第46話 祝宴の会
夜の王都レムナントは、黄金に染まっていた。
昼間の勝利宣言から半日も経たぬというのに、城下町はすでに祝祭の渦の中心にあった。
石畳の通りには幾千の灯りが灯され、屋台からは香ばしい肉の焼ける匂いと甘い果実酒の香りが漂う。
吟遊詩人は即席の舞台に立ち、弦を弾きながら声高らかに歌い上げる。
「勇者よ、剣を掲げよ。闇を裂きし光よ!
血と灰に沈む夜を、汝が刃で切り開け!」
弦が鳴る。
テンポがわずかに上がる。
人々の足が、自然とリズムを刻み始める。
「折れぬ意志を胸に抱き、迷いを越えて進めよ。
涙の先にある未来を、その手で掴み取れ!」
子どもたちは跳ね回り、酒場の客が杯を打ち鳴らす。
空に打ち上がる花火が夜を裂き、色とりどりの火花が星々と競うように弾ける。
光が弾けるたび、人々は歓声を上げる。
吟遊詩人は、わずかに笑みを深めた。
「だが忘れるな、祝福の夜よ」
弦が、低く鳴る。
「光が強く輝くほど、
影はまた、濃くなるもの
誰が糸を引きしやら、
運命の舞台はまだ終わらぬ」
一瞬の沈黙。
すぐに、明るい旋律へと跳ね返る。
「それでも進め、恐れるな!
選ばれし剣よ、進め!
たとえ世界が揺らごうと、
その一歩が道となる!」
最後の一音が夜に溶ける。
大歓声が、爆ぜた。
誰もがその歌を“勝利の歌”として受け取った。
反乱は鎮圧され、敵は討たれ、新たな秩序が築かれた。
少なくとも、人々はそう信じている。
王国の勝利を祝う夜。
その中心。
王宮《レムナント城》の大広間では、王族主催の祝宴が始まっていた。
天井から吊るされた巨大な水晶のシャンデリアが、無数の光を砕いて降らせる。
壁には王家の紋章が刺繍された深紅の幕が垂れ、金の燭台が炎を揺らしている。
長卓には豪奢な料理が並ぶ。
焼き上げられた肉、香草を添えた魚、宝石のような果実、湯気を立てるスープ。
貴族たちは絹と宝石に包まれ、笑顔と礼節でそれらを囲んでいた。
その中央に立つのは――
勇者アレン・ヴァルデンと、その仲間たち。
トレヴァーは騒ぎから少し距離を取り、静かにグラスを傾けながら、周囲の貴族たちの会話に耳を澄ませている。
周囲を観察するその目は冷静だ。
祝っている、というより……“合わせている”。
カミラは壁際に立ち、流れる人の動きを読むように視線を巡らせている。
祝宴の裏で交わされる視線、ささやき、笑み。
裏に潜む、打算と恐れ。その全てを拾い上げるように。
絶え間なく投げかけられる賞賛の言葉に、アレンは礼儀正しく応じていた。
しかし、どこか落ち着かない様子だった。
「勇者様! どうかこちらへ!」
「この酒は南方から取り寄せた逸品でして!」
次々と差し出される杯。
香り立つ酒精。
歓声に満ちた空気。
差し出される杯を受け取りながらも、アレンの視線はどこか遠い。
「ははっ! もっと飲めよアレン! 今日は祝いだ!
俺たちが勝ったんだ、もっと飲めって!」
ガイアが豪快に笑い、杯をぶつける。
「ちょっとガイア、飲みすぎよ……」
リリィが呆れたようにため息をつく。
だがその頬もほんのり赤い。
視線は、広間の中央、ひときわ目立つ男へと向いていた。
新たに公爵へ叙された男。
ルシアン・ヴァルグレイ。
黒の礼装は夜のように深く、胸元には王から授かったばかりの勲章が輝いている。
それは同時に――
彼の野望が、ひとつの完成を見た証でもあった。
クレイモア家の没落。
領地の再編。
王家への忠誠の証明。
その盤面はほぼ彼の思惑通りに整えられている。
祝福の拍手が、まるで戴冠式のように彼を包む。
ルシアンは柔らかく微笑む。
さらに視線の先。
エリアスが立っていた。
緑の髪を緩やかに結い上げ、淡い蒼のドレスを纏う聖女。
貴族たちに囲まれ、祈りと感謝の言葉を浴びている。
「聖女様、どうかこの杯を」
「お怪我はもう大丈夫なのですか?」
「ええ。皆さまの祈りのおかげです」
柔らかな微笑。
慈愛に満ちた声音。
完璧な“公の顔”。
だが、ルシアンは知っている。
あの微笑の裏に、鋭い刃が潜んでいることを。
エリアスの瞳が、ほんの一瞬だけ彼を捉える。
その瞬間だけ、聖女の顔が消える。
代わりに現れるのは、共犯者の顔。
すぐにまた微笑みに戻る。
誰も気づかないほど自然に。
貴族たちが列をなし、祝辞を述べる。
「ヴァルグレイ公爵、見事な手腕でしたな!」
「王国の盾とは、まさにあなたのことだ!」
祝辞が途切れない。
言葉は飾られ、磨かれ、重ねられる。
まるで、彼という存在を“物語”として完成させるかのように。
「皆様のご支援あってこそ。私は王国の安寧を願うのみです」
ルシアンは柔らかく微笑む。
「皆の者、本日の勝利と新公爵の誕生を祝し、杯を!」
王が立ち上がった。
その動作ひとつで、広間のざわめきが歓声が爆発する。
グラスが一斉に掲げられ、金属と硝子の触れ合う澄んだ音が幾重にも重なり合った。
セリーヌ王女が祝宴の只中、王の隣へ。
「父上……本当に、彼を公爵に?」
歓声に紛れそうなほど小さな声。
その響きは鋭く、確かに王へ届いた。
王はゆっくりと振り向いた。
「うむ。ヴァルグレイはこの国の混乱を治めた。文句のつけようはない」
王女の瞳が、まっすぐルシアンを射抜く。
「……そう。彼の“狙い”が見えないままでも?」
空気が凍る。
音楽が一瞬、弱まった気さえした。
ルシアンは静かに、王女の前に片膝をついた。
「王女殿下」
低く、落ち着いた声。
喧騒の中にあってなお、不思議と通る声音。
「私の狙いは一つ。
王国の安寧のみ。それ以外、何も望みません」
疑念を差し込む余地すら与えない、完成された“答え”。
「……ええ。あなたらしいわね」
セリーヌは、 指先がわずかに震えながら微笑む。
胸の奥で、消えない違和感が残っていた。
完璧な忠誠。
完璧な理屈。
完璧な功績。
それら全てが、あまりにも整いすぎている。
「功績に異論はあるまい」
王は満足げに頷いた。
その一言が、この場の“結論”だった。
祝宴は、正しさを肯定するための舞台でもあるのだから。
少し離れた位置で、リリィがグラスを傾けながら、小さく呟く。
「……あいつ、笑いすぎじゃない?」
暫くのちセリーヌの侍従がアレンのもとへ近づいた。
「勇者アレン様。王女殿下がお呼びです」
耳元で告げられる控えめな声。
「……すぐに参ります」
アレンは一瞬だけ目を細める。
周囲の騒がしさとは対照的に、その瞳は静かだった。
差し出された杯を卓へ戻し、人の波を縫うように大広間を後にする。
祝宴の喧騒が遠ざかり、静かな廊下へと足を踏み入れた瞬間、まるで別世界へ移ったかのようだった。
月明かりが差し込む回廊。
その先、中庭に立つ一人の影。
薄紫のドレスを夜風に揺らし、セリーヌ王女が佇んでいた。
庭園には白薔薇が咲き誇り、月光を浴びて淡く輝いている。
「お呼びでしょうか、殿下」
中庭に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
祝宴の熱気が嘘のように遠のき、夜の静けさが肌に触れる。
「ええ。少し、話がしたくて」
振り返ったセリーヌの声は、どこか力が抜けていた。
「……祝宴は、お楽しみですか?」
王女ではなく、一人の少女の声音に近い。
わずかな沈黙のあと。
「戦場よりは静かです」
アレンは少し考え、苦笑する。
「あなたらしい答えですね」
王女が小さく笑った。
その笑みは穏やかで、しかしどこか寂しげだった。
風が吹き、薔薇の香りが漂う。
遠くから音楽が聞こえる。
月が雲間から顔を出し、セリーヌ 王女の横顔が月に照らされる。
「アレン様。あなたは今日の裁定をどう思いました?」
その問いの重さに、アレンはすぐには答えられなかった。
「……王国が安定するなら、良いことだと思います」
「“思います”……本当に?」
アレンは言葉に詰まる。
何かを言いかけて、やめる。
「俺は剣です。決めるのは、王族の役目でしょう」
「ずるい答えね」
「すみません」
セリーヌは空を見上げ、ゆっくりと息を吐いた。
月は高く、変わらずそこにある。
「私は、あの人が怖いのです」
あの人。
名を出さずとも、分かる。
「ですが同時に……必要だとも思ってしまう」
アレンは答えない。
答えられない。
王女は続ける。
「守るために誰かが汚れる。それが正しいのか、わからない」
夜風が二人の間を抜ける。
「……俺は、守る側でいたい」
アレンの言葉は静かだった。
「汚れるのではなく、守るために剣を振るう。それしかできません」
セリーヌは、ほんの少しだけ微笑む。
「だからあなたは、勇者なのですね」
だがその瞳には、不安が残っていた。
祝宴が最高潮に達した頃。
エリアスはそっと広間を抜け出す。
石の廊下。
灯りは少なく、足音だけが響く。
「……逃げ出したのか、聖女殿」
エリアスは振り返る。
「……やはり、いらっしゃいましたか」
そこに立つのはルシアン。
廊下には二人だけ。
「公爵様こそ。祝辞に囲まれていらしたのでは?
抜け出してよろしかったのですか?
“主役”が席を外してしまって」
「主役は舞台に縛られるものではない。それに、息苦しい」
「ふふ……意外ですね」
エリアスが小さく笑う。
「あなたが“息苦しい”などと感じるとは……おめでとうございます」
「皮肉か?」
「少しだけ」
短い沈黙。
エリアスは視線を鋭くする。
「王女様を刺激しすぎです」
「予定通りだ」
「予定通り? 疑念を煽ることまで含めて?」
「もちろんだ」
「……勇者も疑っている」
「想定内だ」
「想定内、で片付けられる問題ではありません。彼は象徴です。民衆の希望です。疑いが育てば、やがて」
「私に刃を向けるか?それでいい」
ルシアンは淡く笑う。
「よくありません。
あなたは公爵になった。
王国の柱です。柱に亀裂が入れば、崩れるのは国です」
「柱は叩かれてこそ強度が証明される」
「遊びではないのですよ」
「遊びに見えるか?」
問い返され、エリアスは言葉を詰まらせる。
「…王国からの祝福。嬉しそうでしたね。王が認め、民が歓声を上げ、貴族が頭を垂れた。
あなたの“理想通り”の光景でしょう」
その声音は柔らかい。だが試すようでもあった。
「思惑ではない。必然だ」
「必然……」
「王が認めた。民が祝った。貴族が従った」
ルシアンは勲章を指先で軽く弾く。
乾いた金属音が小さく響く。
「望まれた方向へな」
「……それを、人は支配と呼びます」
エリアスは目を細める。
沈黙。
「これで盤は完成だ」
「……野望が、ですか」
ルシアンはすぐに答えない。
エリアスの視線が、ほんのわずかに強まる。
「王国の安寧だ」
「本当に?」
ルシアンは一歩踏み出す。距離が縮まる。
「お前はどう思う」
「あなたは王国を守る。確かに守るでしょう。ですが……
そのやり方は、守るのと同時に縛る。導くのと同時に支配する。違いは……紙一重です」
「違いがわかるか?」
ルシアンはわずかに目を細める。
「……わかりません」
「なら考えるな。お前は、光の役目だ」
「……あなたは?」
「影だ」
「光と影は、同じ場所に立てません」
「だから価値がある」
「私はまだ戻れます」
「戻る場所があると?」
言葉が刺さる。
エリアスの喉が小さく動く。
「……あなたは残酷です」
空気が変わる。
その瞬間――足音。
巡回の兵士が近づく。
エリアスは一瞬で微笑みを作る。
「公爵様、こちらにいらしたのですね。皆様がお探しでした」
「風に当たっていただけだ。祝宴は熱気が強い」
「お戻りになりましょう。皆様がお待ちです」
「そうだな」
すれ違う瞬間、ルシアンが低く囁く。
「……光でいろ、エリアス」
彼女は微笑んだまま、わずかに震えた。
大広間では再び歓声が上がる。
王都は、勝利を祝っている。
だが祝宴の裏では、誰もがそれぞれの思惑を胸に抱いていた。
煌びやかな光の下で、影は確かに伸びている。
夜はまだ、終わらない。
そしてこの祝宴は。
嵐の前の、静かな舞踏に過ぎなかった。




