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第16話 総理からの警告

今回、ちょっと長いです。

 アイドル事件から数日が過ぎた。


 放課後。

 ホームルームを終えた麻衣は校門を出ると、迎えに来ていた黒塗りの車へ乗り込んだ。

 運転席にはいつもの運転手が座り、助手席には楓の姿がある。

 ドアが静かに閉まり、車はゆっくりと走り始めた。


 窓の外へ流れる街並みを眺めながら、麻衣は小さく息をついた。


「また呼ばれたんだけど……」


 その呟きに、楓は前を向いたまま静かに答える。


「今回は総理たってのご希望です。緊急事態ではありませんので、ご安心ください」


 麻衣は小さく頷いた。


「それならいいんですけど」


 事件ではないと聞き、麻衣はひとまず安心した。

 しかし、すぐに頭へ浮かんだのは、あの総理の笑顔だった。


「……また何かやらかしてないよね」


 誰にも聞こえないよう小さく呟くと、楓の肩がわずかに震えた。


「聞こえてますよ」

「やっぱりですか」


 麻衣は照れ笑いを浮かべながら、小さく肩をすくめた。


 案内されたのは、以前と同じ応接室だった。

 楓が扉を開ける。

 ソファから立ち上がった総理は、麻衣の姿を見つけた瞬間、ぱっと表情を輝かせた。


「麻衣ちゃん!」


 そのまま一直線に歩き出そうとしたところで、楓が半歩だけ前へ出る。


「総理」

「あ……」


 総理はぴたりと立ち止まり、しょんぼりと肩を落とした。


「また止められちゃった……」


 その姿があまりにも毎回同じで、麻衣は思わず笑ってしまう。


「毎回ですね」


 総理は気を取り直したように歩み寄ると、息継ぎもせず言葉を重ねた。


「怪我は!? 腕は!? もう痛くない!? 病院にはちゃんと行った!?」


 麻衣は目を丸くしたあと、困ったように笑う。


「もう治ってます。擦り傷みたいなものですから」


 総理は胸へ手を当て、大きく息を吐いた。


「よかったぁ……」


 ようやく肩の力が抜けたのか、その表情には心から安堵した様子が浮かんでいた。


 全員がソファへ腰を下ろす。

 総理は少し照れくさそうに笑った。


「本当はね、お家まで様子を見に行こうと思ったの」


 麻衣は反射的に首を横へ振る。


「いや、それは駄目です」


 楓も静かに頷いた。


「私が全力でお止めしました」


 麻衣は苦笑する。


「止めますよね」


 楓は淡々と続けた。


「現職総理がお一人の女子高校生のご自宅を訪問すれば、大騒ぎになります」


 麻衣も大きく頷く。


「近所中、大パニックですよ」


 総理は口を小さく尖らせた。


「でも、心配だったんだもの」


 その一言に、麻衣は少し照れくさそうに笑う。


「その気持ちは嬉しいです。でも、本当に来ちゃ駄目です」


 総理は腕を組んで「うーん」と考え込み、やがて何かを思い付いたように顔を上げた。


「……じゃあ、お家には行かない。その代わり、また呼ぶ」


 麻衣は一瞬きょとんとしたあと、小さく吹き出した。


「いや、そこなんですね」


 楓も珍しく笑みを浮かべる。


「その方が現実的です」

「決まりね!」


 満面の笑みを浮かべる総理につられ、麻衣も楓も思わず笑ってしまう。

 応接室には、穏やかな笑い声がしばらく響いていた。

 だが、その笑顔は長くは続かなかった。

 総理は笑みを静かに収め、真っ直ぐ麻衣を見つめる。


「……今日はね。それだけじゃないの」


 その声を聞いた瞬間、麻衣も自然と表情を引き締めた。

 楓は手元のファイルを開き、数枚の資料を机の上へ静かに並べる。


「本日は、一つご報告とお願いがあります」


 誰も口を開かない。

 総理は穏やかな表情のまま、ゆっくりと言葉を続けた。


「少しだけ、真面目なお話をさせてください」


 楓は一枚目の資料を麻衣の前へ置いた。


「まず、博物館事件についてご説明します」


 麻衣は資料へ目を落とし、小さく頷く。

 楓も資料へ軽く目を落とした。


「事件直後、政府は関係機関と連携し、現場関係者への聞き取りや防犯カメラ映像の確認、報道機関への協力要請を進めました」


 そう言うと、一枚目の資料を指先で示す。


「その結果、博物館で救助活動を行った人物の身元は、外部へ漏れておりません」


 麻衣は小さく息をついた。


「そう聞いていました」


 楓は静かに頷く。


「はい。少なくとも、あの事件だけで個人を特定されることはありませんでした」


 総理も穏やかに頷いた。


「だから、あの時は安心していたの」


 楓は二枚目の資料をめくった。

 そこには、アイドル事件当日の現場写真や周辺地図が並んでいる。


「しかし、状況は変わりました」


 麻衣は背筋を伸ばし、資料へ視線を向けた。


「先日のアイドル事件です」


 楓は現場写真を一枚、麻衣の前へ滑らせる。


「事件現場は市街地でした。目撃者も多く、防犯カメラも多数設置されています」


 続いて、別の資料を開く。


「事件直後には、現場を撮影した写真や映像がインターネット上へ投稿されました」


 麻衣は黙ったまま資料を見つめる。

 楓は落ち着いた様子で話を続けた。


「国内では可能な限り対応しました。関係各所と連携し、投稿の削除要請や情報の拡散防止にも努めています」


 そこで資料を閉じる。


「しかし、一度拡散された情報を完全に回収することは不可能でした」


 麻衣は机の上に並ぶ資料から目を離せなかった。

 楓は三枚目の資料をめくった。


「海外の情報機関は、博物館事件とアイドル事件を別々の出来事とは見ていません」


 机の上へ一枚の資料を置き、麻衣へ向ける。


「二つの事件を同じ人物によるものとして分析しています」


 麻衣は資料へ目を落としたまま、小さく口を開いた。


「……つまり」


 楓は静かに頷く。


「博物館で救助活動を行った人物と、アイドルを救った女子高校生。同一人物と判断した可能性が高いと思われます」


 麻衣はしばらく黙って資料を見つめていた。


「……私のこと、知られたんですね」


 総理は静かに頷く。


「ええ。だから、麻衣ちゃんにも黙っているわけにはいかなかったの」


 総理は改めて麻衣へ向き直る。


「麻衣ちゃん」


 その優しい呼び掛けに、麻衣も顔を上げた。


「これから先、あなたの周りで今までとは違う出来事が起きるかもしれない。知らない人から声を掛けられることもあるでしょう。偶然とは思えないことが続くかもしれない」


 総理は少しだけ身を乗り出した。


「少しでもおかしいと思ったら、絶対に一人で判断しないで」


 麻衣は真っ直ぐ総理を見返し、小さく頷く。


「……分かりました」


 総理は安心したように微笑んだ。


「ありがとう」


 麻衣は少し考え込み、静かに口を開く。


「……その人たちは、私に何をするつもりなんですか」


 楓は首を横へ振った。


「現時点では分かっていません。接触が目的なのか、情報収集なのか、それとも別の目的なのか。まだ判断できる段階ではありません」


 総理も言葉を重ねた。


「だからこそ心配なの! 相手の目的が分からないことが、一番怖いのよ」


 麻衣は少し視線を落とした。


「……私だけならいいんです。でも、家族や美咲たちまで巻き込まれることは……」


 楓は真剣な表情のまま頷いた。


「可能性はあります」


 その一言に、麻衣の表情が曇る。


「あなたへ近付けないと判断すれば、ご家族やご友人へ近付くことも考えられます」


 麻衣は思わず息を呑んだ。

 総理は静かに姿勢を正す。


「だから決めました」


 一呼吸置いて続けた。


「政府として、あなたを今まで以上に守ります」


 麻衣は目を丸くする。


「えっ」


 楓が穏やかな口調で説明を引き継いだ。


「ただし、これまでと同じです。学校生活や日常生活を妨げないことを最優先とします」


 麻衣は静かに耳を傾ける。


「制服警察官を配置したり、目立つ警護を行ったりすることはありません。必要な時は、私たちが水面下で対応します」


 麻衣はほっとしたように笑った。


「普通に学校へ行けるんですね」


 楓も静かに頷く。


「はい。それを守るための警護です」


 総理は優しく微笑んだ。


「麻衣ちゃん」


 麻衣は総理を見る。


「あなたには、普通の女子高校生として毎日を過ごしてほしいの。友達と笑って、学校へ行って、帰りに寄り道をして。そんな毎日が、一番大切なんだから」


 麻衣は照れくさそうに笑う。


「最近、その普通が一番難しい気がします」


 総理は苦笑しながら頷いた。


「……否定できないわね」


 楓も小さく笑みを浮かべる。


「ですが、その普通を守ることが私たちの仕事です」


 麻衣は二人の顔を見て、小さく笑った。

 そのままゆっくり立ち上がり、総理と楓へ向き直る。


「今日はありがとうございました」


 総理も立ち上がり、優しく微笑む。


「何かあったら、遠慮しないで連絡してね。一人で抱え込まないで」


 麻衣は笑顔で頷いた。


「はい」


 ふと何かを思い出したように、麻衣は楓へ視線を向ける。


「今日は、電車で帰ってもいいですか」


 その一言に、楓の表情がわずかに引き締まった。


「……電車、ですか」


「はい」


 楓は少し考えてから口を開く。


「本日のお話を踏まえますと、お勧めはできません。このままご自宅までお送りいたします」


 麻衣は少し考えたあと、楓を見つめる。


「でも、これからも普通に学校へ通うなら、ずっと車で送ってもらうわけにはいきませんよね」


「危険があると分かっていてもですか?」


「何かあれば、すぐに連絡します。それに、普通の生活を守ってくれるんですよね?」


 楓は真っ直ぐ麻衣を見つめた。

 総理も心配そうな表情を浮かべたまま、二人の話を聞いている。


 しばらくして、楓は小さく息をついた。


「……分かりました。ただし、官邸から駅付近までは車でお送りします。その後も、麻衣さんからは見えない位置で警護いたします」


 麻衣は納得したように笑った。


「それならお願いします」


 楓は静かに頷く。


「お任せください」


 総理もようやく笑みを浮かべた。


「本当に無茶だけはしないでね」


「はい」


 麻衣は笑顔で答える。


 楓は扉を開き、麻衣を廊下へ案内した。

 二人は並んで歩きながら、しばらく無言だった。


 やがて楓が口を開く。


「総理は、本当にあなたのことを心配されています」


 麻衣は少し照れくさそうに笑う。


「はい。それは十分伝わってます。だからこそ、あまり心配を掛けないようにしないと」


 楓も穏やかに微笑んだ。


「そのお気持ちだけでも、総理は安心されると思います」


 やがて二人は、地下の車寄せへ到着した。

 麻衣が後部座席へ乗り込むと、楓も反対側から車へ乗る。

 ドアが閉まり、車は官邸の地下から夕暮れの街へ走り出した。


 しばらくして、楓が麻衣へ視線を向ける。


「本日お話しした詳しい内容は、ひとまず外部へ伏せてください。ご家族には、こちらから必要な範囲でご説明いたします」


「美咲たちには?」


「知らない人物から声を掛けられたり、不審な出来事があったりした場合は、すぐに周囲へ相談するよう伝えてください。ただし、海外の情報機関に関する話は伏せていただけますか」


 麻衣は静かに頷く。


「分かりました。お願いします」


 それからしばらくして、車は駅から少し離れた場所へ停車した。

 楓は窓越しに周囲の様子を確認してから、麻衣へ向き直る。


「こちらの警護員が、ご自宅まで見えない位置から同行します。麻衣さんは普段どおりに行動してください」


「はい。ありがとうございます」


 麻衣は軽く一礼すると、車を降りた。


 夕暮れの街は、いつもと変わらない賑わいに包まれていた。

 学校帰りの学生が笑い合い、会社員は駅へ足を急がせる。

 買い物帰りの親子や観光客も行き交い、見慣れた帰宅風景が広がっていた。


 総理の言葉が、ふと頭をよぎる。


『あなたは、普通の女子高校生として毎日を過ごしてほしい』


 麻衣は苦笑する。


「私だって、そのつもりなんだけど」


 小さく呟き、そのまま駅へ向かって歩き続けた。

 駅前へ着くと、麻衣は改札を抜ける。

 少し離れた場所では、スーツ姿の男性がスマートフォンへ目を落とした。


『警護対象、駅構内へ入りました。現在まで異常ありません』


 イヤホンから短く返事が返る。


『了解。引き続き周辺を警戒してください』


 改札の近くでは買い物帰りの女性が足を止め、ベンチでは老人が新聞を広げている。

 駅員も利用客を案内し、いつもと変わらない夕方の光景が続いていた。

 麻衣はそんな周囲へ目を向けることもなく、ホームへ向かう。


 やがて到着した電車へ乗り込み、空いていた座席へ腰を下ろした。

 扉が閉まり、電車はゆっくりとホームを離れていく。

 麻衣は窓の外へ流れていく景色を眺めながら、いつもと変わらない帰路をたどった。


 それからしばらくして最寄り駅で電車を降り、いつもの道を歩いて自宅へ戻った。

 鞄から鍵を取り出し、玄関の扉を開ける。


「おかえり」

「ただいま」


 台所から顔を覗かせた母が微笑んだ。


「今日は少し遅かったわね」

「ちょっと用事」


 母はそれ以上聞くことなく、笑って頷く。


「もうすぐご飯だからね」


 食卓には湯気の立つ料理が並び、テレビからはいつもの番組が流れていた。

 麻衣は椅子に座っただけで、少し身体が軽くなった気がした。


「やっぱり家が一番落ち着く」


 夕食を終えて自室へ戻ると、スマートフォンが震えた。

 画面には楓の名前が表示されている。


『本日はありがとうございました。何かございましたら、時間を問わずご連絡ください』


 麻衣は少し笑い、短く返信を打った。


『ありがとうございます。何もないことを祈ります』


 数秒後、新しい通知が届く。


『私も同じ気持ちです』


 思わず口元が緩む。


「本当に真面目な人だな」


 その夜、制服をハンガーへ掛けると、ベッドへ身体を預けた。


「疲れた……」


 目を閉じると、意識はゆっくりと眠りへ沈んでいった。


 その頃、テレビではアイドル事件を伝えるニュースが繰り返し放送されていた。

 画面には規制線の張られた現場と、救助された関係者たちの姿が映し出される。

 画面の端に、制服姿の少女の横顔が一瞬だけ映り込んだ。


 政府の警護網から遠く離れた、どこか薄暗い部屋。

 一人の男が、画面に映った少女の横顔を食い入るように見つめていた。


「……ようやく見つけた」

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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ありがとうございました!

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