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第57話 戦場に舞い降りた聖女

 騎士団長の問い掛けに、麻衣は小さく首を横へ振った。


「話はあとで」


 そう言い残すと、そのまま負傷者たちのもとへ駆け出す。


「麻衣殿!?」


 騎士団長は思わず声を上げたが、麻衣は振り返らない。


 最前線では、各所で負傷兵たちの救護が続いていた。

 腕や脚へ深い傷を負った者、全身を血に染めて苦しげに呻く者、意識を失ったまま横たわる者。


 麻衣は周囲を見渡すと、大きく息を吸った。


「《エリアヒール》」


 翡翠色の光が巨大な魔法陣とともに広がり、防衛線一帯を優しく包み込む。

 降り注いだ光は負傷兵たちの身体へ溶け込むように染み渡った。


「傷が……!」

「血が止まった!」

「身体が軽い……!」


 深く裂けた傷は瞬く間に塞がり、折れていた骨も元どおりに癒えていく。

 苦しげな呻き声は次第に消え、立ち上がる兵士が一人、また一人と増えていった。


 救護に当たっていた騎士や神官たちは、その光景を呆然と見つめる。

 しかし、麻衣は静かに首を横へ振った。


「まだ終わってない」


 その視線の先には、腕や脚を失った兵士たちがいた。

 麻衣は最も近くにいた兵士の前へ膝をつく。


「これから腕を再生するね。かなり痛いから、少しだけ我慢して」


 兵士は信じられないという表情で、自分の肩口を見下ろした。


「ほ、本当に……治るのですか……?」


 麻衣は静かに頷く。


「うん。誰か、布を持ってきて」


 近くにいた兵士が慌てて布を差し出した。


「これを噛んでいてください」


 兵士は言われるまま布を口へくわえる。


「あと、その人を押さえて。再生するとき、身体が勝手に動くから」


「「はい!」」


 二人の兵士が左右から身体をしっかり押さえた。

 麻衣は失われた腕の断面へ、そっと手を添える。


「《エクストラヒール》」


 眩い光が兵士を包み込む。

 光の中で、失われていた腕が少しずつ形を取り戻していった。


「────ッ!!」


 兵士の全身が激しく跳ね上がる。

 布を強く噛み締めたまま、押し殺した絶叫が漏れた。


 左右から支える兵士たちも、必死に力を込めなければ抑えきれない。

 やがて光が静かに収まった。


 そこには、指先まで完全に再生した右腕があった。


 兵士は荒い息を繰り返しながら、恐る恐る右手を握る。

 そして、ゆっくりと開いた。


「う、動く……」


 肩を回し、肘を曲げ、指を一本ずつ動かしていく。

 失われていたはずの腕は、何事もなかったかのように元へ戻っていた。


 誰も言葉を発することができなかった。


 麻衣は静かに立ち上がる。


「次の人」


 その一言で周囲は我に返る。

 腕を失った者、脚を失った者、重傷兵たちが次々と麻衣の前へ運ばれてきた。


 再生の光は何度も戦場を照らし、そのたびに押し殺した悲鳴が響く。

 だが、その苦痛の先には、失われた四肢を取り戻した兵士たちの涙と笑顔があった。


 最後の一人の治療を終えると、麻衣は大きく息を吐いた。


「ふぅ……」


 全身から力が抜け、その場へぺたりと座り込む。


「さすがに……疲れたぁ……」


 その隣へ大翔が歩み寄る。


「お疲れ様」


 麻衣はじとっとした目で大翔を見上げた。


「……久我くんも治癒魔法、使えるよね?」

「ああ」

「だったら少しくらい手伝ってくれてもよくない?」


 疲れ切った声で小さく愚痴をこぼす。

 大翔はわずかに笑みを浮かべた。


「やっぱり、ここは聖女様の出番だからな」


 その瞬間だった。

 静まり返っていた防衛線で、一人の兵士が震える声を漏らす。


「……聖女様」


 その一言が、周囲へ静かに広がっていく。


「聖女様だ……」

「奇跡だ……」


 次々と兵士たちが麻衣へ向かって頭を垂れ始める。


「聖女様!」

「ありがとうございます!」

「命を救っていただき、ありがとうございました!」


 麻衣は勢いよく立ち上がった。


「ち、違います! 私は聖女じゃありません! そんな大した人じゃありませんから!」


 必死に両手を振って否定する麻衣だったが、兵士たちは感謝と尊敬の眼差しを向け続けていた。


 それからしばらくして。

 第二防衛線の見張り台から、大きな声が響いた。


「騎士団長!」

「後方より大部隊が接近しております!」


 騎士団長はすぐに振り返る。


「旗印は!」

「王国旗です!」

「王都防衛軍本隊です!」


 騎士団長は小さく頷いた。


「……来たか」


 やがて街道の先から、王国旗を掲げた大軍勢が姿を現す。

 王都各地から集結した王都防衛軍本隊、総勢六千三百余名。


 本来なら第二防衛線へ投入される予定だった兵たちは、整然と隊列を保ったまま到着した。

 しかし彼らを迎えたのは、すでに戦いの終息した戦場だった。


「これは……」

「魔国軍は……?」


 本隊の兵士たちの間に戸惑いが広がる。

 本隊の先頭にいた副官は馬を降りると、騎士団長の前へ進み出て敬礼した。


「騎士団長! 王都防衛軍本隊六千三百余名、ただいま到着いたしました!」


 騎士団長も静かに頷く。


「ご苦労だった」


 副官は周囲を見回し、困惑した表情を浮かべる。


「戦闘は……」

「終了した。魔国軍は撤収した」


 副官は驚きを隠せないまま、続けて尋ねた。


「では、負傷者は……?」


 騎士団長は静かに麻衣へ視線を向ける。


「すでに治療済みだ。麻衣殿がお一人で、すべての負傷者を治療されたのだ」


 副官は思わず麻衣へ視線を向けた。


「……すべて、ですか?」

「ああ。重傷者も、四肢を失った者も含めて、全員だ」


 副官はしばらく言葉を失い、ただ麻衣を見つめていた。


 その中で、美咲は周囲を見回し、一人の姿を見つける。


「麻衣!」


 次の瞬間、美咲は隊列を飛び出していた。

 兵士たちの間をすり抜け、一目散に麻衣のもとへ駆け寄る。


「麻衣!」


 その勢いのまま、ぎゅっと抱きついた。


「よかったぁ……!」


 震える声だった。

 麻衣は少し驚いたように目を丸くしたあと、優しく美咲の背中へ手を添える。


「心配かけちゃったね」

「うん……」


 美咲は何度も頷く。


「無事で、本当によかった……」


 少し離れた場所では、はるなの視線が大翔を捉えていた。


「久我くん……!」


 安堵したように小さく息を漏らすと、そのまま大翔のもとへ歩み寄る。

 大翔の前で立ち止まり、そっとその手を握った。


「無事でよかった……」


 涙を堪え切れず、声が震える。

 大翔は握られた手へ視線を落とし、小さく微笑んだ。


「ああ。心配をかけた」


 その一言に、はるなの目から涙がこぼれ落ちる。

 その様子を見ていた麻衣は、小さく苦笑した。


「ラブコメは後にしてね」


「ち、違う!」


 大翔が珍しく声を上げる。


「そ、そういうんじゃありません!」


 はるなも真っ赤になって否定した。

 二人は慌てて手を離す。


 その様子を見た兵士たちの間から、小さな笑い声が漏れた。

 つい先ほどまで死と隣り合わせだった戦場に、久しぶりに穏やかな空気が流れていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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