第22話 すいませーん!
先生の誘導に従ってホームからコンコースへ上がると、周囲の人の数が一気に増えた。
制服姿の集団がいくつも重なり、その隙間を縫うようにスーツケースを引いた旅行客が行き交っている。
聞こえてくる言葉も日本語だけではなく、英語や中国語らしき会話があちこちから重なっていた。
「京都だー!」
弾んだ声が生徒たちの間から上がる。
そのまま人の流れに押されるように進んだところで、前を歩いていた生徒たちの足が止まりかけた。
「止まらないで、そのまま行け」
先生の声に促され、麻衣たちは流れに合わせて歩き続ける。
改札へ向かう人と別のホームへ移動する人が交差し、少し気を抜けば班の仲間を見失いそうだった。
「……これ、迷子になるやつだね」
美咲が周囲を見回しながら笑う。
「笑ってる場合じゃないでしょ」
「離れたら絶対迷うね」
奈緒が前を向いたまま返すと、優香も周囲を確認しながら三人との距離を詰めた。
四人は互いの位置を確かめながら改札を抜け、先生の誘導に従って駅の外へ向かう。
まとまって待機していた観光バスへ乗り込み、座席へ腰を下ろしたところで、ようやく肩の力を抜くことができた。
ドアが閉まり、低いエンジン音とともにバスが動き出す。
京都駅前の喧騒が少しずつ遠ざかり、窓の外には東京や横浜とは異なる街並みが広がり始めた。
建物の高さや色合いが揃えられ、通りに並ぶ看板もどこか控えめに見える。
「あ、コンビニ」
美咲が窓の外を指差す。
見慣れているはずの看板が、茶色を基調とした落ち着いた色に変わっていた。
「本当だ……」
「周りに合わせてるんだね」
優香が感心したように呟く。
さらに進むと、現代的な建物の隙間から瓦屋根が現れ、門の奥に続く薄暗い参道が一瞬だけ見えた。
「今の、お寺っぽかった」
「京都だしね」
奈緒が短く返す。
嵐山が近付いた頃、道路のすぐ脇を一両編成の電車が横切り、車内の視線が一斉にそちらへ向いた。
「あれ、近すぎない?」
「路面電車」
「普通に街の中を走るんだ」
優香が少し身を乗り出す。
電車は車道に沿うように進み、やがてバスの後方へ消えていった。
観光客の姿が増え、土産物店や飲食店が通りに並び始める。
バスは人の流れに合わせて速度を落とし、そのまま嵐山の駐車場へ入った。
「ここから班行動だ。集合はホテルに四時。遅れるなよ」
先生の声に、生徒たちの返事が重なる。
バスを降りると川の方から風が抜け、駅前で感じた湿った暑さがわずかに和らいだ。
「行こ」
美咲が先に歩き出し、三人もその後ろへ続く。
土産物店が並ぶ通りを抜けると視界が開け、その先に桂川と渡月橋が姿を現した。
「思ってたより広いね」
麻衣が川の向こうへ視線を向ける。
緩やかな流れが陽射しを受けて細かく揺れ、その上に架かる橋には観光客が絶え間なく行き交っていた。
写真を撮るために立ち止まる人も多く、橋の中央では人の流れが何度も詰まりかけている。
「止まると邪魔になりそう」
「写真を撮ってる人が多いからね」
奈緒が肩越しに言う。
それでも美咲は通行の妨げにならない場所を見つけると、端へ寄って一度だけ足を止めた。
「……これ、いいね」
短く言ってスマートフォンを構える。
川と山、その間を横切る橋が一つの画面へ収まり、美咲は満足そうに保存した写真を確認した。
渡月橋を渡り、四人は通りに沿って歩いていく。
少し進んだところで美咲が足を止め、門の奥に見える古い屋敷へ視線を向けた。
「ここ、入ってみない?」
門をくぐった先にあったのは、古い屋敷を改装したカフェだった。
暖簾にはエスプレッソと嵐山庭園という店名が記され、その奥には手入れされた庭が広がっている。
四人はここで昼食を取ることに決め、案内された庭の見える席へ腰を下ろした。
「……別世界」
優香が窓の向こうを眺めながら呟く。
通りを行き交う人の声はほとんど聞こえず、葉が風に揺れる音だけが店内まで届いていた。
メニューを開くと、パンを中心にした軽めの食事が並んでいる。
「ちょうどいいかも」
「このあとも歩くしね」
注文はすぐに決まり、四人はそれぞれサンドイッチとスープのセットを選んだ。
しばらくして料理が運ばれてくると、焼きたてのパンの香りがテーブルの周囲へ広がった。
「これ、いい匂い」
美咲が声を落とす。
木のトレーにはサンドイッチとスープが並び、見た目は整っているのに、どこか素朴な温かさがあった。
庭を眺めながら食べ始めると、四人の会話も次第に少なくなっていく。
それでも気まずさはなく、葉の揺れる音と食器の触れ合う音が、途切れた会話の間を埋めていた。
「さっきまで、あんなにうるさかったのにね」
「場所が変わるだけで全然違うね」
「京都だからじゃない?」
奈緒が返す。
麻衣は何も言わず、庭の木々へ目を向けたままスープを口へ運んだ。
朝から続いていた賑やかさが途切れ、ようやく落ち着いて息をつけた気がした。
昼食を終えて店を出ると、通りを行き交う人々の声が先ほどよりも大きく聞こえた。
四人は再び観光客の流れに加わり、少し歩いたところで大きな門の前に足を止める。
門の脇に掲げられた文字を見て、美咲が声を上げた。
「天龍寺だ」
「軽く見ていく?」
「時間的には、それくらいでいいと思う」
優香が時刻を確認し、三人も頷く。
四人は境内へ入り、庭や建物を眺めながら奥へ進んだ。
長く滞在する余裕はなかったが、水面に映る木々や庭石の配置には、思わず足を緩めるだけの美しさがあった。
庭を見て回ったあと、四人は北門から外へ出る。
その先には、道の両側を高い竹が覆う竹林の小径が続いていた。
まっすぐ伸びた竹が頭上で葉を重ね、風が通るたびに細い擦過音を響かせている。
「……なんか、喋りにくいね」
美咲が周囲に合わせて声を落とす。
「声が響きそうだからじゃない?」
奈緒が頭上を見上げる。
人の姿は途切れないものの、大声で話す者は少なく、四人の歩調も次第にゆっくりとなっていった。
そのとき、麻衣の耳から一瞬だけ音が消えた。
竹の葉を揺らしていた風も、砂利を踏む足音も、周囲の話し声も聞こえない。
景色は何も変わっていないのに、自分だけが音のない場所へ取り残されたような感覚があった。
麻衣は足を止め、周囲へ意識を広げる。
だが、閉鎖空間の気配も、魔力が動いた痕跡も感じられなかった。
「……今のは」
「どうしたの?」
優香が振り返る。
その声と同時に、竹の擦れる音や周囲の足音が麻衣の耳へ戻ってきた。
「いや……何でもない」
麻衣はもう一度周囲を見回したが、いつもと変わらない竹林が続いている。
気になるものは残ったものの、立ち止まり続ければ三人を心配させるだけだった。
「本当に?」
「うん。大丈夫」
優香はまだ気になる様子だったが、麻衣の返事を聞いて歩き出した。
麻衣も三人のあとへ続きながら、先ほどの無音が何だったのかを考える。
しかし答えは見つからないまま、竹林の出口が近付いてきた。
「さて、このあとどうする?」
竹林の小径を抜けたところで、奈緒がしおりを開く。
「まだ時間あるね」
「もう少し回れそう」
「それじゃ、歩きながら決めようか」
四人が通りへ戻ると、土産物店から流れる呼び込みの声や観光客の足音が耳へ飛び込んできた。
竹の擦れる音は遠ざかり、砂糖の甘さと焼き物の香ばしい匂いが混ざって漂っている。
「なんか、現実に戻ってきた感じ」
「さっきの竹林、ちょっと別だったよね」
美咲が肩を回し、優香が歩いてきた方向を振り返る。
「お昼食べたのに、また何か食べたくなる」
「観光地あるある」
「一人一つまでね」
奈緒が先に線を引く。
四人は店先で売られていた小さな串団子を一本ずつ買い、食べながら人の流れに合わせて歩き出した。
「はい、ちゃんと自分で払ってね」
「分かってるって」
美咲が財布をしまいながら答える。
そんなやり取りを続けていると、少し先にあった洋風の建物が視界へ入った。
「あれ、なんか可愛くない?」
美咲が足を止める。
木を使った外観は周囲の店とは少し雰囲気が異なり、入口の近くには三日月と道化師を組み合わせたような不思議な造形が飾られていた。
「確かに、ここだけ少し違うね」
優香が頷く。
奈緒は入口の横に置かれた案内板へ目を向け、そこに書かれている文字を読み上げた。
「京都嵐山オルゴール博物館」
「へぇ。中、見てみる?」
「時間は大丈夫そう」
優香が時刻を確かめ、四人は顔を見合わせて入口へ向かう。
扉を開けると通りの話し声が背中側へ遠ざかり、受付近くのショップから小さなオルゴールの音色が聞こえてきた。
「入場料がいるんだ」
「博物館だしね」
奈緒が即答する。
それぞれ入館料を支払っていると、受付の係員から、まもなく館内でオルゴールの実演が始まると案内された。
「ちょうどいいね」
「先に見に行こう」
四人は案内に従って館内へ進む。
展示室には手のひらに収まるほどの小さなものから家具のように大きなものまで、さまざまなオルゴールが並んでいた。
ガラスケースの向こうには細かな装飾を施されたシリンダーや円盤が収められ、どれも長い年月を経てきたことが伝わってくる。
「思ってたオルゴールと全然違う」
「こういう大きいものもあるんだね」
優香が展示を見上げる。
そのまま奥へ進むと、数人の来館者が一台の大きなオルゴールを囲んでいた。
木製の台には細かな装飾が施され、中央に置かれた人形が静止したまま実演の開始を待っている。
四人が列の後ろへ加わると、係員がオルゴールの仕組みを簡単に説明した。
やがて側面の機構が動かされ、内部から小さな作動音が聞こえ始める。
中央の人形がゆっくりと腕を上げた次の瞬間、はっきりとした旋律が展示室へ流れた。
「……すご」
美咲が息を潜める。
人形は曲に合わせて同じ動きを繰り返し、細かな音の重なりが次第に厚みを増していった。
「さっきショップで聞いたものと全然違う」
「音がこっちに寄ってくる感じがする」
奈緒が小声で言い、優香は何も答えずに人形の動きを見つめている。
麻衣もオルゴールから目を離せなかった。
初めて聞く曲のはずだった。
それなのに麻衣は、次に続く音を知っているような感覚を覚えた。
半信半疑のまま耳を澄ませると、旋律は麻衣が予想したとおりに続いていく。
(……どうして?)
曲名も、このオルゴールも知らない。
それでも、予想したとおりに旋律が続いたことを、偶然だとは思えなかった。
やがて最後の音が消え、人形の動きも止まる。
係員が実演の終了を告げても、四人はすぐにはその場を動かなかった。
「……今の、よかったね」
優香が余韻を確かめるように呟く。
「長居すると時間がなくなるよ」
奈緒の言葉で、美咲が時計を確認する。
四人は残りの展示を軽く見て回り、そのまま出口へ向かった。
外へ出ると、通りを行き交う観光客の声と店先から流れる音楽が戻ってきた。
館内の静けさとの違いに、美咲が苦笑する。
「落差すごいね」
そのときだった。
「すいませーん!」
背後から、四人を呼び止める声が掛かった。




