第39話 守るべき景色
その頃。
国王執務室。
謁見を終えた国王は執務室へ戻ると、静かに椅子へ腰を下ろした。
部屋には第一王女とグリーンヒル騎士団長だけが残っている。
重苦しい静寂が流れる中、国王はゆっくりと口を開いた。
「……まず確認しておきたい。本来、勇者召喚は一名のはずだ。それが今回は四名。同時召喚など歴史上聞いたことがない。この事態を二人はどう見ている」
王女は静かに一礼した。
「召喚の間を確認いたしましたが、魔法陣に異常は確認できませんでした。歴代の記録を調べても、同様の事例は残されておりません。現時点では原因は不明でございます」
国王は小さく頷いた。
「召喚術式そのものに異常はない。しかし結果だけが異なる、か」
「はい」
国王は腕を組み、しばらく考え込む。
「少なくとも、あの四名が召喚されたことには理由があるはずだ。偶然とは考えにくい」
王女も同意するように頷いた。
「私もそのように存じます」
国王は騎士団長へ視線を向ける。
「騎士団長。加山麻衣という少女について報告せよ」
騎士団長は一歩前へ進み、恭しく頭を下げた。
「はい、陛下。加山麻衣様は、ご自身を勇者ではなく、元の世界では『超能力者』であると話されておりました」
国王はわずかに眉をひそめた。
「超能力者……聞き慣れぬ名だな」
「私も詳しくは存じません。ただ、ご本人は勇者として授かった力ではなく、元の世界で元より持っていた力であると説明されておりました」
国王は静かに頷く。
「つまり、それが本人の認識ということだな」
「はい」
王女は静かに言葉を継いだ。
「一方で、加山麻衣様のお話は他の三名とは明らかに異なっておりました。初代魔王が異世界人であったこと、人族と魔族の歴史、さらには千年前の出来事まで、ご自身の経験であるかのように語られていたのです」
国王は静かに息を吐く。
「余も気になっておった。我らが伝承としてしか知らぬ歴史を、あまりにも迷いなく話していた」
騎士団長は少し考え込むように目を伏せた。
「陛下。もう一つ、ご報告したいことがございます」
「申せ」
「加山麻衣様は、私が異世界より現世へ渡っていたことを察しておられました。しかし、その後も元の世界へ帰還できるかどうかを一度もお尋ねになりませんでした」
国王は静かに騎士団長を見る。
「……確かに、不自然ではあるな」
「私の推測に過ぎませんが、私の存在そのものから、元の世界へ帰還する手段が存在すると悟られたのではないかと思われます」
王女は小さく息をのんだ。
「そのようなことまで、あの短時間で……」
国王はゆっくりと頷く。
「十分あり得る話だ」
騎士団長は姿勢を正した。
「私にも加山麻衣様が何者なのかは分かりません。しかし、一つだけ断言できます」
国王と王女は騎士団長へ視線を向ける。
「彼女は決して敵ではありません。もし敵であったなら、私はあの場で命を落としておりました」
執務室に静寂が満ちる。
国王は騎士団長の表情を見つめた。
「そこまで言い切るのだな」
「はい。私は加山麻衣様のお力をこの目で見ました。ヴァルグを退けながら私を傷つけることはなく、命まで救ってくださいました。あの方に敵意があったとは到底思えません」
王女も静かに頷いた。
「私も同じ印象です。警戒は必要でしょう。しかし、少なくとも今は私たちを害そうとは考えておられないように感じました」
国王は立ち上がると、窓の外へ広がる王都の灯を見つめた。
「四人同時召喚。その理由はまだ分からぬ。加山麻衣という少女の正体も分からぬ。ならば今は推測ではなく、事実を積み重ねるしかあるまい」
国王は二人へ振り返る。
「明日以降も四人を王国の賓客として遇せよ。礼を尽くし、信頼を損なうことのないよう努めよ」
「「はっ」」
二人は力強く一礼した。
王都の夜は、静かに更けていった。
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな朝日が、部屋の中をゆっくりと明るく染めていく。
麻衣は静かに目を開き、ゆっくりと身体を起こした。
見慣れない天井が視界へ入る。
「……アストナル、だったね」
小さく呟きながら、昨夜までの出来事を思い返す。
修学旅行中だったはずが、勇者召喚によってアストナルへ連れてこられ、国王との謁見を終えたあと、王城の客人として一夜を過ごした。
夢ではないのだと改めて実感した麻衣は、ベッドから降りて窓際まで歩いた。
カーテンを開けると、朝日に照らされた王都が眼下へ広がっていた。
石造りの建物が淡い光を受け、市場では商人たちが店を開く準備を始めている。
遠くに見える王都外郭の城壁では、見張りを終えた兵士と交代の兵士が行き交っていた。
「平和そうに見えるけど……」
麻衣は窓の外を眺めたまま、呟いた。
昨日、国王から聞かされた話では、人族は魔国軍の侵攻を受け、各地の防衛線を次々と突破されている。
王都を守る最後の防衛線まで突破され、現在は王都とその周辺地域を含む最終防衛圏で魔国軍の侵攻を食い止めている状態だった。
それでも、目の前に広がる街並みからは、国が滅亡寸前まで追い詰められているとは思えない。
人々は変わらず朝を迎え、それぞれの生活を始めようとしていた。
そのとき、部屋の扉が控えめに叩かれる。
「麻衣ー。起きてる?」
聞き慣れた美咲の声だった。
「起きてるよ」
返事をすると扉が開き、美咲が部屋の中へ顔を覗かせる。
窓際に立っている麻衣の姿を確認した途端、その表情から緊張が抜けた。
「良かった。ちゃんと眠れた?」
「寝起きで最初に聞くこと?」
麻衣は思わず苦笑した。
「だって心配なんだもん」
「私は大丈夫」
「なら安心!」
美咲は満足そうに頷き、そのまま応接室へ入っていく。
その直後、隣に並ぶ二つの扉が相次いで開き、大翔とはるなも応接室へ姿を見せた。
「おはよう」
「おはようございます」
四人は互いに朝の挨拶を交わした。
麻衣は、はるなの表情を確かめるように視線を向ける。
「結城さん。昨日のこと、久我くんに話した?」
何を指しているのかすぐに理解したはるなは、一度だけ大翔を見てから小さく頷いた。
「はい。私が第十七代勇者ソフィアだったことも、前世の記憶を思い出していることも、全部お話ししました」
「そっか」
麻衣は二人の様子を見比べ、わずかに表情を和らげた。
「俺も全部聞いた」
大翔も落ち着いた様子で頷く。
「それなら良かった」
そのやり取りを聞いていた美咲が、不思議そうに首を傾げる。
「ソフィアって? 何の話?」
麻衣は一瞬だけ間を置いてから、美咲へ穏やかに笑い掛けた。
「何でもないよ。あとでちゃんと話すから」
「そっか」
美咲は少し気になった様子を見せながらも、それ以上は聞かなかった。
麻衣は話題を切り替えるように二人へ視線を向ける。
「二人とも、昨日は眠れた?」
麻衣が改めて尋ねると、大翔は短く息を吐いてから頷いた。
「ああ。久しぶりに、この世界で眠った気がする」
その言葉に、はるなが隣から大翔を見上げる。
大翔は窓の外へ視線を向けたまま、どこか懐かしそうに目を細めていた。
麻衣も美咲も何も言わず、しばらくその様子を見守った。
やがて、応接室の扉が再び叩かれる。
「皆様、おはようございます」
扉を開けて入ってきた侍女が、四人へ向けて丁寧に一礼した。
「王女殿下がお待ちでございます。朝食のご用意が整いましたので、食堂までご案内いたします」
「ありがとうございます」
麻衣が代表して礼を返す。
四人は侍女の案内に従い、応接室を後にした。
食堂へ到着すると、王女が席を立ち、四人を穏やかな笑みで迎えた。
「皆様、おはようございます。昨夜はゆっくりお休みになれましたでしょうか」
「はい」
麻衣たちがそれぞれ頷くと、王女も安堵したように表情を和らげた。
「それは何よりです。本日は王都と、その周辺をご案内したいと考えております。短い時間ではございますが、この国の現状を皆様ご自身の目で見ていただければ幸いです」
「よろしくお願いします」
麻衣が答えると、美咲、大翔、はるなも続いて頭を下げた。
朝食を終えた一行は、近衛騎士数名を伴って王城を後にする。
王城の正門を出ると、目の前には王都の中心部が広がっていた。
そこから真っすぐ延びる石畳の大通りには露店が軒を連ね、焼き立てのパンの香りや香辛料の匂いが風に乗って漂ってくる。
通りには野菜や果物を並べる商人や、買い物を楽しむ家族連れが行き交っている。
荷馬車を引く御者の掛け声に子どもたちの笑い声まで重なり、街は朝から活気に満ちていた。
「思っていたより普通ですね」
はるなが周囲を見回しながら呟く。
「ええ」
王女も街並みへ視線を向けた。
「人族は今、魔国との戦いで追い詰められております。ですが、人々から日常まで奪ってしまえば、この国そのものが立ち行かなくなります。だからこそ王都では、可能な限り普段どおりの暮らしを守るよう努めているのです」
大翔は何も言わず、街並みを静かに見渡していた。
時折、古い建物や通りの先へ視線を止めては、何かを確かめるように目を細めている。
麻衣も同じように人々の姿を目で追った。
店先では親子が笑い合い、職人たちは仕事場へ向かい、露店では客と商人が値段を巡って言葉を交わしている。
戦争の最前線にある国とは思えないほど、そこには穏やかな日常が息づいていた。
「……平和に見える」
思わず漏れた麻衣の言葉に、王女は静かに頷く。
「この景色は、多くの兵士たちが命を懸けて守り続けているものです。だから私は、王族として最後までこの人々を守り抜きたいと思っています」
その言葉を聞き、四人は改めて街並みを見渡した。
王女の視線は、通りを行き交う人々へ静かに向けられていた。
やがて王都中心部の散策を終えた一行は、王都外郭の門を抜け、郊外へと向かった。
王都周辺の農地は最終防衛圏の内側にあり、魔国軍と対峙する前線はさらに外側に築かれている。
外郭の門を抜けると王都の喧騒は少しずつ遠ざかり、穏やかな風が一行を包み込んだ。
街道の両側には広大な畑が広がり、風に揺れる小麦が朝日に照らされて金色の波をつくっていた。
農民たちは鍬を振るい、収穫した作物を荷車へ積み込み、水路の流れを確かめながら、それぞれの持ち場で忙しく働いている。
少し離れた牧草地では牛や羊が草を食み、子どもたちが笑い声を上げながら家畜の世話を手伝っていた。
王女は歩みを緩め、その景色へ静かに視線を向ける。
「こちらが王都周辺の農地です。戦時下ではありますが、食料の生産を止めることはできません。前線で戦う兵士たちを支えているのも、この地で働く人々です」
美咲は広がる畑と、作物を積んでいく荷車を交互に見た。
「ここで作った食べ物が、前線にも送られてるんですか?」
「ええ。王都で暮らす人々だけでなく、最終防衛圏を守る兵士たちへも運ばれています」
王女は穏やかに頷いた。
「剣を持って戦う者だけで、この国を守ることはできません。畑を耕す者も、物資を運ぶ者も、それぞれの場所で戦いを支えているのです」
麻衣も畑へ視線を向ける。
風に揺れる麦畑の向こうでは、人々が声を掛け合いながら仕事を続け、子どもたちの笑い声も絶えることなく聞こえていた。
その穏やかな風景は、日本で見慣れた田園の景色とどこか重なって見えた。




