第40話 幼馴染に手を出した代償
そのときだった。
遠方の見張り台から、けたたましい鐘の音が鳴り響く。
カン、カン、カン――。
静かな農村へ響き渡る警鐘に、畑で働いていた人々が一斉に顔を上げた。
近衛騎士たちは警鐘の意味を察し、反射的に剣の柄へ手を伸ばす。
「警戒警報……?」
王女が見張り台へ視線を向けた、その直後だった。
一頭の軍馬が土煙を巻き上げながら街道を駆けてくる。
騎乗していた騎士は王女の前で馬を止めると、素早く飛び降りて片膝をついた。
「王女殿下! 緊急報告です!」
王女の表情が険しくなる。
「申してください」
「北方方面より魔国軍部隊を確認! 規模は約二百! こちらへ接近中です!」
その報告を聞いた瞬間、穏やかだった空気は一変した。
王女は一瞬だけ目を閉じると、すぐに近衛騎士たちへ視線を向ける。
「住民の避難を最優先してください! 私たちは王都へ戻ります」
「はっ!」
近衛騎士たちは即座に散開し、農民たちへ避難を呼び掛け始めた。
「落ち着いてください!」
「王都へ避難してください!」
その声を聞き、農民たちは畑仕事の手を止めた。
幼い子どもの手を引く母親の横を、老人を乗せた荷車が慌ただしく通り過ぎていく。
農夫たちも家畜を追い立てながら、次々と王都へ向かい始めた。
先ほどまで穏やかだった農村は、瞬く間に緊張した空気へ包まれていく。
「皆様、こちらです」
王女が四人を促す。
「王都まで退避します」
「分かりました」
麻衣は短く答え、美咲もすぐ隣へ並んだ。
「麻衣……」
不安そうな声に、麻衣は小さく微笑む。
「大丈夫。私から離れないで」
その言葉に、美咲は黙って頷いた。
一行は近衛騎士に護衛されながら、王都へ続く街道を急いで進む。
城壁はすでに視界へ入っていた。
このまま進めば、数分もかからず王都へ戻れる距離だった。
そう思った、その瞬間だった。
(……違う)
麻衣の足が止まる。
魔力を感じたわけではないが、幾度となく戦場を潜り抜けてきた経験が、この静けさは異常だと告げていた。
「麻衣?」
美咲が振り返る。
その直後、先頭を進んでいた近衛騎士が右手を高く上げた。
「止まれ!」
一行が一斉に足を止める。
騎士は剣の柄へ手を掛けたまま、街道の先を鋭く睨んだ。
「どうしました!」
王女が問い掛ける。
「敵影確認! 街道前方です!」
その声と同時に、前方の林が大きく揺れた。
黒い鎧をまとった魔族が一人、また一人と姿を現し、瞬く間に街道を塞ぐように広がっていく。
さらに左手の林が揺れ、続いて右手からも木々をかき分ける音が響いた。
魔族の兵士たちが次々と姿を現し、その後方からは巨大な狼型の魔獣や四足歩行の魔獣まで低い唸り声を上げながら進み出る。
「まさか……王都への道を……」
王女が息を呑む。
「左右からも回り込まれたというのですか……」
「王女殿下!」
護衛を率いていた近衛騎士隊長が周囲を見渡した。
「左右にも敵を確認! 王都への進路を塞がれました!」
麻衣は魔族たちを静かに見据える。
(偶然じゃない。タイミングが良すぎる)
確証はない。
だが、王都へ退避する自分たちの進路を塞ぐ配置としては、あまりにも出来過ぎていた。
王女は一度だけ息を吸うと、迷いを振り切るように命じる。
「敵の殲滅は不要です! 突破口を開き、皆様を王都までお守りしてください!」
「はっ!」
近衛騎士たちは四人を囲むように陣形を組み、一斉に剣を抜いた。
朝日を受けた刃が鋭く光る。
美咲は麻衣の制服の袖を強く握り締めた。
麻衣は前方から目を離さず、大翔とはるなも周囲から迫る魔族へ視線を向ける。
街道を吹き抜けていた風が止み、辺りを重い静寂が包み込んだ。
やがて魔族の先頭に立つ指揮官が、ゆっくりと剣を掲げる。
「進め!」
低く響く号令とともに、二百を超える魔国軍が一斉に地面を蹴った。
大地を震わせる足音が街道へ響き渡り、魔族たちの咆哮が静寂を切り裂く。
「正面を押し返せ! 王都への突破口を作る!」
近衛騎士隊長の号令が響き、前衛の騎士たちが一斉に踏み出した。
剣と剣が激しくぶつかり合い、甲高い金属音が街道へ響き渡る。
先頭の近衛騎士が魔族兵の斬撃を正面から受け止めた。
だが、それは囮だった。
左右から飛び込んだ二人目、三人目の魔族兵が間髪入れず斬り込んでくる。
「ぐあっ!」
一瞬で均衡が崩れた。
一人の騎士が吹き飛ばされて地面を転がり、その空いた場所を埋めるように後列の騎士がすぐさま前へ出る。
しかし、その身体へ巨大な狼型の魔獣が猛然と突進した。
鈍い衝撃音とともに鎧が軋み、騎士は数メートル先まで弾き飛ばされる。
「第二列、前へ!」
隊長の怒号が飛ぶ。
近衛騎士たちは必死に突破口を維持しようとするが、魔国軍の猛攻は止まらなかった。
三人一組となった魔族兵が正面から剣を受け止めさせ、その隙へ左右から刃を滑り込ませる。
崩れかけた隊列へ、今度は後方から魔獣が牙を剥いた。
「右が崩れます!」
「持ちこたえろ!」
二体の狼型魔獣が同時に突進し、前衛をまとめて薙ぎ払う。
さらに四足歩行の魔獣が隊列の隙間へ潜り込み、騎士たちを次々と弾き飛ばしていった。
「くっ……!」
その横を抜けようとした魔族兵へ、大翔が踏み込む。
振り下ろされた剣を紙一重でかわすと、そのまま懐へ入り込み、掌底を鎧の胸元へ叩き込んだ。
鈍い衝撃音とともに魔族兵の身体が地面へ叩き付けられる。
「こっちは任せろ!」
大翔が左側から回り込む敵へ向き直る。
その反対側では、はるなが迫ってきた狼型魔獣の突進を身体を捻ってかわし、すれ違いざまに側頭部へ鋭い蹴りを叩き込んだ。
狼型魔獣の巨体が横へ大きく崩れる。
「右から来ます!」
はるなは近衛騎士へ声を掛けながら、さらに二体目の魔獣へ向かう。
大翔とはるなが左右からの回り込みを食い止め、近衛騎士たちは中央に突破口を作ろうと必死に前線を支えていた。
それでも、数の差はあまりにも大きい。
街道は瞬く間に乱戦へ変わり、倒れた騎士と魔族の間を縫うように敵が次々と押し寄せてくる。
王女は腰の剣へ手を掛けた。
「私も――」
「なりません!」
一人の近衛騎士が王女の前へ立ちはだかる。
「殿下はお下がりください!」
その言葉が終わるより早く、倒れた騎士たちの間を一人の魔族兵がすり抜けた。
乱戦の隙を抜け、一直線に王女へ迫る。
「王女殿下!」
同時に別方向でも、一人の魔族兵が近衛騎士の横を抜けた。
その視線の先にいたのは、美咲だった。
「えっ……!」
振り上げられた剣を見て、美咲の身体が強張る。
「美咲!」
麻衣の身体が反射的に動いた。
美咲の前へ滑り込む。
「《フィジカル・ブースト》」
全身へ魔力が駆け巡る。
「《クイック・アクセル》」
周囲の動きが一気に遅くなる。
麻衣は右手を静かに前へかざした。
「《エーテルソード》」
蒼白い光が収束し、一振りの魔力剣が瞬時に形成される。
それでも魔族兵は構わず剣を振り下ろした。
次の瞬間、麻衣の姿が消える。
「なっ――」
魔族兵が目を見開く。
気付いたときには、麻衣はすでにその懐へ入り込んでいた。
一閃。
蒼白い斬光が街道を駆け抜ける。
魔族兵は数歩だけ前へ進み、その全身へ一本の斬線が走った。
次の瞬間、その身体は黒い靄となって崩れ落ち、跡形もなく消滅する。
麻衣は止まらない。
地面を蹴ると、その勢いのまま王女へ迫っていた魔族兵との間合いを一瞬で詰めた。
魔族兵が慌てて剣を向ける。
だが、遅い。
返す刃が首筋を薙ぎ払う。
二人目の魔族兵も断末魔を上げる暇すらなく、黒い靄となって消滅した。
あまりにも速かった。
近くにいた騎士たちは目を見開き、麻衣を見つめたまま動かなかった。
麻衣はすぐに振り返った。
視線の先にいる美咲の全身を確かめる。
怪我はない。
それを確認した瞬間、麻衣の表情から穏やかな色が消えた。
ゆっくりと魔国軍へ視線を戻す。
「……美咲に手を出した」
低く漏れた声は、驚くほど静かだった。
怒鳴ることも、感情を露わにすることもない。
それでも次の瞬間、麻衣を中心に凄まじい殺気が音もなく広がった。
敵も味方も、その場で動きを止める。
「な、なんだ……」
一人の魔族兵が思わず後ずさった。
剣を握る手が震え、その隣にいた兵士も顔を青ざめさせる。
「身体が……動かない……」
近衛騎士たちも息を呑んだ。
王女は言葉を失い、目の前に立つ麻衣を驚愕の表情で見つめている。
はるなも動きを止めた。
数々の戦場を経験してきた勇者である彼女でさえ、麻衣から放たれる圧力を前に表情を強張らせていた。
大翔は静かに麻衣を見つめる。
その表情からも、先ほどまでの余裕は消えていた。
「……これは、止められないな」
低く呟き、大翔はそれ以上何も言わなかった。
ただ一人、美咲だけは麻衣を恐れていなかった。
目の前に立つ幼馴染の背中を見つめ、心配そうに小さく声を掛ける。
「麻衣……」
麻衣は静かに《エーテルソード》を構え直した。
蒼白い刀身が揺らめく中、魔族兵たちは誰一人として不用意に踏み込めない。
もはや戦場を支配しているのは魔国軍ではなく、ただ一人、麻衣だけだった。
麻衣は立ち尽くす魔族たちを冷たく見据える。
「……もう、一人も逃がさない」
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