表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/80

第23話【どこまで聞いていい?】

翌日の朝、美緒はスマホの通知音で目を覚ました。


カーテンの隙間から、薄い光が入っている。部屋はまだ少し暗く、ベッドの上には昨夜脱いだカーディガンが丸まっていた。


一瞬、夢だったのかと思った。


指定されたビル。静かな廊下。閉じたカーテンの部屋。テーブルの上の水。天城蓮の声。美緒、と呼ばれたこと。


全部、夢みたいだった。


でも、スマホを手に取ると、配偶者用アプリの履歴にはまだ残っていた。


【対象者より個別連絡があります】


その文字を見ただけで、胸の奥が熱くなる。


本当に呼ばれた。蓮さんに会った。名前を呼ばれた。見ていると言われた。また連絡すると言われた。


その全部を、朝になってもまだ信じきれなかった。


美緒は、画面を閉じようとした。


その時、通知欄に別の文字が並んでいることに気づいた。


【下位配偶者グループ】


未読が、いくつも溜まっていた。


心臓が小さく跳ねる。


昨夜、帰ってきた時にも見た。麻衣のメッセージ。昨日、呼ばれたんだって? あの文字を見た瞬間、身体が固まった。誰から聞いたのか。どうして知っているのか。どこまで知られているのか。何も分からないまま、昨日は画面を閉じた。


でも、朝になっても消えてはいない。


美緒はベッドの上で身体を起こした。スマホを両手で持ち、下位妻グループを開く。


最初に表示されたのは、麻衣のメッセージだった。


桐谷麻衣:

「昨日、呼ばれたんだって?」


その下に、少し間を置いて、もう1通。


桐谷麻衣:

「おめでとう。で、どこまで聞いていい?」


美緒は、画面を見つめた。


おめでとう。その言葉は、祝福の形をしている。でも、その後に続く「どこまで聞いていい?」が、胸の内側をそっと探ってくる。


麻衣に悪気はない。たぶん本当に祝っている。場を明るくしようとしている。琴葉の時と同じように、重くなりすぎないように、冗談の形にしてくれている。


分かる。分かるのに、少し怖かった。


次のメッセージは千紗だった。


小野寺千紗:

「よかったじゃん。新しい子は早いね」


美緒は、指を止めた。


新しい子。早いね。


その言葉は短かった。でも、画面の中で小さな棘みたいに見えた。


第13妻。いちばん新しい後妻。下位妻の中で1番あとから入った人。その自分が呼ばれた。琴葉の次に。乃亜より先に。麻衣や千紗よりも、新しく入ったのに。


美緒は胸の奥が少し冷えるのを感じた。


そのあとに、琴葉からのメッセージがあった。


白石琴葉:

「言いたくなかったら、無理に言わなくて大丈夫だよ」


琴葉らしい言葉だった。やわらかい。控えめ。踏み込まない。


あの夜、琴葉が呼ばれた時、美緒は祝えなかった。琴葉が戻ってきた時も、ちゃんと喜べなかった。琴葉が悪くないことを知っていても、胸の奥が黒くなった。


その琴葉が、今度は美緒を守ろうとしている。


その言葉に救われた。同時に、少しだけ気まずかった。


自分は琴葉の時、こんなふうに言えただろうか。


琴葉さんが無事でよかったです。そんな言葉しか送れなかった。形は整えていた。でも、中身は追いついていなかった。


美緒は唇を噛んだ。


その下に、乃亜のメッセージがあった。


三枝乃亜:

「……よかったね、美緒ちゃん」


短い。でも、少しだけ間があるように見えた。文字だけなのに。


よかったね。その前の3点リーダーが、妙に目に残る。


本当に祝ってくれているのだと思いたかった。


乃亜は優しい。最初に下位妻グループへ近づけてくれた。琴葉を祝えなかった夜も、隣を歩いてくれた。そのあとも、大丈夫? と聞いてくれた。美緒が言えなかった時も、深く踏み込まずにいてくれた。


だから、きっと祝ってくれている。


でも、その文字は、昨日までの乃亜の言葉より少し遠く見えた。


美緒は入力欄を開いた。何を返せばいいのか分からなかった。


「ありがとうございます」では硬い。「呼ばれました」では直接すぎる。


「大したことじゃないです」


指が止まる。


その言葉は、琴葉が言っていた。そんな、大したことじゃないよ。本当に、少し話しただけだから。


あの時、美緒はその言葉に傷ついた。大したことじゃない、と言われるほど、何かあったように感じた。小さく見せようとする幸せが、逆に眩しかった。


今、自分が同じことを書こうとしている。


美緒は少し息を止めた。


そうか。呼ばれた側は、こういう言い方をするのかもしれない。


大したことじゃない。少し話しただけ。詳しくは言えない。無理に聞かなくていい。


そのどれもが、相手を傷つけないための言葉でありながら、同時に、呼ばれなかった人との距離を作る。


美緒は文字を消した。


佐倉美緒:

「昨日、少しだけ連絡をもらいました」


送信する前に、何度も見直した。


少しだけ。それは事実だった。長い時間ではなかった。愛していると言われたわけでもない。


でも、美緒にとっては少しだけではなかった。


それでも、そう書くしかなかった。


送信する。


すぐに既読が増えた。1つ。2つ。3つ。4つ。


その数字が増えるのを見て、美緒の胸が締めつけられた。


見られている。祝福されている。詮索されている。その全部が同時に来る。


麻衣がすぐに返した。


桐谷麻衣:

「やっぱり!」


桐谷麻衣:

「おめでとう」


桐谷麻衣:

「第13妻、ちゃんと見られてるじゃん」


ちゃんと見られてる。


その言葉に、美緒の胸が熱くなった。


昨夜、蓮に言われた言葉が戻ってくる。ちゃんと見てるから。麻衣はそのことを知らない。それなのに、同じような言葉を送ってきた。


美緒は、画面を見つめた。


千紗からも返事が来る。


小野寺千紗:

「13番目って、逆に目立つんだね」


少し遅れて、もう1通。


小野寺千紗:

「最初だけはちゃんと見られるって言ったでしょ」


美緒は、胸の奥が小さく痛むのを感じた。


最初だけ。


その言葉は、千紗が前にも言った言葉と同じだった。新しい子は最初だけ見られる。あの時は、まだ何も分かっていなかったから、少し引っかかっただけだった。


今は違う。


呼ばれたあとに言われると、その言葉は別の形で刺さる。


今だけなのだろうか。最初だけなのだろうか。蓮が「また連絡する」と言ったことも、今だけの言葉なのだろうか。


美緒はすぐに否定したくなった。


違う。ちゃんと見ていると言ってくれた。美緒と呼んでくれた。また、と言ってくれた。


そう思いたかった。


琴葉が入る。


白石琴葉:

「千紗さん、そういう言い方は……」


千紗はすぐに返した。


小野寺千紗:

「ごめん。別に責めてない」


小野寺千紗:

「よかったねって意味」


それは、たぶん嘘ではない。でも、全部本当でもない。美緒はそう感じた。


そして、その感じ方に覚えがあった。


琴葉が呼ばれた時、自分も似たような場所にいた。おめでとうと言った。琴葉が悪いわけじゃないと言った。でも、全部が祝福ではなかった。


今、自分が受け取っているものは、その時の自分の気持ちに似ている。


優しくて。少し苦くて。形は祝福なのに、内側に別のものが混ざっている。


乃亜から、少し遅れてメッセージが来た。


三枝乃亜:

「ちゃんと呼ばれたじゃん」


その文を見て、美緒は止まった。


ちゃんと。呼ばれたじゃん。


短い言葉だった。でも、その中に何が入っているのか、すぐには分からなかった。


祝福。安心。寂しさ。置いていかれた感じ。


どれも少しずつあるように見える。


美緒は返信しようとして、指を止めた。


乃亜ちゃん。そう呼びたかった。でも、グループの中では少し違う気がした。


麻衣がさらに送る。


桐谷麻衣:

「で、どこまで言える?」


桐谷麻衣:

「いや、無理には聞かないけど」


桐谷麻衣:

「気になるじゃん」


美緒は、その3つのメッセージを見つめた。


無理には聞かない。でも、気になる。


それは優しさと詮索の間にある言葉だった。麻衣らしい。明るくて、軽くて、悪気がない。でもその軽さが、昨夜の時間に触れてくる。


あの部屋。あの声。美緒と呼ばれたこと。水を差し出されたこと。ちゃんと見ていると言われたこと。肩に触れるか触れないかの短い接触。


それらを、どこまで差し出せばいいのだろう。


規約では、通知内容や指定場所の共有は禁止されている。会話の詳細も、あまり話すべきではないのだろう。


でも全部隠すと、距離ができる。


琴葉が「大したことじゃない」と言った時、美緒が傷ついたように。何も言わないことも、傷つける。


美緒は、スマホを握る手に力を入れた。


祝福されているはずなのに、息苦しかった。


でも、その息苦しさの奥に、少しだけ甘いものもあった。


自分は今、聞かれる側にいる。琴葉がいた場所にいる。呼ばれた側として、言葉を選んでいる。


そのことが怖かった。同じくらい、満たされてもいた。


美緒は入力欄を開いた。


佐倉美緒:

「詳しいことは言えないんですけど、少し話しました」


送信する。


既読が増える。画面の向こうで、下位妻たちがその一文を読んでいる。


美緒は、スマホを握ったまま動けなかった。


祝われている。聞かれている。羨ましがられている。


その全部が、美緒の中でひとつの熱になっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ