第58話 百五十年越しの帰還
第二防衛線中央。
戦いを終えた司令部天幕には、重苦しい静けさが漂っていた。
中央の机を囲むように、騎士団長、副官、麻衣、大翔、美咲、はるなの六人が席へ着いている。
天幕の外では、撤収準備や陣地整理に追われる兵士たちの足音が絶え間なく聞こえていた。
騎士団長は静かに口を開く。
「改めまして、王国を救っていただき、心より感謝申し上げます」
深く頭を下げる騎士団長に続き、副官も頭を垂れた。
麻衣は小さく首を横へ振る。
「その話は後で大丈夫です」
一度言葉を区切り、二人を真っ直ぐ見つめた。
「その前に、どうしても確認したいことがあります」
天幕の空気がわずかに張り詰める。
「これからお話しすることは、この世界の根幹に関わる話です。国王陛下であっても、一切口外しないと誓えますか」
副官は思わず騎士団長へ視線を向けた。
騎士団長もすぐには答えず、静かに麻衣を見つめ返す。
「……理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
麻衣は静かに頷いた。
「話せば、きっと分かります。ですが、その話をする前に、お二人の意思を確認したいんです」
しばらく沈黙が流れた。
やがて騎士団長は深く息を吸い、ゆっくりと立ち上がる。
「私はランデス・グリーンヒル・グラハート。グラハート家当主として、ここで聞いたことは何人たりとも口外しないことを誓います」
副官も迷うことなく立ち上がった。
「私は騎士団長直属副官、アルベルト・レイン。王国軍の軍人ではありますが、幼き日よりグラハート家へ忠誠を誓う者でもあります。騎士団長がお守りになる秘密は、私も命に代えてお守りいたします」
麻衣は二人を見つめ、小さく頷いた。
「ありがとうございます」
一度だけ深呼吸をする。
そして、静かに口を開いた。
「騎士団長と初めてお会いした時、騎士団長は一人の人物を探していると言いました。その人物は――」
一瞬だけ言葉を止める。
「セリア・グラハート」
副官が小さく息を呑んだ。
麻衣は静かに続ける。
「そのセリア・グラハートは……私の前世です」
天幕の中から音が消えた。
副官は目を見開いたまま麻衣を見つめる。
「そ、そんな……。では、あなた様が……」
信じられないという表情のまま言葉を失う。
一方、騎士団長は驚いた様子を見せなかった。
静かに目を閉じ、小さく頷く。
「……やはり、そうでしたか」
その落ち着いた反応に、今度は副官が騎士団長を見た。
「騎士団長……まさか、ご存じだったのですか」
騎士団長はゆっくり首を横へ振る。
「確信はありませんでした。ですが、その白銀の装備、澄み渡る魔力の色、そして戦場でのお姿を拝見し、もしやとは思っておりました」
麻衣は静かに微笑んだ。
「そうでしたか」
副官はなおも信じられないという表情のまま、麻衣を見つめていた。
「では、本当に……。第十六代勇者セリア・グラハート様が……」
麻衣は静かに頷く。
「はい。前世の記憶も、その頃の力も残っています」
天幕の中へ再び静寂が訪れた。
やがて騎士団長がゆっくりと口を開く。
「私は、セリア様を直接存じ上げているわけではございません。約百五十年前のお方ですから」
副官も静かに頷く。
それは当然のことだった。
騎士団長は続ける。
「ですが、グラハート家には代々受け継がれてきた一つのアーティファクトがございます。歴代当主のみが管理を許される秘宝です」
麻衣は静かに耳を傾ける。
「あのアーティファクトには、セリア様のお姿とお言葉が記録されております。戦いのお姿も、お声も、ご立ち居振る舞いまでも記録されております」
副官が驚いたように目を見開く。
「そのような秘宝が……」
騎士団長は静かに頷いた。
「グラハート家でも閲覧を許される者は限られております。私も当主となった折、初めて拝見いたしました」
一度だけ麻衣へ視線を向ける。
「住宅街で初めて麻衣殿へお会いした時、不思議な懐かしさを覚えました。ですが、その時はまさかと思うだけでした。農村でのお姿を拝見し、その疑念はさらに強くなりました」
騎士団長は話を続ける。
「そして、本日の戦いです。白銀の装備。澄み切った魔力。そして人知を超えた治癒魔法。そして、お声まで。アーティファクトに記録されたセリア様、そのままでございました」
騎士団長は深く頭を垂れる。
「……それでも確信は持てませんでした。ですが、今、麻衣殿ご自身のお口から真実を伺い、すべてが繋がりました」
騎士団長は顔を上げた。
「間違いありません。麻衣殿こそ、第十六代勇者セリア・グラハート様です」
副官は騎士団長と麻衣を交互に見つめ、ようやく静かに息を吐いた。
「……だから、騎士団長はあれほど麻衣殿を」
騎士団長は小さく頷く。
「はい。確信ではありませんでした。ですが、グラハート家の者として、あのお姿を見間違えることはできませんでした」
副官はゆっくりと立ち上がる。
「私も……。セリア様へお目に掛かれる日が来るとは思ってもおりませんでした」
深く頭を下げようとした、その瞬間だった。
「待ってください」
麻衣が慌てて立ち上がる。
「今の私はセリアじゃありません! 加山麻衣です! だから頭を上げてください」
二人は顔を上げる。
麻衣は穏やかに微笑んだ。
「確かに前世はセリア・グラハートでした。でも、それは前世です。今は加山麻衣として生きています。だから、どうか今までどおり『麻衣』と呼んでください」
騎士団長は静かに頷いた。
「……承知いたしました。これからも、麻衣殿とお呼びいたします」
副官も姿勢を正す。
「私も同じく、麻衣殿とお呼びいたします」
麻衣は安堵したように微笑んだ。
「ありがとうございます」
そして表情を引き締める。
「もう一度だけお願いします。今日ここでお話ししたことは、この先も決して他言しないでください。国王陛下にも、王女殿下にも、大臣方にもです」
騎士団長は右拳を左胸へ当てた。
「グラハート家当主として、改めて誓います。この秘密は命に代えてお守りいたします」
副官も同じように胸へ手を当てる。
「私も騎士団長と同じく、この秘密を墓まで持っていくことを誓います」
麻衣は二人を見つめ、静かに頷いた。
「ありがとうございます」
短い沈黙が流れる。
騎士団長は麻衣を真っ直ぐ見つめると、静かに口を開いた。
「……麻衣殿」
「はい?」
麻衣が首を傾げる。
騎士団長は胸へ右拳を当て、深く頭を垂れた。
「お帰りなさいませ」
その一言だった。
百五十年という時を超え、代々グラハート家が待ち続けてきた存在へ向けられた、心からの言葉。
副官も騎士団長の隣で静かに頭を垂れる。
「お帰りなさいませ、麻衣殿」
麻衣は一瞬だけ目を見開いた。
思いもよらない言葉に、胸の奥が熱くなる。
前世では幾度となく耳にした、その懐かしい響き。
だが今は、加山麻衣として生きている。
だからこそ、少し照れくさそうに微笑みながら、小さく頷いた。
「……はい」
それだけで十分だった。
騎士団長も副官も穏やかな笑みを浮かべる。
百五十年にわたり、代々受け継がれてきたグラハート家の願いが、ようやく叶った瞬間だった。
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