第86話 魔族と依頼と――
「魔族?」
ほとんど同時に聞き返したのは、橘と楓だった。
「あっ!」
大翔は自分が口にした言葉に気付き、慌てて口元を手で押さえた。
しかし、一度口にしてしまった以上、今さらなかったことにはできない。
「…………」
はるなも一瞬だけ気まずそうな表情を浮かべ、大翔と顔を見合わせる。
そんな二人を見た麻衣は、小さくため息を吐いた。
「大丈夫よ。もう遅いから」
「え?」
「私が先に、同じようなこと言っちゃってるからね」
「…………」
大翔が麻衣を見る。
「もう話したの?」
「うん。魔族じゃないかって」
「……そうなんだ」
大翔は口元から手を下ろし、少しだけ肩の力を抜いた。
隣にいたはるなも同じように安堵した様子を見せる。
「ちなみに、EUではこのR国兵士を『デーモン』というコードネームで呼んでいます」
「デーモン……」
大翔がその言葉を繰り返す。
「はい。いわゆる悪魔ですね」
楓はそれほど重々しくもない口調で付け加えた。
「…………」
大翔とはるなが再び大型モニターへ視線を向ける。
橘も画面に残された軍服や装備品を見つめながら、先ほどまでとは違う真剣な表情を浮かべていた。
「三人とも、同じものに見えるのですね……」
「少なくとも、私はそう思います」
「俺もです」
「私も、そう思います」
三人の答えを聞いた橘は、わずかに眉を寄せる。
「にわかには信じられませんが……三人とも同じ見解となると、無視するわけにはいきませんね」
「…………」
会議室に短い沈黙が落ちた。
麻衣は橘と楓を交互に見ると、少しだけ目を細めた。
「それで、私たちに政府は何をさせたいの?」
「…………」
大翔とはるなが麻衣を見る。
楓は何も答えず、隣に座る橘へ視線を向けた。
橘もその視線を受けると、先ほどまでの親しみやすい表情を消し、静かに楓を見返す。
そして、ゆっくりと頷いた。
「分かりました。ここからは私がお話しします」
橘がそう告げると、楓は小さく一礼した。
「まず最初にお伝えしておきますが、これは日本政府から皆さんへの命令ではありません」
「命令?」
はるなが僅かに首を傾げる。
「ええ。そもそも私たちには、あなたたちへ命令する権限などありませんから。ですから、これはお願いです」
橘は麻衣、大翔、はるなの順に視線を向けた。
「先ほど見ていただいた映像は、EUから日本政府へ提供されたものです。そして、確認されている『デーモン』は、あの一体だけではありません」
「……やっぱり」
麻衣が小さく呟いた。
「複数いるんですか?」
大翔の問いに、橘が頷く。
「はい。ただし、正確な数は把握できていません。EU側でも確認できているのは、戦場で記録された映像や断片的な情報だけです」
「…………」
大翔とはるなの表情が僅かに険しくなる。
「それで?」
麻衣だけは変わらない調子で続きを促した。
「私たちに、そのデーモンを倒してほしいってこと?」
「いいえ」
橘は即座に否定した。
「え?」
今度は麻衣が目を瞬かせる。
「少なくとも現時点で、日本政府から皆さんへ戦闘をお願いするつもりはありません」
「じゃあ、何を?」
「確認していただきたいのです」
橘の答えに、三人が揃って黙る。
「確認?」
「はい。先ほど皆さんは、映像に映っていた存在を『魔族』だと判断されました。しかし、私たちには、それが何を意味するのか分かりません」
その言葉を引き継ぐように、楓が手元の端末を操作する。
大型モニターの映像が切り替わり、複数の写真と資料が表示された。
「EU側から提供された情報では、同様の存在がほかにも確認されています。しかし、映像だけでは判断できない点が多く、我々にも正体を特定する手段がありません」
「だから、私たちに直接見てほしい?」
「はい」
橘は真っ直ぐ麻衣を見る。
「可能であれば、現地で」
「…………」
「…………」
大翔とはるなの動きが止まった。
「……現地?」
大翔が聞き返す。
「はい」
「それって……U国へ行ってほしいってことですか?」
はるなが大型モニターへ視線を向けながら尋ねる。
「正確には、EU側が指定する場所までです」
「いやいやいや……」
大翔が思わず額へ手を当てる。
「ちょっと待ってください。そこ、戦争中ですよね?」
「はい」
「はい、じゃないですよ……」
大翔の力ない声が会議室へ響いた。
「それって、十分危険なのでは……?」
はるなも困惑したまま橘を見る。
「もちろんです。ですから、強制するつもりはありません。お断りいただいても、それによって皆さんが不利益を受けることはありません」
「…………」
麻衣は何も言わず、大型モニターへ視線を向けた。
大翔もはるなも黙っている。
しばらくして、麻衣が口を開いた。
「一つ聞いていい?」
「もちろんです」
「EUは、私たちのことをどこまで知ってるの?」
「正確に申し上げれば、EU側は皆さんのことを知りません」
楓が答えた。
「え?」
麻衣が目を瞬かせる。
「EU側は、サイクロプスを討伐した人物が麻衣さんであることまでは把握していません。もちろん、久我さんと結城さんについても何も知りません」
「じゃあ、なんで?」
麻衣が首を傾げる。
「EUが知らない私たちに、これを見せることになったの?」
「博物館の一件です」
「……ああ」
麻衣が納得したような声を漏らす。
「……博物館?」
大翔が聞き返した。
はるなも何の話か分からないらしく、麻衣へ視線を向ける。
「麻衣さん、何のことですか?」
「え?」
麻衣は二人の顔を交互に見た。
「話してなかったっけ?」
「聞いてません」
「俺も初耳です」
「そうだっけ?」
「そうです」
はるなが即答する。
「えーっと……前に美咲たちと博物館へ行ったことがあってね」
「はい」
「そこで、ちょっと色々あったの」
「色々?」
大翔が僅かに眉を寄せる。
「サイクロプスが出た」
「…………」
「…………」
大翔とはるなが固まった。
「……サイクロプス?」
「うん」
「博物館に?」
「うん」
「それで、どうなったんですか?」
はるなの問いに、麻衣は何でもないことのように答える。
「倒したよ」
「…………」
「…………」
再び沈黙が落ちた。
「……麻衣さん」
「なに?」
「それ、普通は先に話しません?」
「そう?」
「そうですよ!」
はるなが思わず声を上げる。
大翔も呆れたように麻衣を見ていた。
「麻衣さん、ほかにも俺たちが知らないこと、まだあるんじゃない?」
「えー?」
麻衣は少し考えるように視線を上へ向けた。
「……たぶん?」
「たぶん!?」
「だって、何を話して何を話してないか、全部は覚えてないし」
「…………」
大翔が額へ手を当てる。
はるなも何とも言えない表情で麻衣を見つめていた。
「……話を戻してもよろしいでしょうか?」
楓が静かに割って入った。
「あ、はい。どうぞ」
「麻衣さんが言うんですか……」
はるなの力ない声を聞き流し、楓は説明を続ける。
「その博物館で発生した異常事象ですが、同様の現象は日本だけで発生したものではありません」
「え?」
麻衣が楓を見る。
「他の国でも?」
「はい。EU加盟国を含む複数の国でも、ほぼ同時期に類似した異常事象が確認されています」
「サイクロプスも?」
「確認されています」
楓が頷く。
「ただし、EU圏内で確認された事象はいずれも比較的短時間で沈静化し、出現していたサイクロプスも、ある時点を境に姿を消しました」
「倒したんじゃなくて?」
「そのような記録は確認されていません」
「……消えた?」
「はい。少なくともEU側が把握している範囲では、そうなっています」
「…………」
麻衣が僅かに眉を寄せる。
大翔とはるなも、今度は先ほどまでとは違う表情で話を聞いていた。
「しかし、日本で発生した事象には一つ、大きく異なる点がありました」
橘が麻衣を見る。
「サイクロプスが消失する前に、何者かによって討伐されたことです」
「…………」
麻衣が僅かに目を細める。
「それ、EUに知られてるんだ」
「討伐者が誰なのかまでは知られていません。ですが、日本では異常事象の発生中にサイクロプスと交戦し、実力で討伐した人物がいた。その事実までは把握されています」
「なるほど……」
麻衣は背もたれへ身体を預けた。
「だから日本に聞いてきたんだ」
「はい」
橘が頷く。
「U国で確認された『デーモン』が、これまでに発生した異常事象と何らかの関係を持つ可能性がある。EU側はそう考えています」
「それで、サイクロプスを倒した人がいる日本なら、何か分かるかもしれないって?」
「その通りです」
「…………」
麻衣は少しだけ考えるように大型モニターへ視線を向けた。
「じゃあ、久我くんと結城さんを呼んだのは?」
「それは日本政府の判断です」
楓が答える。
「EU側はお二人の存在を知りません。麻衣さんからお二人について伺いましたので、今回の映像について意見を求めるのであれば、お二人にも見ていただくべきだと判断しました」
「……なるほど」
大翔がようやく納得したように頷く。
「じゃあ、私たちのことが海外まで知られてるわけじゃないんですね」
はるなが少しだけ安心したように尋ねる。
「現時点では、その認識で問題ありません」
「よかった……」
はるなが小さく息を吐いた。
「…………」
その隣で、麻衣は大型モニターを見つめたまま何も言わない。
やがて橘へ視線を戻した。
「でも、それだけじゃないよね?」
「…………」
橘が僅かに目を細める。
「EUが日本に聞いてきた理由は分かった。でも、それだけなら私が映像を見て、魔族だと思うって答えれば終わる話でしょ?」
麻衣は大翔とはるなへ一度だけ視線を向ける。
「わざわざ二人まで呼んで、国家機密を見せて、それで現地まで行って確認してほしいっていうのは、ちょっと話が大きすぎない?」
「……確かに」
大翔が小さく頷く。
はるなも橘と楓を見る。
「まだ、何かあるんですか?」
「…………」
橘は数秒だけ黙っていた。
そして、僅かに苦笑する。
「麻衣ちゃん、やっぱり鋭いわね」
「それほどでも」
「褒めてないわよ?」
「え?」
「そこは分かりなさいよ」
「…………」
大翔とはるなが何とも言えない表情で二人を見る。
張り詰めかけていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
しかし、橘はすぐに表情を戻した。
「その通りです。皆さんに現地で確認していただきたい理由は、ほかにもあります」
橘が楓を見る。
楓は無言で端末を操作した。
大型モニターの表示が切り替わる。
「…………」
大翔の表情が変わった。
はるなも画面を見たまま目を見開く。
麻衣だけが、僅かに眉を寄せた。
「これは……」
そこに表示されていたのは、先ほどの戦場映像ではなかった。
楓が静かに口を開く。
「こちらが、EU側から我が国へ提供されたもう一つの情報です」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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