表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
51/80

第51話【仲間だと思ってたの、私だけだったんだね】

「私は?」


乃亜の声は大きくなかった。


でも、それまでのどの言葉よりも重かった。


美緒は、乃亜を見た。


第12妻。


少しだけ先に妻になった人。


下位妻グループで最初に近くに来てくれた人。


美緒ちゃんは悪くないよ、と言ってくれた人。


乃亜は、誰に見てもらっているのだろう。


誰に守られているのだろう。


第一妻に個別で呼ばれたわけではない。


天城蓮から「無理してない?」と聞かれたわけでもない。


疲れた顔を見せてもらったわけでもない。


乃亜は、美緒の隣にいた。


でも、美緒が苦しくなった時、最終的に美緒を救ったのは乃亜ではなかった。


蓮だった。


璃子だった。


美緒は、その事実を初めて真正面から見た。


「乃亜ちゃんも、大事だよ」


やっと出た言葉は、薄かった。


言った瞬間、自分でも分かった。


軽い。


あまりにも軽い。


乃亜は小さく笑った。


「そういうの、もういい」


「でも、本当に」


「本当でも、もういい」


乃亜は、紙ストローの袋を指で回した。


「美緒ちゃんは、つらかったら蓮さんが見てくれる」


美緒は、何も言えない。


「第一さんが守ってくれる」


乃亜の声が少し震える。


「上の人たちが、どうしたらいいか教えてくれる」


その一つ一つが、美緒には否定できなかった。


「私は?」


乃亜は、もう一度言った。


今度は少しだけ、笑うように。


でも、笑えていなかった。


「私は、美緒ちゃんがつらい時、隣にいたつもりだった」


美緒は、息を吸った。


「いたよ」


それは本当だった。


「乃亜ちゃんは、いてくれた」


「でも、美緒ちゃんはもう、私の隣にはいないじゃん」


その言葉で、美緒は何も返せなくなった。


乃亜は、ゆっくりスマホを手に取った。伏せていた画面を上に向ける。


けれど、何かを見るわけではなかった。


ただ、もう席を立つ準備をしているように見えた。


美緒は焦った。


「待って」


乃亜は、顔を上げない。


「待って。私、ちゃんと話したい」


「もう話したよ」


「まだ」


「まだ何を話すの?」


乃亜の声は、少しだけ低くなった。


「昨日、蓮さんと何を話したか?」


美緒の身体が固まる。


乃亜は、美緒の顔を見て、すぐに分かったように目を伏せた。


「ほら」


その一言が痛かった。


美緒は否定したかった。


言えないのには理由がある。


乃亜を傷つけたくなかった。


蓮の弱音を、勝手に話すわけにはいかなかった。


あの夜は、美緒だけの大事なものだった。


どれも本当だった。


でも、乃亜には届かない。


「言えないなら、いいよ」


乃亜は言った。


「そういうの、聞きたいわけじゃないし」


「乃亜ちゃん」


「仲間だと思ってたの、私だけだったんだね」


美緒は、息を止めた。


仲間だと思ってたの、私だけだったんだね。


その言葉は、鋭くはなかった。


鋭ければ、まだ言い返せたかもしれない。


でも、それは静かだった。


静かに、諦めた声だった。


美緒は、すぐに否定しなければいけなかった。


違う。


私も仲間だと思ってた。


乃亜ちゃんは大事だよ。


本当に大事だった。


でも、声が出なかった。


言ったところで、また壊れる気がした。


仲間だよ、と言えば、じゃあどうして話してくれなかったの、と返ってくる。


大事だよ、と言えば、大事ならどうして隠したの、と聞かれる。


どの言葉も、乃亜に届く前に壊れてしまう。


乃亜は、席を立った。


椅子の脚が床をこする音がした。


美緒は、その音でやっと顔を上げた。


「乃亜ちゃん」


乃亜はバッグを肩にかけた。


「もういい」


それだけ言った。


「待って」


美緒は立ち上がりかけた。


でも、足が動かなかった。


立ったところで、何を言えばいいのか分からなかった。


ごめん。


違う。


そんなつもりじゃない。


乃亜ちゃんは大事。


その全部を、さっき使った。


全部、届かなかった。


乃亜は、美緒を見なかった。


「じゃあね」


その言葉だけ残して、店の出口へ向かう。


美緒は追えなかった。


乃亜の背中が、店内の人影にまぎれていく。


入口の自動扉が開く。


外の光が一瞬入る。


乃亜の姿が、見えなくなる。


美緒は、椅子に座ったままだった。


テーブルの上には、冷めたカフェラテと、ほとんど溶けたアイスコーヒーが残っていた。


乃亜が折った紙ストローの袋も、そこにあった。


美緒は、それを見つめた。


仲間だと思ってたの、私だけだったんだね。


その言葉が、ずっと耳の奥に残っていた。


美緒は被害者だった。


匿名で書かれた。


第13と呼ばれた。


居酒屋勤務と匂わされた。


下位妻グループが怖くなった。


誰を信じていいか分からなくなった。


それは本当だった。


でも今、乃亜を傷つけたのは美緒だった。


その二つが同時にある。


美緒には、それをどう扱えばいいのか分からなかった。


しばらくして、美緒は店を出た。


外はもう夕方だった。


駅前の人通りは多い。会社帰りの人。買い物袋を持った人。スマホを見ながら歩く人。


誰も、美緒と乃亜が何を話したか知らない。


誰も、美緒が今、何を失ったのか知らない。


美緒は、電車に乗って部屋へ戻った。


帰り道の記憶は、あまり残っていなかった。


部屋に入る。


電気をつける。


ベッド。


小さなテーブル。


洗濯かご。


畳みきれない服。


飲みかけの水。


いつもの部屋。


美緒は、バッグを床に置き、ベッドに座った。


スマホを取り出す。


乃亜とのチャットを開きかけて、やめた。


何か送るべきだと思った。


でも、何を。


「ごめん」


違う。


「ちゃんと話したい」


もう話した、と言われる。


「乃亜ちゃんは大事」


軽い。


「仲間だと思ってる」


今さらだった。


美緒は、チャットを閉じた。


代わりに、開いてはいけない場所を開いた。


古妻ノート。


見ない方がいい。


分かっている。


でも、見てしまう。


検索欄に、天城蓮、と入れる。


関連投稿が並ぶ。


いつもの噂。


天城蓮の撮影目撃。


第一妻の服装。


中位妻の誰かのイベント参加。


美緒はスクロールした。


そして、指が止まった。


次の投稿。


「下位妻の仲間ヅラ、きつい」


さらにその下。


「第一さん側に拾われたら、もう戻れないのにね」


美緒の手が震えた。


さっきの会話と、近すぎる。


乃亜の言葉。


分かるって言わないでよ。


もう、そっちにいるくせに。


変わったのに、変わってないふりするから、きついんだよ。


それらに似た言葉が、匿名の画面に並んでいる。


名前はない。


美緒とも、乃亜とも書かれていない。


でも、美緒には分かった。


これは、さっきの会話に近い。


近すぎる。


投稿時刻を見る。


ついさっき。


乃亜と別れた後だった。


美緒は、スマホを握ったまま動けなくなった。


乃亜が書いたのだろうか。


そう思った瞬間、すぐに否定した。


違う。


乃亜は違う。


乃亜は、そんなことをしない。


でも。


さっき、乃亜はスマホを持っていた。


店を出ていった。


その後、投稿が出た。


内容は近い。


近すぎる。


他に誰が知っているのだろう。


あの会話を。


美緒が「分かるよ」と言ったことを。


乃亜が「そっちにいるくせに」と言ったことを。


店内の誰かが聞いていたのかもしれない。


偶然、近くに妻界隈の誰かがいたのかもしれない。


それとも、乃亜が誰かに話したのかもしれない。


分からない。


分からないから、怖い。


美緒は投稿を閉じようとした。


でも、指は動かなかった。


もう一つ、投稿が増えた。


「仲間だと思ってたの、私だけだったんだろうな」


美緒は、息が止まった。


乃亜の言葉、そのまま。


仲間だと思ってたの、私だけだったんだね。


美緒は、スマホを膝の上に落とした。


乃亜を疑いたくない。


でも、疑わずにはいられなかった。


涙は出なかった。


泣くより先に、身体の中が冷えていた。


乃亜が書いたのかもしれない。


乃亜ではないのかもしれない。


どちらでも、もう壊れている気がした。


美緒は、暗くなっていく画面を見つめた。


自分は、乃亜を傷つけた。


そして、その傷が、匿名の場所へ流れている。


誰が書いたのかは分からない。


でも、美緒と乃亜の間にあったものが、すでに外へ出ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ