↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/75

第17話 観測対象:加山麻衣

 薄暗い部屋の机には、テレビ映像から切り出された一枚の写真が置かれていた。

 写っているのは、制服姿の加山麻衣だった。

 男はしばらく無言で写真を見つめたあと、その表面を親指でなぞる。


「まずは確認する。確証を得るまでは動かない」


 男は写真を封筒へ戻し、机の引き出しへしまった。

 その瞳にあるのは、警戒と慎重さだけだった。


 時間は少しさかのぼり、麻衣が官邸を訪れた日の夕方。


 麻衣を駅付近で見送った楓は、官邸の執務室へ戻っていた。

 扉を閉めた直後、耳元のイヤホンから通信が入る。


『警護対象の自宅周辺で、不審人物を確認しました』


 楓は歩みを止めることなく応じる。


「詳細を」


『本日十六時三十分頃、警護対象の自宅周辺で確認しました。加山さんが官邸へ向かったあとも周辺に留まり、付近の状況を確認するような行動を続けています。過去五日間では高校、通学路、最寄り駅、駅前商業施設、自宅周辺で計七回確認。いずれも一定の距離を保った監視行動です。本日は官邸周辺で確認されていません』


 楓はわずかに目を細めた。


「単独?」


『はい。同一人物です。交代要員、支援要員とも確認されていません』


「身元は?」


『照合結果はすべて該当なしです。照会可能な国内外のデータベースにも一致する人物はいません』


 楓は腕を組む。


「素性は不明ということね」


『はい。ただ、一般人とは考えにくい人物です』


「根拠は?」


『周囲の確認方法、立ち位置、視線、歩き方。いずれも訓練を受けた者の特徴と一致しています』


 報告を聞き、楓は小さく頷いた。


「こちらの監視には気付いている?」


『現時点では気付いていないものと思われます。監視行動にも変化はありません』


 楓は少し考え込み、続けて確認する。


「これまでに加山さんへ接触を試みた形跡は?」


『ありません。警護対象への接近や声掛けは確認されていません。ただし、加山さんが一人になる時間帯や行動範囲は把握している可能性があります』


 楓の表情が引き締まる。


「今、加山さんは駅から公共交通機関を利用して帰宅しているわ。表面上は単独行動に見えるため、相手にとっては接触しやすい状況になる。駅から自宅までを重点的に警戒して。少しでも動きがあれば、直ちに報告を」


『了解!』


 通信が切れる。

 楓は窓際へ歩み寄り、官邸の外へ視線を向けた。

 穏やかな街並みは、何一つ変わっていない。


 しかし、その日常の裏側では、新たな動きが始まっていた。

 楓は一度息を吐き、窓の外を見据える。


「……警戒を一段、引き上げる必要があるわね」


 数日後の朝。


 麻衣はいつもと変わらない朝を迎え、美咲たちと合流して学校へ向かっていた。

 まだ眠気が残っているのか、美咲は欠伸を噛み殺しながら歩いている。


 その様子を見た奈緒が苦笑した。


「昨日、ゲームしてたでしょ?」


 美咲は気まずそうに視線をそらす。


「……ちょっとだけ」


 その返事に、優香が呆れたように肩をすくめる。


「その『ちょっと』が信用できないんだけど」


 麻衣も思わず笑った。


「自業自得だね」


 四人は顔を見合わせて笑いながら、校門へ向かって歩いていく。

 その後方、およそ三十メートル離れた場所を、一人の男が同じ方向へ歩いていた。


 歩幅を合わせることはなく、四人へ視線を向ける時間も必要最小限に抑えている。

 信号で立ち止まれば周囲の通行人へ紛れ込み、四人が歩き出せば一定の距離を保ってあとを追う。

 すれ違う人々の目には、ごく普通の通勤途中の男としか映らなかった。


 昼休み。


 男は校門から少し離れた歩道に立ち、校舎の窓を見上げていた。

 校庭では運動部の掛け声が響き、教室の窓際では生徒たちが昼食を囲みながら笑い合っている。


 男の視線は、その中の一人を追っていた。

 加山麻衣。

 友人たちと他愛もない話で笑い、ときおり困ったように肩をすくめている。


 周囲の生徒と何ひとつ変わらない、ごく普通の高校生活だった。

 男はわずかに目を細める。


(普通だ……。あまりにも普通だ)


 写真に写っていた少女と同一人物であることに間違いはない。

 だが、事件の際に記録された人物と、目の前で友人たちと笑っている少女の姿が、どうしても結び付かなかった。

 男は眉を寄せると、校舎から視線を外してその場を立ち去った。


 放課後。


 授業を終えた四人は、そのまま駅前の商業施設へ足を運んでいた。

 文房具売り場をのぞき、雑貨店へ立ち寄り、新しく発売されたお菓子を見つけては足を止める。

 学校帰りの、いつもと変わらない時間だった。


 その途中、美咲が不意に足を止める。


「あれ?」


 歩きながら話していた奈緒が振り返った。


「どうしたの?」


 美咲は少し離れたベンチへ視線を向ける。


「あそこ。本を読んでる人」


 三人もつられるように視線を向けた。

 ベンチには一人の男が腰を下ろし、文庫本を開いている。

 周囲を気にする様子もなく、一定の間隔でページをめくっていた。


「……あの人?」


 優香が首を傾げる。

 美咲は男を見つめたまま、小さく頷いた。


「さっき駅でも見た気がするんだよね」


 奈緒は記憶をたどったあと、首を傾げる。


「そうだっけ?」

「私は覚えてないけど」


 優香も心当たりがない様子だった。


 麻衣も男へ目を向ける。

 ほんの一瞬だけ視線が重なったが、男は何事もなかったように文庫本へ目を戻した。

 麻衣もすぐに視線を外す。


「偶然じゃない?」


 美咲は納得できないように首を傾げる。


「そうかなぁ……」


 美咲はまだ気になる様子だったが、三人に促されて歩き始めた。


 四人が男から見えない場所まで歩いたところで、麻衣はスマートフォンを取り出した。

 美咲たちに気付かれないよう、歩きながら短い文章を打ち込む。


『美咲が、最近同じ男を何度か見掛けたと言っています。今も駅前の商業施設にいます』


 楓へ送信すると、すぐに返信が届いた。


『承知しました。こちらで確認します。麻衣さんたちは、そのまま普段どおりに行動してください』


 麻衣は画面を確認し、何事もなかったようにスマートフォンを鞄へ戻した。

 そのまま三人との会話に加わり、四人の姿は人混みへ溶け込んでいく。


 男はしばらくベンチに座り続けていた。

 十分ほど経ってから文庫本を閉じ、人の流れへ紛れ込む。

 急ぐ様子を見せることなく、再び一定の距離を保ちながら四人のあとを追った。


 翌日、その翌日も、男は麻衣の行動を観察し続けた。


 学校。

 通学路。

 駅。

 書店。

 コンビニ。


 麻衣の生活は驚くほど規則正しかった。

 授業を受け、友人たちと笑い、放課後に寄り道をして帰宅する。

 休日に友人と出掛けることはあっても、それ以外に目立った行動は見られなかった。


(違う……)


 情報が間違っているとは思えない。

 それでも、どれだけ観察を続けても、事件で記録された人物と結び付くような違和感は見つからない。


 男は離れた場所から麻衣を見つめ、わずかに眉を寄せた。

 目の前にいるのは、平凡な日常を送る一人の女子高校生にしか見えなかった。


 さらに数日が過ぎた。


 男は駅前の歩道を歩きながら、友人たちと談笑する麻衣を視界の端に捉えていた。

 監視を続けても十分な確証は得られず、このまま観察しているだけでは何も変わらない。


(……確認するしかない)


 男は歩調を変えないまま、人混みに紛れて少しずつ距離を縮めていく。

 麻衣との距離がおよそ二十メートルまで近付いた、その瞬間だった。


「少しよろしいでしょうか?」


 背後から穏やかな声が掛かる。

 男は足を止めて振り返った。


 二人の私服警察官が立っている。

 一人が警察手帳を開き、男へ向けた。


「確認したいことがあります」


 男は警察手帳へ一度だけ視線を落としたが、その表情は変わらなかった。


「私ですか?」

「はい」


 短いやり取りのあと、男は頷く。


「構いません」


 穏やかな口調で答えながら、その視線は周囲の状況を捉えていた。

 駅へ向かう人の流れと、スクランブル交差点で信号待ちをする人々。

 建物の配置、路地の位置、人波が途切れる場所と重なる場所。

 逃げ道になり得る経路を、一瞬で頭の中へ描き出していく。


「では、お名前と身分証を確認させてください」


 警察手帳を持った警察官が一歩近付く。

 もう一人は斜め後方に立ち、駅と路地へ続く二つの進路を塞いでいた。


 その時、歩行者用信号が青へ変わった。

 交差点の四方で待っていた人々が一斉に歩き出し、それぞれの流れが中央で複雑に交差する。


 男は正面から来た旅行客の大きな鞄を避けるように半歩横へ移動し、そのまま会社員の集団へ紛れ込んだ。

 斜め後方にいた警察官がすぐに進路を塞ごうとしたが、別方向から来た人々に遮られ、男との間に一瞬だけ隙間が生まれる。


「待ってください!」


 警察手帳を持った警察官があとを追う。

 もう一人は横断歩道の反対側へ回り込み、男が進んだ方向を塞ごうと走り出した。


 しかし、会社員の集団は交差点の中央で二方向へ分かれ、それぞれ別の歩道へ向かっていく。

 二人が左右へ視線を走らせた時には、男の姿はどちらの人波にも見当たらなかった。


「見失った!」


 もう一人が無線へ手を伸ばす。


「監視対象をロスト! 周辺へ展開、急げ!」


 二人は駅構内と周辺の路地へ分かれ、すぐに捜索を開始した。

 改札前、駅前広場、商業施設、周辺道路と、男が向かった可能性のある経路を一つずつ確認していく。

 だが、どこにも男の姿はなかった。


 その報告は、すぐに官邸へ届けられた。

 執務室で書類へ目を通していた楓の耳へ通信が入る。


『監視対象を見失いました』


 楓はペンを置く。


「状況は?」


『監視対象へ職務質問を実施しましたが、人混みを利用して離脱されました。現在も周辺を捜索していますが、発見には至っていません』


 楓は一度目を閉じ、息を吐いた。


「そう……」


 数秒の沈黙が流れたあと、楓は目を開く。


「相手は想定以上ね」


『申し訳ありません』


 楓は首を横へ振る。


「謝る必要はないわ。相手の能力が、こちらの想定を上回っていただけよ。捜索を継続して。再発見した場合は、加山さんへの接触だけは絶対に許さないで」


『了解!』


 通信が切れる。

 楓は立ち上がると、窓際まで歩いて街並みを見下ろした。


 男の目的は分からない。

 正体も分からない。

 だが、加山麻衣を追っていることだけは確かだった。


 楓は窓ガラスに映る自分の姿を見つめ、一度息を吐いて表情を引き締めた。


「……何としても守り切るわ」

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


少しでも「面白かった」と思っていただけましたら、ブックマーク・★評価・リアクション・一言感想の

どれか一つでもいただけると、とても励みになります。


ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。