第28話 仁和寺に吹く風
龍安寺を出発したバスは、落ち着いた住宅街の中をゆっくりと走っていた。
車窓には低い瓦屋根の家々が続き、その向こうには緑濃い山並みが穏やかに広がっている。
観光地の賑わいを離れた景色を眺めていると、車内にも自然とゆったりとした空気が流れていた。
「龍安寺、思ってた以上に静かだったね。最初は石しかないのかなって思ってたけど、見てるうちに不思議な気分になった」
優香が窓の外を眺めながら、しみじみと呟く。
「何も置かれていないからこそ、想像する余地があるんだろうね。同じ景色なのに、人によって見え方が違うって書いてあったし」
美咲はそう答えながら、膝の上へ置いていたパンフレットを閉じた。
「私も十四個までしか見つけられなかった。全部見えないって本当だったね」
奈緒がさらりと言う。
「最後の一個、どこにあったんだろう」
優香が身を乗り出す。
「それが分からなかった」
「やっぱり見えないんだね」
優香が吹き出すと、美咲も思わず笑い、麻衣も小さく肩を揺らした。
穏やかな笑い声が車内へ広がる。
やがてバスは速度を落とし、仁和寺近くの駐車場へ入った。
停車すると、先生の声が車内へ響いた。
「それじゃあ仁和寺を見学します。集合は一時間後だから、時間を確認しながら行動するように」
「「「「はーい」」」」
生徒たちは荷物を確認しながら、順番にバスを降りていく。
麻衣たちも列に続き、初夏の空気の中へ足を踏み出した。
木陰を吹き抜ける風は心地よく、照りつける日差しの熱を和らげてくれる。
蝉の声はまだ聞こえず、木々の間から鳥のさえずりだけが静かに届いていた。
「気持ちいいね。歩きやすい気温で助かった」
優香が大きく息を吸い込む。
「昨日も日向は結構暑かったし、真夏だったらもっと大変そう」
奈緒が木陰から差し込む陽射しを見ながら苦笑する。
「今日は天気にも恵まれたね」
美咲が青空を見上げながら微笑んだ。
雲は少なく、柔らかな陽射しが参道と周囲の木々を明るく照らしている。
四人は参道をゆっくりと歩き始めた。
石畳の先には、堂々とした二王門が姿を現す。
重厚な屋根を太い柱が支え、落ち着いた朱色の門構えが青空の下にそびえていた。
近づくにつれ、その大きさがより実感として伝わってくる。
「すごい……写真で見るよりずっと大きい」
優香は思わず立ち止まった。
「高さだけじゃなくて横幅もあるね。お寺というより、お城の門みたい」
麻衣は門全体を見上げながら静かに言う。
「皇室との関わりの深いお寺なんだって。御所から移された建物もあるみたい」
奈緒はパンフレットへ目を落としながら答えた。
「だから雰囲気が少し違うんだ」
美咲は門の奥へ続く境内を見つめる。
「龍安寺は座ってじっくり見る感じだったけど、ここは歩いて回る方が楽しそう」
「確かに」
麻衣は門の向こうへ続く広い参道へ視線を向けた。
人の話し声は聞こえているのに、境内の広さがそれを遠く感じさせていた。
二王門をくぐると、奥へ伸びる参道と境内の広さが改めて目に入った。
白い砂利が敷かれた参道の先には金堂が建ち、さらに奥では五重塔が木々の間から姿を見せていた。
参道を歩く人々も、ときおり足を止めながら周囲の景色を眺めていた。
「広いねぇ……さっきまでいた龍安寺とは全然雰囲気が違う」
優香が辺りを見回しながら感嘆の声を漏らす。
「同じお寺でも、こんなに印象が変わるんだね」
美咲も周囲を見渡しながら歩く。
「こうして続けて回らなかったら、比べることもなかったかも」
麻衣は白砂の上へ伸びる木々の影を眺めながら微笑んだ。
「個人で来たら、有名なところだけ見て終わりそうだしね」
奈緒がパンフレットを折り畳みながら答える。
四人は景色を眺めながら、参道をゆっくりと進んでいった。
風が木々の葉を揺らし、砂利を踏む足音が一定の間隔で続いている。
「優香、また写真撮りたくなってるでしょ」
美咲が横目で笑う。
「え、分かった?」
「顔を見れば分かるよ」
「だって、この景色だよ? 撮らないともったいないじゃん」
優香は五重塔の見える方角へ片手を向けながら振り返った。
「今回はどんなポーズ?」
奈緒が半ば呆れたように聞く。
「うーん……みんなでジャンプ!」
「却下」
奈緒が即答した。
「即答!?」
「ここで飛び跳ねる高校生は目立つだけ」
「じゃあ普通で」
「最初からそうしようよ」
麻衣が苦笑すると、美咲も小さく笑った。
「それじゃあ、麻衣お願い」
「うん」
優香はスマートフォンを麻衣へ手渡した。
麻衣は受け取ると少し後ろへ下がり、三人との距離を調整する。
「もう少し左かな。優香は少し後ろに下がって、美咲はそのままで大丈夫」
麻衣の指示に合わせ、優香が奈緒と重ならない位置まで下がり、美咲も隣との間隔を詰めた。
「撮影係、細かいね」
「せっかくなら、ちゃんと撮りたいから」
奈緒の言葉に麻衣はそう返し、画面の中へ三人が収まっていることを確かめる。
「うん、いい感じ。じゃあ、そのまま笑って」
三人の表情が自然と柔らかくなり、麻衣が画面へ触れると短いシャッター音が鳴った。
「もう一枚撮るね。今の優香、目を閉じてたから」
「本当に? それは確認しなくていいから、すぐ撮り直して」
「分かった。今度はちゃんと目を開けててね」
もう一度三人が笑顔を向ける。
今度は優香も最後までしっかり目を開けたまま、シャッターが切られた。
「今度は大丈夫」
麻衣がスマートフォンを返すと、優香はすぐに画面をのぞき込んだ。
「ありがとう。うん、今度の写真はちゃんと撮れてる」
「最初のは?」
奈緒が聞く。
「見事に私だけ目を閉じてた」
「それは撮り直して正解だったね」
美咲が笑う。
「修学旅行の写真って、あとで見返すと、こういう失敗まで思い出になるよね」
美咲の言葉に、麻衣も画面の中で目を閉じている優香を見ながら笑った。
優香も最初の写真を消さず、そのまま保存する。
せっかくだから四人でも撮ろうという話になり、優香は辺りを見回した。
少し離れた場所では、旅行中らしい女性が一人で境内を撮影していた。
「あの人ならお願いできそう」
優香は相手の撮影が終わるのを待ってから、近くへ歩み寄った。
「すみません、写真をお願いしてもいいですか?」
「もちろんですよ」
女性は笑顔で快く引き受けてくれた。
「ありがとうございます」
麻衣はスマートフォンを手渡しながら頭を下げる。
「もう少し皆さんで寄ってください。では、撮りますね」
四人は肩が触れ合うくらいまで自然に並んだ。
「奈緒も、もう少しこっちに寄って」
優香に肩を引かれ、奈緒も苦笑しながら半歩近づく。
麻衣はそんな三人の様子に思わず笑みを浮かべた。
「撮りますね」
シャッター音が二度続けて鳴る。
「もう一枚撮っておきました」
「ありがとうございました」
優香が受け取ったスマートフォンを確認すると、四人が自然な笑顔で並んで写っていた。
「すごくいい。四人ともちゃんと笑ってる」
優香の横から画面をのぞき込み、美咲も満足そうに頷いた。
「奈緒も今回は表情が硬くないね」
「今回は、って何」
「だって、集合写真だといつも証明写真みたいな顔になるでしょ」
「そこまで硬くないから」
奈緒が少しだけ眉をひそめる。
「でも、今回は本当に自然に撮れてるよ」
麻衣が画面を見ながら微笑んだ。
「この写真もグループに送っておくね。ほかの分は、夜にまとめて送る」
優香は四人のグループへ写真を送信すると、スマートフォンを鞄へ戻した。
「帰ったら、写真をまとめるだけでも時間が掛かりそう」
奈緒が笑う。
「終わる頃には何百枚になってるんじゃない?」
「それくらい撮るかも。せっかくの修学旅行なんだから、たくさん残しておきたいじゃん」
優香の言葉に、麻衣たちも顔を見合わせて笑った。
麻衣はスマートフォンで時間を確認する。
「そろそろ戻ろうか。集合まで、あまり余裕ないよ」
麻衣の言葉に三人も時刻を確認し、出口へ向かって歩き始めた。
優香が最後にもう一枚だけ五重塔を撮影し、四人は来た道を戻っていく。
出口へ向かう修学旅行生の列に合流し、歩調を合わせながら二王門へ向かった。
二王門へ近づいたところで、麻衣の足が一瞬だけ止まった。
理由もなく空を見上げたが、目に入ったのは薄い雲が流れる青空だけだった。
少し前を歩いていた美咲が振り返る。
「麻衣、どうかしたの?」
「ううん、何でもないよ」
麻衣は小さく首を横へ振り、再び歩き始めた。
「ならいいけど」
美咲は麻衣の顔を一度だけ確かめるように見たあと、前を向いて歩き始めた。
麻衣もすぐに歩みを進め、三人の隣へ戻った。
全員が戻ったことを確認すると、バスは二条城へ向けて出発した。
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