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第75話 別れと帰還

 麻衣が眠っていた五日間で、王国と魔国の関係は大きく動いていた。

 正式な和平にはまだ至っていないものの、そのための話し合いは、麻衣が想像していた以上に進んでいた。


「へー……。私が寝てる間に、ずいぶん話が進んだんだね」


 大翔から説明を聞き終えた麻衣は、感心したように何度か頷いた。

 そこで、もう一つ気になっていたことを思い出す。


「あと、賠償金とかの話は?」

「ああ。それも話には出た」


 大翔は小さく頷いた。


「戦争そのものは王国側がかなり押し込まれていたからな。魔国側としては、本来なら王国に賠償を求める立場になる」

「やっぱり、そうなるんだ」

「ああ。ただ、金銭での賠償については一旦保留になった」

「保留?」

「今の占領地域には、戦闘で被害を受けた町や村もかなりある。だから、そこを復旧するために必要な人材や資材を王国側が出して、復旧そのものを請け負う方向で話を進めることになった」


「なるほど……」


 麻衣は納得したように頷いた。


「へー。ちゃんとそこまで話したんだ。それにしても、ライザさん、よくそこまで譲ったね」

「まあ、そのあたりは……」


 大翔がわずかに視線を逸らした。

 その様子を横から見ていたはるなが、何とも言えない表情を浮かべる。


「久我くんが、ライザさんが何か言うたびに睨んでたからね……」

「おい!」


 大翔が勢いよくはるなを見る。


「そ、そんなことしてないぞ!」

「してましたよ」


 はるなは間髪入れずに言い切った。


「条件についてライザさんが少し難しい顔をするたびに、久我くんも黙って難しい顔をしていましたから」

「いや、あれは睨んでたんじゃなくて、ちゃんと話を聞いていただけだ!」

「ライザさん、久我くんの顔を見たあと、何度か『……分かりました』って言ってましたけど」

「それは俺のせいじゃない!」


 必死に否定する大翔を見ながら、麻衣はしばらく瞬きを繰り返した。

 王国と魔国の今後を左右する重要な会談だったはずなのだが、はるなの話を聞いていると、どうにも違う光景しか頭に浮かんでこない。


「……それ、交渉っていうより、娘に無言で圧をかけてただけじゃない?」

「麻衣さんまで!?」


 大翔の声が部屋に響き、はるなが小さく笑う。

 美咲も堪えきれなくなったように口元を押さえ、麻衣もつられるように笑った。


「否定はできないと思いますよ」

「はるなまで追い打ちをかけるな!」


 今度こそ部屋に笑い声が広がり、先ほどまで和平交渉について話していたとは思えないほど、穏やかな空気が流れていた。


 それから数日後。


 王城の謁見の間には、国王をはじめ、騎士団長や王国の重臣たちが集まっていた。

 その中央に並んで立つのは、麻衣、美咲、はるな、大翔の四人。

 戦場で身につけていた装備はすでになく、四人ともこの世界へ召喚された時と同じ制服姿へ戻っている。


 ほんの少し前まで戦場に立ち、魔国軍との戦争を終わらせるために動いていた。

 だが、こうして制服に袖を通して並んでいると、ようやく本来の自分たちへ戻ったような気がする。


 玉座に座る国王は、そんな四人をしばらく見つめたあと、口を開いた。


「……本当に、帰られるのですな」

「はい」


 麻衣は迷うことなく頷いた。


「私たちには、向こうでの生活がありますから」

「……そうか」


 国王はそれ以上、何も言わなかった。


 本音を言えば、残ってほしいという思いがないわけではない。

 王国を滅亡の危機から救い、長く続いた戦争を終結へ導いた四人がこの国に残ってくれるのなら、これほど心強いことはなかった。


 しかし、彼らはこの世界の人間ではない。

 家族がいて、友人がいて、帰るべき場所がある。

 それを知りながら、自分たちの都合だけで引き留めることなど、国王にはできなかった。


「皆様には、返しきれぬほどの恩を受けました」


 国王は玉座から立ち上がると、四人をまっすぐに見つめる。


「我が国が今日まで存続できたのは、皆様のお力があったからこそです。兵を救い、民を救い、そして、この戦争を終結へ導いてくださった」


 その声には、王としてではなく、一人の人間としての深い感謝が込められていた。


「国王として、そしてこの国に生きる一人の人間として、心より御礼申し上げる。本当に……ありがとう」


 国王が深く頭を下げる。

 それを見た重臣たちも、騎士団長も、四人へ頭を下げた。


 麻衣は少し困ったように笑いながら、その光景を見つめる。


「頭を上げてください。前にも言いましたけど、私たちは自分たちにできることをしただけですから」


 国王がゆっくりと顔を上げる。

 麻衣はその表情を確認すると、ふと思い出したように騎士団長へ視線を向けた。


「そういえば、騎士団長さん。一つ聞いてもいいですか?」

「はい。何でしょうか、麻衣殿」

「騎士団長さんが現代とこっちを行き来してた時に使ってたアジトって、まだ残ってるんですか?」

「……あの場所ですか」


 騎士団長は懐かしむように目を細めたあと、残念そうに首を横へ振った。


「残念ながら、もう残っておりません」

「そっか……」


 麻衣はそれ以上尋ねることなく、小さく頷いた。

 かつて二つの世界をつないでいた場所も、今ではもう存在しない。

 ほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべたものの、すぐにいつもの表情へ戻った。


 謁見を終えた四人は、国王や騎士団長たちと共に王城の地下へ向かった。

 長い石造りの階段を下り、その先にある重厚な扉を抜ける。

 たどり着いたのは、四人にとって見覚えのある広大な部屋だった。


「……ここかぁ」


 美咲が周囲を見回しながら呟く。


 床一面には巨大な魔法陣が刻まれ、その周囲には召喚術式を構成する装置が並んでいる。

 四人がこの世界へ召喚された、あの儀式の間だった。


「ここから始まったんですよね」

「ああ。まさか、あの時はこんなことになるとは思ってなかったけどな」


 大翔が苦笑すると、美咲も小さく頷いた。


「私なんて、何が起きたのか全然分からなかったし」

「私も似たようなものだよ」


 麻衣はそう言いながら、魔法陣の中央へ歩いていく。

 床へ刻まれた術式を確認すると、その場へしゃがみ込み、指先を触れさせた。


「これなら使えるね」


 麻衣の指先から魔力が流れ込む。

 眠っていた召喚術式が反応し、床に刻まれた線が一つ、また一つと淡い光を帯び始めた。

 やがて光は巨大な魔法陣全体へ広がり、儀式の間を柔らかく照らしていく。


「三人とも、こっちに来て」

「うん」


 美咲が麻衣の隣へ立ち、はるなと大翔も魔法陣の中央へ移動する。

 四人が揃ったことを確認すると、麻衣は国王たちへ振り返った。


 国王は魔法陣の外から四人を見つめていた。

 召喚した時と同じ場所。

 あの時、自分はこの四人へ、この世界を救ってほしいと願った。


 そして今、その願いを果たした四人が、自分たちの世界へ帰ろうとしている。

 国王は胸の前へ手を添えると、深く頭を下げた。


「皆様。息災で」


 騎士団長も国王に続き、頭を下げる。


「麻衣殿、佐藤様、結城様、久我様。本当に、ありがとうございました」

「騎士団長さんも元気でね」


 麻衣は笑顔でそう返すと、美咲とはるなも頭を下げ、大翔も一礼した。


 麻衣は三人を見回す。


「それじゃあ、帰ろっか」

「うん」

「はい」

「ああ」


 麻衣は再び床の魔法陣へ意識を向けた。

 流し込む魔力を増やすと、召喚術式の光が一気に強まり、四人の周囲へ幾重もの光の輪が浮かび上がる。

 空間がわずかに震え、儀式の間を満たしていた景色がゆっくりと歪み始めた。


 だが、麻衣はすぐには転移を開始しなかった。

 目を閉じ、召喚される直前に自分が残したものを探る。

 時間と空間の向こう側に残された、ただ一つの固定点。


「……時空アンカーポイント、復元」


 その瞬間、麻衣の意識の中で失われていた座標が鮮明につながった。

 自分たちが帰るべき時間と場所へ。


 麻衣は目を開く。


「接続確認……これなら大丈夫」


 魔法陣から立ち昇る光が四人の身体を包み込んでいく。

 国王と騎士団長たちの姿が、白い光の向こうへ少しずつ遠ざかっていった。


 麻衣は最後にもう一度だけ彼らへ笑顔を向ける。


「それじゃあ――またね」


 光が弾けた。

 次の瞬間、四人の姿は儀式の間から完全に消えていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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