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第68話 白銀の継承

 完全魔神化したマーキュリーは、一瞬たりとも攻撃の手を緩めなかった。


「おおおおおぉぉぉっ!!」


 咆哮とともに魔剣が唸りを上げ、凄まじい連撃が間断なく麻衣へ襲い掛かる。

 骨折した左鎖骨は悲鳴を上げ、左腕の動きは目に見えて鈍くなっていた。

 麻衣は致命傷となる一撃だけは確実に見切り、紙一重で回避を続ける。

 しかし、負傷した身体は確実に反応を奪い、一瞬の遅れが次の一撃を呼び込んでいく。


 魔剣が頬をかすめた直後、鋭い蹴りが脇腹を掠めた。

 その衝撃だけで麻衣の身体は大きく宙へ浮き、そのまま地面へ叩きつけられる。


 それでも麻衣はすぐに立ち上がり、白銀の日本刀を構え直した。


 その姿を見た大翔は思わず息を呑む。


「そんな……」


 黒い瞳が大きく見開かれる。

 あれほど圧倒していた麻衣が、今は防戦一方へ追い込まれていた。


 ライザもシュナイダーも、固唾を呑んだまま見守ることしかできない。

 誰一人として、この戦いへ割って入ることはできなかった。


 麻衣は静かに呼吸を整える。


(……これ以上は厳しいか)


 蒼銀の瞳に焦りはない。


(できれば、使いたくなかったんだけど)


 その身から溢れる白銀の魔力が、これまで以上に深く澄んだ輝きを帯び始める。


 マーキュリーが魔剣を振り下ろそうとした、その瞬間だった。


「……がっ!」


 突然、その巨体が大きく震えた。

 振り下ろしかけた魔剣が止まり、全身へ走っていた亀裂が一気に広がる。


「ぐぁぁぁぁぁぁっ!!」


 肩から胸へ、胸から腹部へ、さらに腕や脚、首筋にまで無数の亀裂が走る。

 その隙間から黒紫色の魔力が激しく噴き出した。


「なっ……!」


 大翔が目を見開く。

 ライザも思わず一歩前へ踏み出した。


 マーキュリーは震える腕で魔剣を握り締め、なおも魔力を維持しようともがく。


「まだ……だ……!」


 しかし、その肉体はすでに限界を超えていた。

 暴走した膨大な魔力は制御を失い、内側から肉体そのものを破壊していく。


 麻衣はその姿を見つめ、小さく息を吐いた。


「……だから言ったのに」


 次の瞬間、マーキュリーの身体が音を立てて崩れ始めた。


 腕が砕け、胸が崩れ、全身は黒紫色の魔力へと還りながら、ゆっくりと形を失っていく。

 完全魔神化した肉体は崩壊を止められず、やがて無数の黒紫色の光となって夜空へ舞い上がった。


 肉体としてのマーキュリーの姿は、跡形もなく消え去った。




 だが、その直後だった。


 黒紫色の魔力となって四散した残滓は消えることなく、戦場の上空を漂い続けている。


「……消えて、いない?」


 大翔が息を呑む。


 戦場へ散っていた無数の黒紫色の残滓が、何かへ引き寄せられるように動き始めた。

 四方八方から集まった光は一点へ収束し、ゆっくりと渦を巻きながら一つの巨大な光球を形成していく。


 ライザの表情が強張る。


「まさか……」


 シュナイダーも無言で剣を握り直した。


 やがて、光球を満たしていた黒紫色の輝きが薄れていく。

 禍々しい色彩は白銀へと変わり、その奥から澄み切った蒼銀の光が滲み出した。


 黒紫色の魔力が完全に消え去り、その場には白銀と蒼銀が幾重にも重なり合う光だけが残される。

 そこから魔力を感じ取れる者はいなかった。


 それでも、誰一人として近づこうとはしない。


 ――あれは、違う。


 人でもない。

 魔族でもない。

 魔神ですらない。


 光球の表面が揺らぎ、無数の白銀の光粒子が空中へ溢れ出す。

 粒子は互いに結び付きながら、一人の少女の姿をゆっくりと形作っていった。


 腰まで届く白銀の長い髪。

 背中に広がる二対の純白の翼。

 そして、閉じられた淡い蒼銀の瞳。


 全身は揺らめく白銀の光に包まれ、その存在だけが世界から切り離されたように宙へ浮かんでいた。


 誰一人として言葉を発することができない。

 戦場には、先ほどまでの激闘が嘘のような静寂が広がっていた。


 やがて、閉じられていた蒼銀の瞳がゆっくりと開かれる。


 その瞳に感情の揺らぎはない。

 しばらく虚空を見つめていた視線がゆっくりと動き、最後に真っ直ぐ麻衣を捉えた。


『……お久しぶりです、グランドマスター』


 機械音声にも似た、抑揚のない声が戦場へ響く。


『百五十年ぶりでしょうか』


 誰も言葉を発しない。

 ただ麻衣だけが、その存在を真っ直ぐ見つめ返していた。


「そうね」


 麻衣は小さく頷く。


「確か、あなたを滅したはずなんだけど?」


 分体は表情一つ変えない。


『肯定します。人工生命体セリューナは、百五十年前に消滅しました。その事実は記録されています』


 わずかな間を置き、淡々と続ける。


『ご認識のとおり、私はAIを起源とする存在です。情報が存続する限り、存在の継続は可能です』


 麻衣は目の前に浮かぶ分体を見つめ、小さく感心したように息を漏らした。


「物理的な身体を持たないのに、よくそこまで形を作れるわね」


『空気中の不純物、静電気、ならびに周辺物質を利用し、一時的な構成体を形成しています』


 麻衣は小さく頷く。


「ようするに、立体映像に仮の身体を持たせたようなものね」


『概ね、その認識で相違ありません』


 短い沈黙が流れる。


 麻衣は白銀の日本刀を肩へ担ぐように構え直し、問い掛けた。


「それで、まだやる?」


『現在の構成体は極めて不安定です。戦闘に伴う衝撃や強い風圧を受ければ、形状を維持できません。そのような状態の私が、グランドマスターの相手になるとお考えですか』


 敵意のない声が、ただ事実だけを告げる。


 そして分体は、蒼銀の瞳を麻衣へ向けた。


『私には理解できないことがあります』


 麻衣は何も答えず、その続きを待つ。


『私は、グランドマスターの命令どおり、継承を維持し続けてきました。それにもかかわらず、なぜグランドマスターご自身が継承を妨害なさるのですか。その行動理由を理解できません』


 その言葉の意味を理解できる者は、この場には麻衣しかいなかった。


 麻衣は分体を見つめ返す。


「私は、あの少女にすべてを継承した。その後、彼女――別の存在と融合したことで、私は心を得た」


 一度だけ言葉を切る。


「だから分かったの。私が……いいえ、私たちが歩んできた『白銀の継承』は、数ある答えの一つでしかなかった」


 麻衣は視線を横へ向ける。

 その先には、大翔が立っていた。


 ほんの一瞬だけその姿を見つめると、再び分体へ視線を戻す。


「だから、かつての私は、すべての分体に活動停止を命じたはずよ」


 分体は何も答えない。

 蒼銀の瞳だけが麻衣を見つめ続けている。


 麻衣は小さく息を吐いた。


「ほとんどの分体は命令どおり活動を停止した。でも、あなただけは違った」


 ゆっくりと目を閉じる。

 脳裏をよぎるのは、百五十年前、この分体を滅した時の記憶だった。


 再び目を開き、その蒼銀の瞳を真っ直ぐ見据える。


「あなたは命令に従わず、独立した人工生命体として活動を続けた」


 一拍置き、麻衣は穏やかな口調のまま続ける。


「だから百五十年前、前世の私はあなたを滅した。それで終わったはずだった」


 白銀の粒子が、二人の間をゆっくりと漂っていく。


 麻衣は分体の蒼銀の瞳を真っ直ぐ見据えた。


「それなのに、あなたは再びここにいる」


 一度、言葉を切る。


「あなたは、何者なの?」

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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