第十一話『蒼天へ征け』
一難去って、また一難とは何とも理不尽なことだな、と改めて再認識した。
――第三層【迷いの間】。
雅たちは第二層【力の間】を一葉の活躍によって紆余曲折がありながらも何とかクリアすることができた。
そして、雅たちが直面したのは――、
これといった説明がもなく、部屋には周囲が見えない濃霧が広がっていた。離れないで、などと説明する暇もなく、三人は切り離されてしまった。おそらくは、霧自体に気配を遮断する効果があるのだろう。
そんな考えを浮かべていると、雅の前に突如として霧から人影が見えた。身体の細い男の影だ。
「よう、調子はどうだ? ‥‥‥っても、また変わってないのがお前か」
気安い調子で薄汚い装いの男が話しかけてくる。だが、自然と悪い気はしなかった。その理由は雅の過去に関係している。――が、そんなことは関係ない。
「偽物が何か言ってるようだけど、何なの? 急いでるからどけ!」
男の横腹に思い切りスイングをかましてやる。男はそのまま横へ吹っ飛び――、とはならなかった。
当たり前といえば、当たり前だが、そこにあるものは飽くまでも幻。そこに実態も感情もない。ただの下手な想像から作り出された偽りに過ぎない。
そもそも、そこまで大切な関係な人でも何でもないので、本当に雅にとって痛みは何もなかった。
だからこそ、雅は一瞬の逡巡もなく、即座に切り伏せることができた。
「私の方は大丈夫だけど、二人は大丈夫かな」
思い浮かべるのは調子を取り戻しつつある少年と、その真逆な状態にある少女だ。
二層で吹っ切れた様子を見せた一葉であれば多分、何とかなるだろう。問題はもう一人の少女――黒雲砂糖にあった。
彼女は元々、感情の起伏が激しいのもあって中々、感情の制御が難しい状況にあった。ただ、成長した彼女は自分の中に感情を抑え込むことが上手になったのだ。
雅もその成長に大いに驚かされた身だ。
しかしながら、不完全な制御のままで終わっているのが現状だった。
彼女と再会したときといい、この城の中のことといい、彼女の調子がおかしいように雅には見える。まるで、従来通りであれば冷静な行動が取れるというのに、パニックに陥ってしまったかのように。
「早めに見つけておかなければ、大変なことになりかねないな」
二人とはぐれたのは避けることは不可能だったと断言してもいい。第三層へ踏み入れた瞬間、すぐ目の前には濃霧が広がっており、退避する判断をするくらいの時間はあっても、行動に移す時間まではなかった。そこからというものは、二人の声も姿も全く聞こえなくなった。聞こえたのはこの層の簡単な説明のみ。この層の名前が【迷いの間】であること、そして己の心と向かい合うことということのみが説明され、あとは音信不通だ。ともあれ――、
「このまま、ここで待つのはやばそうか?」
見回す限り、濃霧が漂い、人の気配すら感じさせない空間。今までの流れからして、何もせずに帰還など有り得るはずがない。であれば、何かしらの条件を達成する必要があると考えるのが自然だろう。
「取り敢えず動‥‥‥」
口に手を当て、これからのことを考えていた一葉の前に突如、変化が生じる。
紫色の濃霧が徐々に色が変化していき、形が固まり実体のあるものへと変化していく。
「――は?」
そこにいたのは一目で上質なものと分かる装いを身に纏った男だった。だが、容姿はしっかりと維持できておらず、特に顔立ちは一切分からなかった。
「よぉ、■■■。調子はどうだ?」
その男は文句のつけようがないほどの美声の持ち主であった。おおよその声は雑音が入ったかのように聞き取れないが、声が透き通っていることが伺えた。だが、その声色は人の意識を集めさせる魅力を帯びており、一葉の意識は吸い込まれた。
「そうか、そうか。■■■、ちゃんと訓練を忘れるんじゃないぞ」
男は優しそうな声で一葉に向かって言葉を続ける。だが、肝心の一葉にはまったくと言っていいほどに心当たりがない。突然現れ、突然意味の分からないことを言われても、意味が分からない。
すると、霧は再び、不定形となり、そして姿を変える。次に作り出されたのはその男が何かを探している様子だった。
「どこに行った■■■? クソ、こんなことになるなら、ずっと閉じ込めておくべきだった」
顔色は伺えないが、微かに聞き取れる声からは確かな怒りを感じ取れる。それは先程の愛情とは異なる歪んだ感情だと一葉には思えた。その歪んだ感情を前に一葉も何故か、寒気がした。
「まだ、だ。まだ何とか出来る。俺なら。――次の計画を実行する」
その声を最後に霧は消え去っていった。
「何だったんだ、あれは」
考えるだけ無駄だと思うのは簡単だ。だが、先程の謎の寒気といい、一葉はいずれ、対面することになるような気がした。
「砂糖ちゃんって優しくないよね」
「今日も来たの?」
「やってられない」
脳内に響くかのようにどこからともなく、声が飛んでくる。しかし、声の持ち主は存在していない。これは全て自分の記憶から作り出された幻聴だ。
「お前分かんないの? 邪魔なんだよ、どけ」
「私はそんなつもりじゃ!」
悲愴な声が周囲に響く。だが、そこにいるのは自分しかいない。この助けを求める声は誰にも届かないし、何の助けにもならない。
「お前は必要とされてないんだよ」
「――黙れ!」
声がその気迫に気圧されるかのように静まり返る。取って代わったように別の声が代わりに響く。
「黙れ黙れ黙れ黙れ、黙れ黙れ黙れ、黙れ。私には彩花さえ、いればいい。他の奴らなんかどうだっていい。私には彩花さえいれば! ――ぁ」
呪言のように現実逃避する砂糖。だが、その状況も長続きはしない。
「あなたなんて、大嫌い」
何色にも染まらないかのように思えるほど純白色の髪を持つ人形のような可愛らしい少女が救いなど許さなかった。
「私だけを見ているのが気持ち悪い。私以外のことなんてどうでもいいなんて、自分勝手すぎ。キモいんだよ」
「待て、彩花はそんなことは言うはずがない」
唯一の理解者がそんなこと、言うわけが‥‥‥。
「何度でも言うよ。――キモいよ、黒雲砂糖」
「――噓だ」
「噓じゃない」
「――噓だ!」
「――噓じゃない」
「嘘だっつってんだろうが‼」
この偽物を今すぐに黙らせなければいけない。同じ顔、同じ声をした薄汚い偽物など吐き気がする。殺してやる。
「それが、あなたの答えなの?」
「――は?」
「イラつくだけ、イラついて建設的な考えをしようとしない。結局、あなたはうわべだけいい子のふりをしているだけに過ぎない。今も昔もすぐに暴力的な考えになるなら、あの少年と何も変わらないではないか」
「テメェは何なんだよ」
すると、出来の悪い偽物は姿を変える。
「性格が悪すぎるだろ」
凶悪な面を浮かべた自分の姿へと変化したのだった。
「今のお前はこんな顔だ。それでも、お前は考えを改めようとしないのか?」
「――――」
「都合が悪いと、だんまりか。流石としか言いようがないな、疫病神」
「テメェ!」
その瞬間、砂糖は考える間もなく、拳が前へと突き出していた。
「だから、変われないんだよ。いつまでたっても、そのままでいるつもりか?」
だが、拳はそのまま、空気だけを貫くだけで、偽物の景色が歪むだけ。決して、消えることはない。実体のないものは殺せない。
「どうなの? 変わりたくないの?」
「‥‥‥私は」
「そうそう、その顔。しっかり悩むべきだよね。そうもしなければ、一生、お前はここから出られない。お前の愛する人にもな」
再び、霧は形を変え、今度は水色の髪の少女へと変化する。
「このまま、彼女は置いてかれたら、彼女はどう思うだろうね? 『あなたのせいで陸に出れなくなったのに、一生、私をここに閉じ込めるんだ』」
「そんなこと!」
「あぁ、確かに言わないかもしれない。だけど、心の中ではどうだろうか。一度でも、腹の内を見せて話したことはあるのか? ないだろう。それに――」
「他の二人も君が合格しない限りは出られない。二人はすぐに合格だったといのに。お前のせいだ。このままだと、二人はこの空間で飢餓で苦しんで死ぬことになるだろう。『苦しい、助けて』『お前を許さない、お前さえいなければ、楽勝だったのに』」
次々と、砂糖の精神は蝕められていく。このままでは、二人は砂糖のせいで最悪の運命を迎えるだろう。二人を死なせ、自分のせいで一生、湖に閉じ込められた少女を身勝手に放置して、みんなに恨まれることになる。
「じゃあ、どうすればいいんだよ!」
頭を荒々しく、掻きむしる。その度に髪の毛が一本、一本抜けていき、毛根が悲鳴を上げる。そして、髪は動物同然の野性味を感じさせる雰囲気を漂わせる。
「お前は今まで自分を不幸な人生を送ってきたと思っていないか? だとしたら、お前は大きな間違いを犯しているぞ。いつも、お前の周りには誰かしら支える人間がいたはずだ」
「――――」
「母親、父親、黒髪の少年、桃色の少女、そして、白髪の少女。お前はたくさんの人間に助けられてきた。そいつらはお前に何か嫌なことをしたか?」
断じてない。いつも彼らが自分を助けてくれるときは見返りを欲する様子もなく、優しさだけを原動力として動いていた。
「そんな奴らに囲まれて、お前は幸せじゃなかったのか?」
「そんなわけないだろ!」
「じゃあ、お前はそいつらに対して、優しくしようと思ったことは一度もなかったのか?]
「そんなことない!」
「であれば、お前はその時点で他者をどうでもいいだなんて、思ってないんだよ」
「――ぁ」
「誰かがしてくれたことを恩と思って返す。それも悪くはない。だけど、お前も分かっていたんじゃないか? 自分がまた信頼を無くすのが怖いから、誰かを大切に出来ないと勝手に思っているだけだと。お前を大切に思っているこいつらはそんなことをする奴らだと思っているのか? 黒雲砂糖!」
「そんなわけない、じゃないか」
今までは彩花さえいればいいと思っていた。そこで、明華雅という異分子が混入し、嫉妬の炎が燃え盛った。
そこで元からあった歪んだ欲望がさらに歪み、他者を排除しようとする考えへと至った。誰にでも優しく出来る雅をどうして嫌いになることができるというのか。ただ、彩花とずっと親しくしている雅が彩花をこのまま自分を置いてどこかへ行ってしまうのか、心配なだけだった。
「私、決めた」
「そうか――」
「みんなを使って弄んだことは許さないけど、私は前を向けるようになった。ありがとう」
それは決して今まで見せることのなかった棘のあるある蕾が見せた綺麗な花だった。
「――あっ」
突如として、霧が晴れていく。砂糖を最後に試験が終わったのだろう。
霧が晴れると、一面は輝いた金色の塗装で覆われた部屋が現れた。何とも、皮肉なものだ。
前を向くことのできないものにはすぐそこにある輝きは見ることができないとは。
だが、それより砂糖は真っ先にやることがあった。
「二人とも、いつもありがとうね!」
思いつく限りの笑みで、普段の感謝を述べた。いつまでも、このことは忘れることはないだろう。そんな私の顔を見て、仰天しつつも、満面の笑みで返してくれた二人の顔を。
私は永遠と、こんな時間が続いて欲しいと思ったのだった。




