第25話 久しぶりね
17:00
御池大橋西詰・鴨川河川敷
男子生徒は紙を素早く折り畳み、制服のポケットへしまった。
「朝倉班、こっちだぞー!」
引率教師の声がロビーへ響く。
「はーい!」
朝倉悠真は返事をすると、麻衣たちへ軽く頭を下げた。
「それじゃ、また」
「うん、またね」
優香たちも笑顔で手を振る。
朝倉班の四人は引率教師のもとへ向かい、受付を済ませた。
「全員そろったな」
担任は名簿へチェックを入れ、部屋番号が書かれたカードキーを取り出した。
「部屋へ荷物を置いたら、午後六時三十分までは自由時間だ。ホテルの外へ出る場合は受付へ一声掛け、必ず班で行動すること」
「「「「はい!」」」」
四人はカードキーを受け取り、荷物を持ってエレベーターへ向かった。
その後ろを歩きながら、男子生徒は無意識にポケットへ手を当てる。
紙に書かれていたのは待ち合わせの場所と時間だけだったが、男子生徒にとってはそれで十分だった。
写真を撮ったときに重なった麻衣の視線と、先ほど紙を渡された瞬間が、何度も頭の中へ浮かんでくる。
「久我くん?」
隣を歩いていた女子生徒が首をかしげ、様子をうかがうように顔を覗き込んだ。
「……どうかした?」
「いや、何でもない」
久我大翔は首を横へ振り、ポケットから手を離した。
見覚えのない相手だったにもかかわらず、麻衣の目には以前から自分を知っているような色があった。
考えても理由は分からず、思い当たる人物もいない。
それでも、待ち合わせへ行かないという選択肢は、すでに久我の中から消えていた。
隣の女子生徒はそれ以上何も聞かず、久我へ一度だけ視線を向けてから前へ戻した。
四人は到着したエレベーターへ乗り込み、割り当てられた部屋へ向かった。
午後四時五十分。
朝倉班の四人はそろって受付へ向かった。
「少し鴨川を見てきます」
久我が行き先を告げると、受付を担当していた教師が頷く。
「あまり遠くへ行くなよ。午後六時三十分の夕食には遅れないように」
「はい」
四人はホテルを出ると、西へ傾き始めた初夏の日差しの中、京都の街を鴨川へ向かって歩き始めた。
観光客の姿は少しずつ減り、川の方から吹いてくる風が、熱を帯びた空気を押し流していく。
御池大橋が見えるところまで来ると、朝倉と神楽早苗が店先に並ぶ飲み物へ興味を引かれ、足を止めた。
結城はるなも二人に呼ばれて振り返り、その短い隙に久我は一人で先へ進むと、御池大橋西詰から河川敷へ続く階段を下りていった。
階段の途中で足を止め、河川敷へ視線を向ける。
そこには、一人の少女が立っていた。
麻衣は制服のまま川の方を向き、西日を反射する水面を眺めていた。
川から吹く風に髪が揺れ、足元へ伸びた影も水面から返る光に合わせて形を変えている。
久我は麻衣から視線を外さず、砂利を踏みながら階段を下りた。
足音に気付いた麻衣が顔を上げ、そのまま振り返る。
久我は数歩の距離を残して立ち止まり、麻衣と正面から視線を交えた。
川のせせらぎを聞きながら互いに相手の出方を待ち、短い沈黙が流れる。
先に口を開いたのは麻衣だった。
「……久しぶりね」
久我は眉をひそめた。
初対面のはずだが、その声には以前から久我を知っているような響きがあった。
「無事、舞台装置から卒業できたみたいね」
麻衣は口元を緩める。
「あなたの解放方法が、まさか殺すことだったとは盲点だったわ」
久我の表情が変わる。
目の前の少女が並べた言葉は、どれもこの世界の人間が知り得るものではなかった。
「魔装具がなくても、姿も顔もほとんど変わらないから、すぐ分かったわ」
麻衣は久我を真っすぐ見つめたまま、続けて指摘する。
「それに……魔力、少し漏れてるわよ。普通の人には分からないでしょうけど、隠し切れてない。気を付けた方がいいわ」
久我は麻衣の顔を見つめながら記憶をたどったが、思い当たる人物は一人もいなかった。
「……誰だ。悪い、本当にさっぱり分からん」
頭をかきながら一度だけ視線を外し、相手に敵意がないことを確かめてから言葉を続ける。
「少なくとも、こっちでやり合うつもりはない。向こうで何かあったとしても……今の俺にできるのは、頭を下げるくらいだ」
久我は一度息をつき、麻衣へ向かって頭を下げた。
「すまん。何があったかも分からんが、それしか思いつかない」
麻衣は数秒間、ぽかんとした表情で久我を見つめていた。
やがて堪え切れなくなったように表情を崩し、声を上げて笑い始める。
「あははっ」
麻衣は肩を震わせ、口元へ手を当てた。
「ふふっ……あははは」
先ほどまでの落ち着いた麻衣からは想像できないほど、柔らかな笑顔だった。
ひとしきり笑うと、麻衣は目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。
「昔のあなたが見たら、笑われるわよ」
麻衣は懐かしそうに目を細めた。
「まさか、あなたがそんなふうに頭を下げるなんて。昔なら絶対に考えられなかったもの」
久我は顔を上げたものの、何と返せばいいのか分からず、笑っている麻衣を見つめるしかなかった。
その時だった。
「久我くん?」
聞き慣れた声が背後から届き、久我と麻衣が同時に振り向く。
「はるな? なんで……」
河川敷の遊歩道から、はるなが小走りで近付いてくる。
「急にいなくなるから探したよ」
はるなは息を整えながら久我の隣へ並び、向かい側に立つ麻衣へ視線を向けた。
「えっと――」
「はじめまして……で、いいのよね?」
言葉を先に取られたはるなは動きを止め、麻衣を見つめ返す。
「あ、う、うん……はじめまして。結城はるなです」
「こちらこそ。加山麻衣です」
二人が短く名乗り合う横で、久我は交互に顔を見比べた。
はるなも麻衣を知らないことは、その反応を見れば分かる。
しかし、麻衣の視線ははるなから外れない。
「この子が次代……かぁ」
麻衣は呟きながら指を折る。
「十五……十六……」
最後にもう一本を折り、納得したように頷いた。
「第十七代か」
その言葉を聞いた瞬間、はるなの足が半歩だけ引かれた。
重心を落とし、いつでも動ける姿勢を取ると、麻衣を見る目から戸惑いが消える。
「……はるな?」
久我も身構え、二人の間へ割って入れるよう足の位置を変えた。
対する麻衣はその場から動かず、むしろ感心したように二度手を叩く。
「さすが次代。よく訓練されてる」
麻衣は張り詰めた二人とは対照的に、両手を軽く上げて肩をすくめる。
「あ、まあまあ。戦うつもりはないし、敵でもないわよ」
片目を閉じてみせるが、はるなの構えも久我の警戒も解けない。
麻衣は困ったように笑い、二人を交互に見た。
「そうね……そっちの彼氏のほうが――私たちからしたら敵、かな」
久我とはるなが顔を見合わせる。
久我が麻衣へ問い掛けようとした、その時だった。
「……お前」
「あっ……!」
はるなが声を上げ、慌てて重心を戻した。
「ち、違うの! えっと、その……!」
両手を振りながら取り繕おうとするが、言葉がまとまらない。
麻衣は一瞬きょとんとしたあと、何かに気付いたように口元へ手を当てた。
「あ……もしかして、隠してた?」
一拍置いてから、二人へ頭を下げる。
「ごめんなさい。余計なこと言った」
久我とはるなは同時に言葉を失った。
久我は額に手を当て、混乱した頭を落ち着かせるように息を吐く。
「いや……ちょっと待て。頭が追いつかん」
「う、うん……私も、何が何だか分からなくなってきた……」
先ほどまでの警戒とは別の意味で、三人の間から言葉が消えた。
「麻衣ーーっ!」
土手の上から美咲の声が響き、三人はそろって顔を上げた。
美咲は麻衣の姿を見つけると、そのまま河川敷へ向かって駆けてくる。
「もう! 勝手にいなくなって!」
息を切らせながら麻衣の前で立ち止まり、腰へ手を当てて顔を覗き込む。
「こら。人様にまた迷惑かけてない?」
先ほどまで声を上げて笑っていた麻衣の表情から懐かしげな色が消え、穏やかなものへ変わる。
「……かけてない」
「本当?」
「本当」
「また無茶してない?」
「してない」
「絶対?」
「……多分」
「『多分』じゃない!」
美咲は呆れたように額へ手を当てた。
「修学旅行なんだから、少しは目を離しても大丈夫だと思ったのに」
「ごめん」
麻衣は苦笑しながら肩をすくめる。
「ほら、夕食までそんなに時間ないよ。みんな待ってるんだから」
「うん」
麻衣は短く返事をすると、美咲とともに歩き出そうとした。
その直前、美咲に気付かれないよう、久我とはるなへ視線を向ける。
『……聞こえる? これ、私の連絡先ID。あとで二人とも追加して、グループチャットを作って』
麻衣の声が頭の中へ直接届き、久我は反射的に目を見開いた。
隣ではるなも同じ反応を見せており、二人は顔を見合わせてから何度も頷く。
その様子を見た美咲が、不思議そうに首をかしげた。
「……あの、大丈夫ですか?」
「え、あ、はい! 大丈夫です!」
久我が慌てて答えると、少し遅れてはるなも頷いた。
美咲は二人の様子を確かめ、安心したように笑う。
「ならよかった。麻衣も、もう勝手にいなくならないでね」
「……努力する」
「努力じゃなくて約束!」
「うん」
麻衣は笑いながら答え、美咲と並んで歩き出した。
初夏の西日を受けた鴨川を背に、二人の姿はホテルの方角へ遠ざかっていく。
久我とはるなは数秒ほどその背中を見送り、朝倉たちを待たせていることを思い出して顔を見合わせた。
「……何だったんだ、今の」
久我が呟くと、はるなは首を横へ振る。
「分からない。私にも何が何だか……」
久我は何も言わずポケットへ手を入れ、指先に触れる紙の感触と、頭に残る麻衣の声を確かめた。
「先に戻る。朝倉たちを待たせてるからな」
「うん」
久我は川沿いの遊歩道を歩き始め、はるなも数歩遅れてそのあとを追う。
久我との距離が開き、自分の声が届かないことを確かめると、はるなは麻衣が去った方角を振り返った。
「でも、あの人……私たちのことを知ってる」
久我には届かない声で呟き、遠ざかる麻衣の背中を思い浮かべる。
「それも……思ってたよりずっと」
はるなは前へ向き直り、久我を追って歩き始めた。
鴨川を流れる水音が、二人の背後で少しずつ遠ざかっていった。




