↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/80

第7話 総理を待つ一時間

 車は首都高速を降り、都心の一般道へ入る。

 窓の外には高層ビルが立ち並び、景色は少しずつ官公庁街のものへ変わっていく。

 楓が二人へ静かに声を掛ける。


「もう間もなく到着いたします」


 美咲は窓の外を見ながら、少し緊張したように呟く。


「テレビで見たことある景色かも……」


 麻衣は返事をせず、交差点の位置や道路の広さ、車の進行方向を静かに確認していた。

 やがて、大きな石垣と国旗が見えてくる。

 その奥には、テレビで何度も見たことのある重厚な建物が姿を現した。


「あれ……本当に総理官邸?」


 美咲が思わず声を漏らすと、楓は小さく頷いた。


「はい」


 美咲が建物に目を奪われる一方で、麻衣の視線は警備員の配置や監視カメラ、車止め、出入口へ向いていた。

 その様子に気付いた楓は、ほんの少しだけ表情を緩める。


(見る場所が普通じゃない……)


 車は正門前でゆっくりと停止した。

 警備員が車両番号を確認して敬礼すると、警備ゲートが静かに開く。

 車はそのまま官邸の敷地内へ進んでいった。


「映画みたい……」


 美咲が小さく呟く。

 麻衣は何も答えず、開いたゲートの向こうへ視線を向けていた。


 やがて車は玄関前の車寄せへ到着し、男性職員がすぐにドアを開ける。


「お疲れさまでした」


 麻衣はすぐには降りず、一度だけ周囲を確認する。

 そして美咲へ視線を向けた。


「美咲、先に」

「う、うん」


 美咲を先に降ろし、自分は最後に車を降りる。

 その一連の動きを見ていた楓は、麻衣が最後まで警戒を解いていないことを改めて実感した。


 職員に案内され、三人は官邸内へ入った。

 正面玄関のある二階のエントランスホールには静かな空気が流れ、木や石を基調とした落ち着いた空間が広がっている。

 柔らかな自然光が大きなガラス越しに差し込み、華美ではないものの、日本らしい品格が感じられた。


「すごい……」


 美咲は思わず辺りを見回す。

 職員たちは楓へ軽く会釈し、楓も短く返礼した。


「少々お待ちください」


 楓は二人へそう告げると、近付いてきた官邸職員のもとへ歩み寄る。

 二人は小声で短く言葉を交わし、職員は手元の資料を確認しながら何度か頷いた。

 やがて楓は「承知しました」と小さく答え、二人のもとへ戻ってくる。

 その表情には、どこか申し訳なさそうな色が浮かんでいた。


「申し訳ありません。現在、総理は国会で審議中です。審議が予定より少し長引いておりまして、お戻りになるまで一時間ほどかかる見込みです」

「一時間?」


 美咲は驚いたように目を丸くした。

 楓は申し訳なさそうに頭を下げる。


「お待たせしてしまい、大変申し訳ございません。その間、この総理官邸をご案内させていただければと思います」


 美咲は一瞬驚いたあと、表情を明るくした。


「えっ、本当にいいんですか?」

「はい。総理からも、そのように申し付かっております」


 楓は微笑みながら頷く。

 美咲は嬉しそうに麻衣を見る。


「ねぇ麻衣、官邸の中を見学できるんだって!」


 麻衣は小さく肩をすくめた。


「そうだね。せっかくだし、お言葉に甘えようか」


 その返事を聞いた楓は安堵したように微笑み、職員へ軽く合図を送る。

 職員は静かに一礼し、案内役として三人の前へ立った。

 楓はその隣へ並び、ゆっくりと歩き始める。


「現在の総理官邸は二〇〇二年に完成しました。日本の伝統的な素材である木や石、ガラス、和紙などを取り入れ、『竹』と『石』を建物全体のデザインコンセプトとしております。派手さではなく、日本らしい落ち着きと機能性を重視した造りになっています」


「テレビで見るよりずっと広い……」


 美咲は高い吹き抜けを見上げ、ゆっくりと辺りを見回した。

 温かみのある木材と自然光が調和した空間は、テレビ越しでは伝わらない落ち着きを感じさせる。


「それでは、まず一階をご案内いたします」


 一行はエレベーターで一階へ降りた。

 廊下を少し進むと、大きなガラス越しに一つの部屋が見えてくる。

 演台と国旗、その前には記者席が整然と並んでいた。

 テレビで何度も目にした光景が、そのまま目の前に広がっている。


 楓が足を止める。


「こちらが記者会見室です。総理や官房長官が、重要な発表や記者会見を行います」


 麻衣は会見室を一瞥すると、演台ではなく左右の出入口へ視線を向けた。

 楓はその視線に気付き、小さく首を傾げる。


「何か気になりますか?」

「記者席じゃなくて、出入口の配置が気になっただけ」


 楓は思わず苦笑した。


「わぁ……。ニュースで見る場所だ!」


 美咲はガラス越しに中を覗き込み、目を輝かせた。


「ここで毎日会見してるんだ……」

「はい」


 楓は微笑みながら頷き、次の場所へ進む。

 少し歩いたところで、一か所を示した。


「この真下、地下には危機管理センターがあります」

「危機管理センター?」

「災害や大規模事故、有事の際には、ここへ政府関係者が集まり、対策本部が設置されます。一般の方はもちろん、関係者であっても許可なく立ち入ることはできません」


 麻衣は床へ視線を落としたあと、周囲の壁を静かに見渡した。


「どうしたの?」

「地下施設なら、耐震や独立電源も考えられてるはずだから」


 楓は少し驚いたように麻衣を見る。


「その通りです。非常用電源なども含め、災害時でも機能を維持できるよう設計されています」

「そんなところまで考えるんだ……」


 美咲は感心したように呟いた。

 案内役の職員はエレベーターへ一行を導き、カードキーを操作した。


「続いて二階をご案内いたします」


 扉が開くと、一行は再びエレベーターへ乗り込む。

 二階へ到着すると、広々としたホワイエの向こうに大ホールが広がっていた。

 高い天井と開放的な空間が印象的で、落ち着いた色合いの内装が官邸全体の雰囲気と調和している。


 楓が歩きながら説明を続けた。


「こちらは大ホールです。国際会議や政府主催の式典、各種行事など、多目的に使用されています」

「テレビでは見たことがない場所だけど、こういう行事に使われているんですね」


 美咲は興味深そうに辺りを見回す。

 その隣には小ホールがあった。


「こちらは小ホールです。比較的小規模な会議や打ち合わせなどに利用されています」

「国際会議って、本当に官邸で開かれるんですね」


 美咲は感心したように室内を眺めていた。

 一方の麻衣は、広いホールそのものよりも、非常口や避難経路、廊下の分岐を自然と目で追っていた。

 楓もその視線に気付いていたが、今度は何も言わず、そのまま案内を続ける。


 ホワイエを抜けると、職員はゆっくりと足を止めた。

 一行の前には、二階と三階を結ぶ幅広い階段が伸びている。

 赤い絨毯が敷かれたその階段は、テレビでも何度となく目にした場所だった。


「こちらは、内閣発足時の記念撮影が行われる階段です」

「あっ!」


 美咲がすぐに思い出したように声を上げた。


「テレビで、新しい大臣のみなさんが並んで写真を撮る場所ですよね!」

「はい。新しい内閣が発足すると、総理大臣と閣僚の皆様がこの階段へ並び、記念撮影を行います」

「テレビの向こう側に来ちゃったみたい」


 美咲は嬉しそうに階段を見上げていた。

 記念撮影用の階段を見学したあと、一行は再びエレベーターへ戻る。

 職員がカードキーを操作し、扉を開いた。


「続いて四階をご案内いたします」


 一行はエレベーターへ乗り込み、四階へ向かった。

 扉が開くと、これまでとは少し空気が変わる。

 落ち着いた静寂が廊下を包み、政府中枢らしい緊張感が自然と伝わってきた。


 楓は最初の部屋の前で足を止める。


「こちらは閣僚応接室です。閣議の前後に、閣僚の皆様が懇談や打ち合わせを行う部屋になります」


 室内には木材が多く使われ、日本らしい落ち着いた雰囲気が漂っていた。


「すごく和風なんですね」

「はい。官邸全体が、日本らしさを大切にした設計になっています」


 その隣には重厚な扉があり、楓は静かに視線を向けた。


「こちらが閣議室です。ここで閣議が開かれ、日本政府としての重要事項が決定されます」

「ここで日本のことが決まっていくんだ……」


 美咲は自然と表情を引き締め、扉の向こうへ思いを巡らせた。

 さらに廊下を進み、大会議室の前で足を止める。


「こちらは大会議室です。各種政府会議や来賓との会合などで使用されています」


 美咲は何度も頷きながら、その説明へ熱心に耳を傾けていた。

 四階の案内を終えると、一行はそのまま五階へ向かった。


 到着すると、それまでの階とは少し違う静けさが漂っていた。

 人の往来は少なく、すれ違う職員も自然と声を潜めている。

 その空気につられるように、美咲も無意識に声を落とした。


「なんだか……空気まで違う気がする」


 楓は歩調を緩めながら説明を続ける。


「五階は総理執務室や官房長官室など、官邸の中枢機能が集まっているフロアです。重要な執務を行う場所ですので、関係者以外が立ち入る機会はほとんどありません」


 美咲は自然と背筋を伸ばした。

 やがて一つの重厚な扉の前で、楓が足を止める。


「こちらが総理執務室です」


 美咲は思わず息を呑む。


「ここが……」

「もちろん中へはご案内できませんが、総理はここで日々の執務や各省庁からの報告を受け、国内外の重要案件について判断されています」


 楓は扉を見つめ、小さく続けた。


「私も、この前を通るたびに気が引き締まります」

「きっと、すごく忙しい場所なんだろうね……」


 美咲は静かに頷いた。

 麻衣も重厚な扉へ視線を向ける。


 扉の向こうにいる人物が、自分へ何を尋ね、どのような判断を下そうとしているのか。

 表情には出さないまま、麻衣はこれから始まる話し合いについて考えていた。


 少し進むと、今度は別の応接室の前で楓が立ち止まる。


「こちらが総理応接室です。海外の首脳や各国の要人との会談などに使用されます」

「外国の大統領とかも来るんですか?」


 美咲が目を輝かせる。


「はい。テレビでご覧になる首脳会談も、こちらや公邸で行われることがあります」

「すごい……」


 美咲は感心したように何度も頷いた。

 そのまま廊下を進み、楓はもう一つの部屋を示す。


「こちらが官房長官室です。官房長官は内閣全体の調整役として、各省庁との連携や危機管理、記者会見など幅広い役割を担っています」

「毎日テレビで記者会見してる人ですよね?」

「はい。総理を支える、とても重要な役職です。そして国民への説明も、大切な仕事の一つです」

「なるほど……」


 美咲は納得したように頷いた。

 さらに歩くと、大きなガラス窓の前へ案内される。

 窓の向こうには、白い砂利と自然石、緑が美しく調和した石庭が広がっていた。


「きれい……」


 思わず美咲が足を止める。

 都会の中心とは思えないほど静かな空間が、窓の向こうに広がっていた。

 楓も石庭へ視線を向ける。


「この石庭は、官邸の設計に取り入れられた日本らしい『和』を象徴する空間の一つです」

「さっきまで官邸を歩いてたのに、不思議と静かな気持ちになるね」


 美咲が微笑む。

 その隣で、麻衣も石庭へ視線を向けた。


「……きれいだね」


 その表情は、これまでより少しだけ柔らかく見えた。

 ぽつりと漏れた一言に、美咲が驚いたように振り返る。


「麻衣が景色を褒めるなんて珍しい」


 麻衣は少し照れたように肩をすくめた。


「たまにはね」


 楓も穏やかに微笑み、その様子を静かに見守っていた。

 官邸内の案内を終えると、一行は再び四階へ戻る。


 職員が重厚な木製扉の前で立ち止まり、静かに一礼した。


「こちらが特別応接室になります」


 扉がゆっくりと開かれる。

 室内は落ち着いた色調でまとめられ、ゆったりとしたソファと大きなテーブルが置かれていた。

 窓からは柔らかな陽光が差し込み、静かで品のある空間が広がっている。


「本日は、こちらでお待ちください」

「ありがとうございます」


 三人が席へ着くと、ほどなくして職員がお茶と和菓子を運んできた。

 煎茶や抹茶とともに、羊羹や練り切りなどの季節の和菓子が丁寧に並べられていく。


「どうぞ、ご自由にお召し上がりください」


 美咲は目を丸くした。


「全部いただいていいんですか?」


 楓は微笑む。


「もちろんです」

「いただきます!」


 嬉しそうに和菓子へ手を伸ばす美咲を見て、楓の表情も自然と和らいだ。

 一方の麻衣は和菓子を一口だけ口へ運び、味わうように数秒待ってから、ようやく普通に食べ始めた。

 その慎重な仕草を見た楓は、ここまで来ても習慣は変わらないのだと静かに思う。


 和菓子を味わいながら待っていると、やがて廊下の外が少しずつ慌ただしくなり始めた。

 行き交う職員の足音が増え、短い連絡の声が聞こえてくる。

 その時、楓のインカムへ連絡が入った。


「……承知しました」


 楓は立ち上がり、二人へ向き直る。


「総理がお戻りになりました」


 美咲は思わず姿勢を正す。

 麻衣も静かに湯呑みを置き、応接室の扉へ視線を向けた。


 やがて複数の足音が近付き、応接室の前で静かに止まる。

 次の瞬間、重厚な扉の取っ手が静かに動いた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


少しでも「面白かった」と思っていただけましたら、

ブックマーク・★評価・リアクション・一言感想の

どれか一つでもいただけると、とても励みになります。


ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。