第41話 圧倒
麻衣は《エーテルソード》を構えたまま、大翔へ鋭く視線を向けた。
「久我くん! 左を任せるわ! あと、できれば捕虜も確保して!」
「ああ」
大翔は短く答えると、左翼へ展開する魔国軍へ身体を向けた。
「《フィジカル・ブースト》」
詠唱と同時に魔力が全身へ巡り、筋力と反射速度が一気に引き上げられる。
「《クイック・アクセル》」
さらに感覚と身体が加速し、大翔を取り巻く景色が緩やかに流れ始めた。
軽く拳を握って身体の状態を確かめると、すぐに戦闘へ移れるよう重心を落とす。
続いて麻衣は、はるなへ視線を移した。
「結城さん! 美咲と王女様をお願い!」
「はい!」
はるなが力強く頷く。
王女は迫り来る魔族兵を見据えながら、腰に帯びた剣へ手を掛けた。
しかし、はるながそれを制するように一歩前へ出る。
「王女殿下。その剣をお借りしてもよろしいでしょうか」
王女は一瞬だけ目を見開いたものの、すぐに鞘ごと剣を外して差し出した。
「お願いします!」
「お借りします」
はるなは王女から剣を受け取ると、鞘から静かに引き抜いた。
「《フィジカル・ブースト》」
魔力が全身へ駆け巡り、現代の高校生に過ぎない身体を戦闘に耐え得る領域まで強化する。
「《クイック・アクセル》」
周囲の動きが緩やかになり、迫る魔族兵の足運びや剣先の揺れまで鮮明に捉えられるようになった。
はるなは王女と美咲を背に庇う位置へ立ち、剣先を魔族兵たちへ向ける。
第十七代勇者ソフィアとして積み重ねた戦場の記憶が、剣を握る身体へ自然な構えを取り戻させていた。
大翔とはるなの準備が整ったことを確かめると、麻衣は前方と右翼へ広がる魔国軍を見渡した。
「残りは私が殲滅する!」
言葉を残し、麻衣は地面を蹴った。
強化された脚力が街道の土を大きく抉り、爆ぜるような踏み込みとともに、その姿が近衛騎士たちの視界から消える。
「速っ――!」
驚愕の声が上がったときには、麻衣はすでに前方部隊の中央へ踏み込んでいた。
正面の魔族兵が剣を振り下ろす。
麻衣は刃の軌道を見切って半身でかわし、すれ違うように相手の懐へ潜り込んだ。
蒼白い刀身が胴を横一線に斬り抜ける。
魔族兵は勢いのまま数歩進んだところで動きを止め、上半身がわずかに横へずれた直後、その全身が黒い靄となって崩れ落ちた。
麻衣は斬り抜けた勢いを殺さず、そのまま身体を反転させる。
背後から迫っていた魔族兵が、慌てて剣を振り下ろした。
返す刃が相手の剣を根元から断ち、そのまま胸元を斜めに斬り抜ける。
さらに横から突き出された槍を半歩の踏み込みでかわすと、柄を蹴り上げて軌道を逸らし、無防備になった喉元へ《エーテルソード》を走らせた。
「ば、化け物……!」
一人の魔族兵が恐怖に顔を歪め、反射的に後ずさった。
麻衣はその声へ振り向くことさえせず、背後へ《エーテルソード》を振り抜く。
蒼白い斬光が走り、悲鳴を上げた魔族兵は剣を構える暇もなく霧散した。
巨大な狼型の魔獣が咆哮を上げ、正面から牙を剥いて飛び掛かる。
麻衣は速度を落とさず、その巨体へ向かって踏み込んだ。
牙が届く寸前で身を沈め、魔獣の真下へ滑り込む。
すれ違いざまに振り抜かれた《エーテルソード》が腹部を縦に斬り裂き、魔獣の巨体は地面へ落ちるより早く黒い靄へ変わった。
「止めろ!」
前方部隊を率いる指揮官が怒号を飛ばす。
「隊列を維持しろ! 右翼は前へ出ろ! 左翼は回り込んで退路を塞げ!」
命令を受けた魔族兵たちが一斉に動き、麻衣の進路を左右から挟み込もうとする。
それまで恐怖に呑まれかけていた兵士たちも、指揮官の声を頼りに隊列を組み直し始めた。
麻衣は左右から迫る兵士たちではなく、後方で指示を飛ばす指揮官へ視線を定める。
敵の動きが再びまとまり始めた原因は明白だった。
次の瞬間、麻衣の姿が掻き消える。
「隊長、前です!」
兵士の叫びに指揮官が剣を構えたときには、麻衣はすでにその間合いへ入っていた。
「なっ――」
迎撃しようと振るわれた剣を《エーテルソード》が下から弾き上げる。
指揮官の両腕が開いた直後、蒼白い刀身が胸元を斜めに駆け抜けた。
指揮官の身体は声を上げる間もなく黒い靄となり、握っていた剣だけが街道へ落ちて乾いた音を立てる。
「隊長が……!」
「次の指示は!?」
「誰が指揮を執るんだ!」
命令を失った前方部隊の動きが止まり、それまで揃っていた足並みが一気に乱れた。
一部の兵士は後退しようと味方へぶつかり、別の兵士は麻衣へ向かおうとして進路を塞ぎ合う。
隊列を立て直そうと声を上げた兵士もいた。
その姿を捉えた麻衣が一瞬で間合いを詰める。
横薙ぎの一撃でその兵士を斬り伏せると、続けて左右から迫った二人の間へ踏み込み、片方の剣を受け流しながら身体を反転させた。
返す刃が一人目の胸元を斬り裂き、そのまま伸びた軌道が二人目の胴を深く薙ぐ。
二人が黒い靄となって崩れるより早く、麻衣はすでに次の集団へ向かっていた。
指揮官を失った魔族兵たちは連携を取り戻せず、正面から斬り掛かった者から次々と麻衣の斬撃へ沈んでいく。
距離を取ろうとした者も《クイック・アクセル》の加速から逃れることはできず、逃走へ転じた兵士さえ一人ずつ追い付かれていった。
蒼白い斬光が前方部隊の中を幾度も走る。
その軌跡が消えるたびに魔族兵の姿も減り、街道を埋めていた隊列は見る間に形を失っていった。
やがて残された兵士たちは武器を構えることすらできず、迫る麻衣を前に後ずさる。
「来るな……」
「来るなぁっ!」
恐怖に耐え切れなくなった魔族兵が背を向けた。
だが、麻衣はすでにその隣を駆け抜けている。
数歩進んだ兵士の身体へ斬線が浮かび、黒い靄となって崩れ落ちた。
残った者たちも逃げ場を失い、次々と《エーテルソード》の斬光へ呑み込まれていく。
最後の魔族兵が黒い靄となって消滅すると、前方部隊が立っていた場所には、折れた武器と舞い上がる土埃だけが残された。
麻衣は足を止めることなく、右側へ展開する残存部隊へ身体を向けた。
一方、左翼では、大翔が静かに魔国軍を見据えていた。
迫る魔族兵は二十人を超え、その後方では狼型や四足歩行の魔獣が低い唸り声を上げながら機を窺っている。
「来るか」
大翔が短く呟いた直後、魔族兵たちが一斉に地面を蹴った。
「殺せぇ!」
怒号とともに、正面と左右から幾本もの剣が振り下ろされる。
大翔はその場から大きく退くことなく、半歩だけ身体をずらして正面の刃をかわした。
空を切った剣に引かれるように魔族兵の身体が前へ流れ、その無防備な手首を大翔の掌底が正確に打ち抜く。
「がっ!」
握力を失った手から剣が離れ、回転しながら宙を舞った。
大翔は相手の腹部へ反対の掌を打ち込み、後方から迫っていた別の魔族兵へ押し付けるように身体を流す。
二人がもつれたところへ踏み込み、背後から振るわれた剣を身体を沈めてかわした。
伸び切った腕を掴み、その勢いのまま投げ飛ばす。
投げられた魔族兵は地面へ叩き付けられ、起き上がろうとしたところで首筋へ手刀を受け、そのまま意識を失った。
その間にも左右から二人が迫る。
大翔は一人目の剣を前腕で軌道ごと逸らし、空いた脇腹へ拳を突き入れた。
身体を折った相手を盾にするように位置を入れ替え、二人目の斬撃を防がせる。
そのまま背後へ回り込むと膝裏を蹴り抜き、体勢を崩した魔族兵の肩を押さえて地面へ沈めた。
どの攻撃も急所から僅かに外され、骨を砕くほどの威力も抑えられている。
それでも、立ち上がって再び剣を握れる者は一人もいなかった。
「こいつ、俺たちを殺していないぞ!」
「手加減されているというのか……!」
その事実へ気付いた魔族兵たちの表情に、怒りよりも強い恐怖が浮かぶ。
全力で襲い掛かっているにもかかわらず、大翔は誰一人殺すことなく、確実に戦闘能力だけを奪っていた。
「囲め! 全方向から同時に斬れ!」
前列の兵士が声を張り上げ、残った魔族兵たちが大翔の周囲へ円を描くように広がる。
前後左右から剣先を向け、逃げ道を塞ぐと一斉に踏み込んだ。
大翔は迫る刃を見渡しながら、僅かに腰を落とす。
次の瞬間、その姿が包囲の中心から消えた。
「なっ!?」
《クイック・アクセル》によって加速した大翔は、剣が中心へ届くより早く兵士たちの隙間を抜け、包囲の外側へ回り込んでいた。
空振りした兵士たちが互いの剣を慌てて止める。
その背後から大翔が踏み込み、最後列の兵士の足を払った。
倒れ込む身体を避けようとして隣の兵士が体勢を崩し、その手首を打たれて武器を落とす。
さらに背中を押された兵士が前方の仲間へ衝突し、密集していた包囲陣が内側から崩れていった。
大翔は倒れた者の間を縫うように進みながら、立っている兵士だけを狙って武器を弾き、意識を奪っていく。
相手が振るった力は正面から受け止めず、その方向へ僅かに導き、崩れたところへ必要な一撃だけを加えた。
魔族兵が剣を振り下ろすより早く、大翔はその軌道から外れている。
次の兵士が踏み込んだときには、すでにその死角へ回り込んでいた。
左翼部隊は数の優位を生かすこともできず、互いに進路を塞ぎながら次々と地面へ倒れていった。
後方から狼型魔獣が咆哮を上げ、倒れた兵士たちを飛び越えて大翔へ襲い掛かる。
大翔は逃げることなく正面へ踏み込んだ。
開かれた顎の下へ潜り込み、上体を起こす勢いとともに拳を顎へ叩き込む。
鈍い衝撃音が響き、狼型魔獣の巨体が宙へ浮いた。
そのまま横向きに地面へ落下し、土煙を巻き上げながら数メートル滑ったところで意識を失ったように動かなくなる。
「魔獣まで一撃で……」
「勝てるわけがない……」
魔族兵たちの足が止まった。
大翔は倒れた魔獣から視線を外し、残った兵士たちへ静かに向き直る。
「武器を捨てろ」
声を荒げたわけではない。
それでも、逆らえば次の瞬間には地面へ倒されると誰もが理解できるほどの重みがあった。
一人の魔族兵が剣を落とす。
それを見た隣の兵士も、震える手を開いて武器を手放した。
乾いた音が連続して街道へ響き、残った兵士たちが次々と膝をついていく。
それでも抵抗しようとした数人だけは、大翔が間合いへ入るより早く倒され、意識を失った。
左翼には、武器を捨てて降伏した者と、意識を失って倒れた魔族兵たちだけが残されていた。
その中で立っているのは、大翔ただ一人だった。




