第13話 怪我の方が大事だから
翌朝。
テレビでは、昨夜の事件を扱うニュース番組が朝から繰り返し放送されていた。
「昨夜、人気アイドル・朝倉優香さんがストーカー被害に遭う事件が発生しました」
キャスターの声とともに、画面には現場となったコンビニが映し出される。
規制線の張られた店舗前。
停車するパトカーと救急車。
現場を行き交う警察官。
「現場に居合わせた人物が犯人を取り押さえ、朝倉さんに怪我はありませんでした」
「犯人は駆け付けた警察官により現行犯逮捕され、救助した人物も腕に軽傷を負いましたが、命に別状はないということです」
事件の概要が伝えられたものの、救助した人物について詳しい情報は公表されなかった。
名前はもちろん、年齢や性別も明かされておらず、顔も映っていないままだった。
放送が終わる前から、スマートフォンへ手を伸ばす者が増えていく。
SNSでは、ニュース映像を見た人たちの投稿が一気に流れ込んでいた。
『このコンビニ、うちの近所だ』
『昨日、パトカーと救急車が何台も来てた場所じゃん』
『ニュース見て昨日の騒ぎってこれだったんだ』
『現場にいたけど、助けたの制服姿の子だった』
『女子だったらしいぞ』
『警察が来る前に犯人を取り押さえてたよ』
『あの制服、南陽東じゃない?』
『リボンも制服の色も南陽東っぽい』
『現場にいた人も南陽東の子って話してた』
『南陽東らしいって結構出てるぞ』
同じ現場を知る投稿が、次々と重なっていく。
ニュースでは伏せられていた「女子」「制服姿」という情報も口コミで広まり、制服の特徴から、学校名を挙げる投稿が目立ち始める。
まだ助けた人物の名前を知る者はいない。
それでも投稿を追うたび、「南陽東」という校名だけは何度も目にするようになっていた。
その頃。
都立南陽東高等学校の正門前には、朝早くから報道陣が集まっていた。
テレビ局のカメラ。
新聞社の記者。
ネットニュースの取材班。
校門へ向けられたレンズの前で、教頭が一つずつ質問に応じていた。
「昨日、アイドルを助けた人物は貴校の生徒なのでしょうか」
記者の問いに、教頭は落ち着いた表情のまま答えた。
「その件につきましては、お答えできません」
「SNSでは制服が一致しているとの情報も出ていますが」
「コメントは差し控えさせていただきます」
「生徒の安全確保はどのようにお考えですか」
「ご本人への取材は可能でしょうか」
質問は途切れない。
教頭はその都度一礼し、同じ回答を繰り返す。
「お答えできません」
学校が事実を認めることは、一度もなかった。
朝の教室では、ホームルーム前からいつも以上に賑やかな声が飛び交っていた。
「昨日のニュース見た?」
「見た見た!」
「犯人取り押さえた人、すげぇよな」
「アイドル助けたんだろ?」
「さっき校門前にテレビ来てたぞ」
「俺も見た。記者も結構いた」
「やっぱり昨日のニュースの件かな」
「SNSで、うちの学校って噂になってるらしい」
「制服似てるって書かれてた」
「誰なんだろ」
「知ってるやついる?」
だが、その場にいる誰一人として、助けた人物の正体を知る者はいなかった。
そんな中、教室の扉が開き、麻衣はいつもと変わらない様子で教室へ入った。
「おはよう」
変わらない調子の挨拶と、柔らかな笑顔。
窓際で奈緒や優香と話していた美咲も笑顔を向ける。
「おはよう」
「おはよう」
「おはよう」
三人が返事をすると、麻衣は自分の席へ向かった。
何気なく目で追っていた美咲の視線が、ふと止まった。
白い保護テープが、袖口からわずかに見えている。
「……」
美咲は何も言わない。
ただ、そのまま麻衣の腕を見つめる。
美咲の様子に気付いた奈緒が視線を向けると、同じように保護テープが目に入った。
優香も二人の視線を追い、表情が少しだけ曇る。
麻衣が席へ鞄を置くと、美咲が静かに声を掛ける。
「麻衣」
「ん?」
「ちょっといい?」
いつもと変わらない口調だった。
それでも、どこか真剣な空気を感じ取り、麻衣は首を傾げる。
「……何?」
「廊下で話そ」
奈緒と優香も何も言わず立ち上がった。
四人は教室を出ると、人通りの少ない廊下の奥まで歩いていく。
朝の校舎はまだ静かで、教室から漏れる話し声だけが遠くに聞こえていた。
美咲は立ち止まると、もう一度麻衣の腕へ目を向ける。
「その腕」
麻衣も視線を落とし、袖口からのぞく保護テープを見る。
「ああ、昨日ちょっとね」
深く考えず返した一言だった。
「昨日……」
奈緒が小さくつぶやく。
駅で別れ際、麻衣は「コンビニへ寄って帰る」と笑っていた。
優香も同じ場面を思い出していた。
ニュースで流れていたコンビニ。
昨日の別れ際の言葉。
袖口からのぞく保護テープ。
頭の中で、それぞれの出来事が一本につながっていく。
三人の視線が、自然と麻衣へ集まる。
言葉はなかった。
美咲は麻衣から目を離さず、静かに問い掛ける。
「昨日、ニュースになったコンビニ。あそこに、いたんだよね?」
麻衣は答えなかった。
誤魔化す言葉を探そうとしたが、三人の視線を前にすると何も思い浮かばない。
小さく息をつき、静かに頷く。
「……うん」
三人の動きが止まる。
誰もすぐには言葉を発せなかった。
最初に口を開いたのは、美咲だった。
「怪我……大丈夫なの?」
その一言に、奈緒と優香も我に返ったように麻衣を見る。
「病院には行ったの?」
「腕、まだ痛くない?」
麻衣は一度、目を瞬かせ、それから小さく笑う。
「うん。病院で診てもらったから大丈夫」
「本当に?」
奈緒が念を押すように聞く。
「傷は浅いって言われたし、ちゃんと処置もしてもらった」
そう答えて保護テープを軽く叩くと、三人はようやく少しだけ表情を緩めた。
しばらくして、美咲が改めて尋ねる。
「……何があったの?」
麻衣は小さく頷く。
帰りに立ち寄ったコンビニで、逃げ込んできた女性を追って男が現れ、刃物を取り出した。
麻衣はとっさに女性をかばい、その際に腕をかすめたが、そのまま男を取り押さえて警察へ引き渡した。
三人は最後まで口を挟まず、黙って聞いていた。
話し終えると、美咲が静かに尋ねる。
「朝倉優香さんは?」
「無事だったよ。病院でも会ったけど、大きな怪我はなかった」
三人は小さく息をついた。
「それなら良かった……」
優香がほっとしたようにつぶやく。
だが、美咲はすぐに麻衣へ視線を戻した。
「でも、それで終わりじゃない」
麻衣は首を傾げる。
「え?」
「朝倉優香さんが無事で良かった。それは本当にそう思う」
美咲は一歩近付く。
「でもね、私が一番心配したのは、麻衣だから」
奈緒も大きく頷く。
「ニュースでは『軽傷を負った人』としか言ってなかったからさ。まさか、それが麻衣だなんて思わなかった」
優香も続ける。
「朝倉優香さんが助かったのは良かったよ。でも、麻衣が怪我をしたって分かった瞬間、それしか考えられなくなった」
三人の言葉を聞き、麻衣は照れくさそうに笑った。
「心配かけて、ごめん」
美咲は首を横へ振る。
「謝ることじゃない。でも、次は絶対に無茶しないで」
奈緒も真剣な表情で続ける。
「助けるなとは言わない。でも、自分のことも大事にして」
優香も優しく頷いた。
「約束して」
三人の真剣な表情を見回した麻衣は、小さく息をつく。
逃げられないな、と苦笑しながら答えた。
「……約束」
三人は顔を見合わせる。
今度は誰からともなく笑みがこぼれる。
その笑顔を見て、麻衣もようやく安心したように笑った。
事件のことよりも、自分の怪我を心配してくれる幼馴染がいる。
少しだけ照れくさくて、それでも、うれしかった。
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