第十三話『咲いて散りゆく火花――泡沫の想いを載せて』
人間を人間たらしめる条件は挙げ始めれば切りがない。その中でも一番大切な要素なのは、『理性』だと思う。人間から理性を外してしまえば、それはもう獣と何も違わない。
「オノレェェェ!!」
正気を失うかのような勢いで獣――否、黒い鬼が弾丸のように標的へ向かって、一直線に走る。
標的は村を焼き尽くした憎い『鬼姫』がいる中心の透明な部品。あそこさえ、割ることが出来れば、引きずり、嬲ることができる。与えられたこの一撃で必ずや破壊してみせる。
黒い鬼は理性という名のトリガーを外し、破壊のことだけを考える。そんな破壊の化身となった彼をはたして、人間と呼べるだろうか。
彼が一歩進むごとに足の速さは加速する。ところが、足が疎かになる様子は見受けられない。彼は全神経を一点集中させている。つまり、これが彼の本来の実力だったのだ。加速してゆく速さは拳をさらに強靭な凶器へと昇華させていく。
「――死ね」
直後、彼から放たれた拳は不可視の領域に達した。そして――、
部品と拳の衝突は火花を散らし、暴風を巻き起こし、壮観だった部屋を見れないものへと変化させる。その瞬間はまさしく、人間の最高到達点といえた。
引き起こされた暴風に部屋から落とされないようにしていた雅と砂糖はただ見守るしかなかった。よって――、
「‥‥‥やったか⁉」
お約束を知らない砂糖はそう呟いてしまった。
「ちょい待って! それ今、一番言っちゃいけない言葉ランキング一位だから!!」
「あぁ~、ほぉんの、ちょぉっびとだけ、びびっちゃった」
そんな雅のささやかな願いは無惨にも煙の中から出てきた被害を受けた様子がほぼ見られない例の機械のようなものの持ち主の声によって破壊されてしまった。無論、フラグを立てなくとも、結果は変わっていなかっただろうが、気持ちの沈み具合が違うのだ。気持ちの問題である。
「――はぁ、はぁ」
だが、『ほぼ』と述べた通り、被害がゼロだったというわけではなかった。彼女が居座る操縦席の正面のガラスのようなものヒビが少し入っていたのだ。材質が不明な物質に傷をつけることができたのは中々の成果ではないだろうか。
「にしてもぉ。君ぃ、本当に人間なのぉ? これ、拳程度の衝撃は通さない材質なんだけどぉ‥‥‥」
そこには被害の割には驚き、呆れる『鬼姫』の姿があった。ともあれ――、
「一葉さん! このままじゃ、無理だ! 逃げよう!!」
『鬼姫』が提示した条件は一撃のみ、無抵抗で受けるというもの。その条件がなくなった今、『鬼姫』に無策で挑むのは命知らずにも程がある。だが――、
「――逃げる!? どこに!? 今からこいつが易々と逃げさせてくれるとでも!?」
息を切らし、汗を滝のように垂れ流す一葉が食い気味で反論する。
「――ッ!! それでも、生き延びれる可能性があるなら逃げるべき! このまま、無策で戦って勝てる相手ではないよ!」
必死にこの場から退散することを主張する雅だったが、その言葉に聞く耳を持たない彼は何を言っても退く素振りを見せない。
「じゃあ、一葉さんはどうするっていうの!」
彼が考えなしで彼女を止められると思っているのであれば、止めなくては。あるいは彼が――、
「俺はここで時間を稼ぎます。二人はどこか遠くへ逃げてください」
彼が自分の命を賭して戦うというのならば、なおさらだ。
「――ッ!! そんなの――」
「やってられない、でしょぉ? うんうん、分かる、分かるぅ。大切な人たちのために自らの命を惜しまないその姿!! カッコいいですぅ!」
思っていたことを代弁され、加えて、彼の決意に茶々を入れる『鬼姫』。その言動が彼の心を踏みいじっているようで不快だった。――彼女の言葉がそこで終わるのならば、だが。
「だからぁ、彼に免じてサービスぅ! あなた達を逃がしてあ、げ、る!」
「――はぁ?」
意味が分からない。村に散々な仕打ちをして、自分たちのことは逃がしてくれるなど。どのような裏があるのか薄気味悪くて、呑めるはずない。
「――あ! 勿論タダで、ってわけじゃないから安心していいよ!」
「そこ、安心するところなのかな」
とはいえ、条件があるのならば、それさえ解決すれば、何とかできるはず。
「わたしが攻撃するから、それを避けて逃げてね!」
‥‥‥当初とあまり変わらないのでは?
「『今、変わらないな~』とか思ったぁ?」
「もしかして、心でも読んでるのかな。天邪鬼の能力、とか」
「――あれぇ、そんなやついたっけぇ? 活躍してなかったから忘れてたぁ」
「――部下に対しても、そんなこと言うのか?」
「‥‥‥う~ん、部下っていう立ち位置かは置いといて、そこは実力次第じゃなぁい? 要らないやつは要らないしぃ?」
やはり、こいつはろくでもない。どうにかして、こいつを何とかしなくてはいけないが、今はそんなことを考えている場合ではない。
「あぁ、そうそう。さっきの質問に戻るけどぉ。別に使ってないからねぇ。それだけぇ~」
律儀に一様、返答はしてくれる辺りは会話が成立するという点では助かるが。
「そうそう、流石に実力差があるのは可哀想だからぁ。今から四分だけ待つからぁ、逃げてねぇ」
そうして、唐突に「い~ち、に~ぃ」と『鬼姫』は律儀にもしっかりと均等の速さで秒数を数え始める。
とにかく、逃げなければ。
「一葉さん、ジェット! 逃げるよ!」
流石の彼も今、この時に拒否する選択肢はなかったようで雅たちは階段を転がる勢いで下り始めることになった。
「雅さん! 逃げると言っても、どこに逃げるんですか!?」
幅広い階段を三人同時に下っている最中、砂糖が舌を嚙む勢いで雅に問う。
「とにかく、遠くに! ジェットに任せてもいい?」
「私ですか!? ‥‥‥でしたら、私についてきてください!」
「お願い!!」
そうこうしているうちに時間は二分弱経過し、残り時間は半分へと迫っていた。ここの城は無駄に階段が長すぎる。上っている最中に無限ループしているのではないかと疑ってしまったくらいに長い。だが、彼らは何かしらの揺るぎない信念を持ち合わせている。となると、彼らが不正をするはずがないと雅は判断した。
ただ城の中には最初にはいなかった鬼たちが襲ってきて。
「――このままだと追いつかれちまう」
一葉はそう言うと、方向を急転換し、戦闘態勢をとり、鬼たちを抑え込もうとする。
「後で文句は聞きますから!!」
「――。――え?」
すると、彼は次々と襲い掛かってくる鬼を自慢の拳で返り討ちにしていく。
「死ぬつもりはないから先に行っててください!」
「――でも!!」
「自分の城を奴は壊さないでしょう。それに奴の目的は俺じゃありません。城に入る前に言ってたはずです!」
「――あ!」
「ですから、先に逃げて下さい!」
何しろ、数十体の鬼を一人で相手するのだ。一葉は一葉で安全を保障できない。
「だから、無事に終わったら褒めて下さいね」
「――バカ」
一葉はニヤリと苦笑いして、標的へと視線を戻すのだった。
「――着いたぁ」
完全に満身創痍になった雅たち。だが、ここで弱音など吐く暇などない。直ぐにでも、時間切れは迫ってきている。残り時間一分を切った今、取れる選択肢は決して多くはない。――とにかく、逃げる。今の雅たちにはそれしかできない。今は反撃の機会を待つのみ。
取り敢えず、彼女が指し示した道のりをひたすらに突き進む。できるだけ、目に付きずらい道を選び、木々を避け、森の中へ。目指すは『澱みの森』。あそこに辿り着きさえすれば――。
そう思った瞬間だった。上空から爆発音が聞こえた。続いて、音がとめどなく、降り注ぐ。容赦ない爆発は辺り一面に火を残していく。それはやがて、森にまで届き、大規模な森林火災へと繋がることになるだろう。『澱みの森』であれば、異常なまでの湿度により、着火することはないだろうが、彼女の攻撃手段が爆弾のみとは限らない。できれば、追い込まれるような場所に逃げるのは避けたいところだが――。
目的地は変更する暇はない。取り敢えずの目的地を設定し、避難するべきだろう。『鬼姫』がこの辺りの地形に詳しいはずがない。
緑の濃い匂いが激しい。騒がしい今だからこそ、嗅覚が代わりに鋭くなって、辺りの臭いを逃さないと言わんばかりに捉える。そんな自然も徐々に消えていく様子が遠くからでも見られて、何とも言えない気持ちにな‥‥‥
「――見つけた」
直後、雅を狙って、爆弾が降り注ぐ。
あ。これ駄目なやつだ。
目を瞑り、出来るだけ、この後に来る痛みに備える。が、その痛みは爆発音はしても、痛みが一向にくる気配がなかった。その代わり、感じたのは脇腹への弱弱しい感触のみで。不思議に思い、脇腹に感じた微かな感触を頼りに雅は背後を振り向くと、
「ぎゃあぁぁああ!?」
そこには片足を失い、おびただしい量の鮮やかな血を流している黒雲砂糖の姿があった。
「あれぇ? 当たんなかったぁ? ざ~ぁんねん」
頭上から、鬼が薄ら笑いを含んだ声を上げる。だが、今の雅にはそんな声などどうでもよかった。
「ちょっと待って、ちょっと待ってよ」
必死になって雅は砂糖の意識を確認する。雅のことをかばって砂糖が代わりに本来受けるはずだった傷を受けたのだ。そんなことでいなくなってしまったら嫌だ。
「――っ。み、やびさん」
口から、血の泡を浮かべ弱弱しい声を上げる砂糖。その声は命を散らしていることを示しているようで、今にもいなくなってしまいそうだった。
「ねぇ、こんなのは噓なんだよね。――うん、そうだ。そうに決まってる。鬼が現実にいるはずないもん」
「――みやびさん」
彼女はもう自覚しているのだろう。――自分が助かることはないと。
「――っ! なに?」
「私の代わりに、あや、かへ伝言お願い、します」
「嫌!! なんでそんな、諦めて‥‥‥」
「――雅さん」
「――――」
「――お願いします。これが最初で最後のお願いです」
「――ごめんなさい」
口の中で消えるように雅だけに聞こえるようにこぼれた弱音。
一体、どうしてこんなことになったのか。どうすれば、こうならなかったのか。
絶えず、雅の中では後悔が止まらなかった。
――どうして、こうなった?




