第37話 命の恩人と呼ばれた理由
麻衣は一度息をつくと、三人を見回した。
「じゃあ、あの騎士団長さんと会った時の話をするね」
三人は揃って頷いた。
「放課後、住宅街で尾行されてることに気付いて、その人へ声を掛けたの」
美咲が目を見開く。
「いつから?」
「最初の日から」
「最初から!?」
「うん」
「なんで言わないの!」
「害はなさそうだったから」
美咲は額へ手を当て、深く息を吐いた。
「尾行されてる時点で十分危ないよ……」
「そうかな?」
「そうだよ!」
麻衣は美咲の勢いに押されながら、話を続ける。
「それで、話を聞こうとしたら急に閉鎖空間が展開されたの」
大翔とはるなの表情が同時に変わった。
「閉鎖空間……?」
はるなが身を乗り出し、大翔も麻衣へ視線を向ける。
「あの世界の魔法が、こちらでも使われたのか?」
「うん。私は騎士団長さんが展開したと思った」
麻衣は頷いた。
「だから逃がさないように拘束しようとしたんだけど、向こうは私が急に攻撃してきたと思ったみたい」
美咲は目を瞬かせた。
「待って」
「なに?」
「二人とも戦うつもりはなかったの?」
「なかったよ」
「なのに戦ったの?」
「うん」
「なんで?」
「お互い勘違いしてたから」
美咲は両手で顔を覆った。
「何それ……」
大翔とはるなも言葉を失い、揃って麻衣を見つめる。
麻衣はその視線から逃れるように、美咲へ顔を向けた。
「途中で向こうが『閉鎖空間だと!?』って驚いてね」
「そこで、その人が作ったんじゃないって分かったの?」
「うん。聞いたら、その人も閉鎖空間が展開されてることに気付いてなかった」
「じゃあ、作ったのは別の誰か?」
「そういうこと」
美咲は嫌な予感を覚えたように眉を寄せる。
「それで終わった?」
「終わらなかった」
麻衣は首を横へ振った。
「その直後に、魔族と魔獣が現れたの」
「魔族が、こちらへ来ていたの……?」
はるなが息をのみ、大翔もわずかに身を乗り出した。
「魔獣まで一緒に?」
「うん。魔族の名前はヴァルグ」
大翔の眉がわずかに動いた。
その名に何か引っ掛かるものがあるのか、しばらく考え込むように視線を落とす。
だが、何も言わずに再び麻衣へ顔を向けた。
麻衣は話を続ける。
「最初は騎士団長さんが魔獣を引き受けてくれたから、私はヴァルグを相手にしたの」
「それなら、まだ分かる」
美咲が僅かに肩の力を抜く。
「でも、途中で魔獣が私を狙ってきたから倒した」
美咲の動きが止まった。
「……うん?」
「そのあと、ヴァルグも倒した」
応接室に沈黙が落ちた。
大翔とはるなも目を見開き、麻衣を凝視している。
「待って」
美咲が麻衣へ片手を向けた。
「なに?」
「今、魔獣を倒したって言った?」
「言ったよ」
「そのあと、ヴァルグも倒したの?」
「うん」
「何でそんな、買い物のついでみたいに言うの!?」
美咲が立ち上がり、麻衣は僅かに身を引いた。
「順番に説明しただけなんだけど」
「順番の問題じゃない!」
「じゃあ、どう言えばよかったの?」
「まず、もっと重大そうに言って!」
「重大そうに?」
「そこから分からないの!?」
美咲の声が応接室へ響き、麻衣は返事に詰まる。
大翔とはるなは思わず顔を見合わせた。
二人とも、先ほど国王を相手に一歩も引かなかった時とはまるで違う麻衣の姿に、しばらく言葉が出てこない。
麻衣は額へ手を当てながら話を戻す。
「それで、ヴァルグを倒したあとに閉鎖空間が解除されて、騎士団長さんがお礼を言ってきたの」
「それが命の恩人って話?」
「うん」
美咲は腕を組み、麻衣を真っ直ぐ見つめる。
「ねえ」
「なに?」
「これのどこが『ちょっと色々』なの?」
麻衣は美咲から視線を逸らした。
「……ちょっとではなかったかも」
「全然ちょっとじゃない!」
「うん」
「尾行されて、閉鎖空間に閉じ込められて、魔獣と魔族を倒したんでしょ!?」
「そうなるね」
「他人事みたいに言わないで!」
麻衣は口を閉じた。
美咲はさらに一歩詰め寄る。
「しかも怪我は?」
「してないよ」
「本当に?」
「本当」
「無茶は?」
「……したかも」
「したんじゃん!」
麻衣は完全に返す言葉を失い、美咲の前で僅かに肩を落とした。
「……ごめんなさい」
美咲は数秒だけ麻衣を見つめたあと、腕を解いた。
「分かればよろしい」
そのやり取りを見ていた大翔とはるなは、もう一度顔を見合わせる。
国王を前にしても態度を変えなかった麻衣が、美咲には逆らわず素直に謝っている。
二人はそんな麻衣の姿を前に、揃って何とも言えない表情を浮かべていた。
しばらくして、応接室の扉が控えめに叩かれた。
「失礼いたします」
侍女が一礼して部屋へ入る。
「夕食のご用意が整いました」
その後ろから王女も姿を見せ、四人へ穏やかに微笑んだ。
「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」
四人は席を立つ。
美咲は麻衣を見て笑う。
「話の続きは、またあとでね」
麻衣も笑って頷いた。
「うん」
四人は王女の後に続き、応接室を後にした。
案内された食堂は、高い天井と大きな窓を備えた落ち着いた空間だった。
夕日に照らされた窓から城下町が一望でき、室内には焼きたてのパンや香草の香りが漂っている。
長い食卓には白いクロスが掛けられ、銀食器が整然と並べられていた。
四人が席へ着くと、侍女たちが次々と料理を運び始める。
焼きたてのパンから湯気が立ち、侍女が皿を置くたびに香草の香りが食卓へ広がっていく。
美咲のお腹が小さく鳴った。
そして、大きな皿へ盛られた香草入りの煮込み料理が卓上へ置かれた。
その皿を見た瞬間、大翔の視線が止まる。
「これは……?」
思わず漏れた声に、王女が微笑んだ。
「お気になりましたか?」
「はい」
「この地方で古くから親しまれている郷土料理です。王都では祝いの日によく並ぶ料理なんですよ」
大翔は小さく頷いた。
「そうですか」
皿を見つめたまま、ゆっくりとナイフを入れる。
柔らかな肉を口へ運び、しばらく噛み締めた。
「……懐かしい味だ」
隣のはるなが顔を向けた。
「久我くん?」
大翔は我に返ったように笑った。
「あ……いや。何となく、そう思っただけ」
はるなは少し首をかしげたが、それ以上は聞かなかった。
麻衣の視線だけが一瞬、大翔へ向く。
何も言わず、料理へ視線を戻した。
料理は次々と運ばれ、四人は異世界ならではの食材や味付けを楽しみながら食事を進めていく。
「これ、美味しい」
美咲が目を輝かせる。
「見た目は全然違うのに、意外と食べやすいね」
麻衣も頷いた。
「うん。香辛料は少し違うけど、日本人でも食べやすい味付けだと思う」
王女は嬉しそうに微笑む。
「お気に召していただけたようで何よりです」
食卓には先ほどまでの重苦しい空気はなく、笑い声が自然と交わるようになっていた。
やがて最後の料理と温かな飲み物が運ばれ、夕食は締めくくられた。
王女は四人を見渡し、優しく微笑む。
「皆様、お疲れでしょう。客室へご案内する前に、ご入浴をご用意しております」
美咲が目を丸くした。
「お風呂まであるんですか?」
王女は頷く。
「はい。本日は王族が利用しております大浴場をご利用ください」
「えっ、本当に?」
美咲は思わず麻衣を見る。
麻衣も少し驚いたように笑った。
「ありがとうございます」
王女は一礼する。
「では、ご案内いたします」
大翔とは途中で別れ、麻衣たち三人は侍女に案内されて大浴場へ向かった。
案内された浴場は、白い石造りの広々とした空間だった。
高い天井へ湯気がゆっくりと立ち上り、柔らかな灯りが浴場全体を包み込んでいる。
壁際いっぱいに広がる湯船では、澄んだ湯がゆるやかに揺れている。
縁から溢れた湯は、石畳を細い流れとなって伝っていた。
「広っ……」
美咲は思わず声を漏らす。
「学校の修学旅行のお風呂より広いかも」
麻衣も浴場を見回した。
「確かに」
「王族って毎日こんなお風呂に入ってるのかな」
「そうかもね」
「帰りたくなくなるね」
「帰れなくても困るけど」
「それもそうか」
三人は身体を洗い終えると、ゆっくりと湯船へ身を沈めた。
「あぁ~……」
美咲が肩まで湯へ浸かり、大きく息を吐く。
「生き返る……」
その言葉に、麻衣は思わず笑った。
「まだ一日しか経ってないけどね」
「一日なのに濃すぎるんだよ」
美咲は苦笑する。
「朝は日本にいたのに、気付いたら異世界で国王様に会ってるんだよ?」
「確かに」
麻衣も苦笑しながら頷いた。
「こんな一日、もう二度とない気がする」
「そう思いたい」
三人の間に小さな笑いが広がる。
笑い声が静まると、浴場には湯の流れる音だけが残った。
はるなは湯船の縁へ腕を乗せ、ぼんやりと湯面を眺めている。
麻衣はその横顔へ目を向けた。
「結城さん」
はるなが顔を上げる。
「なに?」
麻衣は少しだけ声を落とした。
「そろそろ久我くんに話した方がいいよ」
はるなの表情が止まる。
麻衣は続けた。
「もう矛盾がすごいから」
はるなは何も答えず、湯面へ視線を落とした。
揺れる湯へ指先が触れ、小さな波紋が幾重にも広がっていく。
しばらく黙っていたはるなは、小さく頷いた。
「……うん」
麻衣もそれ以上は何も言わなかった。
美咲は二人の様子を横目で見たものの、何も聞かずに湯船へ身体を預ける。
三人はしばらく誰も口を開かなかった。
浴場には湯の流れる音だけが響いていた。
やがて、侍女が脱衣所の外から控えめに声を掛ける。
「お着替えのご用意が整っております」
「ありがとうございます」
三人は湯船から上がり、身体を拭いて脱衣所へ戻った。
用意されていた寝間着へ着替えると、侍女の案内で客室へ向かう。
廊下には魔道具の灯りだけが並び、足音だけが響いていた。




