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樹上の蜥蜴座(ラケルタ)  作者: 速水涙子


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9-β 卵が先か鶏が先か(1/3)

「ねえ、りこちゃん。これ、どこでみられる?」


 そう言って小瑠璃が差し出したのは星空の写真集だった。


 私の部屋から本を勝手に持ち出していたのは小瑠璃だったか。そう思いながら、私は開かれたページをのぞき込む。


 小瑠璃が指差す先にはニュージーランドの煌めく星空が広がっていた。さすがに、これをこの近所で見るのは難しいだろう。


 私はできる限りやさしく、さとすようにこう答えた。


「今度、お姉ちゃ……お母さんに、プラネタリウムに連れて行ってもらってね。そこでなら見られるよ」


 とは言ったものの、周辺に小さな子供向けの施設があるのかどうかよくわからない。そもそも、小瑠璃にはまだ早いだろうか――


 そんなことを考えていたものだから、発言に真実味がないとでも思ったのか、小瑠璃は途端にかんしゃくを起こし始める。


「これみるの!」


 機嫌よく遊んでいるときならともかく、こういうときの対処となると私には荷が重い。とにかくなだめようとするのだが、小さな子ども相手に理屈を説くことができるような知恵を、残念ながら私はまだ持ち合わせてはいなかった。


「これは遠くの場所でしか見られないからね。るりちゃんが大きくなったら見ようね」


「るりじゃない! こるり!」


 小瑠璃は本を抱えると、むすっとした顔でリビングを出て行ってしまった。どうやら完全にへそを曲げてしまったらしい。


 父と姉は出かけていて、今は私と小瑠璃のふたりきり。姪は機嫌を損ねると話もしてくれなくなるから、しばらくそっとしておいた方がいいだろうか、とも思うのだが、託されたからには、見守るのも大事な役目だとも思う。


 仏壇のある和室に小瑠璃の姿を見つけて、しばらくは近くで様子をうかがっていた。そのうち気持ちも落ち着いたのか、小瑠璃は私に向かって星についての話をねだり始める。


 小瑠璃にもわかるように、やさしい言葉でいろいろな話をした。夜に船で海を渡るときに星は道しるべになったのだとか、あるいは、星座によって季節や月日の流れを知ったのだとか。


 それから、少し変わった星座についての話もした。例えば――とかげ座とか。新しい星座なので、それにまつわる神話があるわけではないけれども、星の並びで描かれるさまざまなものについて、小瑠璃は興味深そうに聞いていた。


 星がよく見える場所についても話している。月のない暗く澄んだ夜空。広くて高くて周囲に明かりが少ないところ――


 そんなことを話しているうちに、ふと疑問に思った私は、本にかじりついている小瑠璃に向かって、こうたずねた。


「どうしてそんなに星が見たいの?」


 しばし答えを待ったのだが、顔を上げた小瑠璃は何も言わずに私のことをじっと見つめ返してくる。機嫌が悪いわけではなさそうだったので、私は困惑しながらも、ただただ首をかしげていた。


 小さな子どもの考えていることはわからないな。そのときの私は、そう思っていた。





 その日は朝から雨が降っていた。


 昼を過ぎると雨足は急に強くなり、すぐさま嵐の様相となる。今日の予定は何もなかったので、私は自室のベッドに寝そべって、本でも読みなから静かに時を過ごしていた。


 異変を知ったのは、姉が私の部屋に顔を出したとき。ふいに扉が開いたかと思うと、隙間から目つきの悪い姉の顔がのぞき込んだ。


 その形相に、私は思わず飛び上がりそうになる。


「小瑠璃がいない」


 姉はひとことそう言ったが、私はとっさに何のことだかわからなかった。


 平日の今頃なら、小瑠璃は保育園にいるはず。いつもであれば、勤め先から帰宅する途中、姉が迎えに寄っていた。ここに姉がいるということは、小瑠璃も帰っているのでは。


 壁にかかった時計に目を向けてみたが、仕事帰りにしてはまだ早い時間だった。不思議に思っていると、姉は私の部屋を無遠慮に見回しながら、こう続ける。


「保育園にいない。家にも帰ってない。保育士さんにも探してもらってるけど、今は警報が出ているせいで混乱していて……」


 姉は明らかに動揺している。たちの悪い冗談ではなさそうだ。


 どうやら、激しい雨風によって保育園は午後から休みになることが決まったらしい。仕事を切り上げた姉は保育園に迎えに行ったが、そこに小瑠璃の姿はなかった、とのこと。


 父はまだ仕事だろうし、義兄もそうなのかもしれない。あるいは、姉の家にいるのか。いずれにせよ、行き違いがあったということもなさそうだ。


 ことの重大さが、ようやく身に染みてわかってきた。頭の中が、すっと冷えたような感覚がする。


 姉が無言で踵を返したので、私もすぐにその後を追った。姉はリビングに立つと、どこかはわからないが、携帯端末(スマホ)で電話をかけ始める。


 この状況で私ができることなど、いくらもない。テレビをつけて天気の情報を集めるが、雨はしばらく止みそうもなかった。


 姉は思い当たる節を全て当たっているようだが、小瑠璃に関する情報は得られていないようだ。やがて、慌てた様子で父が家に帰って来たときにも、小瑠璃の行方はまだわからないままだった。


 父と姉が何やら深刻そうに話をしている。私はひとり自室で待機を命じられた。


 ごうごうとうなる強い風とばらばらと打ちつけるような激しい雨の音を聞いていると、その恐ろしさに思わず身がすくんでくる。姪はいったいどこにいるのだろう。無事だといいが――そう思うと、途端に居ても立ってもいられなくなった。


 小瑠璃を探しに行こうか。ふと、そう思う。危ないことは承知の上だ。しかし、家族にとっては、得体の知れない存在である私よりも、あの子の方が大事だろう。


 そのとき、鳩村が言った――思い詰めて、その体ごと太陽の果てまで飛び去ったりしないでくださいよ、という言葉を、なぜかふいに思い出した。どうして、そんなことを思い出したのかはわからない。今の今まで完全に忘れていたのに。


 確かに私は得体の知れない存在かもしれないが、この体はそもそも私のものではない。そう考えると、この嵐の中に飛び込むのは、やはり無謀なことのように思えてくる。


 それでも――

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