第5話 月曜日の事情聴取
月曜日の朝。
目覚ましが鳴るより少し早く、麻衣は目を覚ました。
天井を見つめたまましばらく動かず、小さく息を吐く。
痛みもないし骨折も治っている。
あれだけ吹き飛ばされたとは思えないほど普通であり、身体的にはまったく問題ない。
「……学校、行きたくない」
枕元のスマホが震える。
奈緒
『逃げるなよ』
美咲
『登校確認します』
優香
『説明資料作ったか?』
美咲
『来なかったら家に行くから』
グループチャットを見た麻衣は数秒固まり、そのままスマホを顔の上へ落とした。
「うお、いたっ!」
額を押さえながら、布団の中でしばらく悶える。
「……なんで朝から本気なんだよ……」
布団へ潜り直しながら仮病を考えてみる。
頭痛、腹痛、風邪。思いつくものを順番に並べてみるが、昨日病院へ行っている以上、どれも説得力がなかった。
そもそも美咲なら本当に家まで来そうである。
校門どころか玄関まで迎えに来ても不思議ではなく、仮病を使ったところで逃げ切れる気がしない。
「……詰んでる」
天井を見上げたまま小さく息を吐く。
「……逃げ道ないじゃん」
諦めて起き上がり、制服へ着替えて鏡の前に立つ。
鏡の中の自分には傷も痣も残っておらず、昨日の出来事を示すものは何一つ見当たらない。
あれだけ吹き飛ばされて骨まで折れたはずなのに、今こうして普通に制服へ袖を通していることの方が、むしろ現実味がなかった。
「……ほんと、最悪」
鞄を肩へ掛けて家を出る。
母親との会話も、朝食の味も、ほとんど覚えていなかった。
いつもの通学路を歩いていても気分は重く、できることなら途中で引き返したかった。
今からでも引き返せる。
休むって言い張ることだってできる。
だが、その場合はたぶん美咲が家まで来る。
奈緒は面白がり、優香は絶対に笑う。
そんな未来が簡単に想像できてしまった。
そして校門が見えた瞬間、麻衣の足が止まる。
「……やっぱりいた」
美咲だった。
しかも奈緒と優香までいる。
「……何してるの」
美咲は少し視線を逸らす。
「待ってた」
「なんで」
「……何となく」
「何となくで校門待機?」
奈緒が笑う。
「逃亡防止」
「犯罪では?」
「未遂だからセーフ」
「その理屈初めて聞いた」
優香が笑って手を振る。
「おはよ」
美咲は小さく頷く。
「逃げなかった」
「逃げられると思ったんだけど」
「無理」
三人とも妙に機嫌がいい。
麻衣だけが重い足取りで昇降口へ向かった。
四人が連れ立って教室へ入ると、昨日の事故を知っている何人かのクラスメイトが声を掛けてきた。
「ニュース見たよ。みんな大丈夫だった?」
「私は平気」
「私も」
「擦り傷だけ」
三人がそれぞれ答えるなか、麻衣は曖昧に視線を逸らした。
三人は適当に返事を返し、それぞれ自分の席へ向かった。
しばらくすると、前の席の美咲がゆっくり振り返った。
そして目が合う。
「何」
「……別に」
「見てたよね?」
「見てない」
「見てた」
少し沈黙が流れる。
「……確認」
「何の」
「……分かんない」
「分からないの?」
「うん」
美咲は少し困ったように笑う。
「何か変」
「それはこっちの台詞なんだけど」
美咲はそれ以上何も言わず、前を向いた。
麻衣も追及しない。
午前中の授業はほとんど頭に入らなかった。
黒板を見ていても、ノートを取っていても、昨日のことが何度も頭をよぎる。
休み時間になっても美咲は特に何も言わない。
奈緒も優香もいつも通りで、昨日の出来事がまるで夢だったような空気さえあった。
何も聞かれないのが、逆に落ち着かなかった。
昼休みのチャイムが鳴る。
その瞬間、美咲が立ち上がった。
「行くよ」
「どこに」
「事情聴取」
「拒否権は?」
「ない!」
「二回目なんだけど」
奈緒はノートを持ち、優香はペンを持っている。
「何それ?」
「議事録」
「やめろ!!」
気付けば半ば強引に空き教室へ連れて来られていた。
四人が机を囲んで座ると、奈緒が咳払いした。
「それでは事情聴取を開始します」
「始まった……」
優香が周囲を見回した。
「で、資料は?」
「……何?」
「説明資料」
「朝聞いた。作ったかって」
「作ってない」
「なんで」
麻衣は数秒黙る。
「あるわけないだろ!」
思わず机を叩いた。
「昨日死にかけたんだけど!?」
「一緒に病院、いったよね」
「いった!」
「帰宅後は?」
「寝た!」
「資料作成時間」
「ない!」
奈緒がノートへ書き込む。
『説明資料:提出期限超過。忘れ物』
「書くな!」
奈緒はその下へ追記した。
『提出遅延理由:死にかけたため』
「そこまで書く!?」
奈緒は少しだけ考える。
『理由:やむを得ず』
「学校の提出物じゃない!!」
奈緒はさらに一行書き足した。
『再提出期限:明日昼休み。未提出の場合、追加事情聴取』
「締め切るな!! そして勝手に制度作るな!!」
麻衣はそのノートをじっと見つめた。
「……そのノート、燃やしていい?」
奈緒は顔も上げずに答える。
「証拠隠滅」
「だから事件扱いするな!!」
優香が頷く。
「犯人っぽい」
「違う!!」
美咲が小さく手を挙げる。
「では口頭説明でお願いします!」
「なんで会議になってるの……」
優香がペンを構えた。
「まずは回復から」
「優先順位おかしくない?」
美咲は真顔で麻衣を見る。
「そこが一番怖かった」
麻衣は諦めたように息を吐く。
「あれはヒール。回復魔法」
「どこまで治るの?」
「傷とか骨折とか」
三人が止まる。
「骨折?」
美咲が目を見開く。
「やっぱり折れてたの?」
「そこ?」
美咲が机を叩く。
「やっぱり折れてたんじゃん!」
「いや、そこじゃなくて」
「骨!」
奈緒が書く。
『ヒール:骨折治療可能』
「記録するな」
「他人にも使える?」
奈緒の質問に麻衣は頷いた。
「使える」
「ほんと?」
「うん」
「骨折も?」
「治る」
「傷も?」
「治る」
そこで美咲が首を傾げた。
「……あ」
嫌な予感がした。
「小学校二年の時」
「待って!」
「ジャングルジムから落ちた時」
「待て!!!」
「私、腕折ったよね? たぶん」
「たぶん?」
「病院行ったし」
「診断覚えてないの?」
「小二だよ?」
奈緒が頷く。
「まあ覚えてないか」
「でも病院行く前にはもう痛くなくなってたんだよね」
「……」
「お母さんが『さっきまで泣いてたのに』ってびっくりしてた」
沈黙。
奈緒と優香がゆっくり麻衣を見る。
「黙秘」
「やっぱり、やっぱりなんだ。あの時は気のせいって言われた」
「黙秘」
優香が手を挙げた。
「癌は?」
「急に重い!」
「治せる?」
麻衣は少し考える。
「……やったことない」
「でも?」
「分からない。怪我を治すのとは違うから」
三人が固まる。
「待って!!!」
「それ大発見では?」
「知らないよ。やったことないし」
麻衣は少しだけ眉をひそめる。
「怪我と違って病気は分からない。治る保証なんてないからね」
奈緒が書き込む。
『癌:未確認(重要) 成功すれば世紀の大発見!』
「だから書くな」
奈緒はさらに書き足す。
『倫理審査必須。国家管理案件』
「勝手に審査するな! 話が大きくなってる!!」
優香が小さく手を挙げる。
「じゃあ試せないね」
「試す相手がいないでしょ! 治る保証もない。だから絶対に試さない」
麻衣は即答した。
奈緒が頷く。
「却下、と」
「だから議事録にするな!」
美咲が再び小さく手を挙げる。
「月一の痛みは?」
「……何?」
「あれ」
「ああ……」
数秒沈黙する。
「無理」
「即答」
「怪我でも病気でもないから」
「万能じゃないんだ」
「万能じゃない」
優香が安心したように頷く。
「よかった」
「何が?」
「女子の敵にならなくて……」
「意味が分からない!」
奈緒が、そっと議事録のノートを閉じた。
「休憩」
「休憩あるの!?」
「五秒」
……
「終わり」
「早っ!!」
奈緒が再びノートを開いた。
「次」
「まだあるの?」
「いっぱいある」
そう言って、奈緒がノートに書いてあったことを一気に読み上げる。
「速かった。強かった。剣が光った。服が直った。血が消えた。全部見た!!」
麻衣は額を押さえた。
「……全部見られてるじゃん」
麻衣は仕方なく語り始める。
「あれはフィジカル・ブースト。身体強化」
「ずるくない?」
「仕方がないでしょ!」
「消えたのは?」
「クイック・アクセル。高速移動」
「瞬間移動じゃないの?」
「違う」
「見えなかった」
「そう! 普通に見えなかった」
「瞬間移動かと思った」
「いや、あれでも走ってる」
「速すぎる。原理説明求む」
「説明できるか!」
優香が頷く。
「じゃあ陸上全国一位! いや、オリンピック確定! 友人にメダリストがいるって一生自慢できるじゃん!」
「そういう問題じゃない!」
「剣は?」
「エーテルソード」
「格好いい」
優香がうっとりした表情で言った。
「そこ?」
「重要」
「展示の剣が壊れなかった」
「ハードニング」
「効果」
「硬化」
「便利」
「便利で片付けるな!」
奈緒が真顔で書く。
『文化財保護』
「違う」
優香も頷く。
「国宝修復にも使える」
「用途を増やすな」
「服」
「リペア・クロス」
「血」
「クリーン」
奈緒の手が止まる。
「待って」
「何?」
優香が身を乗り出す。
「クリーン教えて!!」
「は?」
「お風呂いらないじゃん!」
「そこ?」
「体育や部活のあと、汗を気にしなくていい!」
「教えて!!!」
「無理」
「なんで?!」
「魔法だから」
「そこを何とか!」
「何ともならない」
優香は満足したように頷いた。
「確かに便利」
奈緒は真顔だった。
「女子更衣室革命では?」
「革命起こすな!!!」
「エーテルソードより欲しい」
「ヒールより?」
「クリーン」
「身体強化より?」
「クリーン」
麻衣は額を押さえる。
「なんで生活魔法が最強なの……」
優香は真顔だった。
「毎日使うし、洗濯物なくなるよ?」
「無理」
「掃除は?」
「無理」
「人生変わるのに」
「変わらない!」
奈緒も頷く。
「でも実用性なら圧勝!」
「評価基準がおかしい!!」
しばらく沈黙が流れ、美咲だけが静かに口を開いた。
「ヒールって痛いの?」
教室が静かになる。
「……痛い」
「どのくらい?」
「かなり」
「骨戻る時?」
「うん」
美咲は黙り、奈緒があきれた表情で言う。
「それ聞く?」
優香も同じく、美咲にあきれながら言う。
「そこなの?」
美咲は真顔だった。
「だって骨折したんでしょ」
麻衣は額を押さえる。
「なんで誰も魔法の方を気にしないの……」
「気になるよ?」
「かなり気になる」
二人は答えるが美咲だけは首を振った。
「でも怪我したじゃん」
昼休み終了のチャイムが鳴り、奈緒はノートを閉じる。
「本日の事情聴取は、ここまで!」
三人が満足そうに頷く。
「「「ありがとうございました!」」」
「ありがたくないけど……」
美咲が麻衣に振り返る。
「次回もあります」
「続くの?」
「当然! まだ魔法、教えてもらってないし」
奈緒がノートを見る。
「議題、あと十二項目」
「そんなにあるの!?」
優香も覗き込む。
「ほんとだ」
奈緒は淡々と読み上げる。
「議題二、身体強化の効果・効能。議題三、高速移動のやり方。議題四、剣が光った理由――」
「読むな!!」
美咲が笑う。
「全部聞くよ?」
奈緒はノートを閉じた。
「今日はここまで」
「……終わった」
麻衣が安堵の息をついた直後、奈緒が口を開く。
「続きは明日」
「毎日やる気!?」
「当然」
「連載か!!」
美咲と優香が顔を見合わせて笑う。
「楽しみ」
麻衣は天井を見上げた。
「終わらない……」
教室へ戻る途中、美咲が隣へ並ぶ。
「でもよかった」
「何が?」
「……もう、私たちにまで隠して、一人で抱え込まなくていいなら安心」
そう言って少しだけ笑うと、美咲は前へ歩いていった。
魔法も見られたし、戦う姿も隠し切れなかった。
あれで全部終わったと思っていたのに――。
結局、美咲が最後まで気にしていたのは、魔法のことではなかった。
「……意味分かんない」
「何か言った?」
「別に」
午後の授業開始を告げるチャイムが鳴り、いつもの学校生活が再び動き始めた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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