第六話『投影』
「え、雅さんがいなかった時の話ですか?」
「うん、ちょっと気になってね」
彩花と別行動をとり、砂糖と共に村へ向かう道中、雅は自分がいなかった時の埋め合わせをしようとしていた。雅が空間を出た後に何か起きていなかったのかが純粋に不安だったのだ。
「雅さんがこの村から出て行った後、この村は大きく変わりました」
彼女の口からが紡れる言葉は、溶けてしまいそうなくらいに滑らかだ。だが、彼女の表情は至って真剣そのものであり、その一言一句には表情に伴う荘厳とした雰囲気があった。
「大きく変わったことといえば、村の掟ですね」
「掟?」
砂糖の言葉に雅が首を傾げる。砂糖は「ええ」と事務的に返事して、微笑んだ。
「一葉さんに頼んで掟を厳しくしたんです。彩花を追放した村人たちを全員追放‥‥‥ってなれば、良かったんですけどね。そういう訳にもいきませんでしたよ」
「まあ、そうだろうね。流石に全員が悪気を持っていたわけではないと思うしね」
「そうとわかっていても、ですけどね」
正論で返された砂糖がジト目で不服を示す。その視線に身じろぎ、雅は「ごめんなさい」と謝る。
砂糖は彩花のことになると何をしでかすか分かったものじゃない。
「ごめんなさい、私も少し熱が入ってしまいました」
砂糖はコホンと、わざとらしく咳をし、それからチラチラとこちらを何度か横目で見つめた。
おそらくは「許す」と言ってくれるのを待っているのだろう。彼女はそういうタイプの人間だ。
「ありがとう、許してくれて。で、話は戻るけど、結局どうなったの?」
「あ、そうでした」
雅の反応を見た砂糖は露骨に安堵したかのように反応を取り、説明を再開した。
「結局話し合いをしてから村の方針を決めるっていう感じになったんですけど、これが存外に抑止力になったんですよ。一葉さんが見張ってるのもあって、逆らえないんですから」
そう言って、砂糖はいたずらっ子のように蠱惑的な笑みを浮かべる。
雅たちが村へと再び向かっているのはたった一人で村を黙らせる程の実力を持つ少年――一葉がいるからだ。彼と合流さえすれば、この状況を打破できると考え、雅たちは危険を承知で捕らわれた一葉のもとを目指している。
そんな彼がどうして捕まっているのかというと、砂糖曰く、寝込みを襲われたのではないかということらしい。
「まぁ、なんやかんやでこの村もだいぶ良くなりましたし、見捨てたら、見捨てたで、この村も少しは、かわいそうですし」
優しそうなニュアンスに聞こえる一方、声音は心底、村への関心さがないのだと分かるくらいには生気を帯びていない。本当に村がどうなろうと、興味がないのだろう。だが、彼女が見捨てようとしないということはきっと、何かしらの理由があるのだろう。
そう思い、雅は目を細めて、彼女に訴えかける。砂糖はその視線に「敵いませんね‥‥‥」と諦観気味に溜息をついた。
「‥‥‥実はですね。一葉さんには毎回助けられているんですよ。例えば、私と彩花の二人分の食料を毎食、無料でくれるんですよ、無料で。他にも普段から私たちのことを気遣ってくれるし‥‥‥。たまには彼のためにも、村を助けようかなと思いまして」
「へー、私の知らない内にそんなことが‥‥‥」
「――とにかく。私自身として借りた恩はしっかり返さなければいけない、って思ってて‥‥‥。――すみません、割と私情で行動してて浅はかですよね」
砂糖が雅と共に行動していた本音について吐露し、己を自嘲する。その姿は以前、彼女に見せた雅の行動とひどく似通っていて――。
「そんなことない!」
そのせいか、雅は思わず後先を考えずに叫んでしまった。いつもなら絶対に怠らない丁寧な言葉遣いさえ忘れ、今は目の前の砂糖だけを見る。以前の自分と重ね、とてもじゃないが、放っておけなかったのだ。
「趣旨がどうであろうと、村を救おうとしてるじゃん! それに、一葉さんに借りを返すなんて律儀なことしっかり考えてるなんて砂糖ちゃんがしっかり者な証拠。私情で結構! そんなこと言ったら、私なんて村とはほぼ無関係なのに行動しているんだから、みんなからしたら私の方が何かしら私情があるんじゃないかって思わない!?」
早口で思いついた言葉を取り敢えず、何も考えずに並べたことに、雅は言い切ってから急に心配になった。正直に言って文章になっているのかすら、頭の中で判断ができていないので、変なことを言っていないか不安だ。もう少し考えてから言うべきだったかもしれない。だが、それでは彼女が求める言葉はかけられない――そう思った。
長文リスニングを聞いて理解出来なかった学生のように砂糖が口をパクパクさせながら、硬直していると、砂糖は忘れたかのように「あ‥‥‥」と掠れた声を一言発した。
「雅さん‥‥‥」
「――なに?」
「その‥‥‥『ちゃん』付け、恥ずかしいのでやめてください‥‥‥。私、これでも18歳なんですよ。それに元から彩花みたいに可愛らしい顔つきじゃないんですから」
頬だけでなく、顔全体を赤らめ、最初に言った言葉はまさかの敬称の訂正のお願いだった。
その言葉を聞いた雅の顔が余程困惑していていたのか、直ぐに彼女は「あ、いえ‥‥‥」と言い直し、
「私のことを心配してくださったんですよね。雅さんが許してくださるのであればよいのですが。それにしても、雅さんは優しいですね。私とは違って才能がありますよ。――人たらしの、ですが」
どうやら、軽口が叩けるくらいには落ち着いたらしい。しかし、人たらしとは失礼だろう。第一、雅のどこに人たらしの特徴があるというのか。まあ、せっかく砂糖が元の調子に戻ってきたので、そこは深く追及しないことにした。取り敢えず――、
「分かったよ、もう大丈夫そうだね。それはそうとして、砂糖ちゃんのこと何て呼べばいいの? 『さん』付けは他人行儀みたいだし、呼び捨てもなんか、申し訳ないし。――あ! じゃあ、あだ名はどう? それなら、恥ずかしくもないし、よそよそしくもないでしょ?」
「また『ちゃん』付け‥‥‥いえ、何でも。でしたら、何かカッコいいものをお願いしますね」
よっぽど『ちゃん』付けは嫌らしい。話の至る所で険悪な表情が滲み出ている。これでは、仮にかっこよくないあだ名でも付けた暁には、何をぼやかれるか分からない。
かと言って、雅には『とらっち』などといった単純かつ可愛らしい命名しかできない。図らずも、雅は自分で墓穴を掘る展開となってしまった。
ふと、流し目で砂糖の方を見ると、あからさまな貼り付けたような笑顔でこちらを見つめていた。彼女なりの嫌がらせということだろうか。
あだ名をつける定番としてよく用いられるのは元々の名前から取るという方法、またはその人の特徴から取るといった方法などだろう。その中で今回、雅は元の名から取る方針で考えることにした。
彼女のフルネームは黒雲砂糖。
彩花ちゃんは『黒糖ちゃん』と呼んでいた。個人的にはそれが完成形なのではないのか、と思っているのだが、生憎にも彼女はカッコいいあだ名を所望している。
それに彼女にとって、親友から名付けられたあだ名を他人に使われるのは許されざることだ。彼女にとって彩花という人物は世界で一番大切な存在なのだから。
それも含めて、出来るだけ原案から離すべきだろう。だが、よくよく考えると、雅は普段から名付ける時は数時間かけて、選りすぐりの中から決定しているため、名前など、そうポンポンと短時間で思い浮かぶわけなかった。‥‥‥仕方ない、『必殺技』を使おう。
そう思い、雅は瞬時にポケットから小型の機械を取り出す。そう、『とらっち』だ。
実は『とらっち』には通話機能以外にも様々な機能が備わっている。その機能の一つが今、雅が現在進行形で操作している辞典機能だ。‥‥‥地味な機能ではあるが、今の雅にとって、これほど役に立つ機能はないだろう。というか、この機会を逃せば、辞典が役立つ機会は恐らく、生涯来ないだろう。
この辞典には約五十国余りの言語が収録されており、何かしらの言語で調べたい言葉を入れれば、他の言語を一覧として出すことができる。雅はあまり頭の回るような人間ではないから、こういう機能があるとたまに助かる。
とは言っても、もうこの機能を開くにも三十秒近く費やしている。これ以上時間をかければ、話が切られるのも時間の問題だろう。砂糖のモチベーションの維持のため、それだけは阻止したいところだ。
‥‥‥黒、黒、あ。
「雅さん、そろそろ時間もあれですし‥‥‥」
痺れを切らした砂糖が雅の思考を切ろうと、催促する。だが、雅にはその言葉は耳に通らなかった。その代わり、雅は口から一つの言葉を零した。
「‥‥‥ジェット」
「‥‥‥ジェット、いいですね。カッコいい、カッコいいです!!」
ボソッと呟いた声を耳聡く聞き取り、反芻しながら砂糖は陶酔する。どうやらお気に召したようだ。
「では、今から私のことは『ジェット』と呼んでください」
「あー、そのことなんだけどね。やっぱり‥‥‥」
『やっぱり、あだ名で呼ぶと一葉と合流する際に齟齬が生じるからやめよう』、と砂糖に言おうとしたが、どうやら無理そうだ。彼女の瞳は今まで雅が見てきた中で一番、光り輝いていた。
まさか、このあだ名が外国での黒を表す言葉だということも知らないのだから、その国に住んでいる人達が聞いたら笑われてしまうだろう。
まぁ、でも彼女が気に入ってくれるなら、こっちも名付け親として誇りに思うところもあるが。単語一つが名付けと言っていいのかは分からないけど。
とにかく、彼女が聞く耳を持たない以上、取り敢えずはこれで行くしかない。
「砂糖――、いや。『ジェット』行こう」
実のところ、雅は人にあだ名をつけるのはこれが初めてのことであった。だから、自分で名付けたあだ名で知り合いを呼ぶのは何だか照れくさくて、何より、最高に青春ぽかった。だから、こんなに顔が火照るのも、きっと胸の高揚に違いない。
その呼びかけにジェットもとい、砂糖は顎を少し引いて頷き、一行は村へと本格的に進むのだった。
「あ、ようやく村に着きましたね。雅さん、ここは二手に別れて探すのはどうでしょうか。時間も有限ですし、一様こんな村でも無駄にかなり広いですしね」
やっと、村に辿り着いた。ここまでに鬼に一度も出会わなかったのは運が良かった。いや、運なんてものとっくのとうに突き放されているので有り得ないことだが。ただ、ここまでがあまりにも都合が良く進み過ぎているというのも考えすぎだろうか。だが、今は目先のことに集中するべきだろう。
「いや、やめておこう。ここまで鬼が出なかったといえども、この村には必ずいるはず。それに時間なら、そこまで急がなくてもいいんじゃないかな。勘だけど、この村に危害は与えられていない気がするんだよね。あっ、でも出来るだけ急ぐべきなのは間違いないんだけど。私に考えがあるの。取り敢えず、私に任せてくれない?」
「雅さんの考えですか。湖に考えなしに飛び込むみたいな意見でなければついていきますよ」
何だろう、気が立っているのかさっきから皮肉めいた事ばかり言われてる気がする。もしかして、彩花がいないことによる禁断症状‥‥‥。というのはまたもや、考え過ぎだろうか。
『とらっち』の画面を再び開き、通話画面にする。返答が帰ってくるのは案外、時間はかからなかった。
『はい、わたしです』
「悪いんだけど、一回砂糖と喋ってくれない?」
小声で砂糖に要件を悟られないように伝える。
『あれぇ? 『砂糖』? 『砂糖ちゃん』じゃなくって?』
完璧にあだ名のせいで距離感がおかしくなってしまっていた。雅より、幾倍も頭の回る彼女ならば、雅が偽物という可能性でこの通話を切られる可能性もあり得る。急いで弁解しなければ。
「いやぁ、これはその‥‥‥」
『ふーん、随分と仲良しになってそうだけどぉ? 後で黒糖ちゃんには直接、問い詰めておかないとねぇ、それはそうと分かったわぁ』
心配するまでもなかった。それもそのはず、この時代に偽装なんて発想あるはずなどない。そこまで読めているのなら、怖い。ともあれ、軽く了承は貰えた。早速、今すぐにも試してみるとしよう。
『とらっち』をさりげなく、砂糖に近づける。突然の行動に彼女は目を丸くしたが、直ぐに「黒糖ちゃん?」と可愛いらしい声が聞こえると、素早く雅の手中に収まる『とらっち』を抜き取り、耳元へ当てる。
『黒糖ちゃんは今、何をしているのぉ? ねぇ、雅さんを虐めてないよねぇ?』
「い、やぁ‥‥‥まさか、虐めてるわけ‥‥‥」
雅には彩花からの声は聞こえないが、砂糖の顔がみるみるうちに青ざめていく様子を見るにさぞ彼女にとって恐ろしいことを言われているということは推察できる。おいとわしや。
「はい‥‥‥分かりました」
砂糖のその一言である程度、区切りがついたのを確認すると雅は彼女から『とらっち』を返却してもらった。
『とらっち』を彼女は再び雅の下に返却すると同時に、彼女は泣き崩れた。――否、泣き崩れたというよりも、泣き落としの方が近い。まぁ、実際には泣いていないけど。
「雅さぁん、酷いじゃぁないですかぁ。こんなぁん‥‥‥いやぁ、私が悪かったですけど! でもぉ、やり過ぎですうっ!!」
まぁ、確かにやり過ぎたのは間違いないだろう。彼女の顔からは涙こそ出てないものの、真っ青になった顔が戻る気配がない。後で私からも彩花ちゃんには何とか言っておくべきだろう。
「うん、ごめんね。後で彩花ちゃんにも何とか伝えておくから、安心しといて」
かと言って、直接と言っていたので弁明した後も他に何か言われることになるので、それは保証できないが。
「じゃあ、取り敢えず私についてきてね」
「――はい」
返事は物凄く、短かった。その分、言葉に詰まった思念は凄かったけど。
その後を簡易的に説明すると、雅たちは取り敢えず村の周りを一周ぐるりと観察して、一葉の囚われている位置を把握しようとしていた。その最中も、砂糖はずっと上の空だった。後のことが気が気ではなかったのだろう。まるで捜索が手についていなかった。これではあだ名の流れが呼びにくくなっただけの無駄骨を折っただけになるではないか。‥‥‥楽しかったからいいが。
村の半分へと差し掛かった頃、雅は村を囲んでいる柵が壊れている箇所を発見した。
「ジェット、ここから村に入るよ」
そう呼びかけた声に反応するまでに費やした時間はおおよそ三秒弱。その後も砂糖は「はい」と弱弱しく応じるだけだった。
だから、雅はもう一度彩花に頼ることにした。
「よし! 行きましょう! 雅さん」
その後は先程と同様だ。砂糖の耳元に『とらっち』を押し付け、その『とらっち』を彼女が一瞬で奪い取る。一体、彼女が何を言われたのかは分からないが、注文通りなら砂糖にとってやる気の出させる言葉をかけてもらったはずだ。
その証拠にビフォーアフターが凄いことになっていた。今度こそ彼女の活躍が見込めそうだ。
人が一人縮まれば、ギリギリ入れる大きさの穴を通り抜けると、そこには何の変哲もない黒髪の割に圧倒的な存在感を放ち、一目で強さを表すかのようなずっしりとした佇まいの美少年がこちらを見据えていた。
ようやく再開できたことにひとまずは雅は安心する。だが、束の間の安寧も彼の後ろに佇む豪勢な城によって非情にも破壊されるのだった。




