第38話 想いを交わした夜
侍女の案内で廊下を進むと、やがて一つの広い応接室へたどり着いた。
部屋の中央には長椅子とソファが向かい合うように置かれ、奥には夜風を取り込む大きなガラス扉が見える。
その扉の先には、王都を一望できる広いベランダが続いていた。
侍女は応接室の周囲に並ぶ四枚の扉へ順番に視線を向ける。
「こちらが皆様のお部屋でございます。お一人につき一部屋ずつご用意いたしました。中央の応接室は、ご自由にお使いください。ベランダへもこちらからお入りいただけます」
王女も穏やかに頷いた。
「ご不便がございましたら、遠慮なくお申し付けください」
四人はそれぞれ礼を返す。
「ありがとうございます」
王女と侍女たちは一礼すると、静かに部屋を後にした。
応接室には四人だけが残る。
「すごい……」
美咲は応接室を見回したあと、四つの扉を順番に眺めた。
「一人一部屋なんだ。さすが王城だね」
麻衣も小さく頷く。
「来賓用なんだろうね」
大翔とはるなも周囲を見回しながら、感心したように息をついた。
「それじゃ」
麻衣が応接室の中央で三人を見回す。
「今日はもう休もうか」
三人も頷く。
「うん」
それぞれ自分の部屋へ入り、就寝の準備を始めた。
しばらくして。
はるなは部屋着へ着替え、自室の扉を静かに開けた。
中央の応接室には誰もいない。
柔らかな灯りだけが室内を照らしていた。
はるなは応接室を横切ると、大翔の部屋の前で足を止める。
一度だけ深呼吸し、小さく扉を叩いた。
コン、コン。
少し間を置いて、部屋の中から声が返ってくる。
「はい」
「久我くん。少し話せる?」
数秒の沈黙。
「……ああ」
扉が開き、部屋着姿の大翔が姿を現した。
「どうした?」
はるなは少し照れたように笑う。
「話したいことがあるの」
その表情を見た大翔は、何かを察したように頷いた。
「分かった」
二人は並んで応接室を歩き、奥にある大きなガラス扉を開ける。
夜風が吹き込み、カーテンがわずかに揺れた。
二人はそのままベランダへ出た。
眼下には王都の灯りが広がり、夜空には無数の星が瞬いている。
しばらく景色を眺めたあと、はるなが静かに口を開いた。
「実はね」
一度だけ言葉を切る。
「私……記憶、戻ってるの」
大翔は驚いたようにはるなを見た。
「いつからだ?」
「拉致された時から」
その答えに、大翔は目を見開く。
「……一か月以上も前からか」
はるなは小さく頷いた。
「うん。ずっと話そうと思ってた。でも、どう話せばいいのか分からなくて」
大翔は苦笑する。
「それは責められない。俺でも同じだったと思う」
はるなは安心したように微笑んだ。
「ありがとう」
夜風が二人の間を吹き抜ける。
はるなは夜空を見上げながら、小さく笑った。
「ソフィアだった最後の日、覚えてる?」
大翔は静かに頷く。
「ああ。忘れるはずがない」
はるなの表情が少しだけ柔らかくなる。
「久我くん、最後まで私の手を握っていてくれたよね? あの時、本当に嬉しかった。最後まで一人じゃなかったから」
大翔は照れくさそうに頬をかいた。
「……あれしかできなかった。もっと他に、何かできたんじゃないかって何度も思ったよ」
はるなは首を横に振る。
「ううん。あれで十分だった。最後に久我くんがそばにいてくれた。それだけで十分幸せだったよ」
大翔は何も言えず、ただ夜景へ視線を向ける。
しばらく二人は何も話さなかった。
夜風だけが、ゆっくりと吹き抜けていく。
穏やかな沈黙が流れる。
ふと、はるなが何かを思い出したように大翔へ顔を向けた。
「そういえば、久我くん」
「ん?」
「一つ聞いてもいい?」
「ああ」
はるなは少し首をかしげる。
「娘って、何?」
大翔は一瞬だけ動きを止めた。
「……え?」
「国王様との話で出てきたよね。先代魔王の娘が魔王になったって」
「ああ……」
大翔は気まずそうに頭をかく。
「その、まあ……」
言葉を探すように視線を泳がせる。
「千年も生きていれば、その……いろいろあってな」
はるなはじっと大翔を見つめる。
「それって、結婚してたってこと?」
「……そうなる」
「じゃあ、奥さんもいたの?」
「……いた」
「子どもも?」
「……いた」
はるなは数秒間、何も言わなかった。
大翔はその沈黙に耐えきれず、慌てて口を開く。
「いや、その頃は魔王として国を治めていたし。王として家族を持つ必要もあったというか……。そういう時代だったんだ」
はるなは小さく息を吐いた。
「……そっか」
そう答えたものの、どこか浮かない表情をしている。
大翔は不思議そうに首をかしげた。
「どうした?」
はるなは少しだけ頬を膨らませる。
「なんか複雑」
「複雑?」
「頭では千年前のことだって分かってる。でも久我くんに奥さんがいて、娘までいたって聞くと……」
一度言葉を切り、小さく視線を逸らした。
「ちょっとだけ、嫉妬しちゃう」
大翔は思わず固まった。
「えっ……」
「だって」
はるなは照れ笑いを浮かべる。
「好きな人のそういう話を聞いたら、少しくらい気になるものでしょ?」
言い終えた瞬間だった。
「…………」
「…………」
二人の間に沈黙が落ちる。
はるなの笑顔がゆっくり固まっていく。
「……あ」
自分が何を言ったのか理解した瞬間、みるみる頬が赤く染まった。
「ち、違っ……!」
慌てて両手を振る。
「いや、違わないんだけど! そうじゃなくて! えっと、その……!」
言葉がまとまらない。
大翔も完全に固まっていた。
「…………」
何か言おうとして口を開くものの、声にはならない。
二人とも真っ赤なまま視線を合わせられず、夜風だけが静かに吹き抜けていった。
しばらくして、大翔がぎこちなく口を開いた。
「……ありがとう」
その一言に、はるなは目を丸くする。
「え?」
大翔は照れくさそうに頭をかいた。
「そんなふうに思ってくれてたんだな。正直、嬉しかった」
はるなはまだ頬を赤くしたまま、小さく俯く。
「うぅ……。勢いで言っちゃっただけだから! 本当は、もう少しちゃんと伝えようと思ってたのに……」
大翔は小さく笑った。
「でも、嬉しかった」
はるなはゆっくりと顔を上げる。
「本当に?」
「ああ。ソフィアの頃から、お前は俺にとって大切な人だ」
大翔は一度息をつき、照れを残したまま言葉を続ける。
「今は結城はるなとして生きている。それでも、この気持ちは変わらない」
はるなの瞳が大きく揺れた。
「それって……」
大翔は照れ隠しのように苦笑する。
「今の返事としては、それが精一杯だ」
はるなは数秒間、大翔を見つめていた。
やがて、ふっと笑みを浮かべる。
「……ずるい」
「え?」
「そんな言い方されたら、私だけ恥ずかしいじゃない」
大翔も苦笑した。
「悪い」
「また謝る」
「癖みたいなものだ」
その言葉に、はるなは思わず吹き出した。
「ふふっ。本当に変わらないね」
二人は顔を見合わせ、小さく笑い合う。
照れくささは残っていたが、それでもどこか温かな空気が二人を包んでいた。
笑みが落ち着くと、はるなの表情が少しだけ真剣になる。
「でもね。今日、一番驚いたのは麻衣さんだった」
大翔も頷いた。
「ああ」
「私を第十七代勇者だって言い当てた時も驚いた。でも、それ以上に……」
はるなは大翔を見つめる。
「初代魔王のことまで知っていたのが、本当に怖かった」
大翔は王都の灯りへ視線を向けた。
「俺も同じだ。敵じゃないことは分かる。それは今日一日で十分伝わった。でも、なぜ俺たちのことを知っているのか、それだけは分からない」
はるなも静かに頷いた。
「国王様の前で話していた千年前の話も、本当だった。あそこまで知っている人なんて、本来いるはずがない」
大翔はゆっくりと息を吐く。
「まるで、自分の目で見てきたことを話しているようだった」
二人は顔を見合わせた。
「麻衣さんは……一体何者なんだろう」
はるなの呟きに、大翔も穏やかに答えた。
「分からない。でも、敵じゃない。それだけは信じられる」
はるなは穏やかに微笑んだ。
「うん」
二人は肩を並べたまま、しばらく王都の夜景を眺め続けていた。




