第55話【投稿制限中】
書かない。触れない。反応しない。妻コミュニティの中に、美緒の言葉を置かない。
それは、美緒を守るためでもある。でも同時に、他の妻たちと天城蓮を守るためでもある。
「蓮さんは」
美緒は、気づいたら聞いていた。
「蓮さんは、何か……」
画面の向こうで、空気が少し止まった気がした。
紬が視線を動かす。香澄は表情を変えない。怜奈は口を結んだままだった。
璃子だけが、美緒を見ていた。
「今、彼も対応に追われているの」
璃子は言った。
「だから、今は直接連絡を待つより、こちらの指示に従って」
美緒は、画面を見つめた。
直接連絡。待っていた。どこかで、待っていた。
最近、無理してない? 無理すんなよ。お前といると楽だ。
あの言葉をくれた蓮なら、今も何かを送ってくれるかもしれない。でも、来ていない。蓮からは、まだ何も来ていない。
「蓮さんは……私のこと、怒ってますか」
聞いた瞬間、自分が何を一番怖がっていたのか分かった。
流出そのものも怖い。特定も怖い。妻コミュニティから切り離されるのも怖い。
でも一番怖いのは、蓮に嫌われることだった。
璃子は、すぐには答えなかった。その沈黙が怖かった。
「怒っている、というより」
璃子は、言葉を選ぶように言った。
「今は、事実確認が先よ」
事実確認。また、その言葉だった。
美緒は、胸の奥が冷えていくのを感じた。
「美緒さん」
璃子の声は、変わらずやさしい。
「あなたは悪くないわ」
その言葉が来た。あの時と同じ言葉。
美緒は、その言葉にすがりたかった。
でも、今回は少し違って聞こえた。
あなたは悪くないわ。だから、今は静かにしていて。あなたは悪くないわ。でも、距離を置きましょう。あなたは悪くないわ。けれど、戻れるとは言っていない。
「今は、あなた自身を守って」
璃子は言った。「これ以上、自分から傷つきに行かないで」
美緒は、画面の中の璃子を見た。
璃子は本当に優しい。そのことは分かる。責めていない。美緒の痛みを見てくれている。
でも、その優しさは、戻る道ではなかった。
あの時は、璃子の優しさが美緒を制度の中へ戻してくれた。その後には、蓮に会う時間まで作ってくれた。
でも今、璃子の優しさは、美緒を中心から離すために使われている。
守るために。美緒自身を。蓮を。子どもたちを。妻コミュニティを。制度を。
その全部を守るために、美緒は少し外へ置かれる。
「当面の間、共有チャットの投稿権限を一時的に制限します」
紬が言った。
「閲覧についても、一部制限が入ります」
「一部……」
「必要な連絡は、管理担当から個別に行います」
美緒は、うなずくしかなかった。
投稿権限。閲覧制限。管理担当。
全部が、手続きの言葉だった。
美緒の不安も。恐怖も。乃亜への疑いも。蓮に嫌われるかもしれない怖さも。璃子に見捨てられたくない気持ちも。
全部が、手続きに変換されていく。
「これは処分ではありません」
紬がもう一度言った。
美緒は、何も返さなかった。
処分ではない。でも、居場所は消える。
面談が終わる前に、璃子がもう一度言った。
「美緒さん」
「はい」
「一人で抱えなくていいの」
美緒は、その言葉を聞いた。最初に璃子から受け取ってから、ずっと救いだった言葉。
一人で抱えなくていい。
でも今は、どこへ抱えればいいのか分からなかった。
下位妻グループには戻れない。乃亜には送れない。璃子は優しいけれど、管理側にいる。紬は手続き。香澄は規約。怜奈は子どもを守る。
天城蓮からは、何も来ない。
「必要な時はこちらから連絡するわ」
璃子は言った。
「今は、休んで」
美緒は、小さくうなずいた。
「はい」
それしか言えなかった。
画面が切れる。
オンライン面談の表示が消え、配偶者用アプリのホーム画面に戻る。
そこには、見慣れた表示があった。
【第13配偶者】
【対象者:天城 蓮】
【佐倉 美緒】
その下に、新しい表示が加わっていた。
【下位配偶者グループ:投稿制限中】
美緒は、その文字を見つめた。
画面が切れてから、部屋は急に静かになった。
さっきまで、画面の中に人がいた。
朝比奈紬。藤堂香澄。鷹宮怜奈。久我璃子。
みんな、それぞれに正しかった。
紬は手続きを進めた。香澄は規約と現実を説明した。怜奈は子どもを守ろうとした。璃子は、美緒を責めなかった。
誰も怒鳴らなかった。誰も罵らなかった。誰も、美緒が悪いと決めつけなかった。
それなのに、美緒は一人になっていた。
配偶者用アプリのホーム画面には、いつもの表示がある。
【第13配偶者】
【対象者:天城 蓮】
【佐倉 美緒】
その下に、新しい表示が加わっていた。
【下位配偶者グループ:投稿制限中】
美緒は、その文字を見つめた。
処分ではありません。紬の声が戻ってくる。これは処分ではありません。あなたを守るためでもあります。
守るため。そう言われた。
でも、美緒には、扉を閉められたようにしか見えなかった。
下位妻グループにはもう書けない。共有チャットにも書けない。必要な連絡は、管理担当から個別に来る。
妻ではある。でも、妻たちの場所には入れない。
美緒は、スマホを膝の上に置いた。
通知は、さっきより少し減っていた。でも、静かになったわけではない。ただ、美緒が届く場所が狭くなっただけだった。
下位妻グループを開いてみる。画面は開けた。でも、入力欄がなかった。
代わりに、小さな表示が出ている。
【このグループへの投稿は一時的に制限されています】
美緒は、その文字を見つめた。
麻衣が何かを送っている。
桐谷麻衣:
「とりあえず、今は公式待ちだね」
小野寺千紗:
「まあ、そうなるよね」
白石琴葉:
「美緒ちゃん、もし見えてたら、無理しないでね」
三枝乃亜:
既読。
また、乃亜は何も言わなかった。
美緒は、琴葉の言葉を見た。
もし見えてたら。
見えている。でも返せない。
返せないのは、美緒が言葉を選べないからではない。今度は、システムとして返せない。
美緒はグループを閉じた。
次に、乃亜との個別チャットを開いた。こちらは、まだ入力欄があった。
何を送るのか。
これ、乃亜ちゃんじゃないよね。乃亜ちゃん、何か知ってる? 信じていいよね。
さっき打って、消した言葉が戻ってくる。
美緒は、もう一度入力欄に指を置いた。
「乃亜ちゃん」
そこまで打って、止まる。
呼びかけた後、何を言えばいいのだろう。
助けて。
そう言える相手だった。少し前までは。
でも今は、その乃亜に助けを求めることができない。
美緒は、「乃亜ちゃん」を消した。




