第44話 元魔王の自己紹介
浴場から上がった四人は客室へ戻り、用意された夕食を終えると、中央の応接室へ集まっていた。
窓の外では王都の灯りが夜の街並みを照らし、開かれたガラス扉から涼しい風が流れ込んでいる。
長椅子には麻衣と美咲が並んで座り、向かい側のソファには大翔とはるなが腰を下ろしていた。
食後の茶が置かれた卓上には、誰も手を伸ばしていない。
麻衣は膝の上で両手を組み、何度か口を開きかけては、そのまま視線を落としていた。
美咲は隣から麻衣の横顔を見つめていたが、急かすことなく待っている。
「麻衣?」
名前を呼ばれた麻衣は顔を上げた。
「うん。その……話しておきたいことがあるんだけど……」
そこまで口にしたところで、言葉が止まる。
戦場では迷うことなく魔国軍へ飛び込んだ麻衣が、今は美咲と目を合わせることさえできず、組んだ指先へ視線を落としていた。
「別に、急がなくてもいいよ」
美咲は麻衣の顔を覗き込まず、穏やかな声で言う。
「話せるようになってからでもいいし」
「いや、話したいの。話したいんだけど、どこから話せばいいのか分からなくて……」
麻衣は困ったように眉を寄せ、もう一度口を開きかける。
しかし、やはり言葉は続かなかった。
向かい側でその様子を見ていた大翔は、しばらく黙っていたが、やがて背もたれへ身体を預け、小さく息を吐く。
「……見ていられないな」
「久我くん?」
麻衣が顔を上げる。
大翔は卓上の湯飲みへ一度視線を落とし、それから三人を見渡した。
「麻衣さんが話しづらそうだから、先に俺から話す」
はるなは大翔の言葉を聞くと、静かに姿勢を正した。
美咲も大翔へ向き直る。
「改めて、久我大翔だ。県立宮原南部高校二年生。今は普通の高校生として暮らしている」
「今は?」
美咲がすぐに聞き返した。
大翔はわずかに口元を緩める。
「そこから先は、漫画みたいな話になる」
一度言葉を切り、美咲の反応を見てから続けた。
「大学三年のとき、この世界へ勇者として召喚された」
「え?」
はるなが目を丸くする。
「大学三年って……久我くん、年上だったんですか?」
美咲も勢いよく身を乗り出した。
「えっ!? 大学生!?」
「ちょっと待って!」
「それって今何歳なの!?」
大翔は額へ手を当て、小さくため息をつく。
「……何を言ってるんだ? 召喚されたのが大学三年のときって話だ。今の俺は、お前たちと同じ高校二年だ」
「あっ!」
はるなが耳まで赤くした。
「そういうことでしたか!」
「もう、びっくりしました……」
美咲も胸へ手を当て、大きく息を吐く。
「二十五歳くらいの人が高校に通ってるのかと思った」
「それはただの不審者だ」
大翔が真顔で言い切る。
その瞬間、麻衣が吹き出した。
「ふっ……確かに」
はるなも笑いを堪え切れない。
「校門で先生に止められますね」
「『保護者の方ですか?』って聞かれそう」
美咲が真面目な顔で続ける。
「いや、『生徒です』って答える」
「もっと駄目だ」
大翔が即座に返した。
「入学式で完全に浮くよね」
麻衣まで笑いながら口を挟む。
「制服も似合わないですよ」
はるなが追い打ちを掛ける。
「履歴書ならぬ入学願書に年齢二十五歳って書くんですか?」
「履歴書じゃない! 願書だ。どっちでも入れない!」
大翔は真顔のまま言い切った。
「でも、ちょっとだけ信じちゃった」
美咲が肩をすくめる。
「何をだ」
「大学生が高校二年に紛れてるって」
「だから、それは不審者だ」
「久我くんが真面目な顔で話すから悪いんだよ」
美咲は頬を膨らませる。
「ツッコミどころが多すぎて、どこからツッコめばいいのか分からなかったもん」
「そこは最初に年齢じゃなく召喚に驚け」
大翔が呆れたように返す。
「確かに!」
麻衣が笑う。
「順番がおかしかったね」
「私も年齢の方が気になっちゃいました」
はるなも苦笑した。
応接室へ笑い声が広がる。
さっきまで張り詰めていた空気が、そのやり取りだけで少しずつ和らいでいった。
大翔は一つ咳払いをする。
「……話を戻していいか?」
「「はい」」
美咲とはるなの返事がぴたりと重なり、麻衣も苦笑しながら小さく頷いた。
「召喚したのは人族じゃない。当時虐げられていた亜人たちだ。俺は亜人側の勇者として戦い、人族との戦争に勝った。そのあと亜人たちが安心して暮らせる国を作り、それが魔国になった」
美咲の目が僅かに見開かれる。
「じゃあ、久我くんが……初代魔王?」
「そういうことになる」
「元は勇者だったのに、魔王になった?」
「人族から見れば、亜人を率いて国を作った俺は魔王だった。魔国側では、国を守る王と呼ばれていただけだ」
美咲は驚いた顔をしたまま、大翔の言葉を一つずつ飲み込むように黙り込んだ。
麻衣は隣から様子を見守り、はるなも美咲が混乱していないか表情を確かめている。
「国を作ったあとも、俺は魔王として魔国に残った。ところが、理由は今でも分からないが、歳を取らなくなったし、病気にもならない。致命傷でなければ傷も治る。気付けば、千年以上生きていた」
「千年……」
美咲がぽつりと呟き、卓上の茶器へ視線を落とした。
すぐには実感が湧かないのか、指先で茶器の縁をそっとなぞる。
「その間、ずっと魔王を?」
「正確には違う。途中で王位は譲って、表舞台から退いた時期もある。ただ、魔国に何かあれば戻ったし、必要なら戦い、必要なら指揮を執った。最後は勇者と戦い、相打ちになって死んだ」
その言葉に、はるなの指先が僅かに震える。
だが、大翔は何事もなかったように話を続けた。
「そして八歳の頃、突然そのときまでの記憶を全部思い出した。大学生だった頃のことも。この世界へ召喚されたことも。魔王として千年以上生きたことも。全部だ」
応接室へ静けさが戻る。
「転生なのか、元の世界へ戻ったのか、それとも別の何かなのか、それは今でも分からない。だから俺自身、何が起きたのか説明はできない。分かっているのは、八歳のあの日、突然全部思い出したってことだけだ。それからは普通の高校生として生活して、今に至る」
美咲は大翔の顔を見つめたまま、しばらく瞬きもしなかった。
やがて椅子の背へ身体を預け、大きく息を吐く。
「大学生で召喚されて、勇者になって、魔国を作って、千年以上魔王をやって、八歳のときに全部思い出した……」
「大体合っている」
「全然、大体じゃないよね?」
美咲が思わず突っ込む。
「情報量が多すぎるよ。頭の中が渋滞してる」
「細かい話を始めれば、今夜だけでは終わらない」
大翔は肩を竦めた。
「長くなるから省いたが、俺についてはそんなところだ」
美咲は額へ手を当て、苦笑しながら首を振る。
「久我くん、普通に自己紹介するみたいに話したけど……」
「内容が全然普通じゃないからね?」
「俺もそう思う」
大翔が真顔で頷く。
そのあまりにも自然な返事に、はるなが堪え切れず吹き出した。
「ふふっ。そこは否定してくださいよ」
「否定できる要素がない」
大翔は淡々と答える。
麻衣も思わず笑みを漏らした。
さっきまで胸を締め付けていた緊張が、少しだけ軽くなる。
「久我くん、ありがとう」
「麻衣さんが始めないからだ」
「分かってるけど……」
麻衣は苦笑しながら視線を落としたあと、隣に座る美咲へ向き直った。
美咲も大翔から麻衣へ視線を戻す。
今度は何も言わない。
ただ、麻衣が話し始めるのを静かに待っていた。
麻衣は一度深く息を吸う。
膝の上で組んでいた手をゆっくりと解き、美咲を真っすぐ見つめた。
「……次は、私の話をするね」




