第8話【下の方同士】
【下位配偶者グループに参加しました】
画面に表示された文字を、美緒はしばらく見ていた。
部屋の明かりはつけたままだった。ベッドの上に座って、膝の上にスマホを置いている。カーテンの隙間から、外の街灯の光が細く入っていた。
第13配偶者、佐倉美緒。
妻コミュニティで見た自分の名前は、一覧の1番下にあった。
そこにあることは嬉しかった。嬉しいはずだった。
でも、上位配偶者、中位配偶者、下位配偶者という区分を見たあとでは、自分の場所がはっきりしすぎていて、少しだけ息が詰まった。
下位。
妻なのに。天城蓮の妻になったのに。その前に、下位という言葉がつく。
美緒は画面を下へ送った。
【下位配偶者グループ】
【参加者】
第9妻:桐谷 麻衣
第10妻:小野寺 千紗
第11妻:白石 琴葉
第12妻:三枝 乃亜
第13妻:佐倉 美緒
5つの名前が、画面の中に並んでいた。
美緒は、自分の名前を見た。
やっぱり1番下だった。
第13妻。下位配偶者。新参。
でも、妻コミュニティ全体の一覧を見た時とは違う。
上位妻や中位妻の名前は、画面の向こうにある別の階の人たちみたいだった。きれいで、遠くて、声をかける前に姿勢を正さなければいけないような名前だった。
でも、ここに並んでいる名前は、少し違った。
第9妻から第13妻まで。
きっと、同じように非公表で、同じように天城姓を名乗れず、同じように外では別の名前で生活している人たち。
美緒は、画面を見つめたまま小さく息を吐いた。
1人ではないのかもしれない。
そう思っただけで、少しだけ肩の力が抜けた。
その時、画面の下に新しいメッセージが表示された。
三枝乃亜:
「はじめまして。第12妻の乃亜です」
美緒は、思わず背筋を伸ばした。
第12妻。
自分の1つ前の妻。
さっき一覧で見たばかりの名前が、画面の中でこちらに話しかけている。
続けて、乃亜からメッセージが来た。
三枝乃亜:
「第13妻さんだよね?」
第13妻さん。
その呼び方に、胸の奥が少し熱くなった。
居酒屋では佐倉さん。客からは店員さん。凛からは美緒。宮原からは美緒ちゃん。
どれも自分の名前だった。
でも、第13妻さん、と呼ばれるのは初めてだった。
外では使えない名前。使ったら困る名前。それでも、美緒が欲しかった名前。
美緒は、ゆっくり返信を打った。
佐倉美緒:
「はじめまして。佐倉美緒です」
送ってから、少し硬すぎた気がした。
すぐに既読がついた。
三枝乃亜:
「緊張するよね、最初」
美緒は画面を見つめた。
緊張するよね。
その1文が、思っていたより優しかった。
妻コミュニティ全体の画面は、何も言ってくれなかった。規約は、禁止事項と注意事項を並べるだけだった。妻一覧は、名前と番号を表示するだけだった。
でも乃亜は、緊張するよね、と言った。
美緒は、少しだけ息がしやすくなった。
佐倉美緒:
「はい。少し緊張しています」
また硬い。
自分でもそう思った。
乃亜から、すぐに返事が来る。
三枝乃亜:
「大丈夫。ここ、そんな怖いとこじゃないから」
少し間を置いて、もう1通。
三枝乃亜:
「うちら下の方同士、気楽にやろ」
下の方。
その言葉は、やっぱり少し痛かった。
さっき妻一覧で見た下位配偶者という文字が、頭の中に戻ってくる。第13配偶者、佐倉美緒。最後に近い場所。
けれど、乃亜の文面は冷たくなかった。
下の方同士。
そう書かれると、自分だけが1番下に落とされたわけではない気がした。
同じ場所にいる人がいる。
それだけで、少しだけ救われた。
美緒は、スマホを両手で持った。
天城蓮本人から連絡が来たわけではない。呼ばれたわけでもない。妻として何かを与えられたわけでもない。
それでも、胸の奥が少し温かかった。
佐倉美緒:
「ありがとうございます」
少しして、乃亜から返ってきた。
三枝乃亜:
「かたい笑」
美緒は、小さく笑った。
声に出るほどではなかった。
でも、さっきまで胸の奥にあった固いものが、少しだけほどけた気がした。
三枝乃亜:
「乃亜でいいよ」
三枝乃亜:
「私も美緒ちゃんって呼ぶし」
美緒ちゃん。
その文字を見て、美緒は画面から目を離せなくなった。
この人は、自分が第13妻だと知っている。
佐倉美緒であり、天城蓮の第13配偶者であることを知っている。
その上で、美緒ちゃんと呼んでいる。
居酒屋で宮原に呼ばれる時とは違う。
あれは何も知らない人の近さだった。
これは、知っている人の近さだった。
美緒は、少し迷ってから返信した。
佐倉美緒:
「じゃあ、乃亜ちゃんって呼んでもいいですか」
乃亜:
「もちろん」
乃亜:
「さん付け禁止ね」
美緒は、また少し笑った。
禁止。
規約の中に並んでいた禁止とは、ずいぶん違う響きだった。
外部共有禁止。スクリーンショット禁止。氏名使用禁止。
その冷たい禁止のあとに来た、さん付け禁止。
たったそれだけのことで、ここが少しだけ人のいる場所に見えた。
美緒は、画面の参加者一覧をもう1度見た。
桐谷麻衣。小野寺千紗。白石琴葉。三枝乃亜。佐倉美緒。
まだ、ほとんど何も知らない。
どんな人たちなのか。何を話すのか。本当に怖くないのか。この場所が、自分にとって救いになるのか。
何も分からない。
でも今は、下にいるのが自分だけではないことが分かった。
第13妻という場所に、1人で座っているわけではないのだと思えた。
乃亜:
「みんなにも紹介するね」
その文字が表示される。
美緒の胸が、また少しだけ鳴った。
怖い。
でも、少し楽しみだった。
下の方同士。
その言葉はまだ痛い。
それでも今夜は、その痛みを1人で抱えなくていい気がした。




