すれ違い
「いない……」
いつもなら、駅前で見張りをしているはず。黒い服をまとった大きなシルエットが静かに佇んでいるはずだった。それが、今日はどこを見渡しても、静まり返ったアスファルトが広がっているだけ。
「って、なんで私、探してるんだろう……散歩しにきたんだよ、散歩」
星空の夜の日から三日が経った。あれから大学とバイトで全然ロボットには会っていない。昨日には台風が関東に直撃し、外出ができなかった。
「ああ、星空綺麗だったなぁ。一人で見るのとは、また違って見えた。」
朝まで、人間の事を語って、教えてあげていた。私に聞くのかとも思ったけど、この世の理不尽さならいくらでも知っている。ちょっと重い話にもなったりしたけど、なかなか楽しい時間だった。朝までロボットと語り明かしたなんて、夢か? とも、思い返せる。
私は、無意識のうちにロボットと歩いた街道へと足を向けていた。心のどこかでまた会いたいと思っているのだ。
出会ってまだ数週間しか経っていないのに。あの無骨で雅びなメカヘッドの紳士が、私の日常にどれだけ深い足跡を残していったのか。
「まっ、そうだよね〜 仕事、忙しいか。」
独り占めできる特等席なんて、都合のいい夢小説の見すぎ。彼は国に配備された防衛ヒューマノイドなんだから、毎日様々な箇所を行き来して任務をこなしているのは当然なのに。
「……あと、二時間くらい散策してみて、いなかったら、もう帰ろ。」
その頃、少し離れた奥多摩の山中。
「――よっと」
低く落ち着いた声とともに、地面に崩れ落ちていた大きな土砂の塊が、黒い手袋の手によってスマートに退けられた。
大雨による小規模な土砂崩れ。幸い怪我人はおらず、街道を塞いでいる土砂を撤去するだけの簡単な救助・復旧任務だった。重機や作業員と共に、せかせかと手を動かして、淡々と、驚異的な速度で道を切り拓いていた。
「……ふぅ」
袖についた泥をパッパッと払う。
「おう、お疲れさん。本当に助かるなぁ。」
「ありがとうございます。」
ここでは、作業員達からは頼りにされている存在であった。だが、彼の頭をよぎるのは、あの静かな夜に自分のジャケットにすっぽりと潜り込んでいた、愛おしい人間のことだけ。
「……寂しい思いをさせていなければ良いのですが……いえ、これは思い上がりですね。」
黒い戦闘服のジッパーをきゅっと引き直した。
――それから、二時間後のこと。
任務を終え、やっと奥多摩駅まで帰ってきた。作業員達とここで別れの挨拶を交わし、一人になった。
冷却ファンが「フォーン……」と、いつもより高い音を立てて回っている。
「……今日は」
監視カメラに接続し、データを遡る。すると、数十分前にあの子の姿が。
「……すれ違いましたか。」
彼はその場に静かに佇み、黒い手袋に包まれた自分の胸元にそっと手を当てた。
都会のCityモデルたちなら、何万人ものファンに囲まれ、たとえ1人が帰ってしまってもシステムがそれを「寂しい」などと処理することはない。次の人間との対話を最適化するだけだ。
けれど、この鄙びたで立ち尽くす最強のロボットは今、明確な『エラー』を起こしている。
システムログには存在しない、胸の奥がキュッと締め付けられるような、底冷えのする空白感。人間ならそれを『寂しい』と呼ぶのだということを、彼はその深い知性で十分に理解していた。
「……あと10分、早ければ、貴方に会えたかもしれない。……非常に不覚です」
顔のバイザーは、夕焼けの光を反射するだけだった。
深夜二時、静まり返ったアパートの部屋。
私はベッドの上に座り込んで、帰りにコンビニで買ったポテチを、口へと放り込んでいた。パリパリ、という虚しい音が、誰もいないワンルームに響く。
「よし、わざわざ行くのはやめよう! きっと仕事の迷惑にしかならないし。うんうん、それがいい。それに、国が配備したロボットなんだから、普通に暮らしてたら、きっとまた街のどこかで会える機会があるしさ〜」
そう自分に言い聞かせながら、空になったポテチの袋を折り畳んでゴミ箱に詰める。
「きっと、神様がくれた数日間のちょっとした奇跡だったんだよ。」
私にはちょうどいい奇跡だった。楽しかったで終わらせてくれただけ、幸せなんだ。そんなことを考えていると、明日はゴミの回収日なのを思い出した。ガチガチのゴミ箱から袋を取り出す。
そして、脳裏に最悪の可能性が浮かび上がってしまった。胸の奥が、冷たい氷を押し付けられたようにヒヤリとした。
「もし、今、配備されてるあのロボさんが……まだ試作段階なのだとしたら。期間が終わったら、あのロボさんは……『回収』されちゃうのかな」
もし、彼がデータを取るためだけに一時的に置かれている存在だとしたら。実用化のデータが集まりきったその時、彼は――。
「回収されて、データを初期化されて、別の機体に生まれ変わっちゃうの……?」
そうなったら、あのロボは、あの優しい声は、どこへ行ってしまうんだろう。
もう二度と会えなくなるかもしれない。
私のことも、あの満天の星空の下で語り合ったあの夜のことも、全部綺麗な電子の藻屑になって消えてしまう。
もし、この推測が的を射ているのなら「もう会わない」なんて、自分のプライドを守るための可愛い言い訳をしている場合じゃなかったのかもしれない。機械である彼に残された時間は、私が思っているよりも、ずっとずっと短いのかもしれないのに。
時計の針は、もう深夜三時を指している。
外は深い闇と、夜気だけが満ちていた。
ロボットは、御嶽の山から、光る町を見下ろしていた。
「本日も、お会いできませんでしたね」
彼自身、自分の体が国家の試作品であり、いつ役目を終え初期化されるか分からない立場であることを、誰よりも熟知していた。
だからこそ、限られた時間の中で、この鄙びた町で出会ったあの人間に、今すぐに会いたかった。
青梅の住宅街の方向へと視線を向ける。
「流石に、執着しすぎですね。」
まるで何かに失望したかのように、バイザーの奥で光るセンサーを消した。
――最悪だ。
「なんで、なんでアイツがここにいるの……」
翌朝、大学の正門が見えた瞬間、私の世界は血の気が引くように凍りついた。
産まれた時からずっと、嫌というほど見てきた、そして必死で逃げて、縁を切ったはずのあの顔。私を追い詰め、私の心を踏みにじってきた人間の姿が、そこにあった。
「は、はっ、はっ、はっ……」
呼吸の仕方が分からなくなる。咄嗟に近くの塀の陰に滑り込むように身を隠した。通り過ぎる大学生たちの怪訝そうな視線が突き刺さるけれど、そんなの気にする余裕なんてない。地面にしゃがみ込んだ私の肋骨を、破裂しそうなほどの動悸が内側から激しく揺らしている。
怖い。怖い。怖い。
大学まで追ってきたの? 屑が。私など愛していないくせに、どうせ『子供に縁を切られた親』という肩書きが自分につくのが嫌なだけだろう。或いは、ストレスの発散場所が欲しいのだろう。きっとまた私をサンドバッグにするつもりだ。どこまでも最低で、最悪な人間。今見つかったら、責任転嫁だとか、不良だとか、お得意の粗探しで説教を始めるに決まっている。こんな大勢の中で説教はまずい。過呼吸を必死に堪えながら、自分の頭を抱きしめた。
大丈夫、落ち着いて。私はあの頃とは髪型も変わってるし顔も変わってるはず。アイツの知っている姿じゃないはずだ。
細心の注意を払い、人の波に紛れてこっそりと大学の敷地内に入り込む。心臓が肋骨を突き破りそうだが、なんとかバレずに講義室の席につくことができた。
ああ、教授の声が一切頭に入ってこない。ノートを握る指先はガタガタと震え、冷や汗が背中を伝う。
講義を受けている間も、胸を突き上げるような激しい動悸は、一秒たりとも止まってはくれなかった。
帰りたい。私の、あの静かな町に帰りたい。
でも、もし正門で待ち伏せされていたら? 帰り道、後ろをつけられたら? アパートの場所まで知られたら、私の生活は、終わりだ。
こんな私はまるで、処刑を待つ罪人のよう。
その日の講義が終わっても、私は席から立ち上がることができなかった。
外に出るのが、正門の向こう側にある現実が、恐ろしくてたまらない。気づけば外はすっかり暗くなり、私は誰もいない教室で、ただ逃避するように自習を続けていた。
「こんな遅くまで、熱心で偉いね」
通りかかった講師の人が、優しく声をかけてくれる。だけど、私の心はその言葉を拒絶するようにひび割れていた。
私は偉くなんかない。ただ、あれに遭遇するのが怖くて、ここから一歩も出られない臆病者なだけだ。
アイツは今、この大学のどこかにいるのだろうか。
もしかしたら、相談室でくだらない話をしているかもしれない。「子供と会わせてください」なんて、強引で粗暴な言い方は絶対にしない。アイツは、外向けには完璧な、おぞましいほどの『偽善者』だから。
「ずっと連絡がつかなくて、心配で……」と、被害者のような顔をして大人の同情を引くのが何よりも得意なのだ。だからこそ、昔から私がどれだけ周囲に助けを求めたって、あの人の嘘に騙されて、心から私の味方をしてくれる大人なんて一人もいなかった。
ああ、もういっそ、正門まで全力でダッシュして逃げてしまおうか。
頭がぐるぐると回っているうちに「家遠いんだから、もう帰りなさい」と教授に促され、私はついに外へ出されてしまった。
冷たい夜気の中に、あの呪わしい正門が見える。怖い。もし暗がりにあの顔が待ち伏せしていたら。建物の影に座り込んだその時だった。
「――何かあったのか」




