第79話 濃すぎた修学旅行の終わり
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、ホテルの部屋をゆっくりと明るく染めていた。
麻衣が目を覚まして身体を起こすと、同じ部屋では美咲たちも眠そうに布団から起き始めている。
「おはよう」
まだ少し眠気の残る声で麻衣が挨拶すると、奈緒と優香がぼんやりと顔を上げた。
「……クリーンおはよう……」
「……クリーン……おはよう……」
「まだ引っ張るか!」
朝一番から飛び出した麻衣のツッコミに、美咲が堪えきれずに吹き出した。
奈緒と優香は自分たちが何を言ったのか分かっていないのか、眠そうな顔のまま首を傾げている。
「何……?」
「私、何か言った……?」
「言ったよ! 二人とも寝起き一発目から《クリーン》って言ったよ!」
「……それだけ欲しいんじゃない?」
美咲が笑いながら言うと、麻衣は呆れたように二人を見る。
「夢にまで出てきてそう……」
そんなやり取りをしながら身支度を整えた四人は、ホテルの朝食会場へ向かった。
朝食を済ませると部屋へ戻って荷物をまとめ、忘れ物がないことを確認してから、一階のロビーへ下りていく。
ロビーにはすでに多くの生徒が集まっており、スーツケースや旅行鞄を足元へ置きながら、最後の一日を前に賑やかに話していた。
やがて集合時間になると、引率教師が名簿を手に各班の人数を確認していく。
「全員いるな。今日が修学旅行の最終日だ。ホテルに忘れ物をしても簡単には取りに戻れないから、今のうちにもう一度確認しておけよ」
教師の声に、生徒たちがそれぞれ返事をする。
「優香、本当に大丈夫?」
「大丈夫! ちゃんと確認した!」
「昨日買ったお土産とか忘れてない?」
「それは絶対忘れない!」
「そこは自信満々なんだ……」
麻衣が呆れたように言うと、美咲と奈緒が笑った。
ほどなくして全員の確認が終わると、生徒たちは教師の指示に従ってホテルをあとにした。
ホテルの前には、修学旅行中に利用している貸切バスが待機していた。
生徒たちは班ごとに荷物を預け、順番に車内へ乗り込んでいく。
「荷物を預けたら、いつもの席に座れ。全員乗ったら出発するぞ」
教師の声に従い、麻衣たち四人もバスへ乗り込んだ。
全員が着席したことを教師が確認すると、バスはホテル前をゆっくりと離れていく。
修学旅行も、いよいよ最終日。
この日、最後の見学先となるのは伏見稲荷大社だった。
車窓の外には朝の京都の街並みが流れていく。
通勤や通学へ向かう人々、信号待ちをする車の列、少しずつ増えていく観光客の姿を眺めながら、四人は今日の予定について話していた。
「伏見稲荷が最後なんだよね」
「うん。そのあと京都駅に行って、新幹線」
「もう帰るのかぁ……」
「来る時は長く感じたのに、終わると早いよね」
美咲が名残惜しそうに言うと、麻衣も小さく頷いた。
そんな会話を続けているうちにバスは目的地へ近づき、やがて伏見稲荷大社の近くでゆっくりと停車した。
教師の指示に従って生徒たちが順番にバスを降り、全員が降りたことを確認すると、班ごとにまとまって参道へ向かう。
土産物店や飲食店が並ぶ通りを進んでいくと、やがて正面に大きな朱色の鳥居が姿を現した。
「おお……」
優香が思わず声を漏らす。
一行が朱色の大きな鳥居をくぐると、その先には鮮やかな社殿が建ち、境内には朝から多くの参拝客や観光客が行き交っていた。
生徒たちは教師の周囲へ集まり、最後の自由見学について説明を受ける。
「集合時間は十一時だ。時間厳守だからな。今日はこのあと京都駅へ移動して新幹線に乗るから、遅れることのないように」
教師は周囲の生徒たちを見回し、さらに念を押す。
「それと、稲荷山の奥まで行きすぎるなよ。時間までに確実に戻れる範囲で見学すること。いいな?」
「「「「はーい!」」」」
生徒たちの返事が重なり、それぞれの班に分かれて境内へ散っていく。
麻衣たち四人も社殿を見て回ったあと、奥へ続く千本鳥居へ向かった。
「すごっ……」
優香が目の前に続く朱色の鳥居を見上げた。
「これ、ずっと続いてるの?」
「かなり先まで続いてるみたいだね」
奈緒が案内を確認しながら答える。
集合時間も決められている以上、山頂まで向かう余裕はない。
「じゃあ、行けるところまでだね」
美咲がそう言って歩き出し、三人もそのあとへ続いた。
頭上まで覆うように並んだ朱色の鳥居の中を歩きながら、四人は時折足を止めて写真を撮る。
「麻衣、こっち向いて!」
「はいはい」
美咲に呼ばれ、麻衣が振り返る。
その瞬間を美咲がスマートフォンで撮影し、すぐに画面を確認した。
「うん、いい感じ!」
「今度は四人で撮ろうよ!」
優香の提案に奈緒も頷き、近くにいた同じ学校の生徒へ撮影を頼む。
四人で鳥居を背に並び、何枚か写真を撮ってもらうと、その場で画面を覗き込みながら盛り上がった。
それからも四人は千本鳥居を歩き、途中で社や境内を見て回った。
昨日までの出来事が嘘だったかのように、今日は何も起こらない。
突然足元に魔法陣が現れることもなければ、異世界へ飛ばされることもない。
ただ友達と歩き、写真を撮り、くだらないことで笑う。
そんな当たり前の修学旅行の時間が、ゆっくりと過ぎていった。
集合時間が近づくと、麻衣たちは来た道を戻り、指定された場所へ向かった。
すでに多くの生徒が戻ってきており、教師が名簿を確認しながら各班の帰着を確認している。
「麻衣たちの班、戻りました」
「ああ。全員いるな」
教師が四人を確認し、名簿へ印をつける。
やがて最後の班まで戻ったことが確認されると、生徒たちは教師の指示に従って再び貸切バスへ向かった。
預けていた荷物が積まれたバスへ順番に乗り込み、全員が揃ったところで京都駅へ向けて出発する。
先ほどまで歩いていた伏見稲荷大社の周辺が車窓の向こうへ遠ざかり、再び京都の市街地が流れ始めた。
「これで観光も全部終わりかぁ……」
優香が座席へ身体を預けながら呟く。
「まだ京都駅があるよ」
「観光じゃなくて、お土産を買う場所でしょ?」
美咲の言葉に奈緒が返すと、優香が勢いよく身体を起こした。
「それ大事!」
「やっぱりそこなんだ……」
麻衣が呆れたように笑う。
そんなやり取りをしているうちにバスは京都駅へ到着し、生徒たちは教師の指示に従って順番に降りていった。
駅へ入ると、教師たちは生徒たちを集合させ、帰りの新幹線について改めて説明を始める。
「ここからは新幹線の時間まで自由時間だ。ただし、指定した時間までには必ずこの場所へ戻ること。土産を選ぶのに夢中になって遅れるなよ」
その言葉に何人かの生徒が笑う。
説明が終わった瞬間、奈緒と優香の目が途端に輝いた。
「お土産!」
「最後の買い物!」
「先生が今、夢中になって遅れるなって言ったばかりなんだけど……」
麻衣が呆れた声を上げる。
しかし二人はすでに土産物店へ向かって歩き始めていた。
「昨日までに結構買ってなかった?」
美咲も苦笑しながら二人を追う。
「それはそれ!」
「これはこれ!」
「何が違うの……?」
麻衣と美咲が揃って呆れる。
そんな二人を気にする様子もなく、奈緒と優香は店頭に並ぶ菓子や雑貨を次々と手に取っていった。
「これも買おうかな」
「そっちもいいね」
「待って、それ誰に渡すの?」
「自分用」
「お土産じゃないじゃん!」
麻衣が思わず突っ込む。
優香は気にすることなく商品を買い物かごへ入れ、奈緒もその隣で別の商品を真剣に選んでいた。
「……元気だね」
「ほんとにね」
少し離れたところから二人を眺めながら、美咲と麻衣は揃ってため息をつく。
それでも最後には二人も家族や友人への土産をいくつか追加し、四人の手荷物は京都駅へ来た時より明らかに増えていた。
集合時間が近づくと、四人は指定された場所へ戻った。
教師による最後の点呼が行われ、全員が揃っていることを確認してから、一行は新幹線のホームへ移動する。
「ホームでは広がるなよ。一般のお客さんもいるから、荷物にも気をつけろ」
教師の注意を聞きながら、生徒たちはホームで新幹線の到着を待つ。
やがて入ってきた新幹線へ順番に乗り込み、それぞれ荷物を棚へ収めて席へ腰を下ろした。
しばらくして、新幹線が京都駅を離れた。
窓の外を流れていく京都の街並みを、美咲たちは名残惜しそうに眺めている。
「終わっちゃったね」
「うん」
「楽しかったなぁ」
「また来たいね」
そんな会話も、長くは続かなかった。
朝から伏見稲荷大社を歩き回り、京都駅では最後の買い物まで楽しんだ疲れが出たのか、時間が経つにつれて三人の口数が少なくなっていく。
やがて優香が眠り、奈緒もそのあとを追うように目を閉じた。
美咲も何度か欠伸をしたあと、座席へ身体を預けたまま静かな寝息を立て始める。
「……みんな寝ちゃった」
麻衣だけはまだ眠くなかった。
静かになった三人を見回して小さく笑うと、窓の外へ視線を向ける。
高速で流れていく景色を眺めながら、今回の修学旅行をぼんやりと思い返す。
たった五秒の間に、自分たちは別の世界で長い時間を過ごして戻ってきた。
普通の修学旅行だったとは、とても言えない。
それでも最後には、こうして三人と一緒に帰る新幹線へ乗っている。
麻衣は眠っている三人をもう一度だけ見てから、窓の外へ視線を戻した。
流れていく景色を眺めながら、口元に小さな笑みを浮かべる。
「……ほんと、濃い修学旅行だったなぁ」
その呟きは誰にも聞かれることなく、新幹線の走行音へ静かに溶けていった。
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