8-α 人間は考える葦である(3/3)
アトリはすぐさまうなずいた。
「理子ちゃんは嘘つくような子じゃないものね」
その言葉を聞いて、彼女は強い人だな、と思う。心の中ではきっと信じられないという思いでいっぱいだろうけど、そんなところは微塵も感じさせない。
それまで張りつめていたものが緩んだかのように、あなたもほっとした表情を浮かべている。
「このことは他の誰も知りません。だから、私は何もかもなかったふりをして過ごせばいいだけなのかもしれません。それでも私は、みんなに嘘をつきたくはないんです。だって、私は家族のことや友だちのことが大好きで――だからこそ、ここにいたいと思うから」
あなたはまくし立てるようにこう続ける。
「そう。私はここにいたいんです。私はこの前、家族のことをどうでもいい、と言う子と話をしました。でも、私は違うんです。私は家族のことを、どうでもいいだなんて思わない。私は家族のことが好きだし、家族には私のことをわかって欲しいとも思う。だからこそ、そうできないことがつらいんです」
あなたはそう言うと、問いかけるような視線をアトリに向けた。
「私は家族に本当のことを伝えて、それでもここにいていいんだと、言ってもらいたい。そう言ってもらえるのだと、信じたい。そう考えるのは、虫が良すぎるでしょうか。すべてを明かして、何もかも受け入れて欲しいと望むのは」
それを聞いたアトリは、ふとやさしげな笑みを浮かべた。
「理子ちゃんは、生きることにひたむきなのね。その気持ち、忘れないで欲しいな」
彼女はそう言うと、姿勢を正してから、ふいにこう打ち明けた。
「実はね、私も秘密にしてることがあるの。聞いてくれるかしら」
うなずくあなたを見返しながら、アトリはこう続ける。
「こんな仕事をしているけどね。私ってば特別な力とか何もないのよ。未来も過去も見えないし、心も読めない。幽霊を見たこともない」
彼女のそんな告白に、あなたは呆気にとられたようにぽかんと口を開けている。
「えっと……それ、言っちゃっていいんですか」
あなたがようやくそう返すと、アトリはいたずらっぽく笑みを浮かべた。
「そういうものが見えなくても、占いはできるものだから。ただし、これ他の人には内緒ね」
人差し指を口に当てて笑う彼女と一緒に、あなたも少しだけ笑っている。
アトリは小さく肩をすくめながら、こう続けた。
「もちろん、特別な力を否定するわけじゃない。知り合いにはそういう力を持っていると言う人もいるし。霊と思われるものが見えたり、妙に勘がよかったりね。理子ちゃんは共感覚って知ってる? 文字や音に色があるように感じたりするんですって。まあ、そんな風に、世界が人とは違うように見える人はいるのよ。だから、そういう不思議なことはあるんだと思う」
そこでひと息つくと、彼女は静かに目を閉じた。
「だけど、私は違う。私はただ目の前にいるその人を見て、その人が語ることを聞いて、それで答えを示しているだけ。それでも、お客さんの中には私が特別な力を持っているのだと信じてる人もいる。私はあえて否定したりはしないの。その方が、うまくいくこともあるから」
彼女はそこで小さく苦笑いを浮かべた。
「本当のことを知ったら、がっかりする人もいるでしょうね。もしかしたら、怒られるかもしれない。でもね。私は、私の元にやって来る人たちに寄り添うためなら、私にできることは何でもしたいと思っているの。そうして、その人のためになると思う言葉を届けられるなら、嘘だってつく。それが正しいことかはわからないけれども、それは確かに私のやりたいことだから」
そう言うと、アトリはテーブルに肘をつきながら、小さく首をかしげてみせた。
「どう? 私って虫がよすぎるかしら。でもね。私は今さら、この生き方をあらためられないのよ。呆れてくれてかまわない。自分の心は自分で決められたとしても、他人の心までは決められないものだから」
「他人の心までは、決められない?」
あなたがそう問い返すと、アトリはゆっくりとうなずき返した。
「ええ。でも、だからこそ、自分にとって何より大事なのは、自分自身の気持ちなの。理子ちゃんは、さっきこう言ったでしょう? ここにいたいって。それでいいの。もちろん、お互いの主張がぶつかり合うなら、相手と話し合わなければいけないときもある。話したところで理解してもらえるとは限らないし、すべてを受け入れてもらうのは難しいことだけれど……」
アトリはあなたの目を真っ直ぐに見返した。
「でも、だからこそ理子ちゃんはゆっくりと考えてね。焦っちゃダメ。これはね、いろいろな人と話してきた私からのアドバイス。チャンスを待つことは、悪いことではないわ。嘘をついたり、真実を伝えないことで人を貶めるような人も確かにいるけれど、あなたはそうじゃない。だから、その気持ちがあれば、あなたはきっと大丈夫」
ほほ笑むアトリを見つめながら、あなたはしばらく何かを考え込んでいるようだった。しかし、そのうち深々とうなずいたかと思うと、こう話し始める。
「いろいろなことがあって、私は私に自信が持てなくなっていました。自分というものは、もうなくなってしまったんだと。でも、そんなことはなかったと、今では思います。私は確かにここにいました。誰かの期待に応えられないことが怖くて、周りに合わせていた私とも違う。それが受け入れられるかどうかはわからないけれども、もう少しゆっくり考えてみようと思います」
あなたはそう言うと、少しだけ照れたようにはにかんだ。それをごまかすように、すぐさまこう続ける。
「来年のお祭で神事を見て、もしもまた彼女の声が聞こえたなら、今度はちゃんと話してみようと思います。あのとき私が誰より話さなければならなかった相手は、きっと彼女だったと思うから。もしかしたら、遅いって怒られるかもしれないけれども、話してみないと何もわからないってこと、いろいろな人と話してみて、ようやくわかったんです」
アトリはうなずき、こう言った。
「何かあったら、また相談に来てちょうだい。いつでも大歓迎よ」
「ありがとうございます」
そう言ったあなたの顔は、いつになく晴れやかだ。
あなたの考えを知って、私もいろいろなことを思い返していた。
初めて私のことを知ったとき、あなたは何を思ったのだろうか。知らなければよかったと、あるいはすべてを忘れたい、と――そう思ったこともあっただろうか。
思えば私も、いつかのときに、私はもういない方がいいのかもしれない、と――そんな風に考えたこともあった。誰にも声が届かないなら、心なんてなかった方がいいのに、と。
けれども、今は違う。私はあなたと話ができることを楽しみにしていた。あなたが私のことをどう思っているかはわからないけれども、私はあなたのことをよく知っていたから。
だって、私はあなたが楽しいときも嬉しいときも、悲しいときも苦しいときも、いつでも一緒にいたんだから。これはもう、魂の双子のようなものではないだろうか。
そんなことを話したら、あなたは驚いてしまうかもしれないけれども。
それからもうひとつ、私には気がかりなことがあった。
あなたのことをずっと見ているうちに気づいたのだけれど、どうやらあなたは、あのときのことを忘れてしまっているらしい。もしも、話すことができたなら、私はあなたにそれを伝えなくてはならなかった。私のためにも。あなたのためにも――
さまざまなことに思いを巡らせながら、私はそんなことを考えていた。




