第6話 お迎えは……総理官邸から
放課後。
校門のすぐ近くには、黒塗りの高級車が二台停車していた。
黒塗りの車体は夕日に照らされ、鈍く光っている。
目立つ二台の車を見て、下校する生徒たちは「あれ誰の車?」「芸能人?」などと噂しながら横を通り過ぎていく。
「今日はこのあと寄り道して帰る?」
「うーん、特に用事ないかな」
「じゃあ駅前で新作アイスでも食べて帰ろうよ」
「また期間限定?」
「もちろん」
「美咲、本当に限定って言葉に弱いよね」
「だって、今しか食べられないんだよ?」
「はいはい」
笑い合いながら校門を出た麻衣と美咲は、そこに停まっていた二台の黒塗りの高級車へ目を向けた。
「すごい車だね」
「誰かお偉いさんでも来てるんじゃない?」
二人が車の前を通り過ぎようとしたその時、一台の後部座席のドアが静かに開いた。
中から降りてきたのは、仕立ての良い黒いスーツに身を包んだ女性だった。
さらにもう一台の車からも、同じく黒いスーツ姿の男性二人が降りてくる。
男性たちは周囲を一度だけ見回すと少し距離を空けて立ち、女性だけが麻衣たちへ歩み寄った。
女性は柔らかな笑みを浮かべ、二人の前で足を止めた。
「加山麻衣さんですね」
「……はい?」
怪訝そうに答えながらも、麻衣の視線は女性だけでなく背後の二人にも向けられる。
立ち位置、距離、周囲の人の流れ。
逃げ道も塞がれていないことを確認すると、初めて女性へ向き直った。
女性は胸元から認証手帳を取り出し、刑事ドラマのように開いて見せる。
「失礼しました。私は内閣情報室・特別対策班の佐々木楓と申します」
その言葉に美咲の表情が一変した。
「えっ……内閣?」
一方の麻衣は表情一つ変えない。
「それで、何か?」
穏やかな口調は変わらない。
だが、その瞬間、重心だけは静かに落ち、いつでも動ける態勢へ移っていた。
その変化を見た楓は、報告書の内容を思い出す。
博物館の解析データには、三メートル近い怪物へ迷いなく飛び込み、倒す少女の姿が何度も映っていた。
目の前にいるのは、その少女本人だった。
楓は敵意がないことを示すように、両手を軽く広げた。
「ご安心ください。危害を加える意思は一切ありません」
「……では?」
麻衣は黙ったまま楓を見つめる。
その視線を受けた楓は静かに息を整えた。
「博物館で起きた件について、改めてお話を伺いたく参りました」
「ああ」
麻衣は小さく頷いた。
「警察の方が、後日また話を聞きたいとは言っていましたね」
少しだけ首を傾げる。
「……警察ではないんですね」
「え? ええ」
思わず間の抜けた返事をしてしまい、楓は苦笑した。
その時だった。
周囲にはいつの間にか足を止める生徒が増え、小さな人だかりができ始めていた。
「黒塗りの車だ」
「テレビの撮影?」
「誰か事件でも起こしたのか?」
騒ぎを聞きつけた教師まで校門へ出てきており、男性教師の一人が生徒たちへ「学校が許可しています。立ち止まらずに帰りなさい」と説明している姿も見える。
楓はその様子を見て申し訳なさそうに頭を下げた。
「学校には事前にご説明し、ご了解もいただいております。ただ、このままでは皆さんにも学校にもご迷惑をお掛けしてしまいます。できれば場所を移してお話しできればと思うのですが」
その言葉に美咲が一歩前へ出た。
「私も行きます」
「美咲」
「だって、あの日は私も一緒にいたし」
真っ直ぐ麻衣を見つめる。
「麻衣、一人じゃ行かせないから」
麻衣は小さく息を吐いた。
「……はぁ」
こう言い出した美咲は絶対に折れない。
幼い頃から誰よりも知っている。
「……美咲も構いませんか?」
楓はすぐに微笑んだ。
「もちろんです」
黒いスーツ姿の男性の一人が静かに後部座席のドアを開ける。
「こちらです」
二人は楓と同じ車へ案内され、車両に乗り込む。
麻衣は車へ乗り込む直前まで男性二人の位置を確認し、最後に美咲を先に乗せてから自分も車内へ入った。
ドアが静かに閉まり、黒塗りの車はゆっくりと学校を後にした。
その頃。
騒ぎを聞きつけた奈緒と優香が、部活を途中で抜け出して校門まで走ってきた。
しかし着いた時には、ちょうど車が発進するところだった。
「えっ!? 黒塗りの高級車!?」
奈緒が目を丸くする。
優香は車を見送りながら笑った。
「完全にドラマじゃん」
「麻衣って実はどこかのお嬢様だったり?」
「だね。庶民の私たちには縁がない世界だ」
「いやいや、秘密組織にスカウトされたんじゃない?」
「……どっちもドラマすぎる」
「ま、何があっても麻衣がいるしね」
「だね」
二人は笑い合いながら、遠ざかっていく黒塗りの車をいつまでも見送っていた。
車が静かに走り出してからしばらくの間、誰も口を開かなかった。
車内にはエンジン音だけが小さく響き、窓の外の景色だけがゆっくりと流れていく。
後部座席はリムジンを思わせる対面式になっており、麻衣と美咲は並んで腰を下ろし、その向かいには楓が座っていた。
麻衣は無言のまま車窓へ視線を向け、美咲は膝の上で両手を重ねたまま、落ち着かない様子で座っていた。
初めて乗る高級車よりも「内閣情報室」という言葉が気になるらしく、車内を見回す余裕もない。
楓は二人の表情を見比べながら、小さく息を吐いた。
何度か話しかけようと口を開きかけるものの、この空気で世間話を始める勇気はなく、そのたびに言葉を飲み込んでしまう。
ふと視線を落とした先に、足元へ備え付けられた車載冷蔵庫が目に入った。
楓は小さく頷くと冷蔵庫を開け、中からペットボトルや缶飲料を取り出す。
「どうぞ。よろしければ、お飲みください」
差し出された飲み物を見て、美咲は遠慮がちにオレンジジュースを受け取った。
「ありがとうございます」
蓋を開けて一口飲んだ瞬間、その表情がぱっと明るくなる。
「このオレンジジュース、おいしい!」
その無邪気な声に、車内の空気が少しだけ柔らいだ。
一方の麻衣も飲み物を受け取ると、キャップの封が切られていないことを確認してから、静かに蓋を開ける。
口元へ運ぶ前に一度だけ香りを確かめ、小さく口を付けた。
「……ほんとに」
短く呟き、今度は普通に飲み始める。
その一連の仕草を見ていた楓は、思わず目を瞬かせた。
未開封であることを確認したうえで、さらに香りまで確かめる。
それを特別なことではないというように、ごく自然な動作として行っていた。
博物館で見た映像の少女が、今は目の前で普通にジュースを飲んでいる。
そのギャップに、楓は思わず目を細めた。
やがて車は高速道路へ入り、街並みは次第に後方へ流れていく。
窓の向こうには高架道路が続き、その先には都心の高層ビル群が少しずつ近づいてきた。
その景色を眺めていた麻衣が、ようやく静かに口を開く。
「で? どこまで行きます?」
探るような視線が楓へ向けられる。
楓は視線を逸らさず、落ち着いた口調で答えた。
「総理官邸です」
「えっ!? 総理官邸!?」
美咲が驚いて思わず身を乗り出す。
しかし麻衣だけは驚いた様子もなく、窓の外へ一度だけ視線を向けてから小さく息を吐いた。
「自衛隊駐屯地だと思っていた」
その一言に、美咲は目を丸くする。
「えっ?」
美咲の声に、楓は苦笑しながら首を横へ振った。
「そんなことはありません。少なくとも、武力で解決できる相手だとは考えていません」
「麻衣って、そんなになの!?」
美咲は信じられないという表情で麻衣と楓を交互に見比べる。
麻衣は呆れたように肩をすくめ、小さく笑った。
「ゴジラじゃないんだから」
「……ですよね」
反射的に頷いた楓は、その一言が本音だったことに気付き、慌てて姿勢を正した。
「い、いえ、その……」
必死に言い直そうとする楓を見て、麻衣は小さく笑う。
「まあ、本音が聞けて良かった」
その言葉に楓は返す言葉を失い、額には冷や汗が浮かんだ。
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