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第81話 ヒ・ミ・ツの目的地

 はるなもオレンジジュースを持ったまま、楓へ視線を向けた。

 大翔の問いを受けた楓は、すぐに答えることなく少しだけ目を瞬かせる。


「麻衣さんから、お聞きになっておりませんか?」


 逆に問い返され、大翔は気まずそうに視線を逸らした。


「すいません。会おうとしか……」

「なるほど……」


 楓は納得したように小さく頷くと、どこか困ったような、それでいて少し楽しそうな笑みを浮かべた。


「麻衣さんらしいですね」


 その言葉に、大翔とはるなが揃って何とも言えない表情を浮かべる。

 楓は少しだけ考えるように間を置いてから、再び口を開いた。


「麻衣さんからご説明を受けていないのであれば、単にお伝えし忘れたか……それとも、あえて内緒にしているか……」


 一度そこで言葉を止め、楓は二人の顔を見比べた。

 そして、申し訳なさそうにしながらも、にこやかな笑みを浮かべる。


「すみません。私は後者の『内緒』を選択させてください」

「「え?」」


 大翔とはるなの声が綺麗に重なった。

 まさか目的地を尋ねただけで、そのような答えが返ってくるとは思っていなかったらしい。


「教えてもらえないんですか?」

「私の判断でお伝えしてしまって、麻衣さんが意図的に伏せていたのであれば失礼ですから」


 楓は穏やかな口調でそう説明すると、少し考えてから大翔の手元へ視線を向けた。


「ですので、一度、麻衣さんご本人に確認していただけますか? 麻衣さんがお答えになるのであれば、もちろん問題ありません」

「……分かりました」


 大翔はどこか釈然としない表情を浮かべながらも、ポケットからスマートフォンを取り出した。

 画面を操作して麻衣たちとのグループチャットを開き、短いメッセージを打ち込んで送信する。


『今、佐々木さんの車に乗った。ところで、俺たちはどこに向かってるんだ?』


 送信してから、ほとんど間を置かずに既読が付いた。


「……早いな」


 大翔が呟いた直後、麻衣から返信が届く。


『あ、そうなんだ!』


 さらに続けて、もう一件。


『なら、ヒ・ミ・ツ! 着いてからのお楽しみ!』


「…………」


 大翔の手が止まった。

 隣から画面を覗き込んでいたはるなも、何とも言えない表情のまま固まっている。


「……結局、分かりませんでしたね」

「聞いた意味あったか、これ……?」


 大翔は深いため息を吐くと、無言のままスマートフォンの画面を楓へ向けた。

 楓はそこに表示された麻衣からの返信へ目を通す。


「…………」


 一瞬だけ沈黙したあと、楓は小さく苦笑した。


「……そう来ましたか」


「佐々木さんも予想してなかったんですか?」

「ええ。てっきり、どちらかだと思っていたのですが……」


 楓はもう一度画面へ視線を落とすと、困ったように笑った。


「どうやら、お伝えし忘れていたところから、今この瞬間に『内緒』へ変わったようですね」

「……ですよね」

「そんな気はしました……」


 大翔とはるなが揃って肩を落とす。

 楓も苦笑したまま小さく頷いた。


「ですが、麻衣さんがそうおっしゃっているのでしたら、私からお伝えすることはできませんね」

「……分かりました」


 大翔は諦めたように背もたれへ身体を預けた。

 はるなもオレンジジュースをもう一口飲みながら、流れていく車窓の景色へ視線を向ける。


 結局、目的地がどこなのか分からないまま、二人を乗せた黒塗りの車は静かに走り続けていた。


 車は首都高速へ入ると、そのまま東京方面へ向かって走り続けていた。

 窓の外を流れていく景色を眺めながら、大翔は目的地を推測しようとしていたが、麻衣からは相変わらず何の追加連絡も届いていない。


 やがて車が都心へ近づき、霞が関付近で首都高速を降りる。

 その頃になると、大翔の表情が少しずつ変わり始めていた。


「…………」


 大翔は無言のまま車窓へ視線を向ける。

 はるなはその変化に気付いていないのか、流れていく景色を興味深そうに眺めていた。


 車は都心の一般道へ入り、そのまま進んでいく。

 窓の外には高層ビルが立ち並び、景色は少しずつ官公庁街のものへ変わっていった。


「…………」


 大翔の眉間に、わずかに皺が寄る。


「どうしたんですか?」


 隣に座るはるなが不思議そうに尋ねた。


「いや……」


 大翔は答えながらも、視線を車窓から外さなかった。

 霞が関で首都高速を降りたあたりから、ずっと嫌な予感がしている。


 黒塗りの高級車が二台も用意され、楓と共に現れた男性二人も明らかに警護を思わせる雰囲気だった。

 そのうえ、車が首都高速を降りた場所は霞が関だ。


「……まさかな」


 大翔が小さく呟く。


「え?」

「いや、何でもない」


 否定はしたものの、その表情は明らかに先ほどまでとは違っていた。

 車が進むにつれて、大翔の顔が徐々に歪んでいく。


 やがて窓の外に石垣が見え、その先に掲げられた国旗が視界へ入った。

 そして、その奥に見えてきた建物を目にした瞬間、大翔の嫌な予感は確信へ変わった。


「……おい」


 思わず低い声が漏れる。

 はるなも大翔の視線を追い、窓の外へ顔を向けた。


「…………え?」


 そのまま目を見開く。

 テレビやニュースで何度も見たことのある建物が、車窓の向こうにあった。


「……ここって……」

「たぶん、思ってるところで合ってる……」


 大翔がげんなりと答える。

 その間にも車は速度を落とし、正門前でゆっくりと停止した。


 警備員が車両番号を確認する。

 確認を終えた警備員が車へ向かって敬礼すると、警備ゲートが静かに開いた。


「…………」


 はるなは完全に言葉を失っていた。

 車がそのまま敷地内へ進んでいくのを、ただ呆然と見つめている。


 一方の大翔は、背もたれへ身体を預けながら深々とため息を吐いた。


「……嫌な予感がしたんだ……」


 霞が関で首都高速を降りた時から感じていた嫌な予感は、見事に現実のものとなっていた。


「麻衣さん……だから内緒にしたのか……」


 恨めしそうに呟く大翔の隣で、はるなはまだ何も言えない。

 先ほどまで飲んでいたオレンジジュースを両手で持ったまま、目の前へ迫る総理官邸を見つめていた。


 やがて車は玄関前の車寄せへ到着し、静かに停車した。

 ほどなくして官邸の男性職員が歩み寄り、後部座席のドアを開ける。


「到着しました」


 楓はそう告げると、慣れた様子で車から降りた。

 大翔も諦めたように小さく息を吐き、そのあとに続いて車外へ出る。


「……本当に総理官邸じゃないですか……」


 最後に車から降りたはるなは、目の前にそびえる建物を見上げたまま呆然と呟いた。

 大翔も同じように官邸へ視線を向けたあと、もう一度深いため息を吐く。


 そんな二人の前へ回った楓は、何事もなかったかのように柔らかな笑みを浮かべる。

 そして官邸の入口へ片手を向けた。


「こちらです」


 大翔とはるなは顔を見合わせた。

 しかし、ここまで来て引き返せるはずもなく、二人は楓に促されるまま総理官邸へ向かって歩き始めた。


 楓に案内され、大翔とはるなは総理官邸の中へ入った。

 吹き抜けのエントランスホールには静かな空気が流れ、木や石を基調とした落ち着いた空間が広がっている。

 大きなガラス越しに自然光が差し込み、華美ではないものの、日本らしい品格を感じさせる造りになっていた。


「…………」

「…………」


 大翔とはるなは、自然と口数が少なくなっていた。

 つい先ほどまで車の中で目的地についてあれこれ考えていたが、実際に総理官邸の中へ足を踏み入れると、さすがに普段どおりというわけにはいかない。


 そんな二人とは対照的に、楓は慣れた様子で官邸内を進んでいく。

 二人も周囲へ視線を向けながら、そのあとについて歩いた。


 やがて三人はエレベーターへ乗り込み、四階へ向かった。

 扉が開くと、楓は再び先頭に立ち、静かな廊下を進んでいく。


 廊下には官邸職員の姿があり、大翔とはるなが通り過ぎる際にも、特に珍しがる様子を見せることなく、それぞれの仕事を続けていた。

 それがかえって、自分たちが本当に総理官邸の中を歩いているのだという実感を強くさせる。


 しばらく進んだところで、楓が一つの重厚な木製扉の前で足を止めた。

 扉の脇には、一人の官邸職員が待機している。


「こちらです」


 楓がそう告げると、待機していた官邸職員が静かに一礼した。

 そして取っ手へ手を掛け、重厚な木製扉をゆっくりと開いていく。


「どうぞ」


 促され、大翔とはるなは開かれた扉の向こうへ視線を向けた。


 室内にはゆったりとしたソファと大きなテーブルが置かれ、窓から差し込む陽光が静かな室内を照らしている。

 しかし、大翔とはるなの視線は、そんな室内の様子ではなく、すぐにソファへ座る二人の人物へ向けられた。


 一人は麻衣だった。


「あ」


 こちらに気付いた麻衣が顔を上げる。

 修学旅行で見ていた時と何ら変わらない様子で、大翔とはるなへ軽く手を振った。


「久我くん、結城さん。こっちこっち」


「…………」

「…………」


 二人はすぐには返事ができなかった。

 麻衣がそこにいること自体は、何もおかしくない。

 そもそも今日は、麻衣に会うためにここまで来たのだから。


 問題は、その隣だった。


 麻衣の隣には、一人の女性が腰を下ろしていた。

 その顔には、どうにも見覚えがある。


 大翔が目を細める。

 はるなも女性の顔をじっと見つめたまま、何度か瞬きを繰り返していた。


「…………」


 どこで見たのかを思い出すのに、それほど時間は掛からなかった。

 テレビのニュースや新聞、インターネットの記事でも何度となく目にしている顔だった。


「……え?」


 はるなの口から、小さな声が漏れる。


 大翔も女性と麻衣を交互に見比べたあと、ゆっくりと額へ手を当てた。


「……まじか……」


 目の前にいるのは、テレビで何度も見たことのある女性であり、ここは他でもない総理官邸だった。

 二つを結びつければ、答えなど考えるまでもなかった。


 麻衣の隣に座っていたのは、日本の総理大臣だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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