第27話 金閣と石庭
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋の中をゆっくりと明るく染めていく。
麻衣は静かに目を開き、枕元へ置いていたスマートフォンへ手を伸ばした。
画面に表示された時刻を確認し、小さく息をつく。
まだ集合までは少し時間がある。
ベッドから起き上がると、窓際まで歩いてカーテンを開けた。
澄み切った青空の下、朝日に照らされた京都の街並みが静かに目を覚まし始めている。
遠くには東山の稜線が見え、通りでは路線バスがゆっくりと走り抜けていった。
「今日もいい天気」
思わず漏れた声に反応するように、隣のベッドが小さく軋んだ。
「……おはよう」
眠そうに目をこすりながら、美咲が上半身を起こす。
「おはよう」
麻衣が笑って返すと、美咲も小さく笑い返した。
一方、その隣のベッドでは優香が掛け布団へすっぽり潜ったまま動く気配がない。
「優香、朝だよ」
「……あと五分」
掛け布団の中から返ってきた声に、奈緒が呆れたように笑う。
「昨日も同じこと言ってたよね」
「今日は本当に五分だけ……」
「その五分が一番信用できない」
美咲が笑う。
「ほら、起きないと朝ご飯なくなるよ」
その一言で、優香は勢いよく掛け布団から顔を出した。
「それは困る!」
「食べ物には早いね」
麻衣が笑うと、部屋には朝らしい和やかな笑い声が広がった。
制服へ着替えを済ませた四人は、部屋を出て食事処へ向かう。
廊下では、同じように朝食へ向かう生徒たちと次々にすれ違う。
昨日一日を一緒に過ごしたことで、最初の緊張はすっかり消え、館内には修学旅行二日目らしい落ち着いた空気が流れていた。
食事処へ入ると、焼き魚やだし巻き卵、味噌汁の香りがふわりと漂う。
「朝から豪華だね」
美咲が嬉しそうに言う。
「旅館の朝ご飯って感じ」
優香は迷わずご飯をよそう。
「朝から食欲あるね」
奈緒が苦笑する。
「今日はいっぱい歩くんだから」
「昨日もいっぱい歩いたけどね」
麻衣がそう言うと、優香は少しだけ足を動かした。
「ちょっと筋肉痛かも……」
「昨日、『まだ遊べる』って言ってた人が?」
美咲が笑う。
「昨日の私に言って」
「無責任だなあ」
奈緒がすぐに突っ込み、四人は顔を見合わせて笑った。
食事を終えると、それぞれ荷物を確認し、ロビーへ向かう。
ロビーにはすでに観光バスが横付けされ、運転手がトランクへ荷物を積み込んでいた。
各クラスの生徒も次々と集まり始め、ロビーは朝から活気に包まれている。
やがて担任が名簿を手に前へ立った。
「今日は見学場所が多い。班ごとにまとまって行動すること。午後は清水寺見学後、ホテルまで自由行動だ。集合は午後五時三十分。時間だけは忘れるなよ」
「「「「はい!」」」」
点呼を終えると、生徒たちは順番に観光バスへ乗り込んでいく。
麻衣たちも昨日と同じ席へ腰を下ろした。
エンジンが静かに唸り、バスはホテル杉総をゆっくりと出発する。
朝の京都の街並みが窓の外を流れていく。
開店準備を始める店、通学する学生、観光へ向かう人々。
昨日とはまた少し違う京都の朝が、車窓の向こうへ広がっていた。
「今日は写真いっぱい撮ろうね」
美咲が窓の外を見ながら言う。
「昨日も結構撮ったよ?」
麻衣が笑う。
「まだ足りない」
「容量、大丈夫?」
奈緒が聞く。
「……あ」
優香が固まる。
「まさか」
「昨日の写真、そのままだった」
「先に整理しなよ」
「ホテル帰ってから!」
「絶対やらないやつだ」
四人の笑い声を乗せたまま、観光バスは最初の目的地である金閣寺へ向かって京都の街を走り続けた。
観光バスは市街地を抜け、ゆっくりと速度を落としていく。
窓の外には観光バス専用の駐車場が広がり、色とりどりの大型バスが整然と並んでいた。
制服姿の修学旅行生や海外からの観光客が行き交い、朝の金閣寺はすでに活気に包まれている。
「もう着いた?」
優香が窓へ顔を近づける。
「まだ駐車場だよ」
奈緒が笑う。
「席を立つのは先生が言ってから」
麻衣が静かに言う。
「はい、先生」
美咲がわざと背筋を伸ばす。
そのやり取りに四人は笑い合った。
やがてバスは所定の位置へ停車し、エンジン音が静かに止まる。
「忘れ物がないか確認してから降りるように」
担任の声が車内へ響く。
「班ごとにまとまって移動するぞ」
生徒たちは荷物を手に取り、順番に通路へ並び始めた。
「スマホ」
美咲が確認する。
「ある」
「財布」
「ある」
「優香は?」
「今日は全部ある!」
「『今日は』?」
奈緒がすかさず聞き返す。
「昨日、部屋にハンカチ忘れて戻った人が言う?」
麻衣が苦笑する。
「……その件は忘れてください」
優香が照れ笑いを浮かべると、三人も思わず笑った。
バスを降りると、朝の空気が頬をやさしくなでた。
初夏の日差しはまだ穏やかで、木々の葉が風を受けて心地よい音を立てている。
担任の後ろを歩きながら石畳の参道を進む。
木立の間から黄金色がちらりとのぞいた。
「あっ……」
優香が思わず足を止めかける。
「まだ全部見えないよ」
奈緒が笑う。
歩みを進めるたびに視界が少しずつ開け、その黄金色もゆっくりと姿を現していく。
やがて鏡湖池のほとりへ出た瞬間、四人は自然と足を止めた。
朝日を受けた金閣が、鏡湖池の水面へ静かに映り込んでいる。
風が吹くたび、水面の金色がゆるやかに揺れ、もう一つの金閣が静かに形を変えていく。
しばらくの間、誰も言葉を口にしなかった。
聞こえるのは風が葉を揺らす音と、遠くから聞こえてくる観光客の話し声だけだった。
美咲はゆっくりとスマートフォンを取り出し、その景色を一枚だけ写真に収める。
優香も慌てて続き、何枚もシャッターを切り始めた。
「あとで送ってね」
奈緒が笑う。
「もちろん」
優香は画面を確かめながら大きく頷いた。
その隣で、麻衣は金閣ではなく、水面へ映るもう一つの金閣を静かに見つめていた。
風が吹くたび揺れ、形を変えながらも、黄金色の輝きだけは変わらない。
その景色をしばらく見つめたあと、麻衣は小さく目を細める。
担任の「それじゃあ、先へ進むぞ」という声が響き、四人は名残惜しそうに歩き始めた。
担任の後を追いながら、四人は参道をゆっくりと歩いていく。
木立を抜けるたび、金閣は少しずつ表情を変えていった。
朝日を受けた黄金色は、水面へ映る姿と重なり、見る場所によって印象まで違って見える。
「ねえ、写真撮ろう!」
優香がスマートフォンを取り出す。
「四人で?」
美咲が笑う。
「せっかくだし」
近くにいた観光客へ声を掛けると、快く引き受けてくれた。
「ありがとうございます」
四人は並んで立つ。
「はい、撮りますね」
シャッター音が続けて二回響く。
「ありがとうございました」
スマートフォンを受け取った優香は、その場で画面を開いた。
「見て見て!」
四人が顔を寄せる。
「いいじゃん」
美咲が笑う。
「ちゃんと全員入ってる」
奈緒も頷く。
麻衣も画面をのぞき込み、小さく笑みを浮かべた。
「昨日よりまとも」
「昨日は誰かさんが変な顔してたからね」
奈緒が言う。
「もうその話終わったと思ってた!」
優香が肩を落とす。
「写真は残るから」
麻衣がさらりと言う。
「うわ、一番ひどい」
三人が笑い、優香も苦笑しながら笑い返した。
そのまま池の周囲を歩いていく。
優香は景色を撮ったり、美咲を撮ったりと忙しい。
「ちょっと、勝手に撮らないで」
「自然な一枚!」
「今の絶対変な顔」
そんなやり取りを聞きながら、奈緒も思わず笑う。
麻衣は少し遅れて歩き、水面へ映る金閣を静かに眺めた。
風が吹くたび、水面の金色がゆっくり揺れる。
その様子を見ているだけで、不思議と時間がゆっくり流れていくようだった。
「集合するぞー」
担任の声が境内へ響く。
「はーい!」
優香が返事をし、四人は足早に参道を戻っていく。
「次は龍安寺だね」
「まだまだ歩くよ」
「もう?」
「まだ始まったばかり」
そんな会話を交わしながら、四人は観光バスへ向かった。
観光バスは金閣寺をあとにし、龍安寺の駐車場へ滑り込んだ。
バスを降りると、さっきまでの賑わいが嘘のように辺りは静かだった。
木々の間を抜ける風が葉を揺らし、砂利を踏む音だけが足元から小さく響いてくる。
「なんか空気が違うね」
美咲が辺りを見回す。
「金閣寺とは全然違う」
奈緒も静かに頷いた。
四人は班ごとに列へ加わり、担任の後について境内を歩いていく。
やがて石庭の前へ着くと、生徒たちは自然と足を止めた。
白砂の上へ十五個の石が配置された庭は、思っていたよりも小さい。
それでも、不思議と目を引きつける静けさがあった。
「ここ、有名なんだよね」
担任が全員を見渡す。
「どこから見ても十五個全部は見えないと言われている庭だ」
説明が終わるより早く、優香は石庭へ顔を近づけた。
「じゃあ数えてみる!」
「早いって」
美咲が笑う。
「先生の話、終わったばかり」
奈緒も苦笑した。
優香はそんなことも気にせず、小さく指を動かし始める。
「一、二、三……」
途中で首をかしげる。
「あれ?」
もう一度最初から数え直す。
「……十四」
「本当に?」
美咲も隣で数え始めた。
「私も十四。奈緒は?」
「十四だね」
三人がそろって麻衣を見る。
麻衣は石を数えようとはせず、白砂へ刻まれた砂紋を静かに眺めていた。
「麻衣?」
美咲が声を掛ける。
「数えないの?」
麻衣は砂紋から視線を外さないまま、小さく笑う。
「石より、こっちが気になって」
「砂?」
優香が首をかしげる。
「こんなにきれいに均すの、大変そう」
美咲が思わず吹き出した。
「そこなんだ」
「麻衣らしい」
奈緒も思わず笑う。
優香はもう一度砂紋を見つめる。
「言われると、確かにすごいかも」
「うん」
麻衣はようやく石庭全体へ目を向けた。
風が木々を揺らす。
その音だけが境内へ静かに流れ、誰もが自然と声を小さくしていた。
さっきまで笑っていた優香も、今は黙って庭を見つめている。
その静かな時間を楽しむように、四人はしばらく石庭の前に立ち尽くした。
やがて担任の声が響く。
「集合するぞ。次は仁和寺へ向かう」
「はーい」
優香が返事をすると、四人は石庭へもう一度だけ目を向け、担任の後を追って歩き始めた。
砂利を踏む足音だけが、静かな境内へ心地よく響いていた。
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