第19話 遭遇戦の決着
ヴァルグの黒槍が空気を裂き、一直線に麻衣へ迫る。
麻衣は一歩も退かず、迫り来る黒槍を見据えたまま左手を前へかざした。
「パーフェクト・シールド展開。三層」
詠唱と同時に、青白い魔法陣が一枚、二枚、三枚と順に展開された。
三枚の障壁は黒槍の軌道上へ等間隔に並び、淡い光を放ちながら行く手を塞ぐ。
次の瞬間、黒槍が第一層へ激突した。
轟音とともに障壁全体へ無数の亀裂が走り、槍を包んでいた黒い魔力も接触した部分から崩れ始める。
第一層の障壁が耐え切れずに砕けると同時に黒槍の穂先も失われ、残された圧縮魔力だけが第二層へ流れ込んだ。
青白い障壁がその魔力を正面から受け止める。
黒と青、二つの魔力が激しくせめぎ合い、眩い閃光が周囲を包み込んだ。
押し込み、押し返し、互いを削り合った末に黒い魔力は力を失い、第二層の障壁にも細かな亀裂が広がる。
高い破砕音が響き、第二層は砕け散った。
だが、その先へ届く魔力は残っておらず、第三層だけが静かな輝きを保っていた。
「……予想どおり、二層か」
麻衣は第三層を解除する。
ヴァルグの表情から余裕が消え、後方で魔獣と斬り結んでいた男も、その光景を見て息をのんだ。
魔獣は障壁から放たれた膨大な魔力へ反応すると、標的を男から麻衣へ切り替えた。
低い咆哮を轟かせながら舗装路を蹴り砕き、その巨体からは想像できない速度で突進する。
麻衣は迫る魔獣を見据えたまま、短く呟く。
「フィジカル・ブースト。クイック・アクセル」
淡い魔力が全身を包み込み、身体能力が一気に引き上げられる。
続けて右手を前へ差し出した。
「エーテル・ソード」
膨大な魔力が右手へ収束し、青白く透き通る魔力剣が姿を現す。
魔獣が咆哮を上げ、巨大な前脚を横薙ぎに振るった。
その一撃は空気を震わせ、舗装路を大きく抉る。
しかし、そこに麻衣の姿はなかった。
視界から消えた麻衣を追い、魔獣が慌てて首を巡らせる。
その背後へ回り込んでいた麻衣は、一歩踏み込み、その勢いのまま魔力剣を横一文字に振り抜いた。
蒼い剣閃が一瞬遅れて空間を走る。
魔獣は数歩前へ進んだところで動きを止めた。
巨体の中央へ細い裂け目が現れ、やがて身体は左右へ分かれる。
崩れた肉体は黒い靄となって空へ散り、その姿は完全に消え失せた。
ヴァルグの瞳が大きく見開かれる。
「見え――」
言葉は最後まで続かなかった。
麻衣はすでにヴァルグの懐へ踏み込んでいた。
黒槍を放つために掲げられていた右腕へ、蒼い刃が迷いなく振り下ろされる。
一筋の閃光が走り、右腕が肩口から斬り離されると、鮮血のかわりに黒い靄を撒き散らしながら宙を舞った。
「があぁぁぁぁっ!」
ヴァルグは絶叫し、切断された右肩を左手で押さえながら大きく後退した。
荒い息を繰り返し、麻衣を見つめる紅い瞳には、先ほどまでの余裕も嘲りも残っていなかった。
「お、お前は……何者だ……!」
麻衣は答えない。
魔力剣を構えたまま、一歩だけ踏み出す。
「ま、待て!」
ヴァルグは顔を引きつらせ、半歩後ずさった。
「我が魔国軍へ来い! 四天王に推挙してやる! だから――命だけは……!」
「興味ないね」
その一言とともに、麻衣の姿が掻き消える。
一筋の蒼い剣閃がヴァルグの身体を駆け抜けた。
ヴァルグは何が起きたのか理解できないまま、その場に立ち尽くす。
「ば……かな……」
それが最後の言葉だった。
身体へ一本の裂け目が走り、次の瞬間には黒い魔力へ還るように崩れ始める。
斬り離された右腕も同時に黒い靄となり、ヴァルグの身体とともに跡形もなく消滅した。
ヴァルグの魔力が完全に途絶える。
それと同時に閉鎖空間全体が大きく揺らいだが、周囲を覆う魔力はまだ消えていなかった。
麻衣は魔力剣を消すと、男へ向き直る。
「話の続きをしましょうか」
男はしばらく言葉を失っていた。
やがて姿勢を正すと、騎士らしく深々と一礼する。
「……まずは礼を言わせてほしい。助かった。ありがとう」
男は顔を上げ、改めて麻衣を見つめた。
「私は君の敵ではない。ただ、ある方を探していた」
「誰を?」
「セリア様を」
その名を聞いた瞬間、麻衣の胸の奥がわずかにざわつく。
だが、その揺らぎが表情や声に現れることはなかった。
男の瞳に淡い光が宿り、わずかな魔力が麻衣を包み込む。
その流れを感じた瞬間、麻衣は相手の言葉に偽りがないかを判別する術式だと見抜いた。
「それは誰?」
男の眉がぴくりと動く。
「……違うのですか?」
「違うとは?」
麻衣は首をかしげる。
「私は加山麻衣というけど」
麻衣を包んでいた術式は、偽りを示す反応を見せなかった。
男は息をのみ、小さく目を見開く。
「……この反応。本当、なのか……」
「嘘も何も、私はこの国で生まれた者だけど?」
男はゆっくりと首を横へ振る。
「まさか……この世界に、あなたほどの魔法の使い手が存在するとは……」
麻衣は小さく肩をすくめた。
「この世界にも、特殊な力を持つ人は一部だけど存在するわ。一般的には『超能力者』なんて呼ばれているけど、私もこの世界ではそういう扱いになる」
術式は、その言葉にも偽りを示さなかった。
男は答えられないまま、その場に立ち尽くしていた。
麻衣は足元へ視線を落とす。
ヴァルグが消滅した場所には、黒い羊を思わせる一本の角だけが残されていた。
しゃがみ込んで角を拾い上げると、男の前まで歩み寄る。
「はい」
男は差し出された角を見つめ、息をのむ。
「これ、あなたが持っていた方がいいんじゃない?」
麻衣が差し出すと、男は両手で丁寧に受け取った。
「ああ。魔族を倒した証である討伐証になる。預からせてもらう」
男は角をしばらく見つめたあと、腰の革袋へ大切そうに納める。
「助かる」
その直後、閉鎖空間を維持していた魔力が完全に途絶えた。
色を失っていた街並みに光と音が戻り、車の走行音や人々の話し声が一斉に流れ込んでくる。
ほぼ同時に、複数の足音が二人へ近付いてきた。
「いたぞ!」
振り向くと、公安の捜査員たちがこちらへ駆け寄っていた。
麻衣は思わず苦笑する。
「あ、見つかっちゃった」
男も公安の姿を認め、表情を引き締めた。
「今回の礼は、いつか必ず」
「別にいりませんよ」
麻衣はあっさりと言い切る。
しかし、男は首を横へ振った。
「そういうわけにはいきません」
「止まれ!」
公安の制止が飛ぶ。
男は麻衣へ騎士らしく一礼した。
「では」
その姿が一瞬で掻き消える。
次の瞬間には遠くの路地へ姿を現し、そのまま住宅街の奥へ消えていった。
(クイック・アクセルか)
麻衣は、男が身体強化魔法で離脱したことを瞬時に見抜く。
「追跡!」
数人の捜査員が直ちに走り出し、男が消えた路地へ駆け込んでいく。
残った捜査員は周辺へ視線を走らせ、一人が麻衣のもとへ駆け寄った。
「加山さん、お怪我はありませんか!」
「はい。大丈夫です」
捜査員は麻衣の様子を一通り確認し、無線へ報告する。
『監視対象は逃走。加山さんの安全を確認しました』
直後、無線から追跡班の報告が返ってくる。
『監視対象をロスト。周辺を捜索します』
麻衣のそばにいた捜査員が悔しそうに表情を歪めた。
「……また逃がしたか」
別の捜査員はスマートフォンを取り出し、麻衣へ差し出す。
「楓さんです」
麻衣はスマートフォンを受け取った。
「もしもし」
『加山さん! 本当にお怪我はありませんか?』
「はい。大丈夫です」
『本当に、本当によろしいのですね?』
「本当に大丈夫です。心配しすぎですよ」
受話器の向こうから、安堵した息が聞こえた。
『……安心しました』
「それでは」
通話を終え、麻衣はスマートフォンを返す。
「ありがとうございました」
捜査員はスマートフォンを受け取り、一礼した。
「我々は周辺警戒へ戻ります。加山さんはこのままご自宅へお戻りください。見えない位置から警護を継続します」
「分かりました」
二人の捜査員はその場を離れ、角を曲がって姿を消した。
だが、しばらくすると角の向こうで立ち止まり、無線で何かをやり取りする小さな声が聞こえてくる。
麻衣はその様子を横目で見ながら、小さく笑った。
「わざと見えなくなるのも大変ね。どうせ家までついてくるのに……」
誰にも聞こえないほど小さな独り言だった。
麻衣はそのまま歩き出す。
夕暮れの住宅街には、いつもの穏やかな日常が戻っていた。




