第六話『投影』
彩花と離れて村へと向かう最中、雅は自分がいなかった頃について、砂糖と話していた。
「雅さんがこの村から出て行った後、この村は大きく変わりました」
彼女の口から紡がれる言葉は、溶けそうなくらい滑らかだ。だが、その言葉の一言、一言には、真剣な表情に伴った雰囲気がある。
「彩花を追放した村人たちは、全員追放されました‥‥‥って、なればよかったんですけどね。まぁそういう訳にもいきませんし。結局、一葉さんに頼んでルールを厳しくしたんです。話し合いをしてから村の方針を決めるっていうルールなんですけど、これが案外、抑止力になったんですよね。一葉さんが見張ってるのもあって、逆らえないんですから」
そう言って、砂糖はいたずらっ子のように蠱惑的な笑みを浮かべる。
今、雅たちが向かっているのは、一人だけで村を黙らせる程の実力を持つ少年に用があるからだ。その少年にさえ、会えればこの状況を打破できると考え、雅たちは危険を承知で捕らわれた少年を目指している。そんな少年が何故、捕まっているかというと、砂糖曰く、寝込みを襲われたのではないかという話らしい。
「まぁ、なんやかんやでこの村もだいぶ良くなりましたし、見捨てたら、見捨てたで、この村も少しはかわいそうですし」
優しそうに聞こえる一方で、声音には村への無関心さが込められている。恐らく、本当にどうなろうと興味がないのだろう。だが、彼女がそうしないということはきっと、何かしらの理由があるのだ。
「実のところ、一葉さんには毎回助けられているんですよね。例えば、私と彩花の食料も二人分、毎食タダでくれるんですよ。タダで。他にも普段から気遣ってくれるし‥‥‥たまには彼のためにも、村を助けようかなと思いまして」
驚きだった。一葉が、毎日彼女らのことを気にしているとは。以前の彼はチャラいイメージが強く、あまり人のことを気にしているような素振りは見えなかったのだが、彼もまた雅がいない間、何かしらの転機があったのだろう。
「とにかく、私自身として借りた恩はしっかり返さなければいけない――って思ってて‥‥‥すみません、割と私情で行動してて、浅はかですよね」
砂糖が雅と共に行動した本音について吐露し、己の愚かさを自嘲する。その姿はまるで、以前彼女に見せた雅の行動とひどく似通っていて。
「そんなことない!」
思わず、叫んでしまった。いつもなら絶対に怠らない丁寧な言葉遣いさえ忘れ、今は目の前の砂糖だけを見る。以前の自分と重ね、とてもじゃないが、放っておけなかったのだ。
「趣旨がどうであろうと、村を救おうとしてるじゃん! それに、一葉さんに借りを返すなんて律儀なことしっかり考えてるなんて砂糖ちゃんがしっかり者な証拠。私情で結構! そんなこと言ったら、私なんて村とはほぼ無関係なのに行動しているんだから、みんなからしたら私の方が何かしら私情があるんじゃないかって思わない⁉」
早口で思いついた言葉を取り敢えず、何も考えずに並べる。正直言って文章になっているのかすら、頭の中で判断できていないので、変なことを言っていないか不安になった。もう少し考えてから言うべきだったかもしれない。だけど、それでは欲しい言葉はかけられない。そう思った。
長文リスニングを聞いて理解出来なかった学生のように砂糖が口をパクパクさせながら、硬直していると、直ぐに「あ‥‥‥」と掠れた声を一言発すると、
「雅さん‥‥‥」
「――なに?」
「その『ちゃん』付け、恥ずかしいのでやめてください‥‥‥私、これでも18歳なんですよ。それに元から彩花みたいに可愛らしい顔つきじゃないんですから‥‥‥」
頬だけでなく、顔全体を赤らめ、最初に言った言葉はまさかの敬称の訂正のお願いだった。
その言葉を聞いた雅の顔が余程困惑していていたのか、直ぐに彼女は「あ、いえ‥‥‥」と言い直し、
「私のことを心配してくださったんですよね。雅さんが許してくださるのであればよいのですが。それにしても、雅さんは優しいですね。私とは違って才能がありますよ。人たらしの、ですが」
どうやら、軽口が叩けるくらいには落ち着いたらしい。しかし、人たらしとは失礼というものだろう。第一、雅のどこに人たらしの特徴があるというのか。ただ、せっかく元の調子に戻ってきたので、そこは深く追及しないことにした。取り敢えず――、
「分かったよ。大丈夫そうだね。それはそうとして、砂糖ちゃんのこと何て呼べばいいの? 『さん』付けは他人行儀みたいだし、呼び捨てもなんか、申し訳ないし。――あ! じゃあ、あだ名はどう? それなら、恥ずかしくもないし、よそよそしくもないでしょ?」
「また『ちゃん』付け‥‥‥いえ、何でも。でしたら、何かカッコいいものをお願いしますね」
よっぽど『ちゃん』付けは嫌らしい。話の至る所で険悪な表所がにじみ出ている。これでは、仮にかっこよくないあだ名でも付けた暁には、何をぼやかれるか分からない。
かと言って、雅には『とらっち』などといった単純かつ可愛らしい命名しかできない。まさかの自分で墓穴を掘る展開となってしまった。
ふと、流し目で彼女の方を見ると、あからさまな笑顔でこちらを見つめているではないか。彼女なりの嫌がらせということだろうか。
ここは真剣に考えるべきだろう。彼女のモチベーションにも繋がるかもしれない。
あだ名をつける定番としてよく用いられるのは元々の名前から取るという方法、またはその人の特徴から取るといった方法などだろう。その中で今回、雅は元の名から取る方針で考えることにした。
彼女のフルネームは黒雲砂糖。
彩花ちゃんの場合は黒糖ちゃんと呼んでいた。個人的にはもう、それが完成形なのではないのか、と思うが生憎、彼女はカッコいいものを所望している。
それに、彼女にとって親友から名付けられたあだ名を他人に使われるのは許されざることなはずだ。彼女にとって彩花という人物は世界で一番大切な存在となっているのだから。
それも含めて、出来るだけ原案から離すべきだろう。だが、よくよく考えたら普段から名前を付けるときは数時間かけて選りすぐりの中から決定しているため、名前などポンポン短時間で思い浮かぶわけなかった。‥‥‥仕方ない、必殺を使おう。
そう思い、瞬時にポケットから小型の機械を取り出す。――『とらっち』だ。
実は『とらっち』には通話機能以外にも様々な機能が備わっている。その中の一つが今、操作している辞典だ。‥‥‥地味な機能ではあるが、今の雅にとってこれほど役に立つ機会は恐らく、生涯来ないだろう。
この辞典には約五十国余りの言語が収録されており、何かしらの言語で調べたい言葉を入れれば、他の言語を一覧として出すことができる。雅はあまり頭の回るような人間ではないから、こういう機能があるとたまに助かる。
とは言っても、もうここまで辿り着くにも三十秒近く費やしている。これ以上時間をかければ、話が切られるのも時間の問題だろう。モチベーションの維持のため、それだけは阻止したいところだ。
‥‥‥黒、黒、あ。
「そろそろ時間もあれですし‥‥‥」
遂に痺れを切らした砂糖が雅の思考を切ろうとする。すると――、
「‥‥‥ジェット」
「ジェット‥‥‥いいですね。カッコいい、カッコいいですね!」
ボソッと呟いた声を耳聡く聞き取り、反芻しながら砂糖は陶酔する。どうやらお気に召した様子。
「では、今から私のことは『ジェット』と呼んでください」
「あー、そのことなんだけどね。やっぱり‥‥‥」
やっぱり、あだ名で呼ぶと合流する際に齟齬が生じるからやめよう、と言おうとしたが、どうやら無理そうだ。彼女の瞳は今まで雅が見てきた中で一番、光り輝いていた。まさか、このあだ名が外国での黒を表す言葉だということも知らないのだから、その国に住んでいる人達が聞いたら笑われてしまうだろう。
まぁ、でも彼女が気に入ってくれるなら、こっちも名付け親として誇りに思うところもあるが。(単語一つが名付けと言っていいのかは分からない)
彼女が聞く耳を持たない以上、取り敢えずはこれで行くしかない。
「いや——、『ジェット』行こう」
実のところ、雅は人にあだ名をつけるのはこれが初めてのことであった。だから、自分で名付けたあだ名で知り合いを呼ぶのは何だか照れくさくて、何より、最高に青春ぽかった。だから、こんなに顔が火照るのも、きっと胸の高揚に違いない。
その呼びかけにジェットもとい、砂糖は顎を少し引いて頷く。
「あ、ようやく村に着きましたね。雅さん、ここは二手に別れて探すのはどうでしょうか。時間も有限ですし、一様こんな村でも無駄にかなり広いですしね」
やっと、村に辿り着いた。ここまでに鬼に一度も出会わなかったのは運が良かった。いや、運なんてものとっくのとうに突き放されているから有り得ないことだけど。ただ、ここまでがあまりにも都合が良く進み過ぎているというのも考えすぎなのだろうか。とにかく、今は目先のことに集中するべきだろう。
「いや、やめておこう。ここまで鬼が出なかったといえども、この村には必ずいるはず。それに時間なら、そこまで急がなくてもいいんじゃないかな。勘だけど、危害はあたえられていない気がするんだ。あっ、でも出来るだけ急ぐべきなのは間違いないんだけどね。私に考えがあるの。取り敢えず、私に任せてくれない?」
「雅さんの考えですか。湖に考えなしに飛び込むみたいな意見でなければついていきますよ」
何だろう、気が立っているのかさっきから皮肉めいた事ばかり言われてる気がする。もしかして、彩花がいないことによる禁断症状‥‥‥というのはまたもや考え過ぎだろうか。
とらっちの画面を再び開き、通話画面にする。返答が帰ってくるのは案外、時間はかからなかった。
「はい。わたしです」
「悪いんだけど、一回砂糖と喋ってくれない?」
小声で砂糖に要件を悟られないように伝える。
「あれぇ? 『砂糖』? 『砂糖ちゃん』じゃなくって?」
完璧にあだ名のせいで距離感がおかしくなってしまっていた。雅より、幾倍も頭の回る彼女ならば、雅が偽物という可能性でこの通話を切られる可能性もあり得る。急いで弁解しなければ。
「いやぁ、これはその‥‥‥」
「ふーん、随分と仲良しになってそうだけどぉ? 後で黒糖ちゃんには直接、問い詰めておかないとねぇ、それはそうと分かったわぁ」
心配するまでもなかった。それもそのはず、この時代に偽装なんて発想あるはずなどない。そこまで読めているのなら、怖い。ともあれ、軽く了承は貰えた。早速、今すぐにも試してみるとしよう。
『とらっち』をさりげなく、砂糖に近づける。突然の行動に彼女は目を丸くしたが、直ぐに「黒糖ちゃん?」と可愛いらしい声が聞こえると、素早く雅の手中に収まる『とらっち』を抜き取り、耳元へ当てる。
「黒糖ちゃんは今、何をしているのかなぁ? ねぇ、雅さんを虐めてないよねぇ?」
「い、やぁ‥‥‥まさか、虐めてるわけ‥‥‥」
雅には彩花からの声は聞こえないが、砂糖の顔がみるみるうちに青ざめていく様子を見るにさぞ彼女にとって恐ろしいことを言われているということは推察できる。おいとわしや。
「はい‥‥‥分かりました」
ある程度、区切りはついたみたいだ。
『とらっち』を彼女は再び雅の下に返却すると同時に、彼女は泣き崩れた。――否、泣き崩れたというよりも、泣き落としの方が近い。まぁ、実際には泣いていないのだけど。
「雅さぁん、酷いじゃぁないですかぁ。こんなぁん‥‥‥いやぁ、私が悪かったですってぇ。でもぉ、やり過ぎですってぇ」
まぁ、確かにやり過ぎたのは間違いないだろう。彼女の顔からは涙こそ出てないものの、真っ青になった顔が戻る気配がない。後で私からも彩花ちゃんには何とか言っておくべきだろう。
「うん、ごめんね。後で彩花ちゃんにも何とか伝えておくから、安心しといて」
かと言って、直接と言っていたので弁明した後も他に何か言われることになるので、それは保証できないが。
「じゃあ、取り敢えず私についてきてね」
「――はい」
返事は物凄く、短かった。
その後を簡易的に説明すると、私たちは取り敢えず村の周りを一周ぐるりと観察して、囚われているところを探していた。その最中も、砂糖ちゃんはずっと上の空で、後のこと気が気ではなかったのだろう。まるで手についていなかった。これではあだ名の流れが呼びにくくなっただけの無駄骨を折っただけになるではないか。ただ、楽しかったからいいが。
村の半分へと差し掛かった頃、雅は村を囲んでいる柵が壊れている箇所を発見した。
「ジェット、ここから村に入るよ」
そう呼びかけた声に反応するまでに費やした時間はおおよそ三秒弱。その後も「—―はい」と弱弱しい返事だけ応じた。
雅はもう一度彩花に頼ることにした。
「よし! 行きましょう! 雅さん」
一体何を言われたのかは分からないが、注文通りなら彼女にとってやる気の出させる言葉をかけてもらったはずだ。その証拠に明らかにビフォーアフターがすごいことになっている。これは今度こそ、活躍が見込めそうだ。
人が一人縮まれば、ギリギリ入れる大きさの穴を通り抜けると、そこには何の変哲もない黒髪にも関わらず、圧倒的な存在感を放ち、一目で強さを表すかのようなずっしりとした佇まいがある一人の美少年がこちらを見据えていた。
ようやく再開できたことにひとまずは安心することが出来た。が、しかしその安寧も美少年の後ろに佇む豪勢な城によって非情にも破壊されたのだった。




