール」という建前を優しく盾にして、理由を作ってくれたのか。
「これなら、国からも叱責されません。……お供しても、よろしいですか?」
「……ええ、まぁ。」
「では、行きましょう。少し足元が暗いですね、照らすことも可能ですが、夜景を楽しみたいようであれば致しませんよ。」
なんだこのロボット、めちゃくちゃ気が効くじゃないか。言わずともこちらの気を察してくれるから、すごく話しやすい。人間もこれだったらいいのに。
「じゃあ、楽しもうかな」
月明かりだけが照らす暗い夜道。
きっと今頃、都会のロボットは煌びやかな街で数千人に集られているだろう。山中の町のこの優しいロボットは、今、私だけのために動いてくれている。まるで、どこかの小説サイトで見るような夢小説じゃないか。男の人……いや、ロボットだが、私の事を守ってくれる存在とこうして二人で歩いているこの状況が、乙女心をくすぐる。内心で頭を抱えて暴れ回っている私をよそに、黒い戦闘服をまとったロボットは、ただ静かに私の左側を歩いている。
気分が良い時には湖の方へ歩いて行こうと思うが、心が沈んでいる時は、日原街道の方へ行きたい。
今の私の心境は完全に後者だったけれど、隣を歩くこの雅びな紳士を心配させたくはなかった。あの日原街道をこの時間に歩くとなれば、いくら彼がついていてくれるとはいえ、負担をかけてしまう。
「……青梅街道の方に歩いてもいい?」
「了解しました。」
本当に、どこまでもスマートに私の意思を尊重してくれる。
私たちは静まり返った青梅街道を、この先にある湖へ向かってゆっくりと歩き始めた。時折、遠くを走り去る車のライトが、彼の真っ黒なバイザーを鈍く光らせる。
「人間さん」
不意に、彼に話しかけられた。
「な、なんでしょう」
何を聞かれるのかドキドキしながら肩身を狭そうにしてる私に、彼は歩調を緩めた。
「すみません、驚かせるつもりはなかったのです。ただ少し、冷えてきましたね。もう7月だというのに……」
腕を露出させるのが嫌で、年中長袖な私には、この程度の冷たい風など関係ない。
次の瞬間、静かな衣擦れの音とともに、彼の大きな身体を包んでいたタクティカルジャケットが私の肩へとふわりと掛けられた。
「あ……えっ? なんですか?」
「貴方の体温が低下しているのを検知しました。どうぞ、気にせず使ってくださいね。」
もともと平熱が低いだけだと思うし、機械である彼のジャケットは普通に冷たい。でも、なんだか、温かくなってきた。
「そのジャケットは防刃・防風仕様です。少しは、寒さを凌げるかと」
いや、自分の体が熱いのだ。これは恋? そんな事あってたまるか。ブカブカのジャケットに包まれながら、私はもう、この心臓の音が彼に聞こえてしまうんじゃないかと本気で焦っていた。その時、一匹の蝉が私に突撃してきた。
「びゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
虫は大っ嫌い、中でも蝉は一番嫌い。顔面にバチっと音を立ててぶつかってきた史上最悪に気色の悪い感触が、残っている。気持ち悪い、気持ち悪い。
「虫はお嫌いですか?」
嫌いじゃなければなんなんだよ、と言わんばかりにその声がする方向へ目を向けて、私はロボットに抱かれている事に気がついた。本当に気持ち悪すぎて、自分が後ろに転んだ事すら自覚していなかった。
ロボットだからもっと鉄板みたいに冷たくてゴツゴツしてるのかと思ったけど、適度な弾力があった。これが人間なら、結構いい体してる。
「ご、ごめんなさい」
何考えてんだ私、馬鹿馬鹿しい。目を逸らして、すぐに立ち上がった。我に返って慌てて離れようとする私の背中に、ふわりと、黒い手袋に包まれた大きな手が添えられた。私の身体を、その逞しい胸元へと、優しく、壊れ物を扱うような慎重さで引き留めるための手だった。
「……大丈夫ですよ、私はロボットですから。」
それを自分で言われると、少し寂しく感じる。
「私の外装は、人間との物理的接触において不快感や痛みを引き起こさないよう、特殊な衝撃吸収スキンで覆われています。ゴツゴツとしていては、あなたを傷つけてしまいますから。」
何だと、心を読まれているのかと思うほどに的確な返答だった。いいや、別にイヤらしいことなど考えていなかったし、今も考えてない。仮に考えてたとしてもそれはイヤらしいことなんかじゃない。
「貴方の心拍数が、再び上昇しています。あっ、もしや、何か不快にさせてしまうような言動を――」
「してないしてない! 大丈夫ですから、歩きましょう?」
流石に心は読めるわけないよな、安心した。もし読まれていたとしても、ロボットに人間の感情がわかるまい。
「おっと、そろそろ終電の時間ですね。駅までお送りしますよ」
いや、やはり心を読んでほしいかも。まだこの町に降り立ってせいぜい三十分しか経っていない、こんな僅かな時間のためにわざわざ終点まで来ないさ。このロボット、深夜徘徊は流石に止めてくるかな。思い切って言ってみることにした。
「ううん、いいの。終電は逃す。」
「……」
頭を不思議そうに傾け、黙ってしまった。
「ここで綺麗な星空を見て、一夜を明かして、始発で帰るのが私の日常なの。」
すり減った自分をリセットするための、私だけの秘密の時間。
「――そうでしたか。私の浅薄な配慮で、貴方の大切な時間を遮るところでした。申し訳ありません。」
「え?」
てっきり注意されるのかと思った。
「止めないの?」
「ん、止めませんよ。未成年ならとっくに止めていましたが。」
そう言うと、周囲の深い闇を見渡した。
「この青梅街道沿いも星は見えますが、少々遮蔽物が多いです。折角なので、先の奥多摩湖まで行きましょう。」
「ほ、本当にいいんですか? ってか、ロボさんは私のペースに合わせてくれてるけど、大丈夫? 仕事とか」
「仕事なら、今まさに遂行中ですよ」
彼は静かに夜空を見上げて、ゆっくりと話した。
「この時間から始発までの時間、この場所で貴方をあらゆる脅威からお守りすること。……それが、今夜の私の任務です。国には、私がその場所を定点防衛する必要があると報告しておきます。これなら、規律違反にはなりません」
「なにそれ、こじつけみたいね?」
どこまでも私に気を使わせないための、彼なりのスマートな嘘だった。
「じゃあ、お願いしようかな!」
「光栄です。では、これから少しだけ道が暗くなります。今度は驚いて逃げたりしないでくださいね」
一言余計な気がしたが、彼の優しさに甘えて、差し伸べられた手を取った。
歩いていくうちに、街灯の光が急に途絶えた。ロボットは「失礼」と短く告げ、自身の黒い手袋を外し、手のひらを前方にかざした。
「流石に暗いですね。すみません、少し明るくします。」
パッ、と鋭い純白の光が暗闇を切り裂く。
高出力のLEDライト。人間なら懐中電灯を持つはずの動作を、彼は生身の身体の機能として淡々とこなしてみせる。その光の眩しさに、私とは違う『機械』なんだと、実感させられた。不意に、以前から気になってた事を聞いてみる事にした。
「ロボさんって、戦えたりする?」
こんなカッコいいフォルムのロボットなら、ヒーローのように戦えたりするんじゃないかと、気になっていた。きっと誰しもが思っただろう。すると、ロボットは拳を握って胸に当てた。
「可能ですよ。ですが、この力は貴方達をお守りする為のものですので、勘違いしないでくださいね。」
少し、堅苦しい言い方をされた。理由は何となくわかる、きっと軍事利用とかそんな所だろう。そんなので開戦なんてしたらたまったもんじゃない。
「そっかぁ、確かに、怖いよねぇ。」
「おや、心を読みましたか?」
それを私が言われるとは思わなかった。
「読んでないよ、だって、その内容で勘違いするななんて言われたら、大体そういうことでしょ。」
「……勘が鋭いことで。」
哀の感情? ロボットに感情はないはず。だが、一瞬それに似たのを感じた。まぁいい、私は慰めてあげようと思った。
「もしそうなってしまったら、逃げてもいいんだよ? 私でよければ一緒にいてあげる」
冗談のつもりではなく、結構本心に従って言ってみた。誰もが憧れるであろう二人だけの約束、そんなものをしてみたかった。
「……ほう」
ロボットは薄ら笑いをして、腕を組み私を見据えた。
「面白い事を言いますね。」
さっきから、このロボットは私の想像していた反応と違う反応をする。もはや怖くなってきて、急いで言葉を取り消す。
「冗談冗談! 犯罪だよ? ねぇ?」
私は、笑って誤魔化した。




