第62話 父娘の再会と魔国の真実
天幕の中では、一人の女性が机へ向かっていた。
机上には軍の配置図や報告書が幾重にも積まれ、その一枚へ静かに目を通していた。
「失礼いたします、ライザ様」
天幕へ入ったシュナイダーが一礼する。
「シュナイダーか」
ライザは書類から視線を外さないまま、穏やかな声で応じた。
「貴公のほうから私のもとを訪ねて来るとは珍しいな。こうして顔を合わせるのも、ずいぶん久しぶりではないか」
一枚の書類へ目を通し終えると、小さく息をつく。
「もう少しで終わる。すまんが、少し待っていてくれ」
そう言って再び書類へ視線を落とした、その時だった。
ライザの眉がわずかに動く。
「……ん?」
シュナイダー以外の気配へ気付いたように、ゆっくりと顔を上げる。
紅い瞳が天幕の入口へ向けられ、その先に立つ二人の姿を映した。
最初に麻衣へ視線を向けたあと、すぐに隣へ立つ大翔を見る。
その瞬間、ライザの動きが止まった。
紅い瞳が大きく見開かれる。
唇がわずかに震え、手にしていた書類を握る指先から少しずつ力が抜けていった。
「……そんな」
かすれた声が漏れる。
書類が指先から滑り落ち、乾いた音を立てて机の上へ散らばった。
それでもライザは大翔から目を離さない。
椅子が後ろへ押され、静まり返った天幕へ硬い音が響く。
「……あり得ない」
震える唇がゆっくりと開く。
大翔の顔、纏う魔力、その立ち姿を確かめるように何度も視線を動かしながら、やがて絞り出すようにその名を呼んだ。
「……お父様……?」
大翔は何も言わなかった。
ただ静かに、ライザを見つめ続ける。
ライザもまた、大翔から目を離せない。
麻衣とシュナイダーは、その様子を黙って見守っていた。
誰も口を開かない。
天幕を包む静寂だけが、ゆっくりと時を刻んでいく。
やがて、ライザの唇がかすかに震えた。
「……お父様……」
一度言葉が途切れる。
小さく息を吸い込み、震える声で問い掛けた。
「……お父様……なのですか?」
大翔は答えなかった。
そのまま静かに歩き出す。
一歩、また一歩。
足音だけが静かな天幕へ響く。
ライザはその場から動かない。
伸ばしかけた手は宙で止まり、その瞳だけが大翔を追い続けていた。
やがて大翔はライザの前で足を止める。
何も言わず、ただそっとライザを抱き寄せた。
「ライザ……久しぶりだ」
その一言が耳へ届いた瞬間、ライザの表情が大きく崩れた。
震えていた両手がゆっくりと大翔の背へ回り、その腕へ少しずつ力がこもっていく。
「……お父様……」
震える声が漏れる。
次の瞬間、ライザは大翔へ強くしがみついた。
「お父様……! お父様ぁ……!」
ライザは子どものように声を上げて泣いた。
大翔は何も言わない。
ただ娘の背へ静かに手を添え、優しく抱き締め続ける。
ライザは大翔の胸へ顔を埋めたまま、しばらく肩を震わせていた。
麻衣はその光景を見つめ、自然と口元を緩める。
シュナイダーは静かに目を伏せ、一歩だけ後ろへ下がった。
誰も言葉を発しない。
誰一人、その再会を邪魔しようとはしなかった。
ライザはしばらく大翔へしがみついたまま肩を震わせていたが、やがて少しずつ落ち着きを取り戻し、ゆっくりと身体を離した。
袖で涙を拭いながら、改めて大翔を見つめる。
その顔を上から下まで確かめるように眺めたあと、不思議そうに小さく首を傾げた。
「……お父様」
大翔は穏やかに見つめ返す。
「お父様……若返りましたか?」
その一言に、麻衣は思わず吹き出した。
「ふふっ……」
慌てて口元を押さえるが、笑みは隠しきれない。
大翔は小さく咳払いを一つすると、少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。
「……まあ、なんだ。一回死んでな。今は二度目の人生だ」
ライザは目を丸くした。
「……死んだ?」
「ああ」
大翔は静かに頷く。
「二十年前にな」
ライザはしばらく大翔を見つめていた。
「……そうですか」
静かにそう呟くと、やがて小さく笑う。
そして、もう一度だけ大翔へ抱きついた。
「今度は、どこにも行かないでくださいね」
大翔は困ったように笑う。
「……努力する」
ライザはじっと大翔を見つめた。
その視線に気付いた大翔は、小さく息をつく。
「約束すると、守れなかった時に怒られるからな」
その言葉に、ライザは思わず吹き出した。
「ふふっ……そうですね」
麻衣も笑みを浮かべる。
「久我くんらしいな」
シュナイダーも口元を緩めた。
ライザはもう一度だけ父の胸へ額を預ける。
大翔は何も言わず、その頭を優しく撫でた。
しばらくして、ライザはゆっくりと身体を離す。
そして改めて麻衣へ視線を向けると、麻衣と大翔を見比べ、不思議そうに小さく首を傾げた。
「……お父様」
大翔も首を傾げる。
「何だ?」
「そちらの女性は、新しいお母様ですか?」
その一言に、大翔の表情が固まった。
「なっ……!?」
慌てて両手を振る。
「ち、違う!」
その様子を見た麻衣は、小さく吹き出した。
「ふふっ、ごめんなさいね。でも、私ではないのよ?」
「麻衣さん!」
大翔が少し頬を赤くしながら抗議する。
麻衣は悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「だって、事実でしょ?」
大翔は返す言葉を失い、ますます顔を赤くする。
そんな二人を見比べていたライザは、小さく頷いた。
「そうでしたか」
一度だけ視線を落としたあと、ふっと微笑む。
「いつか、お会いしたいですわ」
大翔は返事ができず、困ったように苦笑した。
麻衣も口には出さなかった。
(……それは、複雑よね。相手が、はるなさんだから……)
大翔は小さく咳払いを一つした。
「……さて、本題に入っていいか?」
その一言に、麻衣がくすりと笑う。
「逃げたわね」
ライザも微笑みながら頷いた。
「逃げましたわね」
一瞬遅れて、シュナイダーが堪えきれずに吹き出した。
「くっ……ははっ……!」
大翔はじろりと三人を見渡す。
「……笑うな」
シュナイダーは慌てて口元を押さえたが、肩はまだ小さく震えていた。
天幕へ穏やかな笑いが広がる。
やがて笑いが落ち着くと、大翔は表情を引き締め、ライザへ視線を向けた。
「ライザ」
その声だけで、場の空気が静かに変わる。
「一つ聞きたい」
ライザも笑みを収め、真っ直ぐ父を見つめた。
「はい、お父様」
「なぜ人族へ宣戦布告した。それと、なぜ魔族がこれほどまでに増えている」
ライザは静かに息を吸い、小さく頷いた。
「……理由は二つございます」
一度だけ視線を伏せる。
「一つは、お父様がお亡くなりになったあと、人族の侵攻により、各地で亜人種への迫害や弾圧が激化したことです」
その表情が僅かに険しくなる。
「私は、それを見過ごすことができませんでした」
そして、もう一度父を見つめる。
「もう一つは……やはり、お父様の敵討ちですわ」
大翔は何も言わず、その言葉を静かに受け止めた。
ライザは続ける。
「お父様がお亡くなりになったあと、国は三つの勢力へ分裂しました」
一度言葉を区切る。
「ラーズベルト率いる軍閥貴族派。そして、ウイストン卿がまとめた門閥貴族派」
ライザは静かに続ける。
「当時の私は、まだ王としての求心力も十分ではありませんでした。私に従う者も決して多くなく、勢力としては最も小さな派閥でした」
そこでシュナイダーへ視線を向ける。
「ですが、シュナイダー将軍やガーランド将軍をはじめ、それまでの四大将軍が退いたあと、魔族から新たな四大将軍が選ばれました。その将軍たちが私への忠誠を誓い、それぞれが率いていた魔族の軍勢とともに、私の陣営へ加わってくださったのです」
ライザはゆっくりと地図へ視線を落とした。
「その時に加わった者たちが、そのまま現在の魔国軍の中核となっております。ですから、現在の魔国軍は魔族が主力となっております」
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