第74話【第14妻】
検索結果が表示される前に、美緒は一度、目を閉じた。
押した。検索ボタンを、押してしまった。
見ないと決めていた。妻コミュニティも。古妻ノートも。天城蓮の名前も。もう見ない方がいい。そう思っていた。
思っていたのに、夜が静かすぎた。
誰も呼ばない。誰も比べない。誰も、美緒を第13妻として扱わない。
その静けさに耐えられなくて、美緒は検索窓を開いた。
天城蓮。
何度も打った名前。妻になる前も。妻になった後も。流出した後も。配偶登録解除申請を出した後も。指が、まだ覚えていた。
画面が白く切り替わる。
検索結果が並ぶ。
美緒は、最初の数行を見た。
公式サイト。出演情報。ニュース。まとめ記事。ファンの感想。制度利用著名人としての紹介。
見慣れた名前が並んでいる。
天城蓮。元男性アイドルグループ出身の人気俳優。国民的スター。制度利用著名人。複数配偶登録制度の先進事例。
そういう肩書きは、今も変わらない。美緒が申請ボタンを押しても、何も変わっていない。
天城蓮は天城蓮のままだった。
画面の上部に、検索候補が出ている。
「天城蓮 妻」
「天城蓮 配偶者」
「天城蓮 流出」
「天城蓮 第13妻」
流出の朝から何度も見た言葉。流出。第13妻。非公表妻。居酒屋勤務。
自分の身体に貼りついたまま、まだ剥がれない言葉。
美緒は、指を少し動かした。候補が変わる。
「天城蓮 新妻」
美緒は、息を止めた。
新妻。
新しい妻。新しい人。美緒のあとに来る人。
そんなもの、あり得ると分かっていた。制度は止まらない。十三人から、また次に進むこともある。自分だけで終わるはずがない。
分かっていた。
でも、文字になると、痛かった。
さらに下に、別の候補が出ていた。
「天城蓮 後妻」
後妻。その言葉も、胸に引っかかった。
美緒もそうだった。後から入った妻。第一妻でもなく。昔から蓮を支えてきた人でもなく。子どもを産んだ妻でもなく。ずっと遠くから推していて、制度の中へ入った、後からの妻。
自分がそう呼ばれる側だった時は、その言葉をあまり見なかった。見たくなかったのかもしれない。
後妻。古い妻たちのあとに入る人。そして今、その後ろに、さらに誰かが来る。
美緒は、画面をスクロールしようとして、指を止めた。
検索候補の一番下に、その文字があった。
「天城蓮 第14妻」
呼吸が浅くなった。
第14妻。
ただの検索候補だった。ニュース本文ではない。公式発表でもない。確定情報でもない。
誰かが検索した言葉かもしれない。自動で並んだだけかもしれない。噂を追う人たちが入力している言葉かもしれない。
そもそも、美緒自身だって、公式に顔と名前を並べて発表された妻ではなかった。
それでも、流出のあと、世間は美緒を「第13妻」として扱った。
天城蓮の第13妻。非公表妻。居酒屋勤務の一般人配偶者。佐倉という名前。
公式に紹介されなくても、外側の人間たちは勝手に番号をつけた。勝手に輪郭を作った。勝手に美緒を第13妻にした。
だから、その次に来るかもしれない誰かを、外側の人間たちは第14妻と呼ぶ。
正式なものではない。
でも、正式でないから痛くないわけではなかった。
美緒は動けなかった。
第14妻。
自分は、第13妻だった。
第13配偶者。佐倉美緒。
配偶者用アプリの画面に、そう表示されていた。
【登録番号:第13配偶者】
【対象者:天城 蓮】
【氏名:佐倉 美緒】
最初にその通知を見た時、世界が少し変わった気がした。
やっと結婚できたよ。
凛にそう言った。
推しと結婚できるなんて、夢みたい。誰かにちゃんと愛されたかった。
第13という数字は、美緒にとって特別だった。
十三番目でもよかった。むしろ、十三番目だからこそ、自分がその列に入ったことが信じられなかった。
天城蓮の人生に、十三番目として登録された。
その他大勢のファンではなくなった。その証の数字だった。
でも、制度の中では違う。
第13は、第12の次。そして、第14の前。
それだけだった。
美緒は、画面の文字を見つめた。
第14妻。
第13の次は、第14。
当たり前だった。数字は進む。
一つ抜ければ、次が入る。空いた枠があれば、埋まる。美緒がいた場所も、いつまでも美緒の場所ではない。
そんなこと、分かっていたはずだった。
分かっていた。それでも、痛かった。
宮原の寝息が、後ろから聞こえる。
部屋の中は暗い。
ローテーブルの上には、伏せかけたスマホの跡が残っている。床にはコンビニ袋。洗面台には、美緒のヘアゴム。壁には、宮原が買った充電ケーブル。
手を伸ばせば届く距離に、宮原がいる。
今の美緒を、美緒と呼ぶ人。分からないと言いながら、隣にいる人。
その宮原が近くにいるのに、美緒の指は天城蓮の名前に向かっていた。
宮原の近さでは、この名前は消えなかった。
天城蓮。
失われた中心。
美緒は、検索候補を閉じようとした。閉じればいい。見ない方がいい。これ以上見たら、また傷つく。
でも、指は動かなかった。
「第14妻」という文字を、もう一度見てしまう。
自分が第13妻だったことを、文字の形で突きつけられている気がした。
第13妻として呼ばれた。
第13妻として噂された。
第13妻として流出した。
第13妻として妻コミュニティから切り離された。
第13妻として、配偶登録解除申請を送った。
でも、数字は進む。
第13の次は、第14。
そこに感情はない。制度は泣かない。妻コミュニティは止まらない。天城蓮の人生も、たぶん止まらない。
美緒は、自分に言い訳した。
ただ確認するだけ。もう関係ないから平気。元妻として、少しくらい見てもいい。
でも、本当は違う。
自分が抜けた後、あの場所がどうなったのか知りたかった。
蓮が、ほんの少しでも困ったのか。璃子が、美緒を思い出したのか。乃亜が、後悔したのか。
知りたかった。
自分が忘れられていないか、知りたかった。
その答えのように、画面にはただ、次の数字が出ている。
第14妻。
まだ噂かもしれない。ただの候補かもしれない。
でも、その言葉だけで十分だった。
美緒がいなくなった場所には、次の言葉が入る。
第13妻のあとに、第14妻。
ただ、それだけ。
宮原が寝返りを打った。美緒は、びくっとして画面を伏せかけた。
でも、宮原は起きなかった。寝息がまた静かに戻る。
美緒は、スマホを握り直した。指先が冷えていた。
検索候補の中の一行。
「天城蓮 第14妻」
それを見つめる。
第13の次は、第14。
それだけのことだった。
それだけのことが、美緒には、息が止まるほど痛かった。




