第43話 凱旋、そして決意
街道へ響いていた剣戟の音は、いつしか途絶えていた。
吹き抜ける風が舞い上がった土埃を運び、朝日が折れた武器や倒れた騎士たちを照らしている。
負傷者の救護と捕虜の確保を進める近衛騎士たちの声だけが、戦いを終えた街道へ飛び交っていた。
そこへ王都方面から幾重もの馬蹄が響き、地面を細かく震わせながら近付いてくる。
「援軍だ!」
近衛騎士の一人が声を上げた。
十数騎の騎兵を先頭に、その後方から武装した歩兵部隊が隊列を組んで駆けてくる。
先頭を走る軍馬には、グリーンヒル騎士団長が跨っていた。
「王女殿下!」
騎士団長は王女の姿を認めると馬を止め、鞍から飛び降りて足早に駆け寄った。
王女に目立った傷がないことを確かめたあと、戦場全体を見渡した騎士団長の足が止まる。
「……これは」
前方と右翼には折れた剣や槍だけが散らばり、街道を埋めていたはずの魔族兵や魔獣は一体も残っていない。
左翼へ視線を移すと、武器を取り上げられた魔族兵たちが地面へ座らされ、近衛騎士によって順次拘束されていた。
「これほどの捕虜を……」
「はい。すべて久我様がお一人で制圧されました」
報告した近衛騎士の声に、騎士団長は大翔へ視線を向けた。
大翔は捕虜たちから少し離れた場所に立ち、抵抗する者がいないかを確認している。
その制服には土埃が付いているものの、負傷した様子はなかった。
騎士団長の視線が、続いて街道の前方へ動く。
前方と右翼へ展開した魔国軍を壊滅させた麻衣は、美咲の傍らに立って周囲を見渡していた。
王女から借り受けた剣を下げたはるなも、王女と美咲の前から離れず、新たな敵が現れないか警戒を続けている。
住宅街で麻衣の力を目にしていた騎士団長でさえ、折れた武器が散らばる街道と土埃の中に立つ麻衣を何度も見比べたまま、しばらく言葉を失っていた。
「……やはり、あの方は……」
漏れた声は、近くにいた騎士へも届かないほど低かった。
騎士団長は一度息を整えると、王女の前で片膝をついた。
「援軍の到着が遅れ、申し訳ございません」
「顔を上げてください。皆様のお力で、危機を乗り越えることができました」
王女の言葉を受けた騎士団長は立ち上がり、改めて王女の姿を確認した。
衣服には土埃が付いていたが、怪我を負った様子はない。
その事実を確かめると、騎士団長の張り詰めていた肩から力が抜けた。
「ご無事で何よりでございます」
騎士団長は深く頭を下げたあと、近衛騎士隊長から戦闘の経緯と負傷者の状況について報告を受けた。
援軍として到着した騎士たちも救護と警戒へ加わり、負傷者は担架へ乗せられ、捕虜には逃走を防ぐための縄が掛けられていく。
戦後処理の体制が整うと、王女は王都へ戻るよう命じた。
負傷した近衛騎士と捕虜は援軍へ引き継がれ、麻衣たち四人は王女と騎士団長に伴われて城門へ向かう。
街道を進む一行の後方では、騎士たちの号令と荷車の車輪が土を踏む音が、途切れることなく続いていた。
王都へ戻る頃には、戦いの知らせはすでに城内へ伝わっていた。
正門をくぐった一行は、そのまま王城へ案内される。
城内を行き交う兵士や侍女たちは、土埃をまとった四人へ驚きの視線を向けながらも、道を開けるように一礼した。
やがて一行は、謁見の間へ通される。
国王は玉座から立ち上がり、四人を迎えた。
「皆、よく戻ってきてくれた」
その声には王としての威厳よりも、無事を喜ぶ安堵の色が滲んでいた。
王女は一歩前へ進み、魔国軍約二百との遭遇から近衛騎士による迎撃まで、郊外で起きた戦闘の経緯を順を追って報告する。
さらに麻衣、大翔、はるなの三人が戦闘へ加わり、魔国軍を制圧したことまで伝えた。
王女の報告が終わると、騎士団長が一歩前へ出る。
「陛下。前方部隊および右翼部隊は完全に壊滅いたしました。左翼部隊につきましては、久我様がお一人で制圧され、多数の捕虜を確保しております」
謁見の間が静まり返る。
「多数の捕虜まで……」
大臣の一人が思わず呟いた。
「二百を超える部隊を退けただけではなく、生け捕りにした者までいるというのか……」
驚きの声は、それ以上続かなかった。
国王は麻衣たち四人を静かに見渡す。
「王女から経緯は聞いた。しかし、改めて聞いても信じ難い戦果だ」
一度言葉を切ると、国王はゆっくりと頭を下げた。
「そなたたちのおかげで、多くの兵と民の命が救われた。王国を代表し、心より礼を申し上げる。本当にありがとう」
王女も騎士団長も、それに続いて頭を下げた。
謁見の間にいた者たちも次々と四人へ一礼し、麻衣たちも静かに頭を下げる。
しばらくして、麻衣が一歩前へ出た。
「陛下」
「何だ」
「今日は、少し休ませてもらってもいいですか。さすがに疲れました」
国王は穏やかに笑みを浮かべる。
「当然だ。今日は何も考えず、ゆっくり身体を休めるがよい」
「ありがとうございます」
麻衣が礼を返した、その直後だった。
「あの!」
元気な声が謁見の間へ響く。
全員の視線が、一斉にはるなへ集まった。
はるなは少し照れたように笑いながら口を開く。
「できれば、お風呂に入りたいです!」
一瞬だけ謁見の間が静まり返った。
「ふっ……」
近衛騎士の一人が思わず吹き出した。
王女も口元へ手を当て、騎士団長の肩も小さく揺れる。
やがて国王も堪え切れず、声を上げて笑った。
「はっはっはっ! そうであったな。どれほど強くとも、まだ年頃の娘たちだ。すぐに浴場を用意させよう」
「ありがとうございます!」
はるなが嬉しそうに頭を下げる。
その様子を見た麻衣は苦笑し、大翔も小さく息を漏らした。
張り詰めていた謁見の間の空気は、その一言だけで嘘のように和らいでいた。
しばらくして、侍女の案内で四人は客室へ戻った。
途中で男女に分かれ、大翔は男湯へ、麻衣、美咲、はるなの三人は女湯へ向かう。
浴場の扉を開けると湯気がゆるやかに立ち上り、温かな空気が三人を包み込んだ。
石造りの浴場には大きな湯船が設けられ、壁際には洗い場が整然と並んでいる。
「昨日は気付かなかったけど、すごく立派なお風呂だね」
はるなが浴場を見回しながら、感心したように呟く。
三人は衣服を脱ぎ、それぞれ洗い場へ腰を下ろした。
身体を流し終えると、麻衣が先に立ち上がる。
「先に入るね」
「うん」
麻衣は湯船へ足を入れ、そのまま肩までゆっくりと身体を沈めた。
「はぁ……」
思わず息が漏れる。
戦闘で張り詰めていた身体から、少しずつ力が抜けていった。
少し遅れて、美咲とはるなも湯船へ入る。
「生き返る……」
はるなが幸せそうに天井を見上げた。
「本当だね」
美咲も肩まで浸かり、大きく息を吐く。
しばらく誰も口を開かず、湯の流れる音だけが静かに浴場へ響いていた。
やがて美咲が立ち上がる。
「麻衣」
「ん?」
「ちょっと後ろ向いて」
麻衣は苦笑しながら背中を向けた。
美咲は桶へ湯を汲み、麻衣の背中へ静かに流す。
肩から背中、腕へと視線を走らせ、傷がないか丁寧に確かめていく。
「うん。怪我してない。確認終わり!」
「だから最初に確認するの、それ?」
麻衣が振り返って苦笑する。
「当たり前でしょ。また無茶したんだから」
そのやり取りを見ていたはるなが、小さく吹き出した。
「ふふっ。やっぱり確認するんですね」
「笑わないでよ! だって心配なんだもん!」
麻衣は困ったように笑い、肩をすくめる。
「はいはい」
三人は再び肩まで湯へ浸かり、湯気の向こうで静かな時間を過ごしていた。
美咲は気持ち良さそうに身体を預け、はるなも天井を見上げながら小さく息を吐いている。
その穏やかな二人を眺めながら、麻衣も静かに湯船へ身体を預けた。
はるなは、自分が第十七代勇者ソフィアだったことも、前世の記憶を取り戻していることも、大翔へ打ち明けた。
大翔も、その話をすべて聞いたと言っていた。
一方、美咲にはまだ話していないことが多く残っていた。
それでも美咲は正体を問い詰めることより、戦いのたびに麻衣が怪我をしていないかを気に掛けている。
さっきも真っ先に背中を確認していた。
それを思い出した麻衣の口元が、わずかに緩む。
湯気の向こうでは、美咲とはるなが他愛もない話をしながら笑っている。
その笑い声を聞きながら、麻衣は目を閉じ、小さく息を吐いた。
(……さすがに、もう話さないと駄目かな)
胸の奥で、言葉が静かに形になっていく。
話すなら誰かからではなく、自分の口で伝えたい。
そう決めると、麻衣はもう一度ゆっくりと湯へ身体を沈めた。




