↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/75

第14話 五分だけ

 一方その頃。

 都立南陽東高等学校の応接室では、校長と教頭が報道各社への対応を続けていた。

 校門前には、まだ数社の報道陣が残っている。


 電話が鳴るたび、教頭は受話器を取り、同じ説明を繰り返していた。


「申し訳ありません。本件につきましては、お答えできません」


 電話を切ったところで、応接室の扉が静かにノックされる。


「失礼します」


 事務員が一礼して部屋へ入った。


「校長先生。朝倉優香さんの所属事務所の方からお電話です」


 校長は教頭と視線を交わし、小さく頷く。


「おつなぎしてください」


 間もなく、応接室の電話が鳴った。

 校長は受話器を取り、落ち着いた声で応じる。


「都立南陽東高等学校、校長です」


 受話器の向こうから、落ち着いた男性の声が返ってきた。


「突然のお電話失礼いたします。朝倉優香のマネージャー、佐伯と申します。昨日は弊社所属タレントを助けていただき、本当にありがとうございました。もし救助してくださった方が貴校の生徒でしたら、お礼の気持ちだけでもお伝えいただけないでしょうか。もちろん、お名前などをお伺いするつもりはございません」


「お気持ちは確かに承りましたが、本校と事件との関係につきましては、お答えできません。また、生徒に関する情報もお伝えできませんので、ご理解ください」


「承知しております。本日は、お気持ちだけでもお伝えできれば十分です。ありがとうございました」

「こちらこそ、お電話ありがとうございました」


 受話器を置くと、教頭が尋ねる。


「芸能事務所でしたか」

「ええ。お礼を伝えてほしいという申し出でした」


「個人情報は」

「もちろん一切お伝えしていません。本校の生徒かどうかも回答していません」


 教頭は安心したように頷く。


「それで問題ありません」


 校長は一度だけ頷いた。


「生徒の間では噂になっているようですが、噂だけでは本人確認はできません」

「ええ」


 教頭も頷いた。


「ただ、本人が判明した際には、お礼を伝えたいという申し出だけは届けましょう」

「それがよいでしょう」


 昼休み。

 チャイムが鳴ると、教室はいつもの賑わいに包まれた。


 美咲は机を寄せると、真っ先に麻衣の腕を見る。


「痛くない?」

「もう大丈夫」

「病院では何て言われたの?」


 奈緒が続けて聞く。


「浅い傷だから大丈夫だって」

「薬はちゃんと塗ってる?」


 優香も心配そうに尋ねる。


「うん。ちゃんと塗ってる」


 三人は小さく息をついた。

 教室の反対側では、昨日のニュースが話題になっている。


「校門前、まだテレビいたぞ」

「朝より減ったけどな」

「SNSだと女子高生ってところまでは分かってるらしい」

「南陽東って書かれてる投稿も結構あるぞ」

「でも誰なんだろうな」


 一人の男子生徒が麻衣へ目を向ける。


「なあ」

「ん?」

「昨日、加山ってコンビニ寄るって言ってなかった?」

「ああ」

「それに腕も怪我してるし……。聞いてみるか?」


 その言葉に、別の男子が首を振る。

「やめとけ。本人が言わないなら聞くことじゃない。違ったら失礼だし、本当だったとしても、話したくない理由があるかもしれないだろ」


 誰も反論しなかった。

 少し間を置き、一人がぽつりとつぶやく。


「でもさ。あの子なら、人を助けても不思議じゃないよな」


 誰も否定しない。


 美咲はそのやり取りを見ていた。

(悪く言う人はいない。よかった)


 麻衣はそんな周囲の空気にも気付かず、奈緒と優香のやり取りに苦笑しながら昼食を食べている。

 その笑顔を見て、美咲も自然と笑みを浮かべた。


 同じ頃。

 加山家では、恒一がテーブルの上に置かれた一枚の名刺を見つめていた。


「……」


 隣へ腰を下ろした美紀が静かに尋ねる。


「どうするの?」

「本人に任せる」


 恒一は名刺を封筒へ戻すと、机の引き出しへ静かにしまった。


「無理に会わせるつもりはない。麻衣が会いたいと言うなら、その時に考えればいい」


 美紀も穏やかに頷く。


「そうね。それが一番ね」


 その頃、麻衣は何も知らず、美咲たちと笑いながら帰り道を歩いていた。


 夕食を終えたあと、麻衣はリビングのソファに座り、何となくテレビを眺めていた。

 ニュースでは、昨日の事件がまだ取り上げられている。


「人気アイドルを救った人物については、現在も身元は公表されていません」


 キャスターの声を聞いた麻衣は、手元のリモコンへ指を伸ばした。

 もう消そう。


 そう思った時、父の加山恒一が一枚の封筒を手にリビングへ入ってきた。


「麻衣、少しいいか」

「うん」


 恒一はソファの前まで来ると、封筒から一枚の名刺を取り出し、テーブルの上へ置いた。

 麻衣は名刺に目を落とす。


 そこには、朝倉優香のマネージャーである佐伯 誠の名前があった。


「……病院の」

「ああ。病院で渡された名刺の番号へ、私から一度連絡していた。その返事が今日あった」


 母の加山美紀も、二人の様子を見て向かいのソファへ腰を下ろした。

 恒一は麻衣が名刺を見ているのを確かめてから、落ち着いた声で続ける。


「正式にお礼をしたいそうだ。病院では慌ただしかったから、改めて少しだけ時間をもらえないかと言っていた」


 麻衣は一度だけ名刺を見つめ、すぐに視線を外した。


「断って」


 迷いのない返事だった。


 恒一も美紀も驚かなかった。

 むしろ、そう言うだろうと分かっていたように、恒一は小さく苦笑する。


「そう言うと思った」

「麻衣らしいわね」


 恒一は少し間を置き、改めて麻衣を見る。


「理由を聞いてもいいか」


 麻衣は腕を組むでもなく、俯くでもなく、ただ名刺の端へ視線を向けた。


「助けたのは、私が勝手にやったことだから。見返りはいらないし、お礼を言われるようなことでもないと思う」


 美紀は責めることなく、静かに頷いた。


「そう思うよね」


 けれど恒一は、すぐには名刺を片付けなかった。


「でも、向こうはそう思っていない」


 麻衣が顔を上げる。


 恒一は表情を少しだけ引き締め、電話で聞いた言葉をそのまま伝える。


「マネージャーさんが言っていた。本人が、自分のせいで君に怪我をさせたと、かなり気にしているそうだ」


 誰もすぐには口を開かなかった。


「せめて一度だけでも、謝らせていただけませんか、と」


 麻衣は何も答えなかった。

 視線だけが、テーブルの上の名刺へ戻る。


 病院の待合スペースで、朝倉優香が泣きながら頭を下げていた姿が脳裏に浮かんだ。


『私のせいで……』


 あの時の声が、思っていたよりもはっきり残っていた。


 美紀が静かに口を開く。


「もちろん、断ってもいいのよ」


 麻衣は母を見る。


「これは麻衣が決めることだから」


 恒一も頷いた。


「私たちは、どちらでもいい。返事も急がなくていいそうだ」


 麻衣はしばらく名刺を見つめていた。

 やがて、そっと手を伸ばして名刺を手に取る。


「……少し考える」


 恒一と美紀は何も言わなかった。

 娘が自分で答えを出すまで、待つことにした。



 翌朝。

 朝食の時間になっても、麻衣はどこか落ち着かない様子だった。

 テーブルの端には、昨夜の名刺がそのまま置かれている。


 トーストに手を伸ばしても、視線は何度もそちらへ向いてしまう。

 父も母も、そのことには触れなかった。

 普段どおりの会話だけが交わされる。


 放課後。

 帰宅した麻衣は制服のままリビングへ入り、そのままソファへ腰を下ろした。

 まだ父は帰っていない。


 キッチンから出てきた美紀が、お茶をテーブルへ置く。


「はい」

「ありがと」


 湯気の立つ湯のみを見つめながら、麻衣はしばらく黙っていた。

 その様子を見て、美紀が向かいへ座る。


「まだ考えてる?」

「……うん」

「会いたくない理由は?」


 麻衣は少しだけ困ったように笑う。

「恥ずかしいから」


 予想外の答えに、美紀は思わず笑った。

「そこ?」


 麻衣も苦笑する。

「だって、何回もお礼言われるの苦手なんだよ。放っておけなかっただけだし」


 美紀はその言葉を否定しなかった。

「そういうところ、麻衣らしいわね」


 少しだけ間を置く。

「でもね、相手からしたら、その当たり前で命を助けられたの。だから、ちゃんと『ありがとう』を伝えたいんだと思う」


 麻衣は何も言わず、その言葉を受け止める。


 玄関の扉が開く音がした。

「ただいま」

「おかえり」


 恒一がリビングへ入ると、そのまま麻衣へ視線を向ける。

「返事、決まったか?」


 麻衣は小さく首を横に振る。

 恒一は上着を椅子へ掛けながら続ける。


「私は、断ってもいいと思っている。でもな、相手が一生、自分のせいだと思い続けるなら、放っておくのも違う」


 リビングに、わずかな沈黙が落ちる。


 麻衣は目を閉じた。

 病院での光景が浮かぶ。


 頭を下げる姿。

 震える声。

『私のせいで……』


 しばらくして、ゆっくりと目を開く。

 父と母を見る。


「……五分だけなら」


 その言葉に、二人は顔を見合わせる。

 次の瞬間、静かに微笑んだ。


 恒一はテーブルの上に置かれていた名刺を手に取る。

「分かった。そう伝えておく」


 スマートフォンを取り出しながら、短く頷いた。

 麻衣は少しだけ考えてから、付け加える。


「謝礼とかは受け取らないから」

「もちろん。その点もきちんと伝えておく」


 美紀も穏やかに頷く。

「変な遠慮はしないでね」

「うん」


 短いやり取りのあと、リビングにはいつもの空気が戻っていく。


 数日後。

 恒一のスマートフォンへ、一通のメールが届いた。

 差出人は、朝倉優香の所属事務所。


 表示された内容を確認する。

『○月○日 午後三時 

 ○○ビル会議室

 短時間で結構です。

 改めて御礼を申し上げます』


 恒一は画面をそのまま麻衣へ見せた。

 麻衣は一度だけ目を通し、小さく頷く。

「……分かった」



 その頃。

 都内の芸能事務所。

 応接スペースで、佐伯が一人の少女へ声を掛ける。


「朝倉」

「はい」


「会っていただけることになった」

「……本当ですか?」


「ああ。ただし短時間だけだ」


 優香は何度も頷いた。

「それで十分です。ちゃんと……伝えたいんです。ありがとうって」


 目元がわずかに潤む。

 それでも、しっかりと前を向いていた。


 ようやく、その機会が与えられたのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。