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第76話 五秒後の日常

 白い光が収束した。


 次の瞬間、麻衣の足の裏に硬い石畳の感触が戻る。

 わずかに揺らいでいた視界が鮮明になり、目の前には見覚えのある御神水と、その周囲を囲む木々があった。

 異世界へ転移する直前と、何一つ変わっていない。


「……戻った」


 麻衣は小さく呟きながら周囲へ視線を巡らせる。

 隣には美咲がいて、その向こうには、はるなと大翔も立っていた。

 四人とも異世界を離れる時と同じ制服姿で、欠けることなく無事に戻ってきている。


「麻衣……?」

「うん。大丈夫」


 美咲の声に答えながら、麻衣は周囲の空間へ意識を向ける。


 参拝客たちの話し声。

 石畳を歩く足音。

 風に揺れる木々の葉音。


 すべてが元通りに聞こえていた。

 転移する直前に発生していた閉鎖空間も、すでに消えている。


 その一方で、近くにいた何人かの参拝客が、不思議そうにこちらを振り返っていた。


「……今、何か光らなかった?」

「そう?」


 そんな声が聞こえてくるものの、四人が突然現れたことに気付いている様子はない。


 麻衣は一瞬だけ目を細めた。


(……なるほど)


 あの閉鎖空間は、現実から対象を切り離すだけではなかったらしい。

 境界の外側にいる人間の認識にも一時的なずれを生じさせ、そこで起きた異常を正しく認識しにくくしていた。


 だからこそ、あれだけの光が発生したにもかかわらず、周囲は騒ぎになっていない。


 ただし――。


「…………」

「…………」


 すぐ近くにいた四人だけは別だった。


 麻衣がそちらへ顔を向けると、奈緒、優香、朝倉、早苗の四人が立っている。

 全員が目を大きく見開いたまま、突然戻ってきた麻衣たちを呆然と見つめていた。


「……麻衣? 美咲……? 結城さんと久我くんも……?」


 最初に声を絞り出したのは奈緒だった。

 麻衣たち四人を順番に確認するように視線を動かし、何度か瞬きを繰り返している。


 その隣では優香も口を開けたまま固まり、朝倉と早苗も何が起きたのか理解できない様子で四人を見つめていた。


「……今、消えたよね?」

「消えた!」


 優香が我に返ったように声を上げる。


「絶対消えた! 目の前にいたのに四人とも急にいなくなって、それで今また急に出てきた!」

「……どのくらい?」

「え?」


 麻衣の問いに、優香がきょとんとする。


「私たちが消えてから、どのくらい経った?」

「どのくらいって……」


 優香は奈緒を見る。

 奈緒も困惑したまま首を傾げ、朝倉と早苗も顔を見合わせた。


「五秒くらい……?」


 朝倉が戸惑いながら答える。


「長くても、それくらいだと思う」

「そっか」


 麻衣はそれだけ答えると、小さく息を吐いた。


 狙っていた時間とほとんどずれていない。

 戻ってきた場所も、転移前とまったく同じだった。

 固定していた時空アンカーは、きちんと役目を果たしてくれたらしい。


「……成功」

「何が!?」


 優香が即座に食いついた。


「成功って何!? 今の何だったの!? どこ行ってたの!?」

「まあまあ」

「まあまあじゃない!」


 詰め寄ってくる優香に、麻衣は困ったように笑う。

 その横では奈緒も説明を求めるような視線を向け、朝倉と早苗も明らかに気になっている様子だった。


 彼女たちにとっては、ほんの五秒ほど前に四人が突然消え、その直後に何事もなかったかのように戻ってきたのだから、その反応も当然だった。


「分かった、分かった。ちゃんと話すから。でも、ここじゃちょっと無理かな」


 麻衣はそう答えると、周囲にいる参拝客たちへちらりと視線を向ける。

 奈緒もその意味を察したのか、それ以上は追及せず、仕方なさそうに息を吐いた。


「……分かった。でも、あとで絶対だからね」

「はいはい」


 そこで美咲が、すぐそばを流れている御神水へ視線を向けた。


「せっかくだし、御神水もいただいていこうよ」

「あ、そうだね」


 麻衣も頷く。


 異世界へ飛ばされる直前まで、八人はこの御神水を見に来ていた。

 奈緒たちにとってはほんの数秒前のことだったが、麻衣たち四人にとっては、もうずいぶん昔のことのように感じられる。


 先に優香、奈緒、朝倉、早苗が御神水をいただき、美咲も続いて一口飲む。


「冷たくておいしい」


 美咲はその冷たさに目を細める。

 麻衣も美咲と入れ替わるように前へ進み、柄杓で澄んだ水をすくった。


 口へ含むと、ひんやりとした冷たさが喉を通り抜けていく。


「……おいしい」


 麻衣はその冷たさを味わいながら、ふと先ほどまでいた異世界での日々を思い返す。


「……これ、私にとってはどれくらいぶりなんだろ」

「え?」


 奈緒がすぐに反応した。


「どれくらいぶりって、どういう意味?」

「あ」


 麻衣の動きが止まる。

 美咲が額へ手を当て、はるなは困ったように笑い、大翔は何も言わず視線を逸らした。


「……今のなし」

「なしになるわけないでしょ!」


 奈緒が即座に返す。

 優香も大きく頷きながら麻衣へ詰め寄ろうとしたが、周囲に参拝客がいることを思い出したのか、どうにか踏みとどまった。


「あとで絶対だからね!」

「分かってるって」


 麻衣は観念したように答えると、もう一口だけ御神水を味わった。

 柄杓を返して一歩横へ移動し、後ろにいたはるなへ場所を譲る。


「結城さん、次だよ」

「あ、はい」


 はるなは麻衣と入れ替わるように前へ出ると、御神水をすくって一口飲んだ。

 その冷たさを確かめるように、ゆっくりと喉を潤す。


「本当に冷たいですね」

「でしょ?」


 先に飲み終えていた優香が、なぜか自分のことのように得意そうな顔をする。

 はるなはそんな優香の様子に小さく笑うと、大翔へ場所を譲った。


「久我くん、どうぞ」

「ああ」


 大翔も御神水の前へ進み、一口飲む。

 そのあと、何気なく麻衣へ視線を向けた。


「こうしてると、本当に戻ってきたって感じがするな」

「うん。私も」


 麻衣は小さく頷いた。


 ほんの数秒前までこの場所にいたはずなのに、自分たち四人にとっては、その間にあまりにも多くの出来事があった。

 同じ景色も、同じ水の冷たさも、出発前とはどこか違って感じられる。


 大翔が御神水をいただき終えると、美咲が全員を見回した。


「じゃあ、行こっか」


 その声に、それぞれが頷く。


 八人は御神水の前から離れ、そのまま石畳の小道へ歩き出した。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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