表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
75/80

第75話【あなたは悪くないわコース】

検索結果の上に並んだ候補から、美緒は目を離せなかった。


天城蓮 第14妻。


その一行を見ただけで、息が浅くなる。


ただの候補かもしれない。誰かが検索しただけかもしれない。自動で出ているだけかもしれない。


分かっている。


それでも、美緒の指は動かなかった。


第14妻。自分の次。


第13の次は第14。そんなこと、最初から分かっていたはずだった。


美緒が第13妻として登録された時、天城蓮にはすでに十二人の妻がいた。十二人の次に、美緒が入った。


なら、美緒の次に誰かが来ることもある。


制度はそういうものだ。天城蓮は、そういう人だ。


それなのに。


その数字が画面の中に出ただけで、美緒のいた場所が、もう誰かのものになったように見えた。


美緒は、検索結果を少し下へ送った。


公式サイトではない。ニュースサイトでもない。検索結果の途中に、古妻ノートのまとめが出ていた。


【天城蓮・下位妻周辺メモ更新】


その見出しを見た瞬間、指先が冷たくなる。


見ない方がいい。絶対に見ない方がいい。


古妻ノートは、いつもそうだった。半分は噂。半分は観察。どこかの誰かが集めた、妻たちの断片。


でも、その断片が時々、妙に当たっている。


美緒自身も、そこに切り刻まれた。第13妻。居酒屋勤務。非公表妻。匂わせ。流出。名前はないのに、自分のことだと分かる言葉で書かれた。


もう見なくていい。美緒は元妻になるのだから。


いや、まだ正式には元妻ではないのかもしれない。でも、申請は出した。


【配偶登録解除申請を受け付けました】


あの文字を見た。


だから、もう見なくていい。


そう思ったのに、美緒は古妻ノートのリンクを開いた。


画面が切り替わる。


白地に、細かい文字。匿名掲示板のまとめ。妻界隈の噂。ファンアカウントの観測。


その中に、見たくない言葉があった。


「天城、また新しい子入ったっぽい」


美緒は、画面を持つ手に力を入れた。


「第14?」


「この前の第13の件、もう処理済みってこと?」


「早くない?」


「いや、下位妻なんて入れ替わりあるでしょ」


「第13の子、居酒屋勤務の子だったんだっけ」


「下位は呼ばれ待ち枠だからね」


「新しい子、若いらしいよ」


文字が並んでいるだけだった。誰の声でもない。画面の中の、ただの書き込み。


でも、美緒には、それが自分の部屋まで入ってくる声に思えた。


この前の第13の件。


処理済み。


下位妻なんて入れ替わり。


呼ばれ待ち枠。


美緒は、画面を閉じようとした。


でも、閉じられなかった。


自分のことが書かれている。自分のあとに来る誰かのことが書かれている。自分がいなくなった場所が、どう扱われているのか。


知りたくなかった。でも、知りたかった。


美緒は、さらに下へ送った。


「第一さんがもう面倒見てるって噂」


その一文で、胸の奥が止まった。


第一さん。璃子。久我璃子。


美緒は、画面を見つめたまま動けなくなった。


もう面倒見てる。それは、たぶん新しい後妻のことだった。まだ名前も出ていない。本当に存在するかも分からない。非公表の誰か。


その誰かを、もう璃子が面倒見ている。


美緒は、あのラウンジで璃子と話した夜を思い出した。


璃子の落ち着いた声。


あなたは悪くないわ。


彼はちゃんと見てるわ。


あなたは大事にされているのよ。


一人で抱えなくていいから。


美緒は、あの言葉に救われた。本当に救われた。


下位妻グループで少しずつ浮き始めていた。匿名の悪意に傷ついていた。妻でいることが怖くなっていた。


その時、璃子は美緒を見た。


やさしく。丁寧に。責めずに。


美緒は思った。この人は、分かってくれる。


そして、璃子は言った。


誰にも言わないでね。私も、怖かったの。若い子が現れるたびに、もう終わりかもしれないって思った。


その言葉を聞いた時、美緒は、自分だけが璃子の奥へ入れたような気がした。


第一妻が、自分にだけ弱さを見せてくれた。


だから、信じた。


璃子さんがそう言うなら、大丈夫。私は大事にされている。私は悪くない。


あの時、美緒は確かに救われた。


でも、画面の中には別の言葉が並んでいた。


「第一さん、また新しい子に個別で声かけてるらしい」


「いつものやつね」


「"あなたは悪くないわ"コース?」


「最初はみんな救われるんだよね」


美緒は、息を吸うのを忘れた。


あなたは悪くないわ。


その言葉が、引用符の中に入っていた。


コース。いつものやつ。最初はみんな救われる。


美緒の中で大事だった言葉が、画面の中で軽く扱われている。


違う。そう思った。


璃子さんは、そんな人じゃない。


あの優しさは、嘘じゃなかった。


少なくとも、美緒に向けられた時の璃子の声は、嘘には聞こえなかった。璃子の目も。静かな笑い方も。「私も怖かったの」と言った時の間も。


全部、嘘だったとは思いたくない。思いたくなかった。


でも、特別だったのかは分からない。


そのことが、美緒を深く刺した。


嘘ではない。


でも、自分だけのものでもない。


璃子は、新しい若い妻に同じように声をかけるのかもしれない。


あなたは悪くないわ。


一人で抱えなくていいから。


あなたは大事にされているのよ。


そう言うのかもしれない。そして、その子も救われるのかもしれない。


美緒と同じように。


この人は分かってくれる、と思うのかもしれない。


美緒は、スマホを握りしめた。


画面の文字が少し滲む。泣いているわけではなかった。たぶん。でも、目の奥が熱かった。


璃子を恨みたいわけではない。


璃子は、たぶん本当に優しい。若い妻を壊さないようにする。妻コミュニティの中で、ひどく崩れる前に受け止める。外へ暴発しないように、言葉を渡す。


それは、優しさなのだと思う。


でも、それは同時に、運用だった。


制度を続けるための優しさ。妻たちを壊しすぎないための技術。


美緒が「自分だけ」と思ったものが、実はずっと前から繰り返されてきたものかもしれない。


その可能性が、苦しかった。


画面には、さらに書き込みが続いていた。


「第13の時も第一さん動いてたよね」


「結局あの子どうなったの?」


「解除申請出したって噂」


「まあ、流出したら居づらいでしょ」


「乃亜の件も結局うやむや?」


「第14入るなら、下位グループまた空気変わりそう」


乃亜。


その名前を見た瞬間、美緒の指が止まった。


乃亜。第12妻。最初に近づいてくれた人。


うちら下の方同士、気楽にやろ。そう言ってくれた人。


分かるって言わないでよ。そう言って、美緒から離れていった人。


流出のことは、まだ何も分からない。乃亜が何を知っていたのか。何も知らなかったのか。関わっていたのか。関わっていなかったのか。


美緒は、まだ分からない。


分からないまま、乃亜の名前が画面の中で消費されている。


美緒のことも。乃亜のことも。璃子のことも。新しい第14妻のことも。


全部、誰かの書き込みの材料になっている。


妻だった本人たちの息遣いは、そこにはない。ただ、番号と噂だけが進んでいく。


第12。第13。第14。


美緒は、第13妻だった。


第13配偶者。


その番号は、美緒にとって、世界で一番特別な番号だった。その他大勢ではない証。天城蓮の人生のどこかに、自分の名前が登録された証。凛に、やっと結婚できたよ、と言えた証。


でも、制度にとっては違う。


第13は、第12の次。そして、第14の前。


それだけだった。


美緒が泣いても。流出しても。妻コミュニティから切り離されても。配偶登録解除申請を出しても。


数字は進む。


妻コミュニティは止まらない。


璃子は次の子に声をかける。


下位妻グループには、新しい空気が入る。


天城蓮は、たぶんまた誰かに優しくする。


美緒は、画面を閉じた。


ようやく、閉じた。


部屋は暗かった。宮原の寝息が聞こえる。


ローテーブルの上には、飲みかけの水。床にはコンビニ袋。洗面台には、美緒のヘアゴム。壁には、宮原が買った充電ケーブル。


現実の部屋。制度の外側の部屋。


そのはずだった。


でも、美緒の手の中には、まだ天城蓮の世界が残っていた。


画面を閉じても、文字は消えない。


第14妻。


第一さんがもう面倒見てる。


"あなたは悪くないわ"コース。


最初はみんな救われるんだよね。


美緒は、スマホを伏せた。


自分が救われたと思っていた場所は、もう次の誰かを救おうとしている。


そのことが、どうしようもなく痛かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ