第11話 敵ではないという答え
会議室には、静かな緊張が残っていた。
大型モニターには、まだ《対加山麻衣シミュレーション》の結果が表示されている。
東京近郊の自衛隊を総動員しても勝率は二〇%未満。
敗北した場合、首都機能は壊滅すると解析結果には示されていた。
麻衣はその画面を見つめたまま、息を吐く。
「……もう。ここまで知られているなら、隠しても意味はありませんね」
総理も楓も何も言わず、麻衣の次の言葉を待っていた。
隣では美咲も息を潜め、麻衣を見つめている。
麻衣は少し困ったように笑うと、総理へ視線を向けた。
「一つだけ訂正します。私は、博物館では本気で戦っていません」
美咲が目を見開く。
「えっ?」
麻衣は慌てて首を横へ振った。
「違うよ。手を抜いたって意味じゃない。全力を出せなかったって意味」
総理は表情を変えることなく、問い掛ける。
「理由を、お聞きしてもよろしいですか」
麻衣は頷き、言葉を選びながら話し始めた。
「博物館だったからです。展示物もあるし、逃げ遅れた人がいるかもしれない。建物も壊したくなかった」
言葉を区切り、麻衣は総理を見つめ返す。
「だから、近接戦闘だけで倒しました」
楓は資料へ目を落としたまま確認する。
「つまり、攻撃魔法は使われていない、と」
麻衣は迷うことなく答えた。
「一切使っていません」
会議室へ再び静寂が戻る。
総理は表情を引き締め、そのまま麻衣へ問い掛けた。
「もし攻撃魔法を使用していたら、どうなっていましたか」
麻衣は少し考え、苦笑しながら答える。
「博物館は残っていなかったと思います。たぶん、周囲一帯も」
美咲は言葉を失った。
「え……」
麻衣は肩をすくめる。
「だから使えなかったんです。実際に使ったのは身体強化と補助魔法、それから近接戦闘だけです。本当に、それだけでした」
楓はその言葉を聞き、モニターへ視線を向ける。
「では、シミュレーションの勝率は……」
総理がその言葉を引き継いだ。
「さらに下がる可能性がある、ということですね」
麻衣は頷く。
「たぶん。相手と場所によりますけど」
総理はしばらく黙ったまま考え込んでいた。
やがて顔を上げ、真剣さの中に好奇心を隠し切れない表情で麻衣を見る。
「ちなみに、攻撃魔法とは具体的にどのようなものなのでしょうか」
麻衣は少し考えてから口を開いた。
「いろいろありますけど……代表的なのは、広域殲滅魔法です。例えば、エクスプロージョンとか」
その瞬間。
総理の目が大きく見開かれる。
「えっ!? エクスプロージョンって! 本当にあるんですか!?」
身を乗り出す総理を見て、美咲は口を開けた。
麻衣も予想外の反応に、瞬きを繰り返す。
「え、ええ。ありますけど……」
総理はさらに机へ身を乗り出した。
「実在するの!? 創作ではなく!? 本物の爆裂魔法として!?」
楓は額へ手を当てた。
「……総理」
しかし、総理は止まらなかった。
「威力はどのくらいですか!? 詠唱は必要ですか!? 魔法陣は出ますか!? 一発で建物を吹き飛ばす規模ですか!? それとも山一つくらい――」
楓が低い声で呼び掛けた。
「総理」
それでも総理は質問を続けた。
「連発は可能ですか!? 属性は火ですか!? 爆発の中心点は指定型ですか!? 範囲指定は――」
楓はとうとう両手で額を押さえた。
「総理ぃ……」
美咲は総理を見つめたまま呆然と呟く。
「さっきまで、すごく国のトップって感じだったのに……」
張り詰めていた会議室に、空気が戻る。
美咲は張っていた肩の力を抜き、息を吐いた。
麻衣も苦笑を浮かべた。
「……興味、そこなんですね」
その言葉で、総理は我に返った。
「あっ」
一つ咳払いをし、姿勢を正す。
総理は照れくさそうに、もう一度咳払いをした。
「……失礼しました。昔から一度でいいから、本物の魔法というものを見てみたかったもので」
楓は深いため息をつく。
「お気持ちは分かりますが、今は国家安全保障上の会議中です」
総理は気まずそうに頷いた。
「分かっています。分かっていますが……」
言葉を区切り、呟く。
「エクスプロージョンですよ?」
楓は何も言わず、じっと総理を見る。
その視線に耐えきれず、総理はもう一度咳払いをした。
「……失礼しました」
美咲は張っていた肩の力を抜き、麻衣も苦笑を浮かべた。
その一方で、楓だけは大型モニターへ表示されたシミュレーション結果から視線を外さなかった。
「……自衛隊の勝率は、再計算が必要ですね」
その一言に、麻衣は苦笑した。
「そこは現実的なんですね」
楓は真顔のまま頷く。
「はい。国家としては、非常に重要です」
総理も表情を引き締め、麻衣へ向き直る。
「加山さん。ありがとうございます。少なくとも、君が博物館で力を抑えていたことは理解しました」
麻衣は頷いた。
「はい。だから、あの場では剣を使いました。攻撃魔法よりは、まだ被害を抑えられると思ったので」
総理は深く頷く。
「その判断で、多くの人が救われました。改めて、感謝します」
麻衣は視線を逸らした。
「……そう言われると、困ります」
その様子を見た美咲が笑う。
重くなりすぎていた会議室の空気は、和らいでいた。
総理は表情を引き締めると、麻衣を見つめた。
「加山さん。もう一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
麻衣は総理の視線を受け止め、頷く。
「……答えられる範囲なら」
総理は一呼吸置き、口を開いた。
「あなたは、一体何者なのですか。あなたほどの力を持つ人間を、私は知りません。超能力者でもない。自衛隊でもない。世界中の特殊部隊を調べましたが、該当する人物はいませんでした。その力は、一体どこで手に入れたのでしょう」
会議室が静まり返る。
美咲も息を潜め、麻衣の横顔を見つめていた。
麻衣は何も答えず、視線を落としたまま考え込む。
やがて、息を吐いた。
「……信じてもらえないと思います」
総理は頷く。
「今日一日だけで、私たちの常識は何度も覆されました。サイクロプス。魔法。二百キログラムを超える儀礼剣。今さら多少のことでは驚きません。どうか、お話しください」
麻衣は困ったように笑った。
その笑みはすぐに消え、首を横へ振った。
「ありがとうございます。でも……やっぱり、お話しすることはできません。これは、誰にも話さないと決めていることなんです。たとえ総理でも」
総理は麻衣を見つめたまま何も言わなかった。
長い沈黙が流れる。
やがて総理は頷いた。
「分かりました。無理にお聞きすることはいたしません。話せない理由があるのでしょう」
麻衣も頷く。
「はい」
再び静かな空気が会議室を包んだ。
「ですが、一つだけ約束できます」
総理は何も言わず、麻衣の次の言葉を待った。
「私は、この国に敵対するつもりはありません。これからも、守れる命があるなら助けます。でも、それは政府のためじゃありません。目の前に助けられる人がいるからです」
総理はその言葉を受け止めると、穏やかに微笑んだ。
「その言葉だけで十分です。私たちは、君の正体ではなく、その言葉を信じます」
麻衣も微笑み返す。
会議室を包んでいた張り詰めた空気が、和らいだ。
総理は椅子へ深く腰掛ける。
「では、最後に。国として、お願いがあります」
麻衣は姿勢を正した。
「はい」
総理は麻衣を見つめた。
「これまでどおり、普通の高校生として生活してください。私たちは、その日常を壊すつもりはありません。もちろん、自衛隊へ入隊してほしいとも言いません。政府機関へ所属してほしいとも言いません。あなたの人生は、あなた自身のものです」
麻衣は少し驚いたように総理を見る。
「……それだけ、ですか」
総理は頷く。
「ええ。ただ一つ。もし今回のようなことが再び起きたなら、どうかあなた自身の命を最優先してください」
麻衣は苦笑した。
「それは……難しいですね」
総理も苦笑を返した。
「でしょうね。だからお願いなのです。あなたが命を落とせば、救える命も救えなくなります。英雄になってほしいわけではありません。どうか、生きていてください」
麻衣は総理を見つめ返し、頷いた。
「……分かりました。約束できるかは分かりません。でも、できるだけ努力します」
総理は満足そうに頷く。
楓が一枚のカードケースを机へ置いた。
「こちらをお受け取りください」
麻衣はカードケースを手に取り、中を見る。
印字されていたのは番号だけだった。
「これは?」
楓は麻衣へ向き直る。
「私へ直接つながる専用回線です。二十四時間、いつでも構いません。何か困ったことがあれば、ご連絡ください」
麻衣はカードケースを見つめる。
「こんなものまで……」
楓は微笑んだ。
「この回線は政府が用意したものですが、困ったときには必ず連絡してほしいというのは、私個人からのお願いです」
麻衣はカードケースをしまい、頭を下げる。
「ありがとうございます」
総理も立ち上がる。
「本日は、本当にありがとうございました。加山さん。そして、佐藤さん」
突然名前を呼ばれた美咲は慌てて立ち上がった。
「は、はい!」
総理は二人を見渡し、穏やかな笑みを浮かべる。
「今日お会いできて、本当に良かった」
麻衣も一礼した。
「こちらこそ、ありがとうございました」
こうして、長い会談は終わった。
政府が麻衣の正体を知ることはなかったが、彼女が日本の敵ではないことだけは、この場にいた全員が理解していた。
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