第72話 長い一日の終わり
大翔は静かに目を閉じた。
これまで聞かされた一つ一つの言葉を、頭の中でゆっくりと整理していく。
鴨川で麻衣から告げられた言葉。
――彼氏は敵側。
あの時は、その意味がまったく分からなかった。
だが今なら分かる。
そして、王城の謁見の間で麻衣が語った言葉。
『約千年前。亜人たちは、自らを救うため、禁忌である異世界召喚を行いました。そして、その召喚に応じ、この世界へやって来た一人の異世界人。その人物こそが、後に『初代魔王』と呼ばれる存在です』
その時、麻衣はまるですべてを見てきたかのように、一切の迷いなく語っていた。
その他にも、勇者が生まれなくなった理由。
自分が不老不死だった理由や、勇者が繰り返し現れた理由。
そして、千年戦争の真実。
セリアが自分ではなく分体を討った理由。
そして、ソフィアが勇者となった理由。
それらは今、一つ残らず繋がった。
まるで、ばらばらだった無数の線が一本へ収束したかのようだった。
大翔はゆっくりと息を吐く。
「……全部、繋がった」
麻衣は大翔を見つめる。
「他に、お聞きになりたいことはありますか」
その口調は変わらない。
感情を交えず、必要であれば続きを説明する。
それだけだった。
大翔は苦笑し、小さく首を横へ振る。
「いや……」
一度だけ大きく息を吐いた。
「もう、おなかいっぱいだ」
その言葉に、麻衣は小さく頷く。
「そうですか」
だが、大翔は不意に何かを思い出したように目を瞬かせた。
「あ……いや、一つだけ」
麻衣が視線を向ける。
「ラッセル王太子殿下って、結局誰なんだ?」
麻衣はわずかに考えるように沈黙したあと、首を横へ振った。
「申し訳ありません。私は、その時点ではまだ復活しておりません」
一拍置き、続ける。
「そのため、ラッセル王太子殿下についての詳細は把握していません」
大翔は苦笑しながら肩をすくめた。
「最後の最後で聞こうと思ったけど、そこは知らないのか」
麻衣は小さく頷く。
「はい」
わずかに間を置く。
「必要であれば、これから確認してきましょうか」
あまりにも自然な口調だった。
大翔は一瞬きょとんとした表情を浮かべる。
「……確認って」
「時空転移で、です」
大翔は思わず額へ手を当てた。
「時空転移……」
一瞬考え込み、それから納得したように笑う。
「ああ……今なら、それも納得だ」
すべてを知った今なら、その提案にも何の驚きもなかった。
麻衣は小さく頷く。
「いつでも可能です」
大翔は少しだけ考え、それから笑みを浮かべた。
「……いや、今はいいかな」
一度に聞いた情報が多すぎる。
これ以上、新しい事実を知れば、本当に頭が追いつかなくなりそうだった。
麻衣は小さく頷く。
「承知しました」
一拍置き、蒼銀の瞳が大翔を捉える。
「では、通常状態へ移行します」
次の瞬間、麻衣の全身から白銀の魔力が溢れ出した。
谷を満たしていた魔力が大きく脈動し、無数の白銀の粒子が一斉に舞い上がる。
先ほどとは逆だった。
二対の白銀の翼が無数の光粒子へとほどけ、風へ溶け込むように消えていく。
谷を満たしていた神聖な気配も、それに合わせて少しずつ薄れていった。
蒼銀の瞳から白銀の輝きが失われ、深い蒼へ戻る。
さらにその蒼も黒へ染まり、見慣れた麻衣の瞳へ戻っていった。
白銀の長髪も淡い光を帯びながら、その一本一本が夜空のような黒髪へ戻っていく。
最後に白銀の魔力が音もなくその身へ収束すると、谷を包んでいた神聖な気配も完全に消え去った。
そこに立っていたのは、セリア・グラハートでも、人工生命体セリューナでもない。
いつもの加山麻衣だった。
麻衣は小さく息を吐き、大翔へ穏やかな笑みを向ける。
「……これで説明はおしまい」
そう告げると、ふと何かを思い出したように表情を変えた。
「あっ」
大翔が首を傾げる。
「どうした?」
麻衣は少しだけ困ったように苦笑する。
「美咲が怒るから、早く帰ろう」
一瞬きょとんとしていた大翔も、その理由を理解すると苦笑を漏らした。
「確かに、それはまずいな」
「じゃあ、戻ろっか」
麻衣は大翔の肩へ手を添える。
「転移」
二人の足元へ白銀の魔法陣が広がり、眩い光が辺りを包み込む。
次の瞬間、二人の姿は死の谷から跡形もなく消え去った。
元の戦場跡へ戻った二人は、王都防衛軍が待つ第二防衛線へ向かって歩き始める。
辺りには戦いの爪痕が残り、主を失った武器や鎧が至る所へ転がっていた。
それでも先ほどまでとは違い、二人の間に張り詰めた空気はない。
しばらく並んで歩いていた大翔が、ふと麻衣へ視線を向ける。
「……なんか、今さら実感したな」
麻衣が首を傾げた。
「何を?」
大翔は少しだけ遠くを見るように目を細める。
「麻衣さんって、本当にセリア・グラハート王女殿下なんだなぁ~って」
麻衣の眉が僅かに動いた。
「……王女殿下ぁ?」
「あ⁈」
大翔が足を止める。
「久我くん?」
数秒の沈黙のあと、大翔は思わず吹き出した。
「そうだった。セリアだった頃、それで怒られたんだったな」
麻衣は少しだけ頬を膨らませる。
「だって、王女殿下って呼ばれるの嫌だったし」
「自分は俺のこと、ずっと魔王陛下って呼んでたくせにさ」
「だって魔王陛下だったじゃん」
「セリアだって王女殿下だっただろ」
「それとこれとは別」
「……ははっ」
大翔が声を上げて笑う。
「変わってないなぁ」
「そう?」
「変わってないよ」
麻衣は少しだけ不満そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
二人は再び歩き始める。
しばらくして、大翔の表情から笑みが少しだけ消えた。
「……あの時もさ」
麻衣が横目を向ける。
「あの時?」
「せっかく緩衝地域まで作って、一時的とはいえ戦争を止めたのにな」
大翔は荒れた戦場を見渡した。
「結局、駄目になったしなぁ……」
麻衣は何も言わず、しばらく前を向いたまま歩き続ける。
やがて、小さく口を開いた。
「……でも、今度は私も生きてるから」
大翔が足を緩めた。
「え?」
麻衣は前を向いたまま、小さく笑う。
「今度は、最後までちゃんと見届けられるでしょ」
一度だけ大翔へ視線を向ける。
「それに、また駄目になりそうなら、その時はまた止めればいいよ」
あまりにも当然のことのように言う麻衣を、大翔はしばらく見つめていた。
そして、ゆっくりと笑う。
「……そうだな」
「うん」
二人は再び前を向いた。
百五十年前、一度は二人で戦争を止めた。
けれど、その先を二人で見届けることはできなかった。
今度は違う。
麻衣も、大翔も、ここに生きている。
そのまま歩き続けていると、やがて遠くに王国軍旗が見えてきた。
「あっ、王国軍旗だ」
風を受けてはためく旗を見つけた途端、麻衣の表情が少しだけ和らぐ。
「やっと着いた。疲れた……」
心の底から漏れたようなその一言に、大翔は思わず苦笑した。
「なんか……ものすごく濃密な一日だったよ……」
今日一日の出来事が、大翔の頭を過ぎる。
世界の真理。
この世界に張り巡らされた因果。
そして、千年戦争の真実。
今まで当たり前だと思っていた常識は、一日で根底から覆された。
一日で経験したとは思えないほど、濃密な時間だった。
麻衣は前方を見つめたまま、小さく口を開く。
「こっちに気が付いたみたい」
「……だな」
第二防衛線の防壁では、人影が慌ただしく動き始めていた。
――第二防衛線、王国軍側。
前線監視台。
周囲を警戒していた観察兵が、遠方へ目を凝らしたまま大声を張り上げる。
「前方より人影を確認!」
観察兵は望遠魔道具を覗き込み、思わず目を見開いた。
「えっ……ふ、二人だけです! 後続は確認できません!」
その報告に監視台の空気が一変する。
報告を受けた騎士団長は慌てることなく問い返した。
「白い戦装束の女性と、青い戦装束の男性だな?」
観察兵はもう一度望遠魔道具を覗き込み、勢いよく頷く。
「そ、そうです!」
騎士団長は頷いた。
「伝令!」
「はっ!」
待機していた伝令兵が一歩前へ出る。
「結城様と佐藤様へ。麻衣殿と久我様が戻られたと至急お知らせしろ!」
「はっ!」
伝令兵は力強く返事をすると、本陣へ向かって全力で駆け出した。
やがて重厚な防壁門がゆっくりと開き、その奥から二つの人影が駆け出してくる。
麻衣はその姿を見つけると、自然と小さな笑みを浮かべた。
「あっ、結城さんと美咲だ」
美咲の姿を見つけた瞬間、それまで張り詰めていた心がふっと軽くなる。
一日ぶりの再会。
それだけのことなのに、胸の奥がじんわりと温かくなった。
大翔は、そんな麻衣の横顔を見つめていた。
文明と人の魂を継承するために創られ、世界の継承そのものに関わってきた人工生命体セリューナ。
その存在が、第十六代勇者セリア・グラハートとして生き、今は加山麻衣としてここにいる。
すべてを知ったあとでも、目の前にいる麻衣は、幼馴染との再会を心から喜ぶ一人の高校生だった。
その姿に、大翔は思わず小さく笑みを浮かべる。
「本当……今までの人生で、一番びっくりした一日だったよ」
そうして二人は、仲間たちが待つ第二防衛線へと歩みを進める。
長い一日は、ようやく終わりを迎えようとしていた。
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