第22話【昨日、呼ばれたんだって?】
家に着くと、美緒は靴を脱いで、そのまま玄関に少し立っていた。
部屋の中は暗い。
電気をつけると、いつもの部屋が現れた。ベッド。小さなテーブル。洗濯物を入れたかご。昨日のままの雑誌。居酒屋のシフト表。
何も変わっていない。
でも、昨夜から今朝にかけての時間だけが、この部屋から切り離されている気がした。
美緒はバッグを置いて、ベッドに座った。
身体が少し重い。
疲れている。でも、その重さは嫌ではなかった。
スマホを開く。
グループチャットには、まだ会話が残っていた。
麻衣:
「美緒ちゃん、昨日の夜から静かじゃない?」
千紗:
「既読つくの遅かったよね」
麻衣:
「なんか怪しいんだって」
琴葉:
「無理に聞かない方がいいよ」
乃亜:
「今日はもう寝な」
美緒は、そこで目を止めた。
今日はもう寝な。
乃亜の言葉は、やっぱり近かった。
近い。だから苦しい。
美緒は、何か返そうとして、やめた。
そのまま配偶者用アプリを開く。
昨夜の通知は、履歴に残っていた。
【対象者より個別連絡があります】
その文字を見て、美緒は息を吐いた。
夢ではない。
自分は呼ばれた。名前を呼ばれた。ちゃんと見ていると言われた。また連絡すると言われた。
朝まで、同じ部屋にいた。
その全部が、まだ身体の中に残っている。
美緒はスマホを胸の近くに引き寄せた。
グランドムーンの香りを思い出す。
近づいた時の低い声。触れられた肩。名前を呼ばれた時の熱。朝が来なければいいと思ってしまった時間。
誰にも言えない秘密は、甘かった。
でも同時に、少し重かった。
第13妻でも、ちゃんと妻なんだ。
そう思えた夜のことを、同じ下位妻たちには言えなかった。
美緒は、しばらく暗い画面を見つめていた。
本当は、少し話したかった。
乃亜になら。琴葉になら。全部じゃなくても、少しだけなら。
でも、言葉にした瞬間、何かが変わる気がした。
自分だけが、呼ばれた側になる。
呼ばれない夜を一緒に笑っていた場所から、少しだけ離れてしまう。
その怖さがあった。
それなのに、美緒の胸の奥には、隠しきれない熱が残っていた。
スマホを見るたび、昨夜のことを思い出してしまう。
蓮の前にいた自分。名前を呼ばれた自分。朝まで、あの部屋にいた自分。
その全部が、美緒を少し浮かせていた。
だから、グループに返事を打てなかった。
いつもの自分の言葉に戻れなかった。
すると、新しい通知が来た。
グループチャットだった。
麻衣。
桐谷麻衣:
「昨日、呼ばれたんだって?」
美緒は、息を止めた。
画面の文字が、白く浮かんでいる。
昨日、呼ばれたんだって?
誰から聞いたのか。
本当に誰かが知っているのか。
それとも、麻衣はただ、美緒の空気が変わったことに気づいただけなのか。
何も分からない。
でも、その一文だけで、美緒は、自分が隠しきれていなかったことを理解した。
昨夜から、返信が遅かった。
言葉を選びすぎていた。
乃亜のメッセージを見て、苦しくなっていた。
下位妻グループへ戻る時、自分だけ少し浮いている気がしていた。
その全部が、たぶん漏れていた。
美緒はスマホを握ったまま、動けなかった。




