第78話 勇者召喚と女子更衣室革命
麻衣の問い掛けに、美咲は待っていましたと言わんばかりに胸を張った。
傷一つ残っていない左手の人差し指を三人へ見せつけながら、得意げな笑みを浮かべる。
「ふっふっふっ。麻衣が寝込んでる時に猛特訓したの!」
美咲はどや顔のまま、鼻息も荒く言い切った。
「寝込んでる……?」
「寝込んだ……?」
奈緒と優香が同時に反応した。
先ほどまで美咲の指先へ向けられていた二人の視線が、ゆっくりと横へ動いていく。
その先にいるのは、もちろん麻衣だった。
「…………」
二人の視線が麻衣へ突き刺さる。
麻衣はわずかに身体を引きながら、気まずそうに目を逸らした。
「いや、その……」
「麻衣?」
「寝込んだって、どういうこと?」
逃げられない。
そう悟った麻衣は小さく息を吐くと、一度だけ咳払いをした。
「コホン」
三人の視線が集まる中、麻衣は観念したように片手を上げる。
「じゃあ、話します!」
宣言してから上げていた手を下ろし、麻衣は奈緒と優香をまっすぐ見た。
どこから話すべきか少しだけ考えたあと、口を開く。
「私たち、異世界に召喚されてました。……そう、勇者召喚です」
「…………」
「…………」
奈緒と優香が揃って固まった。
何度か瞬きを繰り返したあと、二人は顔を見合わせる。
「……異世界?」
「勇者召喚?」
「うん」
麻衣は頷く。
「ほんと、漫画とかアニメみたいに勇者召喚されちゃったんだよ。本来の召喚対象は結城さん一人だったんだけど、私と美咲と久我くんまで一緒に巻き込まれちゃって」
「そう。私は巻き込まれただけ」
美咲が横から付け加える。
奈緒と優香はまだ理解が追いついていない様子だったが、麻衣はそのまま話を続けた。
自分たちが異世界の王国へ召喚されたこと。
その王国が魔国との戦争で滅亡寸前まで追い詰められていたこと。
召喚された直後から戦争へ巻き込まれ、王国軍と共に行動することになったこと。
そして、その戦争の裏で魔国をさらに強硬な方向へ動かし、被害を広げようとしていた四大将軍マーキュリーを撃破し、魔王ライザとの一時停戦に持ち込んだあと、元の世界へ帰ってきたこと。
もちろん、すべてを細かく話せば一晩では到底終わらない。
麻衣は途中で美咲にも補足してもらいながら、話しても問題のない範囲で、起きた出来事を大まかにまとめて二人へ説明していった。
「――で、とりあえず戦争を止めて、帰ってきたってわけ」
「…………」
「…………」
話を聞き終えた奈緒と優香は、完全に言葉を失っていた。
二人とも呆然と麻衣を見つめたまま、しばらく身動きすらしない。
「……大丈夫?」
麻衣が心配になって声を掛けると、優香がようやく動いた。
「……五秒だよね?」
「うん」
「私たちからしたら、たった五秒だよね?」
「そうだね」
「それで……そこまでの冒険譚があるの?」
「まあ……あったね」
麻衣が苦笑する。
優香は頭を抱え、奈緒も信じられないものを見るような目を向けていた。
「異世界に勇者召喚されて、戦争に巻き込まれて、その裏で動いてた四大将軍まで倒して……それで一時停戦にして帰ってきた?」
「だいたいそんな感じ」
「五秒で?」
「こっちではね」
再び沈黙が落ちる。
奈緒は何かを考えるように腕を組んでいたが、やがて大きく息を吐いた。
「……いいな~」
「え?」
予想外の言葉に、麻衣が目を瞬かせる。
奈緒は不満そうに頬を膨らませた。
「私も行きたかった!」
「ええっ!?」
「異世界でしょ? 勇者召喚でしょ? 魔法もあるんでしょ? なんで誘ってくれなかったの!?」
「いや、誘うとかそういう次元ではないよね!?」
麻衣が思わず突っ込む。
突然足元に魔法陣が現れて強制的に召喚されたのだから、友達を誘って参加するようなものではない。
「それに戦争だよ? 普通に危なかったんだからね?」
「でも美咲は魔法覚えてるじゃん!」
「そこ!?」
奈緒が美咲を指差すと、美咲は再び得意そうに左手の人差し指を掲げた。
「《ヒール》と《クリーン》が使えます!」
「ほら!」
「ほら、じゃないって!」
麻衣が呆れたように返した、その時だった。
それまで黙っていた優香が、ゆっくりと顔を上げる。
「……麻衣」
「なに?」
妙に真剣な声だった。
優香は麻衣をまっすぐ見つめ、静かに口を開く。
「これは麻衣が悪い」
「なんで!?」
「だって――」
優香は勢いよく身を乗り出した。
「《クリーン》を覚えるチャンスを奪った麻衣が悪い!」
「知らないよ!」
麻衣の即答が部屋に響いた。
「そんなに《クリーン》って大事なの?」
あまりにも真剣な二人の様子に、麻衣は呆れ半分で問い掛けた。
すると優香は何を当たり前のことを聞いているのかと言わんばかりに、勢いよく身を乗り出す。
「女子の必須スキル!」
「前にも言ったけど、女子更衣室革命は体育会系女子たちの永遠の願い!」
続いて奈緒まで力強く言い切った。
二人の表情には冗談とは思えないほどの真剣さが浮かんでおり、麻衣は完全に呆れた顔で二人を見る。
「……そこまで?」
「そこまで!」
「むしろ、なんで分からないの!?」
「いや、分かんないよ……」
麻衣が引き気味に答えると、奈緒と優香は揃って悔しそうに顔を歪めた。
「そのチャンスを奪った麻衣が憎い……!」
「憎いわ……!」
次の瞬間、二人はどこから取り出したのか分からないハンカチの端を口にくわえた。
そのまま麻衣を恨めしそうに睨みつけ、揃ってハンカチを噛み締める。
「「キーッ!」」
「どこの喜劇だ!」
思わず麻衣のツッコミが飛んだ。
しかし、二人は止まらない。
「私たちは行けなかったんだから!」
「麻衣が連れて行ってくれなかったんだから!」
「いや、だから私が連れて行かなかったわけじゃないって!」
麻衣が慌てて否定するが、二人にはまったく届いていない。
奈緒と優香はハンカチを手放すと、そのまま麻衣へ向かってじりじりと距離を詰め始めた。
「だから麻衣が責任持って教えろ!」
「《クリーン》を!」
「なんで私の責任になってるの!?」
「《クリーン》だけでいいから!」
「ほんと、《クリーン》だけでいいから!!!」
「近い近い近い!」
二人が迫るたびに、麻衣は床へ座ったまま後ろへ下がっていく。
それでも奈緒と優香は逃がすつもりなどないらしく、麻衣が下がった分だけ同じように距離を詰めてくる。
「《クリーン》!」
「《クリーン》!」
「分かったから! とりあえず離れて!」
「教えてくれる!?」
「まだそう言ってない!」
「じゃあ《クリーン》!」
「話聞いて!」
完全に押されている麻衣の姿を見て、美咲はしばらく口元を押さえていた。
だが、とうとう我慢できなくなったのか、吹き出す。
「ふふっ……あははははっ!」
その笑い声に、奈緒と優香の動きがぴたりと止まった。
二人の顔が、ゆっくりと美咲へ向く。
「……何がおかしいの?」
「え?」
美咲の笑いが止まる。
奈緒と優香は、今度は美咲へ恨めしそうな視線を向けた。
「できる者には分からないわ!」
「この勝ち逃げ!」
「勝ち逃げって何!?」
思わぬ飛び火に、美咲が目を丸くする。
それを見た麻衣は、ようやく自分から標的が外れたことに安堵したように息を吐いた。
「《クリーン》を覚えて帰ってきた時点で勝ち組だから!」
「そう! 私たちを置いて一人だけ《クリーン》を手に入れた!」
「私だって好きで異世界に巻き込まれたわけじゃないんだけど!?」
美咲が抗議しても、二人の《クリーン》への執念が収まる様子はない。
結局その後も、奈緒と優香は事あるごとに麻衣へ《クリーン》を教えてほしいと迫り続けた。
「《クリーン》!」
「《クリーン》!」
「もう寝なさい!」
部屋の明かりを消す直前まで二人の声は止まず、そのたびに麻衣の呆れた声が返ってくる。
異世界での長い冒険を語り終えた夜は、なぜか《クリーン》を求める二人の声と共に更けていった。
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