第53話 王都防衛、出陣
麻衣は騎士団長を見つめていた。
かつて、自らが王女として生きた祖国。
その王家の名を捨て、混乱を避けながら生きてきた騎士へ、今の自分が掛けるべき言葉は見つからなかった。
広間を包む静寂は、誰一人として破ろうとはしない。
ランデスの覚悟を知った今、軽々しい慰めも、労いの言葉も似つかわしくはなかった。
やがて、国王はゆっくりと騎士団長へ視線を向ける。
「グリーンヒル騎士団長」
「はっ」
騎士団長は姿勢を正し、真っ直ぐ国王を見据えた。
国王は静かに息を吐き、しばらく騎士団長を見つめる。
「……すまんが、お互い生き残ったら、この件は一緒に考える。それでよいか。今は、この国を守ることが先だ」
一瞬だけ、騎士団長の目が大きく見開かれた。
やがて、その表情に穏やかな笑みが浮かぶ。
「……もったいないお言葉です。私も、この問題に答えを出せずにおりました。ですが、生きて帰る理由が、また一つ増えました」
騎士団長は胸へ右手を当て、深く頭を下げた。
国王は静かに頷く。
「うむ。まずは生き残ることだ。話の続きは、生きて帰ってからにしよう」
「はい」
騎士団長は短く答え、胸へ当てた右手に僅かに力を込めた。
国王はゆっくりと立ち上がる。
その姿に合わせるように、広間にいた騎士や文官たちも姿勢を正した。
国王は騎士団長の前まで歩み寄る。
「グリーンヒル騎士団長。此度の王都防衛戦、そなたを王都防衛軍総大将に任ずる。全軍の指揮を、そなたへ委ねる」
広間が静まり返る。
騎士団長は片膝をつき、胸へ右手を当てた。
「謹んで拝命いたします」
国王は静かに頷くと、麻衣たち四人へ視線を向けた。
「そして、我が国へ力を貸してくださる四名の方々」
国王は四人一人ひとりの顔をゆっくりと見渡した。
「どうか、この国の未来を託したい。第二防衛線を、お願いしたい」
麻衣たちは静かに頷く。
騎士団長も立ち上がると、国王へ深く一礼した。
「必ずや、この王都をお守りいたします」
国王は力強く頷いた。
「皆、必ず帰ってまいれ。それが余の願いだ」
騎士団長は深く頭を下げる。
「御意」
麻衣たち四人も頷いた。
こうして王都防衛軍総大将へ全軍の指揮が委ねられ、王都防衛軍は出陣の時を迎えた。
王城前広場。
澄み渡る青空の下、王城前にはおよそ二千名の騎士たちが整然と並んでいた。
近衛騎士団と王国騎士団が隊列を組み、各部隊の軍旗が朝風を受けて力強くはためいている。
広場の周囲には、見送りに訪れた多くの市民たちが集まっていた。
やがて王城正面の壇上へ国王が姿を現す。
一斉に騎士たちが敬礼した。
広場は水を打ったように静まり返る。
国王は整列した騎士たちをゆっくりと見渡した。
「勇敢なる騎士たちよ。余は、王として諸君に命ずる前に、一人の人間として伝えたいことがある」
広場は静まり返ったまま、その言葉へ耳を傾ける。
「諸君らは今日、この国のために命を懸けて戦場へ向かう。それは決して当たり前のことではない。家族のもとへ帰りたい者もいるだろう。幼い子の成長を見届けたい者もいるだろう。愛する者との約束を胸に、この場へ立っている者もいるはずだ」
国王は整列した騎士たちへゆっくりと視線を巡らせる。
誰一人として目を逸らす者はいなかった。
「それでも諸君は、この国を守るため、自ら剣を取り、この場へ集ってくれた。余は、その覚悟に心から感謝する」
国王は一度言葉を切り、静かに息を吸った。
「どうか忘れないでほしい。諸君が命を懸けて守ろうとしているこの王都には、諸君の帰りを待つ民がいる。諸君の帰りを信じ、祈り続ける家族がいる」
国王は右手を胸へ当て、力強く頷いた。
「そして余もまた、その一人である。だからこそ、必ず生きて帰ってきてほしい」
一瞬の静寂が広場を包んだ。
次の瞬間、騎士たちは一斉に剣を掲げる。
「「「おおおおおっ!!」」」
国王は静かに一歩下がった。
入れ替わるように、騎士団長が壇上中央へ進み出る。
整列した将兵たちをゆっくりと見渡し、大きく息を吸った。
「全軍、聞け! 我々がこれより向かうのは、王都を守る第二防衛線だ!」
その声が広場全体へ響き渡る。
「敵は我々を上回る大軍だ。だが、数だけで勝敗が決まるのなら、我々がここへ立つ意味などない!」
騎士団長は第二防衛線の方角へ腕を伸ばした。
「各隊は指揮官の命令を守り、決して突出するな! 隣の者と支え合い、陣形を崩さず、一人でも多くの敵をここで食い止める!」
将兵たちは微動だにせず、その言葉を聞いていた。
「我々の背後には王都がある。そこで暮らす民がいる。ならば、ここから先へ敵を通すわけにはいかない!」
騎士団長は右手を強く握り締める。
「恐れることは恥ではない! だが、恐怖に飲まれるな! 隣には仲間がいる。共に剣を取る戦友がいる!」
騎士団長は将兵たちをゆっくりと見渡した。
「必ず、この戦いを生き抜こう。そして――皆で王都へ帰ろう!」
一瞬の静寂。
次の瞬間、それまでを上回る雄叫びが王都中へ轟いた。
「「「おおおおおおおっ!!」」」
騎士団長は右手を高く掲げる。
将兵たちも一斉に剣や槍を掲げた。
朝日に照らされた無数の刃が、眩い光を放つ。
「この国を守るため――全軍、出陣!!」
号令と同時に軍楽隊のラッパが高らかに鳴り響いた。
重厚な太鼓の音が続き、王城の大門がゆっくりと開かれていく。
先頭の近衛騎士団が歩みを進めた。
それに続くように王国騎士団と各部隊も、一斉に進軍を開始する。
重厚な鎧が擦れ合う音と規則正しい足音が重なり、一つの大きな響きとなって王都へ広がっていった。
こうして王都防衛軍は、第二防衛線へ向けて歩み始めた。
王都防衛軍は整然とした隊列を保ちながら、王都の大通りを進んでいく。
進軍する途中で各守備隊が次々と合流し、その隊列はさらに長く、大きく伸びていった。
二千余名だった軍勢は三千、四千と膨れ上がり、やがて総勢六千三百余名の王都防衛軍となる。
街路の両脇には、見送りに集まった市民たちが隙間なく並んでいた。
「どうか、ご武運を!」
「王都をお願いします!」
「必ず帰ってきてください!」
幼い少女が両手を大きく振りながら叫ぶ。
「お父さん!」
少女の声に、一人の騎士が振り返った。
兜の奥から優しく微笑み、小さく右手を上げる。
「必ず帰る」
少女は力いっぱい頷き、両手を大きく振り続ける。
やがて父の姿が人波の向こうへ消えると、少女は母親へ顔を埋めた。
母親は何も言わず、その小さな背中をそっと抱きしめた。
「兄ちゃん、負けるなー!」
少年の元気な声が響く。
白髪の老人は帽子を胸へ当て、ゆっくりと頭を下げた。
使い込まれた剣を杖代わりにした男は胸へ拳を当て、無言の敬礼を送る。
その姿に気付いた若い騎士が、小さく頷き返した。
店先へ出た商人たちは仕事の手を止め、兵士たちへ惜しみない声援を送っている。
女性たちは祈るように両手を組み、子どもたちは小さな旗を懸命に振り続けていた。
鎧の音は止まらない。
市民たちの声援を背に受け、兵士たちは歩み続ける。
その隊列の中には、麻衣たち四人の姿もあった。
人垣の中の一人が、はるなの姿に気付いて声を上げる。
「勇者様だ!」
「勇者様まで戦ってくださるのか!」
「お願いします!」
「どうか王都を守ってください!」
「皆さん、ご武運を!」
はるなは声のした方へ顔を向け、小さく頷いた。
その周囲からは、やがて麻衣たち四人全員へ向けた声援も次々と飛んでくる。
美咲は少し照れくさそうに笑いながらも、しっかりと前を向いて歩き続けた。
大翔も変わらぬ表情で歩調を合わせる。
麻衣は市民たちの声を聞きながら、第二防衛線へ続く道を真っ直ぐ見据えていた。
六千三百余名の王都防衛軍は、市民たちの祈りと声援を背に受けながら、王都の外へと進んでいく。
城壁の上では、国王と王女が並んで立っていた。
二人は王都防衛軍の隊列が遠ざかっても、その場を動かなかった。
朝風を受けて翻る軍旗は次第に小さくなり、やがて王都の彼方へと消えていった。




