第46話 前世と今を生きる四人
しばらくして、麻衣はようやく泣き止んだ。
美咲は抱きしめていた腕をゆっくりと離し、いつものように優しく微笑む。
麻衣も少しだけ照れくさそうに笑い返し、目元へ残る涙をそっと拭った。
「……恥ずかしいところ、見せちゃったね」
照れ隠しのように笑う麻衣へ、美咲もいつものように笑う。
「少しは楽になった?」
麻衣は少しだけ目を丸くした。
それから照れくさそうに笑い、小さく頷く。
「うん」
応接室には、先ほどまでとは違う穏やかな空気が流れていた。
「……さて」
麻衣は三人をゆっくり見渡した。
「どうしようか」
その一言で、応接室は再び静かになる。
少しの沈黙のあと、一人静かに座っていたはるなが小さく息を吸った。
「……久我くんが自己紹介をしたんですから、私もしないと、おかしいですよね」
麻衣は小さく笑って頷く。
「うん」
少しだけ間が空いた。
「そうだね」
はるなはその言葉を聞くと、ゆっくりと姿勢を正した。
三人の視線がはるなへ集まる。
はるなは背筋を伸ばし、静かに頭を下げた。
「改めまして。結城はるなです。県立宮原南部高校二年生です」
一度言葉を切り、小さく息を整える。
「三か月前、お父さんの仕事の都合で宮原市へ戻ってきました。そして、一か月前にあった、ある事件をきっかけに前世の記憶を思い出しました」
麻衣も美咲も静かに、はるなの言葉へ耳を傾ける。
「私の前世は、この世界の人間です」
はるなの表情が少しだけ硬くなる。
「名前は、ソフィア・ガードナー。第十七代勇者でした」
応接室が再び静まり返る。
はるなは膝の上で握った両手へ視線を落とした。
「私は戦争孤児でした。勇者適性があることが分かり、孤児院のあった教会の関連施設――勇者養成機関へ引き取られました。そこで、勇者になるためだけに育てられました」
言葉を重ねるにつれて、はるなの声が少しずつ小さくなっていく。
やがて、はるなはゆっくりと大翔へ視線を向けた。
大翔は何も言わず、ただ静かにその続きを待っている。
はるなの唇が小さく震えた。
「そして……」
一度だけ俯き、小さく息を吸う。
「魔王だった久我くんを……」
言葉が詰まる。
それでも、はるなは目を逸らさなかった。
大翔を真っすぐ見つめ返し、震える声で告げる。
「私が、殺しました」
その言葉を口にした瞬間、はるなの表情が苦しそうに歪んだ。
膝の上で握り締めた両手へ、さらに力が入る。
応接室は再び静まり返り、誰一人として、すぐには口を開かなかった。
「違う!」
突然響いた大翔の声に、美咲、麻衣、はるなの三人が同時に肩を震わせる。
大翔は声を張り上げたあと、一度目を伏せ、小さく息を吐いた。
「……すまない」
一度だけ頭を下げる。
「でも、それは違う」
はるなが小さく首を振った。
「でも、私は……」
大翔は静かに首を横へ振る。
「俺は、お前に殺されたとは思ってない」
その言葉に、はるなが息を呑む。
大翔は一度視線を落とし、ゆっくりと言葉を続けた。
「あの戦いは、俺が終わらせたかった。最後は、俺がその結末を選んだ」
一度だけ言葉を切る。
「最後まで、お前は勇者だった」
大翔はゆっくりとはるなへ視線を向ける。
「逆にはるな……いや、ソフィア」
一度だけ名前を言い直し、大翔は真っすぐにはるなを見つめた。
「俺は、お前を巻き込んだ」
はるなの肩が小さく震えた。
「俺には、お前を救う方法が分からなかった。だから、自分と一緒に終わることしか思いつかなかった」
大翔は苦く笑う。
「俺の方こそ、謝らなきゃいけない」
一度だけ目を伏せた。
「……いや。謝って済む話じゃないけどな」
応接室は静まり返った。
はるなは震える瞳で大翔を見つめたまま、何も言えずに唇を噛み締めている。
しばらくして、ようやく小さく息を吸った。
「でも……」
震える声だった。
「記憶を取り戻してから、この一か月……私は、ずっと久我くんを殺したって思っていました……」
両手を強く握り締める。
「毎日、そのことばかり考えていました。もし、あの時……違う未来を選べていたらって。もし、私がもっと強かったらって。何度も、何度も考えました……」
一度だけ俯く。
「だから……さっき久我くんが笑って話してくれた時も……苦しかったんです。久我くんと笑って話す資格なんてないって……」
声が小さく震える。
「だから……」
その先が続かない。
大翔は静かに首を横へ振った。
「そんなことはない」
短い一言だった。
それだけで十分だった。
はるなの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
堪えていた涙が一気に溢れ、肩を小さく震わせながら、次から次へと頬を伝っていった。
大翔はそんなはるなを静かに見つめ、小さく息を吐く。
「……俺も同じだ」
はるなが涙で滲む瞳のまま顔を上げる。
大翔は苦く笑い、小さく首を横へ振った。
「お前を巻き込んだことは、今でも後悔してる」
一度だけ言葉を切る。
「だから、お前だけが背負う必要はない。半分は俺の罪だ」
少しだけ自嘲するように笑う。
「……いや。そんなこと考えること自体、違うな。一人で背負うな」
はるなの瞳が大きく揺れる。
溢れ続ける涙を拭おうとしても、なかなか止まらない。
応接室は静まり返り、誰もその静けさを壊そうとはしなかった。
やがて麻衣が小さく息を吐き、苦笑する。
「……二人とも、本当に真面目すぎ」
その一言に、大翔とはるなが同時に麻衣を見る。
麻衣は少しだけ肩をすくめ、照れくさそうに笑った。
今度は美咲がゆっくりと口を開く。
「今ここにいる二人は、生きてるよ」
はるなの瞳が揺れる。
「だったら、それでいいんじゃない?」
美咲はいつものように優しく微笑んだ。
「これからは、みんなで笑おうよ」
はるなの頬を、新たな涙が伝った。
けれど先ほどまで苦しそうに歪んでいた表情は、ほんの僅かに和らいでいる。
「……ありがとう」
震える声だった。
それでも、その一言ははっきりと応接室へ響いた。
大翔は小さく微笑み、張り詰めていた肩から静かに力を抜いた。
はるなが涙を拭き終える頃には、応接室に流れる空気も少しだけ柔らかくなっていた。
誰からともなく小さく息をつく。
その静かな空気の中で、美咲が「あっ」と小さく声を漏らした。
「えっと……」
三人が美咲を見る。
美咲は少し照れたように笑った。
「みんな自己紹介したから……次は私かな」
その一言に、麻衣が小さく笑う。
「そうだね」
美咲は姿勢を正し、小さく咳払いをした。
「じゃあ、改めまして。佐藤美咲です。麻衣とは三歳からの幼馴染で、同じ都立南陽東高校二年生です」
そこで一度言葉が止まる。
「前世は……」
美咲は首を傾げた。
「みんな前世の話をしてるから、私も何か言った方がいいのかなって思ったけど……」
少しだけ考え込む。
「うーん……」
数秒後、美咲は照れくさそうに笑った。
「……分かりません!」
一瞬だけ応接室が静まり返る。
次の瞬間、麻衣は思わず笑ってしまった。
「ふふっ……美咲らしい」
涙の跡が残る顔のまま、自然と笑みがこぼれる。
美咲も照れ笑いを浮かべた。
「……なんか、しまらないね」
麻衣は優しく首を横へ振る。
「ううん。それが美咲だもん」
その一言に、美咲は照れくさそうにはにかむ。
大翔も口元を緩め、はるなも目元に残る涙を指で拭いながら、小さく笑みを浮かべた。
四人は顔を見合わせ、自然と笑っていた。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
穏やかな空気だけが、応接室を静かに包んでいる。
その静けさを破ったのは、大翔だった。
「……今日は、お腹いっぱいだな」
三人が大翔を見る。
大翔は両手を上げ、大げさに肩を落とした。
「もう無理だ。脳が考えるのを拒否してる」
その言葉に、麻衣が小さく笑う。
「そう、だね……」
美咲がおずおずと片手を上げた。
「ごめん」
三人が美咲を見る。
美咲は苦笑いを浮かべた。
「私が一番いっぱいいっぱいだと思うけど」
麻衣が思わず笑う。
「ふふっ……それは否定できないかな」
大翔も口元を緩めた。
はるなも小さく笑う。
「そうですね……」
目元へそっと手を当てた。
「今は、とにかく目元を冷やしたいです」
その言葉に、大翔が笑う。
「涙流しすぎなんだよ」
「もう!」
はるなが少しだけ頬を膨らませる。
三人は思わず笑った。
笑いが落ち着くと、麻衣が三人を見渡した。
「じゃあ、今日はこのくらいにしようか」
三人は静かに頷く。
「おやすみ」
麻衣が言う。
「おやすみ」
美咲が笑顔で返した。
「おやすみなさい」
はるなが小さく頭を下げる。
「また明日」
大翔は軽く手を上げた。
四人はそれぞれ自分の部屋へ戻っていった。




