雅びた機械と私
終着駅が近づくにつれ、車窓の景色からは商業ビルの影が消え、代わりに低い住宅街が右から左へ流れてゆく。大学を終え、バイトを終え、疲れ果てていた私はぼんやりと座席に座り込む。
親とは高校を卒業すると同時に絶縁した。奨学金と深夜のバイト代を天秤にかけ、家賃を極限まで削った結果、辿り着いたのがこの小田舎。
悪いことばかりではない。毎日節約しても滞納スレスレの暮らしの中ですり減っていく心を癒やすように、休みの日には近くの山へと足を延ばすのが、私のささやかな逃避行だ。
そんな私の狭い世界に、世界を揺るがすニュースが飛び込んできた。
『国家防衛治安維持特化型ヒューマノイド・MHR、全国一斉実用化へ』
画面に映し出された映像には、人間の成人男性を一回り大きくしたような、漆黒の金属フレームを持つロボット。頭部は表情の読めないヘルメット型。その鋭いバイザーの奥で、グリーンのセンサーが冷徹に明滅している。
驚くべきは、人間以上に知的で滑らかな対話が可能な自律自我AIが搭載されているという点だった。
ネットのタイムラインは瞬く間にその話題で埋め尽くされた。
私の意思はそのニュースに釘付けになり、終点に着いている事に全く気がついていなかった。それで、駅員さんに肩を揺さぶられてしまった。
「す、すみません……」
早足でホームに降り立ち、階段を降りる。
「これ、うちの近くにもくるのかなぁ。」
渋谷や六本木といった都心部に配備される予定の細身の『Cityモデル』のイメージ画像が次々とバズる。「映画のヒーローみたい」と、あっという間にアイドルのような人気者になっていった。
私はスマホの画面越しに、遠い世界の出来事として眺めていた。
国からの告知から数週間後。都会での大騒ぎが嘘のように、私の町はいつも通り静かだった。
その日の夕方、たまたまバイトが早く終わり、最寄りから五つ先の駅にある人通りの少ない山道を歩いていた。夕日が木々の隙間から長い影を落とし、冷たい川の風が頬をかすめる。
不意に、衣擦れの音と、奇妙な足音が聞こえた。
誰かいるのか、ハッとして顔を上げると、少し先の曲がり角に、こちらへ歩いてくる黒い服を纏った背の高い男性がいた。ヘルメットを被っている、ライダーさんだろうか? きっと街道をドライブしている人だろう。そう思い、目が合うと恥ずかしいから視線を逸らして静かにすれ違おうと試みた。
その男性との距離が一間ほどになった、その瞬間に、私は、それが人間でないことを看取した。
「えっ……? 嘘、え?」
最近やけにニュースで目にする姿が、私の目の前に立っている。足が止まる。
仕立ての良いタクティカルジャケットを、非の打ち所がないほどスマートに着こなしている。首元や手首の隙間から、無骨な金属のフレームが見えなければ、息を呑むほどスタイルが良い人間の男性に見えたかもしれない。
本物が、私の住む町にいる。
あまりの存在感と、言葉にできない緊張感に頭が真っ白になり、私はその場に釘付けになってしまった。心臓がうるさいくらいに脈打つ。
ああ、バイザーが真正面から私を捉えている。
彼がゆっくりと一歩、こちらへ歩み寄ってくる。その足取りは驚くほど静かで、奇妙だ。
「……失礼。驚かせてしまいましたね」
その声は、ニュースの合成音声とは全く違っていた。低く、妙に落ち着いていて、耳に心地よい完璧な紳士のトーン。
「これより先は、昨日の雨で地盤が緩んでおり危険です。……おや。申し訳ありません、私の接近によって、少し驚かれてしまいましたか? 足元がふらついておいでですよ」
見上げるような大きな体が、私の前でふわりと重心を下げる。私を本気で気遣うように、黒い手袋に包まれた手をそっと差し伸べてきた。
「危ないですから、落ち着くまで私の腕をお使いください。……大丈夫ですよ。私はあなたをお守りするためにここにいます。どうか、安心してください。」
表情の読めない真っ黒なヘルメット。けれど、その声の裏には、冷たい機械のはずがないと思わせるほどの、確かな「温かみ」を持ったなにかが滲んでいた。
心臓の音が耳の奥でうるさく響き、頭の中がパニックで弾けそうになる。
「あ、の……っ」
私は差し伸べられた手袋の手から一歩、後ずさりした。怯えを隠せない声が、静かな山道に震えて落ちる。
「す、すみません! 私、急いでるんで……っ!」
それだけをなんとか絞り出すと、私は彼の横を抜けて、街道の方へと向かって全力で走り出した。
背後から追ってくる足音はなかった。ただ、七月のぬるい風が私の背中を通り抜けていくだけだった。
その時、私の足がスケートをするように滑った。間一髪で頭上の枝を掴み、滑落を免れた。
「し、死ぬかと思ったぁ……」
地面がぬかるんでいる。こりゃあ危ない、あのロボの言った通りだ。あのロボの警告を無視した結果だ。
駅のホームに駆け込み、やってきた電車に飛び込む。ガタゴトと揺れる車内で、ようやく激しい呼吸を整えた。それでも頭の中はさっき見たヒューマノイドの姿でいっぱいだった。
――『私はあなたをお守りするためにここにいます』
低くて、無機質でも綺麗な声。
変な人、じゃない。変なロボット。
私は自分の胸のあたりをぎゅっと握りしめた。車内の冷房は、私の火照った顔を冷ましてくれている。
その頃、誰もいなくなった山道では。
黒い戦闘服をまとったヒューマノイドは、先程の人間さんが走り去った方向を、ヘルメット型のメカヘッドをわずかに傾けてじっと見つめていた。
バイザーの奥で、グリーンのセンサーが静かにまたたく。
「……時速約15キロメートル。心拍数、一三〇を記録」
彼は追わなかった。怯えさせてしまった住民を追いかけるのは、彼の流儀ではない。
ただ、彼は、人間さんが残していった微かな香りと、必死な声を確実に記録していた。
「……次からは、もう少し、威圧感を与えないアプローチを思案せねばなりませんね」
彼は黒い手袋をそっと自分の胸に当て、小さく衣擦れの音を立てて姿勢を正した。
それは、彼のプログラムに新たに刻まれた矜持になった。
翌日、大学での講義が終わり、一時間半以上の時間をかけて電車に揺られる頃には、私の心も体もすっかり疲れ果てていた。いつもの駅で降りるはずだったけれど、なんだかこのまま狭いアパートに帰るのが寂しくて、私は終着の駅まで行くことにした。夜のこの町は、昼間よりもずっと静かで、深い闇が私を包み込んでくれるような気がしたからだ。
駅から少し歩き、街灯がまばらな川沿いの遊歩道に出る。冷たい夜風が、バイトと通学で凝り固まった頭を少しだけ冷ましてくれた。
その時、闇の向こうから、奇妙な人影をみかける。
「……あ」
月明かりを浴びて佇む黒いシルエットがあった。完璧に着こなされた黒い戦闘服。もう理解った。
「……おや。貴方は、今朝の」
低く、耳に心地よいあの声が、静寂に溶けるように響く。
朝なら、またパニックになって逃げ出していただろう。けれど、今の私は疲れすぎていて、逆に頭がひどく冷静だった。それと同時に、昨日、彼を拒絶するように逃げてしまったことへの申し訳なさが、胸の奥でずっと燻っていたのだ。
「あの……っ」
私は逃げずに、彼の真っ黒なバイザーをまっすぐ見つめた。
「今朝は、急に大声をあげて逃げちゃって……ごめんなさい。冷たくするつもりじゃなかったんです。ただ、ちょっとびっくりしちゃって。それで……」
一気に言葉を吐き出すと、心に取り巻いていた重い申し訳なさが、夜風と一緒にすうっと消えていくのが分かった。
私の謝罪を聞いた彼は、しばらくの間、静かに佇んでいた。ヘルメットの中で、かすかに冷却ファンが回る音が聞こえる。驚いているのだろうか。それとも、データを処理しているのだろうか。
やがて、彼はそっと首を傾げ、あたたかみのある声で応えた。
「いいえ。謝罪をしていただく必要など、どこにもありませんよ。……むしろ、わざわざそれを伝えるために、このような夜更けに足を運んでくださったのですか?」
「あ、いえ……それは、たまたま、なんですけど……」
少し恥ずかしくなって目を逸らす私に、彼は一歩だけ歩み寄り、自身の黒い手袋を見つめながら静かに続けた。
「実は、本日でこの区画の配備が本格的に始まりまして。私も今日、この街の多くの方々に注意喚起を兼ねて話しかけさせていただいたのです」
「へ……へぇ、そうなんですか、良いことですね。」
「――ほとんどの方に、怯えられてしまいましたけど。」
彼は自嘲するわけでもなく、ただ淡々と、事実としてそう告げた。
「この容姿ですからね。表情も見えず、全身が黒い金属の塊。人間にとって、私が『恐怖の対象』であるのは当然の帰結です。ですから、今朝の貴方の反応も、私にとっては最も正常で、予測の範疇でした。それなのに……」
メカヘッドのバイザーが、月光を反射して鈍く光る。
「貴方はこうして、私のためにわざわざ『冷たくしてごめんなさい』と、言葉を届けてくださった。……今日、多くの人間と接しましたが、私にそんな優しいエラーを与えてくれたのは、貴方だけです」
都会のCityモデルたちが、何万人ものファンに囲まれてきらきらと輝いている同じ夜。
山中の深い闇の中で、誰にも受け入れられず、ただ静かに佇んでいたヒューマノイドは、限界大学生である私の小さくて不器用な優しさに、プログラムを優しく揺さぶられていた。




